七日目 昨日の風呂場での件について
「……ん、うぅん……」
目が覚めて寝返りを打ち、薄目でぼんやりと部屋を眺める。まだ薄暗いので夜明け間近か? と、時計に目を向けると八時二十分になろうとしていた。
寝入る前にフェネリさんが目覚ましの時刻設定を八時半にしていたような気がする。あのけたたましい音は寝起きにはちょっと不快なので、鳴る前に手を伸ばしてスイッチを切っておく。
のそのそと上体を起こし、「ふわぁぁぁ~……」と大きくあくびをしながら全身を伸ばすと、昨日の痛みはすっかり消えていた。フェネリさんハンパねぇ! 昨日のマッサージに感謝しつつも、もう二度と受けないでいいように気を付けようと心に誓う。
「……なんでこんなに暗いんだ?」
眠い目を擦りながらカーテンの閉まる窓へと視線を移す。と、そこでサー……という音と、パタパタと水滴が爆ぜる音に初めて気が付いた。
「あぁ、今日は雨か」
こちらの世界に来て七日目にして初めての雨降りだ。せっかく身体の調子が戻ったのに、軽く気が滅入る。
ベッドから降りて、キャビネットの冷たい魔道具から水差しを取り出して、コップにニ杯分一気に飲み干し、もう一杯注いで窓際まで行きカーテンと窓を開ける。少し肌寒いが風はないようで部屋に雨が吹き込んでくるようなことはなかった。
いつもは色鮮やかで綺麗な街並みは、曇天で薄暗くやや灰色がかり静かな雨で少し霞み、人々の活気もまだない。
通りを歩く人々は色とりどりの丸く大きな雨具を頭上に掲げていた。たしか元の世界ではお貴族様がお付きの者に持たせていたのを見たことがある。傘と呼ばれていた筈だ。馬車の乗り降りでしか使わないし、貴族御用達の店は大抵玄関に馬車が入れる屋根が付いてるから、滅多に見ることはないんだけど。アイツら道なんて歩かないしな。
俺達平民は大雨の時や雨の中長距離を歩く時にはフード付きのポンチョやマントを羽織るが、街中では少々の雨なら濡らしたくない荷物に防水の布を被せるくらいだ。冬場は防寒性と撥水性の高い上着を普段から着てるので、濡れて風邪を引くようなこともない。
濡らしたくない荷物ってのは小麦や大麦などの主食が主だ。濡らすと腐ったりカビが生えたりしてダメになる。食料では新鮮な青物以外を雨に濡らさないように気を付けるのは、平民にとっての常識だな。特に貧しい俺らは死活問題に関わる。
それに、雨ってのが好きなハンターはほとんど居ない。フードを弾く雨音で周囲の音を察知しにくくなるし視野も狭まる。さらに武器や防具や金属製の道具は濡れたまま放っておくと錆の原因にもなるので整備の手間が増える。そして鎧下が水を吸うと十キロは重くなるので動きが鈍り、足元がぬかるむとまともに戦えなくなる。そういった全ての状況が重なって踏んだり蹴ったりな状況になるのは雨ならいつものことだ。……それに、忘れちゃいけない嫌なことを思い出す。
だからって雨を嫌って仕事に出ないわけにはいかない。貧乏暇なしってのもあるけど、一日に何度もあちこちで開く『ゲート』から出る魔物を放っておけばあっという間に溢れかえるし、野生化して繁殖でもされたら手に負えなくなる。日々の間引きが不可欠なんだ。
ちなみに、ウチのレイセリアだけ雨具はほとんど使わない。ハーフエルフである彼女は水と風の精霊と仲が良く、彼女が望めば少量の魔力で雨粒や泥はねから守ってくれるらしい。
俺らパーティメンバーが煩わしい雨具で出掛けていても、アイツだけ羽でも生えてるのかというくらい軽やかに歩いてやがる。羨ましいったらない。
「こっちの人達は、この程度の雨でもみんな雨具を使うんだな」
外を眺めながら水をちびちびと飲んでいたら、猛烈に腹が空いてきた。急いで歯磨きとトイレとシャワーを済ませて着替える。
いつもの習慣で剣に手を伸ばしかけて止める。そうだった、リムスが武器を持ってくるなって言ってたっけ。じゃあハチェットも持っていけないな。
念のために腰のポーチから解体用ナイフも取り出してテーブルに置き、食堂へと向かう。
「マビァ様、おはようございます」
階段を降りてフロントに近付くと、いつも通りシェルツさんが声をかけてくれた。今日もフェネリさんはそこにいて同時に挨拶をくれる。手を上げて挨拶を返す。
「良くお眠りになられましたか?」
「うん、どうやって風呂から出て部屋に帰ったのかよく覚えてないんだけど、ついさっきまでぐっすり眠ってたみたい」
「おや? では昨日の浴室での一件は覚えていらっしゃらないのですか?」
「へ? 俺なんかしたっけ?」
首を捻り記憶を探ってみると、もやもや~っと大浴場での出来事が曖昧に脳裏に浮かんでくる。
湯気の香りや石鹸とシャンプーの香り。モコモコの泡に包まれる心地好さとシャワーが肌を打つ感触。薬湯の良い香りに包まれながら湯船に身体を漂わせる快感。そんな至福の記憶の中に不愉快なクソガキどもの声と、その親らしき大人達の声がザラザラとした不快な感覚を伴って紛れ込む。
「あぁ! なんか腹立つガキどもが絡んできたから、親とまとめて『威圧』ぶちかましてやったんだっけ」
「思い出されたようですね。その節は大変お世話になりました。改めてお礼を言わせて下さいませ」
「いいってそんなの。それよりアイツらどうなったんです?」
「それにつきましてはオーナーから説明されますので、そのまま食堂へとお進み下さい」
シェルツさんの言葉に合わせて、フェネリさんが俺を誘導するために前に出る。「じゃあまた」とシェルツさんに返して食堂へと向かった。
いつものウェルの部屋へと案内され中へ入ると、ウェルと侯爵と大佐が食後のコーヒーを飲んでいるところだった。侯爵と大佐はやはりお忍びのためか、平民の装いでお貴族様らしさを隠していた。昨日カッセルと面会するために整えられた領主らしさとその側近らしさが、適度に乱した髪型と薄く生えた無精髭で完全に消えていた。
紅月を探したが、食器が片付けられていない無人の席を見付けた。多分あそこで消えて食っているのだろう。
「ようおはようさん! 良く眠れたみてーだな」
「あぁ、もうすっかり体調も戻ったよ。カイエン侯爵、テイレル大佐、おはようございます」
「うむ、おはよう」
「お元気そうでなによりです」
【おはようございます、マビァ】
おっとリムスも居たのか。よく見ると侯爵の近くのテーブルの上にリムスの会話用小道具が転がっているのを見付けた。でも小グモの姿は見えない。
「リムスもおはよう。あの小グモは居ないのか?」
【昨夜の二十時二十一分三十四秒にエネルギー不足で待機モードに移行しました】
「は?」
「おいおいマビァ、また古代文明語になっておるぞ。まぁ内容は察しが付く。あの小グモのことであろう?」
「へへっ、まぁ先に座れや。フェネリが仕事できねーで困るだろ?」
おっとまたやらかした。でもその通りなので侯爵とウェルに頷いてみせる。席に付くとすぐにフェネリさんが給仕を始めてくれた。
「夜の八時半頃までだったかな。駐屯基地に戻って、今の時代の刑法について説明を求められて、資料を広げて見せてやってたんだ」
【我を街の治安に活用するのであれば必要な作業ですよ。我が統括していたバスクーレル人達への刑法と違いがありそうでしたからね。現代人に合わせて知る必要がありました】
「粗方見せ終わったところで、リムスが『その観察用ボットはそろそろエネルギー不足で待機モードに移行します』と言いだしてな。なんのことか解らなくて小グモに目を向けた数秒後にあれは丸まって玉になったんだ」
【あのまま限界まで稼働し続ければ崩壊してナノマシンと、エナジーを消費し尽くした擬似ソウル・コアに分解していました。崩壊してもリサイクルが可能なのでカイエンに回収して持ってきてもらうことも可能でしたが、微細なナノマシンを取り零しかねないのでそうなる前に止めたのです】
リムスの言葉に合わせて、侯爵がポケットから小さな赤い物を取り出してテーブルに置いて見せてくれる。それは二つの玉をくっつけたような形をしていた。確かに昨日見た小グモが足を畳めばあんな感じになりそうだ。
……そういやザンタさんが遺跡のヒラグモやキリバチは崩壊させて砂にしたら何度でも復活して出てくるって言ってたっけ。あの小グモも同じ原理で作られていたのならリムスの話も解る。
「なるほどね。で、なんで刑法が必要なんだ?」
【文明が全く違うのですから、人々の倫理観や法令や罰則の基準も全く違うのです。基礎から知る必要があるのですよ】
『調和』で人の負の感情を抑える過程で、刑法によってどのような罰が下されるのかを想起させられるという段階がある。それだけでかなりの犯罪を抑止できるのだそうだ。
例えば、相対する人物に殴りたいほどの負の感情を抱いた場合、「他者に暴行を加えた場合、刑法により罰金○○。または懲役○年。さらに犯行後に逃走、隠蔽などの行為に及ぶような罪を重ねた場合は反省の色が無いとみなされ、刑罰を追加される」といった刑法の本に載ってそうな長ったらしい文章。
それをギュッと圧縮して、なんかもやっとしたイメージに変えて、一瞬脳裏に投影させるらしい。
怒りを収めるまで何度も繰り返されるそれは痛みはないがかなり不快だそうで、確かに抑止力になりそうだ。
【マビァ、貴方がコニスの頭を掴んだ時にも対バスクーレル人用の刑罰でしたが何度もフラッシュバックした筈なのですが……】
「いや? なんもなかったぞ?」
首を捻って思い返す。一昨日同じように掴んだ時と何も変わらなかった筈だ。
【やはり貴方はもっと詳しく調べる必要がありそうですね】
「あと一時間もすればそちらへ向かうのだから、その件はその時でよかろう。ウェル、昨日の一件の説明を頼む」
「分かりました兄上。オレ達はもう朝メシ食ったからよ、お前は食いながら話を聞いてくれや」
フェネリさんによって用意される今朝の料理も初めて見るものだった。
大盛サラダとコーヒーはいつも通りだが、今回は色々なパンが盛られているバスケットがない。スープは薄緑色のもので、青大豆のポタージュだと教わる。
メイン料理がパンと一緒に食べるもののようで、平たく小さな丸いパンの上に葉野菜、カリカリに焼いたベーコンの順に載り、その上に柔らかそうな白い丸いものが載っている。うっすらと中に黄色い物が見えるからこれは玉子か? 形がちょっと歪んでいるのでゆで玉子ではなさそうだが焼き色もないので調理法が解らない。さらにその上からチーズにも見える濃い黄色のソースがたっぷりとろ~りかけてあり、小さく刻んだ赤と緑のハーブかな? と、黒胡椒がパラパラと散らしてあった。
それはすっげぇキレイでツヤツヤ光っていて可愛くて美味しそうなコジャレた料理だった。それが皿に二つ載っている。
「おお! すっげぇ美味そう! えぇと、どうやって食うんだ?」
パンやホットサンド、昨日のチーズカレーチャパティドッグなら手掴みでいけたが、これは手に持って食べるのは難しそうだ。たっぷりのソースで手がベタベタになる。どうしたもんかと悩んでいると、
「フォークとナイフでお召し上がり下さいませ」
と、フェネリさんがニコリと微笑んで、カトラリーの入ったバスケットをこちらへ少し寄せてくれる。
礼を言ってナイフとフォークを手に取り、その料理の真ん中へ切り入れる。すると玉子が割れて中の黄身がトロリと溢れ出た。扇情的に食欲をそそる見てくれに、思わず「おぉ……」と声が漏れる。
「これもマビァは始めてか? エッグ・ベネディクトってんだ。オランデーズソースと玉子の黄身を下のベーコンやマフィンにたっぷり付けて、まとめて一緒に食ってみな。うんまいぜぇー」
人が食べるのを見るのが好きなウェルが、ニヤニヤと笑いながら説明してくれる。もう腹減って我慢できないので、切り分けた半分を一気に口に頬張った。
見た目よりも酸っぱいソースと濃厚な黄身の風味が舌に広がり、粘りけの強いパンは小麦の香りが強く、カリっと焼かれていて食感も良く内側に塗られたバターの香りが出てきた。咀嚼すればこれまたカリカリに焼かれたベーコンの塩気と脂の旨みがソースや黄身の味と混ざりあい、味わいに深みが増す。時折感じる野菜の爽やかな苦味や、鼻に抜ける黒胡椒の香りが、この料理の格を一段上げているように感じられた。
「んんー!」
「クククッ、気に入ったみてーだな。マビァ、お前昨日の晩飯は眠くて食べられなかったんだってな。だったら腹へってんだろ? あと二~三皿用意させようか?」
「むぐ!」
俺は二口目を頬張ったままうんうんと頷いて、指を四本立てて突き出す。フェネリさんが微笑んで部屋を出ていき、ウェルや侯爵達に朗らかに笑われた。紅月がちょっとだけ姿を現してこちらに軽蔑の視線を送り、「フッ、浅ましい」と嘲笑ってまた消える。
うるせぇ、美味い物を美味しそうに食ってなにが悪い。消えた紅月を睨み返しながら一皿食い終わると、気分も落ち着く。コーヒーを一口飲むと軽くため息が漏れた。
「ウェルのとこのメシは美味いものばっかだな。えっぐ……なんてった?」
「エッグ・ベネディクトな。西の大陸の都市で定番の朝食料理さ」
「難しい名前だなぁ。なんて意味なんだ?」
「それがオレにもさっぱりわかんねーのよ。現地で色んな店のを散々食って回って、発祥や名の由来も聞いたんだけどよ、誰もなんにも知らねーってんだ。ただ、ベネディクトってぇのは西の大陸でたまに聞く家名らしいから、ベネディクトさんってぇ人が考案したのかもなぁ」
ふーん、そうなのか。後で作り方を教えてもらおう。あの玉子とソースの作り方さえ解れば元の世界でも似たような物は作れそうだ。
「ゴホン、ウェルよ……」
「おっと、申し訳ありません兄上。美味そうに食うマビァを見て、つい話が逸れました」
「ははは、気持ちはよく分かるのだが、あと少しで出ねばならんのでな。急かしてすまんが頼む」
俺より早く出なきゃいけないのか。だったら俺も悪かったと反省しながら、ちびちびとサラダやスープを食べ始めると、ウェルが話し始めた。
「さて、まずはお礼を言わなきゃなぁ。ありがとうマビァ。またまた助かったぜ」
「いや、風呂場の件についてなんだろうけどさ、俺寝惚けててよく覚えてないんだよな。アイツらいったいなんだったんだ?」
「マスキッテ伯爵家配下の兵士とその家族……に成り済ましたフンボルト伯爵家配下の兵士とその家族ってぇのがアイツらの正体だなぁ」
「あぁ……そういえばマスなんたらファミリーがどうとか言ってたな? てことはその偽物? なんだよそれややこしいな」
あまり興味のない話に思えてきた。渋い顔をしたままコーヒーを啜ると余計に苦く感じそうだったのでミルクをたっぷり足して飲む。
「マスキッテ伯爵家とは我がルーリライアス領の西隣に位置する領地の領主で、現領主は俺と同じ反軍人至上主義の大佐で同志でもある。対してフンボルト伯爵家は、当領地の北西に隣接する領地で、領主の位は大佐。根っからの軍人至上主義派の男だよ」
「……ってことは侯爵の仲間の部下に成り済まして嫌がらせされたってことですか?」
「フッ、察しがいいな。どうやらそうらしい。マスキッテファミリーとは領主の息子達とその取り巻きで構成された団体……というのはいささか大袈裟か。祭り好きの集まりみたいなもんだ。昨日のような各地の祭りに参加して豪遊する快楽主義で、貴族出身者ばかりだから酔った勢いで権力を振りかざし、たまに平民にちょっとした迷惑をかけることがあってな。金払いも良いしそう悪い奴らじゃないんだが平民達にとっては少々悩ましい存在だと聞いている」
なるほど、今回はその取り巻きの二家族のふりをしていたってわけだ。既にある悪評を利用すれば「マスキッテファミリーなら仕方がない」と平民は渋々受け入れるしかないってことか? それであんなに威張れてたんだ。
侯爵の説明によると、フンボルト伯爵というのがマスキッテ伯爵に対する逆恨みというか嫉妬が強いらしい。
家の格や軍での地位も同等に見えるが、マスキッテは国境に面しているので『辺境伯』となり、爵位は侯爵相当となり、軍の地位も一つ上の准将相当官となる。さらに嫁を横取りされたとか、息子が士官学校の成績で負けたとかという、下らない言いがかりが多いらしい。なにもかも負けてるのが許せないんだろうな。
「しょーもないヤツですねぇ。じゃあマスキッテ伯爵と侯爵の仲違いを狙ってウェルの宿で嫌がらせ? やることが地味だし遠回りしすぎだろ。すぐにバレたしバカなんじゃねーの?」
バカさ加減に呆れてウェルに毒づくと、ウェルは肩を竦めてへへっと笑った。
そこにフェネリさんが戻ってきて、俺の前に料理を四皿並べる。
来た来た! 早速熱々のところを切って一口頬張る。んんっ、三つ目なのに美味すぎて全然飽きない。
「それがそーでもなかったわけさ。祭りでウチは満室だったし、オレも軍部に詳しい兄上やテイレルも夜まで居なかったし。スタッフ達も接客でてんてこ舞いだったしな。それにヤツらの嫌がらせってのも分かりづらくってなぁ。軍章や家族の市民カードまで偽造してやがったんだぜ?」
軍章というのは、昨日冒険者ギルド内で侯爵と大佐がコニスに渡してたギルドタグみたいなあれだ。それと家族の市民カードの作りが本物と同じ製法で作られていたので、マスキッテ領でそれらと登記簿を照らし合わせて調べなければ、まずバレない物だったらしい。今回のアイツらは荷物検査で本人の軍章と市民カードを別に隠し持っていたのが発覚した。証明章の二重登録は違法なので、これだけでしょっぴくには十分なんだとか。
「マビァも知っての通り、この街の軍にもあれだけ軍人至上主義派が居るわけですし、マスキッテ領でもそうです。手を回せば確かに偽造は可能ですが、そこまでしていながらやることがコレですからね。いやはや呆れますね」
そう言って大佐は苦笑し、新聞を読み始める。
そういや昨日はクロエにもハンセルにも会わなかったな? アイツらはどうしてたんだろう。
おっと思考が逸れた。話を戻すと昨日のアイツらの風呂場での傍若無人ぷりは、昨日の夜だけでそれまではやっていなかったそうだ。
アイツらがチェックインしたのが一昨日の二時過ぎ。俺が侯爵達と初対面し昼飯が終わったあと、知ってか知らずか俺も侯爵達もウェルもこの宿に居ない時に入り込んだ。夫婦二組と子供十三人の合わせて十七人の大所帯である。大半が幼い子供であるという理由と、マスキッテの兵士であることを盾に無理を通して三部屋で泊まれるようにお願いしてきたそうだ。お客の要望には可能な限り応えるのがこの宿のモットーであるため、三部屋に予備のマットと布団を相手の要望にあわせて追加で運び入れたらしい。客商売って大変なんだな。
入室してしばらく経ってから少しずつ嫌がらせが始まった。とはいえ嫌がらせもとてもそうとは思えないことばかり。すべて子供のイタズラや粗相ばかりで、食事中に食器を倒してテーブルクロスを汚したり、皿を床に落として割ったり、食堂を走り回って他の客に迷惑をかけたりと、やんちゃな子供がやりそうなことばかり。
それに親達も慌てて追いかけたり、迷惑をかけた相手に平謝りしたり、子供達をちゃんと叱って大人しくさせていたりしたので、他の客も「まぁ子供のすることだから」と寛容に許していたらしい。
しかし宿側からすれば要注意な一行だ。専属の世話係りの他に『認識阻害』で時々見張っていたのだが、走って転んで大泣きしたり、夜中に兄弟喧嘩を始めて大声で怒鳴りあったり、あちこちで寝小便をしたりと、やはり子供の粗相程度のことしか起こさず、親達は実に誠実に謝罪していたので、ギリギリお客様として認めざるを得ない状況だった。
「確かに面倒な客ではあるけど、追い出さなきゃいけないほどでもないかなぁ。一昨日の夜の風呂場は昨日みたいなことはなかったのか?」
「あぁ、スタッフに見張らせたけど、普通に楽しげに風呂を満喫してただけだったとさ」
そして、今朝になったら子供達が急に大人しくなった。親達も子供達も一緒に、昨夜迷惑をかけた他の客やスタッフに謝って回ったため、他の客の溜飲は下がり、スタッフ達の警戒も薄れた。そして一昨日の風呂場では問題なかったからと見張りを外したら昨日のアレだ。
「どうやら『認識阻害』の見破り方を知ってるのが男女の親のどちらにも居たみてぇだな」
女湯の方でも傍若無人に振る舞っていたらしい。
こちらのスキル『認識阻害』は、「そこに誰か居る」と強く意識して注視すれば、見えなくなっている相手の姿がある空間が歪んで見える。俺だってすぐにできた簡単なことだ。誰ができてもおかしくない。
男湯の方は俺が全員の意識を刈り取ったからあっさり捕らえられたのだが、女湯の方は違った。
苦情を受けたスタッフが浴室へ入ったところ、普通に入浴を楽しんでいて、他の客からの苦情を伝え問いただしても「そんなとはしていない」「言い掛かりでしょう」「昨日までこちらが迷惑をかけていたのだから、恨みからそう言われているのでは?」などとすっとぼけられたそうだ。そう言われると、本来お客を平等にもてなさなければならないスタッフ側からすれば、捕縛の対象外となる。
男湯の方だって、俺が『威圧』をしていなければ女湯と同じ結果に終わっていたらしい。同じようにのらりくらりとかわされて、腹立たしく思いながらも笑顔で送り出さなければならないところだったそうだ。
「だが引っ捕らえた以上はウチのシェルツはそんなに甘くはねぇ。胡散臭くて散々迷惑かけられたアイツらより、苦情をくれたお客様の方を信じるのは当たり前さ。お帰りになってから悪評を広げられる方がウチにとっては痛いからよ。直に苦情をくれるお客様ほどありがてぇ存在はねぇんだ」
経営する店舗で、直接お客からの率直な意見や苦情を聞く機会は少ないとウェルは言う。「料理が美味かった」とか「最高のもてなしだった」などの褒め言葉は沢山いただくし、そうあるようにスタッフ一同が誠心誠意尽くしているのでその評価はありがたいし、よりいっそう励むための指針になる。しかし反面、その褒め言葉がそのお客の本心から出た言葉かどうかは別の話だ。
滞在中に不快な思いをしたのに、おためごかしで歯の浮くような褒め言葉を並べておきながら、地元に帰って悪評を広めるような輩は結構居るらしい。
だからこそ、直接今不快に感じたことを伝えてくれるお客は、とてもありがたい存在なんだそうだ。
当然ただの言い掛かりや、料金を踏み倒したり慰謝料をふんだくったりが目的のカツアゲで苦情を言う場合もある。そういった輩に隙をみせないようにする働きと、見極める目が必要だそうだ。そうサラッとウェルに言われるが、それができるシェルツさんやフェネリさん達がすごい。
てな具合に本性を隠して悪事をはたらくような輩に対する備えはしていたらしいのだが、『子供の粗相』という形での嫌がらせに不馴れだったことと、ウェル主催の祭りの期間中でスタッフ一同てんてこ舞いだったことから対応が後手に回った。
そこをビシッと締めたのがシェルツさんだ。俺が『威圧』で無力化したのを知るや否や、あの一行をそれまで『大変迷惑だがお客様として扱わなければならない対象』から、『捕らえて目的を聞き出し犯罪者として扱う対象』に切り替え、全員の捕縛をスタッフに命じた。悪人と断ずるには証拠が不十分だったものの、奴らの思惑は荷物の検査や尋問をすれば絞り出せるだろうと判断した上での決断だ。
「他のスタッフ達だって暴漢の一人や二人、簡単に捩じ伏せられるように鍛えられてっから、二人の母親と娘達を捕らえるのは楽勝さ。男親や息子達と一緒に地下室にご案内して話を聞くことにしたんだ」
「この宿で最弱なのは貴方ですからね」
「ははんっ、うるせぇなテイレル。オレはいーんだよ弱くても。オレの売りは商才と交渉力とこの鼻だぜ。護衛は紅月が居るしな」
からかってくる大佐を、ウェルは笑い飛ばす。確かにウェルは戦えないことなど物ともしない優れた才能をいくつも持ってる。守ってくれる人が何人もいるのなら、戦力的にゼロでも何も問題ない。むしろ下手に強くて前に出られる方が困る。
「地下室って……まさか拷問でもしたのか?」
地下室って言葉の響きが良くない。思い出されるのは、元の世界で読んだいくつかの物語で、捕らえられた主人公が拷問を受ける場面だ。読んだ物語に偏りがある気がしないでもないが、地下室という場所は陰湿で殺伐とした印象が焼き付いている。
「おいおいマビァ~、人聞きの悪いことを言うなよ。ここは癒しと憩いと美食でお客様をもてなす上質な宿『翡翠のギャロピス亭』だぜ? お客様から暴漢に転落したとはいえ、そんな酷ぇことするわけねぇじゃねーか。入浴後の癒しをご提供しがてら、ちょーっと世間話をしただけだぜぇ?」
ひとしきり大袈裟におどけて見せたあと、両人差し指でビシッと俺の後ろを指差すウェル。
フォークに刺したエッグ・ベネディクトを口に運ぼうとしていた手を止めて、差された方を振り向くと、恥ずかしそうにはにかむフェネリさんの姿があった。
…………拷問じゃねーか…………。
「クハハッ! お前もやられたんだってなぁ。だったら分かるだろ? フェネリは整体マッサージで骨や関節のズレからくる痛みや不調を確実に治してくれる天才だぜ。まぁ死ぬほど痛ぇがな。人間生きてりゃ誰だってそんな不調を抱えてっから、こちらはアイツらの抱える不調を親切で取り除いてやっただけさ。合間合間でシェルツが聞きたいことをちょこーっと質問させてもらったがなぁ」
男親の一人から始めて、一回目の拷問……もとい施術で絶叫させ、涙目で苦痛に震える男に質問するシェルツさん。答える答えないに拘わらず施術を続けるフェネリさん。その男が気絶したら別の親へ同じことを繰り返す。四人の親全員に同じ質問を繰り返すのは、誰かが嘘を吐いたり誤魔化したりするのを防ぐためと、情報の齟齬を修正するためだ。
繰り返される苦痛と絶叫。何度も何度も痛め付けられる自分の親の姿を見せられる恐怖に、震え泣き叫ぶ子供達。…………地獄絵図だな。
「俺とテイレルが戻った時には、粗方の情報が揃っていた。……さすがの俺も少々引いたよ」
【我の観察用ボットが停止したあとで良かったです。そのような光景は例え終わったあとでも見たくありませんからね】
侯爵達は帰ってきた時に、気を失いながらも恐怖でうなされる親達と、もう泣くこともできない心神喪失な子供達を見てしまったらしい。
俺だって昨日のことを思い出すから見たくない。
あの悪ガキどもも、心に一生消えない傷を負ったんじゃねーの?
「いいのかそこまでして。それこそ宿の悪い噂が広まるんじゃないか?」
「それは心配ねぇよ。なにもかも喋っちまった親達は犯罪者として軍に引き取ってもらったし、デイリーとタブカレにタレ込んで記事にしてもらった」
そう言って大佐の方を指差す。大佐が折り畳んだ新聞を上げて見せ、「三頁目です」とこちらへシュッとテーブルの上を滑らせる。フォークの柄で止めて開いてみると、そこにあまり大きくない記事で『翡翠のギャロピス亭にて迷惑な軍人一家✕2を逮捕』と見出しが書かれていた。




