六日目 ロージルさんのアパートへ
カレイセムの南東ブロック。物造りのギルドや関係者が多く住んでいるせいか、陽気で少々荒い気質の人が多い気がする。中央南通りから少し入るだけで、まだまだ祭りは終わらないと言わんばかりに賑やかになった。
昨晩この道を通った時よりも路上で呑み食い騒ぐ人が多く、明日からまた仕事だろうにと、ちょっと呆れる。でも俺がこの街で出会った人々は、兵士や冒険者以外は大抵が真面目な働き者ばかりで、誰もが自分の仕事が好きで誇りを持っているように感じていた。きっとこの連中も明日になったら仕事に専念するのだろう。もちろんそうでない連中もいるんだろうけど。そんなことを考えながら通りを走り抜ける。
「うわっ?!」
「おおっと! あ? マビァくんか」
あと一つ角を曲がればロージルさんのアパートがある通りへと入るところで、角から出てきた人とぶつかりかけた。
「あぁイルマさんか」
「あぁ、じゃないよまったく。遅かったじゃないか。君が来ないから宿まで迎えにいくところだったんだぞ」
「そっか、ごめん。思ってた以上に疲れてたみたいで、何時間か意識が飛んでたんです」
「あ……そうか、そうだったな。君は傍聴室では平然としていたから忘れていたが、よくもまぁ生きているなと思えるほどの出血をしていたんだよな。悪かった」
俺の言葉に驚いたあと、気不味そうに目を逸らして謝るイルマさん。あれほど嫌われていたのに、随分と柔らかくなったもんだ。少しは認められたようで嬉しい。
「それよりもイルマさんがそんなに慌ててるってことはロージルさんが大変なんでしょ? 急ぎましょう」
走り出しながらイルマさんを促す。「あ、あぁ」と返したイルマさんがあとを付いてくる。ロージルさんのアパートへの道すがらロージルさんの様子を聞く。
「昼間も言ったけど、あの子昨日は碌に眠れてないだろ? だから今にも眠りそうなんだよ。君が来なきゃガラムさんの晩御飯と夜食を作っていいものかどうかはっきりしなくてさ。いや、昼に聞いた伝言だとこれからもお願いしたいって話だったじゃないか。だから作ってもいいんじゃないかって言ったんだよ。でもまだお弁当箱が帰ってきてないからってさ」
ロージルさんはガラムさんから返されるこの弁当箱に、昨日の手紙の返事が入っているのではないかと、期待と不安でいっぱいいっぱいで料理も手に付かないんだそうだ。なのに俺が遅れたせいで睡魔にも襲われている。
「確かに、ガラムさんは朴念仁だけど生真面目だから、返事はちゃんと書いてそうですね」
「酷いこと言うな君は」
ふふっと苦笑するイルマさん。
ロージルさんの『無自覚痴女』と『無自覚男タラシ』がなければ、二人の色恋沙汰には俺なんて邪魔になるだけだ。だけど、まともな恋愛経験のない俺が心配になるほど女心に疎そうなガラムさんに、今のロージルさんを会わせたら絶対に誤解されて破談に終わる……気がする。
この二日でガラムさんには色々と言い含めているけど、それが頭に入っていてもロージルさんのアレは強烈過ぎて、己の劣情が勝手に反応するんだよ。
俺はもう見慣れたから大分平気だけど、ガラムさんはウェルのレストラン『キィマ』で色っぽく誘ってくるロージルさんを避けていた。あれからずっと会っていないわけだし、あの程度で目を逸らすようなら痴女化したロージルさんを見せない方がいい。
明日、リムスにロージルさんを検査してもらえれば『無自覚痴女』の方はなんとかなりそうなんだけど、もう一方の『無自覚男タラシ』がなぁ……。
──などと考えているうちにロージルさんのアパートまで辿り着き、部屋まで階段を駆け上がった。
「ただいまー、ロージル起きてるかい?」
「お邪魔しまーす」
イルマさんが声を掛けると、奥でガタッコトパシャと何かが倒れ水気の物が零れた音と、「ひゃいぁっ?!」と間抜けなロージルさんの声が上がる。
「……寝てたねこりゃ」
「ははは……ですね」
玄関でブーツを脱いでスリッパを借り、イルマさんに付いてリビングらしき部屋へと向かう。中へ入るとロージルさんが慌てた様子でダイニングテーブルを拭いていた。振り向いてほっと息を吐き微笑んだ。
「イルマ、おかえりなさい。マビァさんこんばんは。すぐに会えたのね」
「あぁ、出てすぐのところで会えたんだ。ほらマビァくん」
「はい、遅くなって本当にごめんなさい。これ」
と、テーブルに弁当箱の入った包みを置く。ロージルさんの目を見て頷いてみせると、ボッと赤くなって布巾を握りしめる。不安げに包みに手を伸ばし、覚束ない指先で包みを広げると、二つに折られた一枚の紙が弁当箱の上に載っていた。
良かった、ここまでは予想通り。問題は内容だ。
ガラムさんはさっきも言ったが生真面目で律儀だ。その反面、不器用で社交性が高い方ではないと思う。得意なジャンル、例えば鍛冶の技法や好きなカレーに関しては饒舌になるが、普段は寡黙で会話では聞き手にまわるタイプだ。そんな彼が手紙ではどんな感じになるんだろう?
手紙を開いたロージルさんがうつむき気味に黙読し始める。メガネが魔光灯の光を反射して表情が分からないが顔が赤いままで呼吸もはぁはぁと徐々に荒くなる。
これはアレになる前兆か? いい加減ロージルさんの対応に慣れてきた俺とイルマさんは、目配せをして頷き合う。二人してロージルさんの左右斜め後ろに立つと同時に、「きゅぅ……♡」と声を漏らしたロージルさんが崩れ落ちた。上体が左側に倒れたのでイルマさんが受け止める。
「よっと……。やれやれ、予想通りだね」
「イルマさん、俺が運びますよ。寝室に連れていって下さい」
「そうだね、じゃあよろしく。……変なとこ触るんじゃないよ」
「しませんって……」
俺はロージルさんを横抱きにしてイルマさんに寝室への扉を開けてもらい、ベッドに寝かせてからリビングへと戻る。
「さて、なんて書いてあったんだ?」
床に落ちた手紙を拾ってテーブルの上へ広げて置き、二人で覗き込む。
『ロージルさん、ありがとう。この二日の晩飯と夜食、全部とても美味しかった。俺の仕事をよく分かってくれてるんだろうな。少し濃い目の味付けが疲れた身体に力を与えてくれた。すごく助かったよ。
マビァには伝言を頼んだんだが、これを読む時にはもう聞いているだろうか? 引き続きお願いしたいと言ったが、さすがに連日お願いするのは気が引ける。
マビァから聞いたが、ロージルさんは昨日何度も気を失ったそうじゃないか。そんな人に無理をさせたくない。幸い今日はワニ肉祭りがあるので、今晩の分はそれで賄うつもりだ。ロージルさんの気持ちは本当にありがたいが、今日はゆっくり休んで欲しい。
予定では明日、明後日で取り敢えず根を詰めた作業は終わる。だから、明日、明後日の晩飯と夜食をお願いしたい。
ロージルさんの料理は本当にすごく美味しい。マビァに茶化されたよ、凄腕料理人の料理を独占してるって。本当に、本当に感謝している。ありがとう』
思っていた以上の長文にちょっと驚く。俺自身手紙を書いたことがないけど、内容は共感できる部分が多いと感じた。
ガラムさんは多分口数は少ないが、頭の中で色々と言葉を紡いで考えているタイプなんだろう。俺もどちらかといえばそっち寄りなんじゃないかな?
多分俺が手紙を誰かに宛てて書いたとしたら、無駄にあれこれ考えて、相手に伝えたいことを目一杯詰め込んで届けるんだと思う。
そして、出した後で後悔するんだ。気持ちを込め過ぎたんじゃないかとか、恥ずかしいことを書かなかったかとか、長文過ぎてキモい引くとか思われないだろうかと。
……ガラムさん大丈夫か? 今頃のた打ち回ってるんじゃないだろうか。俺だったらこれだけ気持ちを込めて書いた手紙を出してしまったら、悶絶して相手の反応を色々と妄想し過ぎて、他のことが手に付かなくなる自信しかない。ましてや今、ロージルさん以外の他人に読まれてる。その事実を知ってしまったら恥ずかしくて死ねる。
恐らく俺が泊まる宿に届けるまでいっぱいいっぱいで気が付いていなかったんだろうけど、俺がロージルさんに届けた時点で、俺もこれを読むことになるなんて思ってもいなかったんだろう。多分今頃、いや数時間前にはそれに思い至っている筈だ。俺だったらそれだけでヤバい死ぬ。
「ふぅ、取り敢えず今晩の料理は必要ないわけだね。助かったよ、あの子の状態じゃあとても料理なんてできそうにないからね。それよりマビァくん、これはどこまで話したんだい?」
そう言ってイルマさんは『昨日何度も気を失ったそうじゃないか』のところを指差してこちらを睨む。
「そりゃあ、話し合いしてた時に何回か気を失ったことや、鼻血吹いてぶっ倒れたこととか?」
「ちっ、やっぱりかこの男はぁ……」
「う、ま、不味かったですかね?」
イルマさんは舌打ちをしてさらに鋭い目付きで俺を一睨みしたあと、額に手をあてて首を振った。俺はまた何かやらかしてしまったらしい。
「ロージルにとってそれらは隠しておきたい醜態だとは思わなかったのかい? 昨日あんなに恥ずかしがっていたのに、よりにもよって片想いの相手のガラムさんに知られたなんて知ったら、あの子はどうなるのさ」
「あ……」
そう言われて自分の失態に初めて気が付いた。俺はただガラムさんにその日の苦労話を愚痴っただけのつもりだったし、ロージルさんの状態を少しでも知ってもらっていた方が、ガラムさんもロージルさんと対面した時に誤解をすることなく話せるかと思ったからあれこれ全部話してた。
でもこれじゃあ本人の居ないところで陰口を言っているのと変わらないじゃないか。例え悪気がなかったとしても、それでロージルさんを傷付けることになるならやってはいけないことだった。当然の気配りがまったくできていなかったんだ。
「まったく、君の方が朴念仁で女心が分かっていないじゃないか」
「ごめんイルマさん、俺、全然考えてなかった。ロージルさんに謝らなきゃ」
「当然だ。だけど今はまだいい。あの子が起きた時の反応を見るまで黙ってな」
「ど、どうしてですか?」
「ガラムさんの文章じゃ、君がどこまで話したかなんて書かれていないだろ? あの子は頭の回転は人の何十倍も速いクセに色々と鈍いところがあるからね。この文章からどこまで事実を読み取っているのか、非常に解りにくいんだ。さっき倒れた原因が、あたしが勘付いたように君があの子の醜態を曝したことを察した恥ずかしさからなのか、それともただ単にガラムさんの御礼の言葉に感激しただけなのか、正直さっぱり解らないんだ。もし君のやらかしに気が付いていないのなら黙っていた方がいい。だろ?」
「……それで俺が謝っちゃうと、知らなくてもいいことを知ってロージルさんを傷付けることに……」
「そーゆーことだ。『寝た子を起こすな』ってことさ」
そう言ってニヤリと笑い、俺の額を掌底でやや強めに突いた。ダメな子にするゲンコツ代わりだったのだろう。「あうっ」と仰け反る俺をあっはっはと笑い、キッチンへと向かう。
「さて、コーヒーでも飲もうか。君もいるだろ?」
「はい、いただきます」
丁度頭のスッキリする飲み物が欲しかったところなのでお言葉に甘える。
まったく今日は反省することばかりだ。しかもいつもの強引なポジティブ転換ができない全面的に俺が悪いことばっかり。本当ダメだなぁ。こういうところが俺がイマイチ輝けない原因なのかもしれない。いや、別にキラキラしたいわけじゃねーんだけどさ。
イルマさんがコーヒーの準備をする間手持ち無沙汰なので、弁当箱を片付けようと手を伸ばす。
蓋を開けるとガラムさんが既にきれいに洗っていたようでピカピカだった。鉄板皿なんか丁寧に磨かれたあとに油を擦り込まれていて、錆対策も完璧に仕上がっている。さすがは金物屋。
「イルマさん、これどこに片付けようか?」
「箱と水筒はあの棚の上だね。鉄板皿はそこの食器棚、そこの引き出しにフォークとかを入れてくれ。包みは洗濯するだろうからそこに置いといていいよ」
片付けながらイルマさんのコーヒーの用意を見る。
まずは食材を冷たく保存する箱から水の入った容器を取り出し、そこに浸かった取っ手付きの布の三角帽子みたいなのを小鍋に入れて煮始めた。
「これはネルフィルターって道具で、こっちがコーヒーミルな」
イルマさんの手順を不思議そうに見てたら道具の説明をしてくれる。
ハンドルの付いたコーヒーミルとやらに焦げ茶色の粒をザラザラと入れるのを見て驚く。
「え? コーヒーって元は豆みたいなそれ?」
「なんだ知らなかったのか?」
「はい、ウェルのところで初めて飲んだんで原料を見たのは初めてなんですよ。お茶みたいに葉っぱだと思ってた……」
「ははっ、まぁこの街もウェルゾニア商会が持ち込んでから流行りだしたから、まだ十年も経ってないけどね。正確には木の実の種なんだってさ。それを焙煎して挽き器で砕いて、お湯で抽出したのがコーヒーだよ」
そう言ってイルマさんはハンドルを回す。ガリガリと小気味良い音を立てて砕けていく豆は、たちまち辺りに良い香りを放ち始めた。少し甘さを含む芳ばしい香りはなんとも堪らず、胸いっぱいに鼻から吸い込んでしまう。
「すっげぇいい香りですね。飲み物になった時も良かったけど、こっちの方が断然いい」
「だろう? あたしもこっちの方が好きでね。飲むためにこの作業をするっていうより、これをしたくてコーヒーを飲むって感じさ。それにこの豆だってそのまま食べられるんだよ」
豆の入った容器から一粒摘まんで口に放り込み、カリッと砕き「ん~」と美味しそうに食べる。好奇心で物欲しそうに見ていた俺に微笑み、もう一粒摘まんでくれた。
受け取って噛み砕いてみると、結構な苦味が口内に広がる。でもそんなに嫌な苦味じゃない。口内に広がる苦味とわずかに感じる酸味で口の中がスッキリして目が冴える気がする。もう一口欲しくなる香ばしさだ。
「香りは甘く感じるほどなのに、食べるとまったく甘く感じないのが不思議ですね。癖になりそうです」
「食べ過ぎたら眠れなくなるらしいけどね。これをチョコでコーティングしたお菓子もあるんだよ」
チョコって……あぁ、昨日食べたドーナツの上に掛かってた焦げ茶色のほろ苦い甘さのアレか。そう言われれば香りも味も似てる気がする。ほどよく甘さがこの風味に足されるのなら、このまま食べるより美味しそうだ。
コーヒーミルの下部から引き出した木箱の中の粉が放つ香りをうっとりと嗅ぐイルマさん。その気持ち分かる。いつまでも嗅いでいたくなるな。
「でも、挽いたらすぐにお湯で抽出しないと酸化して香りがダメになるんだ。残念ながらね」
サンカ? よく解らないけどすぐに痛むってことかな?
沸かしたお湯を二つの陶器のカップとガラス製のポットのような物に注ぎ、お湯を回すようにポットを揺らして中のお湯を流しに捨てる。あぁ、容器を温めたのか。
次にさっきのネルフィルターを鍋から引き上げて布巾で水気を取り、コーヒーの粉を入れポットの上に置いた。上から少量のお湯を細く滴し回し掛けて一旦止めて三十秒ほど待つ。
次もお湯を細く滴し、回し掛けていくと粉にお湯が行き渡り薄茶色い細やかな泡が湧いてきた。布の先から赤っぽい黒い雫が落ち始め、香りも飲み物のコーヒーの香りに変わっていく。
あとは湯を注ぎながら軽く匙で混ぜ、雫が落ちなくなるまで待って、カップのお湯を捨ててからコーヒーを注ぎ入れて完成だ。
「ほれ、ブラックでいいかい?」
「うん、ありがと」
渡されたカップの香りを楽しみながら、二人でテーブルの席に座る。一口含んで飲むと、熱々のコーヒーはすっげぇ美味しく、疲れた身体と頭に染み渡る感じがした。二人してほぅっと同時にため息を吐いてしまい、思わず苦笑し合う。
「それで、まだ聞けてなかったけど、イルマさん達の方は今日どんな感じだったんです?」
「あぁ、結構大変だったよ。君らのように命懸けってわけじゃなかったけどね」
今朝ロージルさんを迎えに来た時からの出来事を話してくれた。詳しくはロージルさんの名誉のために伏せられたが、長い付き合いのイルマさんが頭を抱えて踞ってしまうほど、ロージルさんは一般女性と貞操観念がずれているらしい。そう聞くとエロいことが大好きで誰とでもやりたがる淫乱女に聞こえるし、無自覚痴女化した時のロージルさんはまさにそのまんまを体現しているが、内面はむしろ真逆というか、裸や下着姿を人に見られるのは一般女性よりも恥ずかしがるくせに、人からの視線にやたらと鈍感で、指摘されなければ気付きさえしなかったらしい。
なるほどと頷く。確かに俺がギルドの事務室に痴女化したロージルさんを引っ張り出すまで、男のいやらしい視線にまったく気が付いていなさそうだったもんな。
朝っぱらから何かをやらかしたロージルさんを叱り、イルマさんの自宅に連れていって旦那さんと一緒に相談。俺が指摘した『無自覚男タラシ』の方の対策を考え出したらしい。ロージルさんのスキルを使った、過去の男タラシ事件の数々を見直させ、自分の仕草や会話内容でどう男達をタラシ込んだのか自覚させるという解決法に、俺は腕を組んでう~んと唸り首を捻る。
「それって……」
「みなまで言わないでくれ。リーデルにも指摘されたよ。難しいしどれだけ時間がかかるか分からないけど今のところこれしか思い付かなかったんだ。ロージルを誘って自滅した男どもをコニスが何人か知っていそうだから、あの娘に名前と自滅した大体の日時を調べさせて、ロージルに思い出させようと思ってね。サンプルはできるだけ多い方がいいだろ?」
ってことは、コニスが振られた男どもの愚痴を聞いて回るのか。まぁもともとアイツから聞いた情報だったし、男の相手はコニスが一番上手い。イルマさんなんか相手を怖がらせて畏縮させるだけだもんな。
相談が終わってからロージルさんの実家に移動。姉のリーデルさんから聞いた今のロージルさんになった原因と思われる『雌蟷螂の会』での教育を教えてもらって俺はどん引きする。
「うあぁ、女だけの学校って怖いところなんですね……」
「あたしだって今日まで知らなかった闇の部分だよ。王宮の政務官候補だけが入れる『カトレアの会』の裏の顔って話だし、その『カトレアの会』ってのもあたしは知らなかったしさ。学校自体やあたしらみたいな普通の生徒には関係のない部活動みたいだね」
「コニスのヤツはどうなんです? あいつだって主席だったって聞きましたけど」
「さぁ? あの子は宮仕えには興味なかったって言ってたけど、そう言われるとあのあざとさは……」
うん、俺もそれが引っ掛かった。アイツのあざとさは本人は自覚がないと言ってたし、『雌蟷螂の会』のように、誰かを誑かしてその一族を乗っ取ろうなんて気はさらさらなさそうだけど、その効果は絶大でギルドの大半の男どもを一年弱で味方に取り込んでいるほどだ。それにエリ公はともかく、他の男どもに交際の申し込みをさせないように上手く立ち回っているらしく、男同士のいがみ合いもないあたりが実に巧妙だ。
その手腕が、アイツが持ってるスキルを使う上で身に付けた天然のものなのか、それとも『雌蟷螂の会』で修得した技なのか? 本人に聞いてみないと解らなそうだけど、アイツが正直に答えるとは思えない。
「コニスで思い出したけど、リーデルさんの旦那さんでしたっけ? そっちの方はどうだったんですか?」
「あー……。ウチの家族とロージルの家族がワニ肉祭りを中央広場の南側で楽しもうって朝から決まってたみたいでさ、そのリーデルの夫のネルトが場所取りで先に広場で待機してたんだ。あたし達が彼と合流したのが正午ちょっと前で、その時石柱から赤い大きなクモが何匹か糸を伝って街に出ていっただろう? 絶対に君らが帰ってきていて何かやらかしたんだと思って、ロージルとそっちに合流したんだ。それからギルドであれこれあって家族の元に帰ってみれば、ネルトはウチの親父にしこたま呑まされていてさ、話すらできない状態だったんだ」
「はぁ、それじゃあ仕方ないですね」
「でも、リムスさんに任せればロージルもエリンテル神官長も治るんだろ? もうネルトに頼らなくてもいいんじゃないのか?」
「ん~……」
俺はそのリムスの反応が気になっていた。地下で話し合っていた時には、ロージルさんもエリ公も何年か時間は掛かるが治せると言っていたが、地上に出てヒラグモ達を通じて五万人以上の人達をスキャンしたリムスは、二人を直接調べたいと言いだした。それに『調和のオベリスク』が一万何千年か前のバスクーレル人達に与えていたほどの効果を、現代人には与えられていないと言っていた。すぐに修正してまた鐘を鳴らすって話だったが、まだ鐘は鳴っていない。俺が爆睡している間に鳴ってたかもしれないけど。
現代人がバスクーレル人達と違い過ぎて、リムスも苦労しているのかもしれない。となると、あの二人も本当に治るのか不安になってくる。
「それは明日リムスに二人を調べてもらわないとなんとも言えないかな? 元々治るまで何年か掛かるかもって話だったし、それまでの急場しのぎに二人のアレを抑える薬があった方がいいと思うんですけどね」
「あ? 薬が必要なのはエリンテル神官長の方だけって話じゃなかったか?」
「コニスとエリ公の方はシャル達が頑張ってなんとか現状維持できてるんですから、コニスが我慢してりゃ多分大事にはならないんですよ。ロージルさんの方がよっぽどヤバいですって。明日は朝から遺跡に連れ出すから外勤なり出張扱いでギルドに居なくても問題ないだろうけど、明日中に治る可能性は低そうなんですから、明後日はいつどこでアレになるか分かったもんじゃないですよ。日に日に想いが募って悪化してるんですから」
「む~~~………」
昨夜だって碌に眠れず四回もアレになったらしいし、今日の日中はどうだったか知らないけど、手紙の返事を読んだ途端にこれだよ。今晩だってまともに寝られるのか怪しいもんだし、明日中に治らなければとても仕事になんか出せないんじゃないか?
イルマさんもよく分かっているからこそ悩みが尽きない。首を捻り難しい顔で唸り続ける。
「あーもうっ! 取り敢えず明日だ! それからまた考えよう。なっ?」
「そうですね……。俺ら二人で悩んでても答えが出るもんでもないし」
「あたしはこれ片付けてから、ロージルの様子を少し見たあと帰るから、君は先に帰ってくれ。疲れてるんだろ? 早く休んだ方がいいよ」
「分かりました。じゃあ明日、朝十時に研究所裏の地下入り口で集合なんで、ロージルさんをお願いします」
イルマさんが勢いよく立ち上がり、俺の空になったカップを取りながら言う。ここに居ても邪魔にしかなりそうにないので、さっさと帰ることにした。
ロージルさんの部屋から出て三階から見える景色を見渡す。通りの所々に灯りが大きく灯っていて、そこからの楽しげな喧騒が小さく耳に届く。まだ七時半を過ぎた頃だろう。この活気はしばらくは収まりそうにない。
ガラムさんはまだ仕事中かな? それともロージルさんと一緒で出した手紙の反応をモヤモヤと繰り返し考えているかもしれない。その返事を明日の晩まで待たせるのはさすがに気の毒だ。ちょっとだけ様子を見てこよう。




