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六日目 SIDEイルマ ロージルの実家へ

 時系列はそのままで、イルマ寄りの三人称で物語は続きます。ロージルさんの姉、リーデルに一言言ってやりたいイルマさんですが……。

 カレイセムの南東、工業地区に戻ってきたイルマとロージルは、ロージルの実家へとやって来た。

 二階建ての住み屋と、ロージルの母、マーテルの金属細工の工房が一緒になっているので、まあまあ大きな建物だ。

 ロージルのアパートから通り一本分しか離れていない玄関前に立ち、イルマはロージルのアパートの方へと振り返る。建物は見えないが、この距離ならロージルが毎朝髪を乾かすのに使う魔法の炸裂音が聞こえていただろう。

 この半年間で毎朝聞こえていたドパンッという大きな音を、まさか自分の娘が髪を乾かすためだけに鳴らしていたとは両親も気が付いていないだろう。やれやれと頭を振ってイルマは視線を左へと移す。

 実家の斜め前に建っている一軒家にロージルの姉夫婦が住んでいる。あっちは借家で住み屋だけだ。

 イルマはあっちのリーデルとその夫のネルトに用があるのだが、道中ロージルが言うには、


 「今日は多分娘のレイちゃんと一緒に三人とも、実家の方にいる筈よ」


 とのことなのでこちらへとやって来た。まぁ目の前だから、こちらに居なかったらすぐにあちらへ行けばいいだけなので面倒はない。


 「ただいまー。姉さん来てるー?」


 玄関の扉を開けて入りながら、奥へと声をかけるロージル。問いかけが終ると同時にトタトタという足音が奥から響き近寄ってきた。


 「ローちゃんきたー!」

 「グフゥッ!」


 リーデルの娘のレイチェルが走る勢いそのままに、ロージルの腹へと頭から飛び込んで突き刺さり抱きつく。抱きつかれたロージルはくの字に折れて乙女らしからぬ声を上げた。イルマはいつものことなのでロージルが後ろへ倒れないように支えてやる。が、それが反ってレイチェルの衝撃をまともに食らう結果になりロージルのダメージが倍増しているのだが、所々で大雑把な性格のイルマはそれに気付いていなかった。


 「今日、お肉のお祭りにいくんでしょ? こっちに来るかと思ったのに来ないし、おうちまで迎えに行ったのにいないんだもの! もー、どこに行ってたのよ!」


 頭をグリグリとロージルの腹に押し付けながら文句を言うレイチェル。その度に短めのツインテールに括った焦げ茶色の髪がふさふさと揺れた。


 「痛い痛い、ごめんねレイちゃん。サミュエルさんとお話することがあって、あちらへ行ってたの」


 ロージルが頭を撫でてやると、パッと嬉しそうに顔を上げたが、サミュエルの名前を聞いた途端に眉をひそめて、そろ~りとロージル後ろを覗き見る。


 「げ……。イルマおばちゃん……」

 「げ……とはなんだレイチェル。まずは『おはよう』だろう。挨拶はちゃんとしな。それにおばちゃんって呼ぶなっていってるだろ」


 イルマが腕を組んで半眼でレイチェルを見つめると、レイチェルは目を逸らして三歩下がり、


 「お、おはようイルマおねぇちゃん……。あー、わたしおばあちゃんに呼ばれてるんだった! ローちゃんあとでねー!」


 と、奥へと駆けて行った。その様子にクスリと笑ってしまうロージル。


 「ふふふっ。なぜかしらね? レイちゃんってイルマには全然懐かないわね」

 「はんっ。子供は苦手だから別にいいけどね」


 これは負け惜しみだとロージルにはすぐ分かった。

 イルマは小さい頃から年下のロージルの面倒をみてきたのだ。子供の、特に女の子の扱いに慣れていない筈がない。サミュエルとは積極的に子作りに励んでいない(今のラブラブバカップル状態をもう少し楽しみたいので、避妊をしてるというだけ)ため、レイチェルを構いたくて仕方がないのだが、レイチェルには赤子で初対面の時から、イルマが近寄るだけで泣かれてしまうので、八歳になった今でも一度も触れられていなかった。

 快活で人見知りもなく誰とでも仲良くなれるレイチェルが、なぜかイルマだけを避ける。リーデルやロージルは原因を探ろうとレイチェルに何度も尋ねているのだが、どうやら嫌いなわけでも怖いわけでもないらしい。

 レイチェル自身もなぜイルマを避けるのかよく分かっていないらしく、それを聞いたイルマは、


 「それって『生理的に受け付けない』ってヤツなんじゃ……」


 と、ガックリと落ち込みひどく傷付いた。それ以来はイルマも極力レイチェルに近寄らないようにし、先ほどのように大人として注意する必要がある時だけ話しかけるようにしている。

 大人になった時に自分がした忠告を身に染みて感じられるのならそれで良いというのがイルマの想いだ。

 周りからは、


 「そんなに冷たい態度じゃ、いつまでたっても懐かれないじゃない」


 と、言われてはいるが、レイチェルが産まれてから数年に渡り何度も甘々に接しても懐かれなかったので、その方向性からの攻略は諦めている。

 しかし、過保護なほどに構いたい気持ちは微塵も薄れていないので、お菓子や衣服やおもちゃは何度もお土産に持ってきていた。

 それらにはレイチェルも抵抗がないようで、笑顔もなく「あ、ありがとう」と受け取り、ささっと逃げてしまう。

 しかし、リーデルが言うにはイルマの見えないところでそれらを大事にしているそうだ。

 それをリーデル達から聞いてレイチェルを構いたい衝動を満たしているのだが、リーデルには「あまり甘やかし過ぎないでよ」と、度々怒られている。ロージルに過保護なリーデルに「お前が言うな」と、言い返すまでがいつもの流れだ。



 「やっと来たなロージル。とーさんはお前にいっぱい言いたいことあるぞ~」


 二人が靴を脱いでスリッパに履き替えたところで、ロージルの父ロムドーが顔を出して恨み節を宣う。見た感じ、かなりお疲れのようだ。


 「やあパパさん。お邪魔します」

 「イルマちゃん、いらっしゃい」


 幼い頃からこの家に出入りしているイルマは、ロムドーのことを『パパさん』、マーテルのことを『ママさん』と呼んでいた。

 両親共に家族ぐるみの付き合いだし、遠くの親戚よりも親しい間柄で、おじさんおばさん呼ばわりする気にもなれず、第二の両親のような意味合いで呼んでいる。同様にロージルとリーデルもイルマの両親のことをそう呼んでいた。

 彼女達が物心つく前から二家族一緒のことが多かったのだから仕方がないだろう。

 ちなみにイルマの父バグエルはロムドーと同じ皮革加工職人だ。母のホーマは中央広場に近い南通りにある食堂で働いており、今日は祭りで駆り出されている。


 「お父さんごめんなさい。こっちも忙しくてなかなか戻って来れなくて。そちらも大変なことになっているのでしょう? お顔を見れば分かりますわ」


 ロムドーは皮革加工ギルドで(なめ)し職人班長の任を担うマイスターだ。話の内容はバーンクロコダイルの皮のことだとイルマもすぐに分かる。イルマ自身もそれの価格設定や査定基準、取り扱い方針などの基礎を固めるに、同僚達と奮闘中なのだ。

 さらに今問題になっているのが、現状の皮革加工ギルドにワニ皮の加工経験者がいないことである。


 なにもこの世界に存在するワニはバーンクロコダイルだけではない。ドライクル王国にはダムラス川に棲息するバーンクロコダイルのみだが、この大陸の南東の方にはもっと大人しく炎も吐かない小柄な魔獣ではないワニが何種もいるので、わざわざこんな危険な魔獣を利用しようと考える国などひとつもない。


 もちろんバーンクロコダイルは害のある魔獣として、各国の冒険者や軍の討伐対象にはなっているのだが、討伐されたバーンクロコダイルのほとんどがズタズタに切り裂かれ、沼地や泥で汚れた肉が食用にされることもなく、利用されるのは火属性のジェムと火燃液くらいであった。


 というわけで、普通のワニの皮の加工法であれば、各国の皮革加工ギルドで修得可能であるし、わざわざ遠出をせずとも、カレイセムにも手引き書は存在する。

 実際にワニ皮の加工を行ったことがある者が誰一人としていないのと、その手引き書の手順で普通のワニよりも分厚くて強靭なバーンクロコダイルの皮を(なめ)すことができるかという難題を抱えていた。


 ちなみに、ウェルゾニアがバーンクロコダイルの焼いた肉の匂いに気付けたのは、数年前に大陸の南方に仕入れで赴いた際に、ある国のスラム地区で討伐されて打ち捨てられ、汚れて腐りかけた肉を煮て食っている住人を発見したからだ。

 ウェルゾニアは数キロ離れたところから『臭気分析』のスキルで、今まで嗅いだことのない煮込み料理の匂いを辿り、住人達に食料や酒を振る舞い、仲良くなってバーンクロコダイルの味を知り商業的価値を見出だした。

 幸いカレイセムにもバーンクロコダイルは棲息する。ただし大変危険な生物であるためカレイセムでは討伐対象から外されており、警戒するだけで放置されていた。

 それから数年間、バーンクロコダイルの商業利用を夢見ながら他の事業で商会を大きくしてきた。

 そして五日前に新鮮なバーンクロコダイルの焼き肉の匂いをプンプンさせたマビァと出会う。

 それはウェルゾニアにとってかつてない僥倖であった。



 「最初にお前のところから届けられたサンプル。あれは天日で急速に乾かされたものだったから、鞣しても表面にヒビが入ってなぁ。商品としては使い物にならなくなったが、データ採取には役に立ったよ」


 普段より明らかにやつれて見えるロムドーだったが、仕事に手応えがあったようで清々しい笑みだった。

 サンプルとはマビァが最初のバーンクロコダイルから切り抜いて持ってきた数枚の皮である。良い天気の中、木の棒に吊るされ半日風に晒されていたから、半生干(はんなまぼ)し程度に乾きくるくると巻いていて、冒険者ギルドには安く買い叩かれていたのだが、ジェムと火燃液が思いの外良い値がついたので、マビァは気にも留めていなかった。


 「そしたらギルマスが市長に急に呼び出されるし、ウェルゾニア商会から状態の良い全身の一枚皮が次々と運び込まれたもんだから処理に追われて大変だったよ。今は水分を抜くために塩漬けにして冷蔵庫で保存して経過観察中だね」


 ここカレイセムの皮革加工ギルドは、普段はモウモや豚の皮の加工しかしていない。皮を鞣して革に加工し、革細工職人に卸したり街の外へ売るまでが仕事だ。

 バーンクロコダイルの皮については、皮革加工ギルドのみではなく、冒険者ギルド・商業ギルド・ウェルゾニア商会・市議会も協定し、広く世界へと流通させるという話になっている。その計画の発案者は、もちろんウェルゾニアである。


 普通のワニ革でもモウモの十倍以上の値がつく高級品なので、バーンクロコダイルの加工が成功すれば、莫大な利益を得ることができるかもしれない。

 年間の捕獲頭数も制限されるという話なので、輸出先での評判が高まり買い手が増えれば品薄になり、売値を吊り上げることができる。その利益をウェルゾニア商会とカレイセム市と皮革加工ギルドで別け合う。

 役割分担は、ウェルゾニア商会が罠による捕獲と解体、肉類の販売。市議会と商業ギルドは軍隊によるバーンクロコダイルの頭数の観測と管理。皮革加工ギルドが加工と販売、流通だ。市議会と商業ギルドが軍に介入できるのは、ルーリライアス領内の国防や国軍の管理は領主に一任されているからだ。カイエン侯爵が方針に従えと言えば、軍人は従わなくてはならない。彼は領主であると同時に軍の中将でもあるからだ。

 冒険者ギルドの役割は罠の操作と運搬中の護衛を冒険者にさせることだ。利益はウェルゾニア商会が肉類を総取りする代わりにジェムと火燃液を無償で受け取ることになっている。

 通常なら冒険者が討伐した魔獣は冒険者ギルドが査定し買取り解体し、各業者へ各部位を販売しているのだが、バーンクロコダイルに関してはほとんどの手間をウェルゾニア商会が担ってくれる上に定期的な収入が見込めるので、断る理由もない。

 各位にとって今まで無かった利益なので、まるで金鉱脈でも堀当てたようなものであった。


 そんな旨い話は滅多にあるものではない。

 皮革加工ギルドでも、ギルマスが持ち帰った儲け話に職人も職員も沸き立ち、一丸となって改革を始めていた。持ち込まれた素材の加工が、今はすべて待ちの段階に入っているので、ロムドーもバグエルも今日から数日の間休みを取れたのだが、今朝まで泊まり込みで作業をしていたのである。

 

 「お帰りなさいロージル。でも、もうちょっとしたら出かけるわよ」

 「お、イルマも来たか。サミュエルはどうした? 休めんのか?」


 ロムドーの愚痴を聞きながらリビングへと入ると、食器用のバスケットをテーブルの上に用意しているリーデルと、ソファーで酒瓶をあおっているバグエルの姿があった。

 イルマと同い年であり一児の母であるのに、いつまでも若く清楚に見えるリーデルに(まったくコイツは……)といつも呆れてしまう。ロージルが大人になった今、リーデルの方がたまに妹に間違えられるくらいだ。

 父バグエルは五十を過ぎてなお筋骨隆々の大男で、線の細いロムドーとは真逆のタイプだ。この二人を父と慕ってきたイルマが、足して二で割ったようなタイプのサミュエルを夫に選んだのは必然だったのかもしれない。


 「え? お料理は貰ってきてここで食べるんじゃないの?」

 「サミィは仕事。親父、もう呑んでんのかよ。早過ぎだろ」


 こてんと首を傾げるロージルと、父親の醜態に呆れるイルマ。


 「バカやろ、この程度じゃ呑んだウチにはいんねーよ。こちとら連日の泊まり込みに徹夜明けなんだ。ちぃっとハメ外すくらい許せや」


 バグエルの言う通り全く酔った感じはない。イルマも当然ながらよく知っているので、父親のことは放置して意識をロージル達の会話へと耳を傾ける。


 「今朝の新聞読んでないの~? みんなで中央広場に行った方が色々な料理を楽しめそうだから行こうって話になったのよ。ネルトがもう場所取りに行っているわ」


 今朝はイルマもロージルも、サミュエルと話をするために急いでいたので新聞に目を通す暇がなかった。『ワニ肉祭り』を家族でどう楽しむのか事前に話し合っていたわけではないのだが、出店で料理を買い集めたりする時は、大抵この家で集まって飲み食いするものだから、二人とも今回も同じだろうと思っていた。


 「中央広場の南っ側ならホーマの店にも近ぇだろ? あの店で酒や飲み物を注文すりゃあ、ホーマのヤツを仲間外れみたいにせずにすむってワケよ!」


 そう言ってがっはっはと笑うバグエルは、自分の横にソファーへ凭れかけた巻いたラグをバンバンと叩く。どうやら広場に持っていって芝生の上にでもそれを敷き、その上で酒盛りをする気でいるらしい。三メートル×三メートルはありそうなラグはかなり重そうだが、バグエルなら一人で担いで行けそうだ。

 (あたしは手伝わないからね)と呆れながらも、今も忙しく働いているであろう母への気遣いに感心するイルマ。確かに家族の者がちょくちょく注文に行けば母の気も紛れるし、売り上げにも貢献できる。良い案だと思った。


 「そうなんだ。お母さんは?」

 「工房へいつものカトラリーセットを取りに行っているわよ~」


 そのカトラリーセットは、金属細工師マーテル自慢の工芸品であり、普段は工房の商品見本として飾られている美しい銀食器だ。

 どんなに美しく仕上げようとも「道具は使ってなんぼ」を自負するマーテルは、工房の看板の一つとも言えるこのセットを、祝い事や集まっての食事会がある度に引っ張り出してくる。その度に丁寧に時間をかけて磨いてくるものだから、いつも家族が待つことになる。

 ロムドーものんびりと待つつもりのようで、テーブルに着いてお茶を啜りだした。


 「それじゃあわたくし、手伝ってくるわね」

 「レイチェルもいる筈だからお願いね~」


 ロージルが工房へと出ていったので、イルマはリーデルの側に寄り袖を引いた。


 「あらイルマ、なぁに?」

 「いいから、ちょっとこっち……」


 おっとりと首を傾げるリーデルの袖を引いてリビングを出る。

 今からリーデルと話したいのはロージルの恥ずかしいアレコレについてだ。とても父親二人が居るあの場で話せるような内容ではない。バグエルは面白がってからかい茶々を入れてくるに決まっているし、ロムドーはロージルを溺愛しているので、どんな反応をするのか分かったものではない。

 二人に聞こえない場所、ということでイルマは二階の元リーデルの部屋へとリーデルを引っ張り入れて扉を閉めた。


 「なによぉ? なにかあったの?」

 「ロージルだよ。 あんたがアレコレあの子に仕込んだせいで、この数日大変だったんだからな」


 イルマは順を追って説明を始めた。

 初っぱなの、ロージルが以前から客と店主という間柄で付き合いのあった金物店のガラム相手に、突然恋心が芽生えたということを伝えただけで、


 「まぁ! まぁまぁ?!♡」


 と、リーデルは両手で頬を包み激しく興奮した。まぁイルマにとってもロージルの初恋は喜ばしく思っているので、姉のリーデルが喜ぶ反応を見せるのも分からなくはない。

 しかし、リーデルの場合は面白がっている感情の方が強い気がしてならない。そう感じつつも話を続けなければならない現状にイラつきながら、慎重に先に進める。

 ロージルがガラムを強く想った時に生じる変化。マビァ曰く『痴女化』の説明をリーデルに伝える。

 痴女化中のロージルは、彼女の心情とは相反して、その外見や仕草は誰の目にも『今すぐにでも襲ってほしい』と切望しているようにしか見えないという最悪の状態になる。職場の男達は即効で野獣と化した。

 そんな彼女を守るために、コニスやマビァと画策し、周囲の人々に対し出来得る限り誤魔化し隠してきたが、募る恋心とともにその症状は悪化するばかりで、昨晩ガラムに届けた弁当に潜ませた小さな手紙一つを想っただけで、一晩の内に四回も『痴女化』したという。

 リーデルに説明しながらも、先んじて今日休みを取っておいて良かったと、内心胸を撫で下ろすイルマであった。


 「それはぜひ一度見てみたいわね」

 「見せるのは簡単なんだけど今日は勘弁してよね。体調も良くないし、必ず気を失うんだから。ガラムさんの名前も絶対に出しちゃダメだからな」


 興味津々なリーデルに釘を刺しておく。興味本位でロージルで色々と遊んでいる姉だ。なにをやらかすか心配でならない。


 「あんたの趣味のアレ。そこに並んでる男同士の恋愛小説。それ自体にケチつける気なんてないんだけどさ。あんたロージルが小さい頃からアレに興味を持つように、それとなく誘導してたんだろ? そのせいでロージルの恋愛観がおかしなことになってるんだよ」


 元リーデルの部屋の本棚に並んでいる恋愛小説を指差して示す。おっとりとそちらを見やったリーデルは少し眉をひそめた。


 「私はあの美しい文学をロージルにも楽しんで貰いたくて薦めていただけよ? 一緒に語り合えればどんなに楽しかったでしょう。でも、どんなにあの世界にのめり込んだ仲間達でもみんな普通に恋をして、今は幸せな家庭を築いているわ。ロージルは結局あの世界にハマることなんてなかったし、ここの本だってどれ一つとして読み切っていない筈よ? あの文学があの子に与えた影響がそこまで大きかったとはとても思えないわ」


 そう言われるとイルマも言葉に詰まる。男同士の恋愛という観念をロージルに植え付けたのは確かにリーデルでありあの作品群ではあるが、普通は現実と切り離して楽しむものだ。ロージルのように『男は男と恋をするもの』と思い込んでしまうなんてあり得ない。となれば、ロージルが特別変だということになる。


 「そ、それだけじゃないぞ。寝間着にベビードールを着せたり、下着がやたらとエロかったりするのもあんたの影響なんだろ? あの子、毎朝あの下着だけでベランダに出てウロウロしてたんだ。本人はまったく気がついていなかったけど、近所の男どもの目の保養になってたんだ。危ないったらないよ」

 「あら、ベビードールや下着はスタイルが良くて可愛いあの子にとても良く似合っていたでしょう? 可愛い子が可愛い格好をするは悪いことではない筈よ? あの子も喜んでいたし気に入っていたわよ。それにどういう理由でロージルが下着姿でベランダに出ているのか知らないけれど、それはあの子の貞操観念の低さが原因よねぇ? 私の責任とは言えないんじゃない?」

 「むぅ……、そう言われればそうなんだけどさ……」


 ここ数日のロージル関連で溜まったストレスをリーデルにぶつけるつもりで勇んでやってきたイルマであったが、すべてリーデルの正論によって躱されてしまい不完全燃焼に燻る。

 恋愛小説や下着など、問題の起因になったものを与えたのは確かにリーデルなのだが、それ自体は悪い物ではないし、与えたリーデルが今の結果を目論んでいたわけではない。受け取ったロージルが間違った扱い方をしているため現状を招いていると言える。


 「でも、あの子が歳を重ねる度に仕草や表情が、その……色っぽいというか、(なまめ)かしいというか、そんな感じが強くなっていってる気がするわねぇ? 私達の前じゃ幼いロージルの感じのままだけど、ウチのネルトや他の男性と話す時にそう感じる時があるの」

 「そうそれ! それも大きな問題の一つなんだけどさ……」


 先ほどサミュエルと話した、『ロージルの無自覚男タラシ案件』について説明する。やはりロージルが無自覚であったために、姉との会話にその手の話題が登ったこともなく、初耳なリーデルは「あらあらまあまあ」と楽しげに聞いていた。

 一応結論として、ロージルのスキル『情報管理』と『情報分析』を使い、過去の男性との会話を何度も追体験させ、自分の仕草や表情が相手にどのような影響を与えているのかを学習させることにした。と説明する。


 「それはまた難しい解決法ねぇ。その学習法だと私達がロージルの間違いを指摘できないし、あの子結構抜けてるから問題点にすら気が付かない可能性だってあるわ」

 「そりゃそうなんだけどさ。あたしらの前だとそんなとこ見せないし、男との会話にあたしも同席していちいち問題点を指摘してやるわけにもいかないだろ? だから過去問題を復習させるのが一番だと思ったんだよ」


 ロージルのポンコツ具合に深い溜め息を吐く二人。


 「……そもそもあの子があんな話し方をするようになったのってグリーンヒル女子学園の二年生くらいからだったわよね」

 「そうだっけ?」


 ロージルが今二十二歳だから、八~九年前のことだ。若い彼女らにとっては随分昔の話に思える。


 「そういえば、帰省した時に急に『わたくし』とか言い出して口調も丁寧に変わったもんだから、最初はムズ痒かった覚えがあるね」


 そもそも彼女達は平民で、しかも荒っぽい工業地区育ちなので、女性であってもイルマのようにガサツに育つのが普通だった。ロージル達姉妹は穏やかな父と貴族にも顧客がいる母の間で育ったため、比較的上品に育ってはいたが、今のロージルに育つ土壌がこの地にはなかった。


 「ロージルが今みたいに変わった原因に、私ちょっと心当たりがあるのよね~」


 そう言ったリーデルはうーんうーんと首を捻りながらなにやら思い出そうとしている。


 「そうそう! 確か『カトレアの会』だった筈だわ」

 「? そんな部活あったっけ?」

 「私達は優等生じゃなかったから縁がなかったけど、ロージルは一年生の時から主席で王宮の政務官候補になったのも早かったでしょう? それに進路を決めずにふわふわしてたから、先生の勧めに従って『カトレアの会』に入っていたらしいの」


 リーデルの説明によれば、『カトレアの会』とは王宮入りを目指す女生徒に必要な教養や所作を学ばせるための、選ばれたエリートのみに入会が許される特別な部活動だそうだ。そう聞いて、(地元の公務員になるために卒業さえできればそれでいいと考えていた自分には縁がないわけだ)と納得するイルマ。


 「それであの口調になったわけか。今でもそのままってことはあの子の性にあったんだろうね。似合ってると思うし」

 「……それがね、今説明した『カトレアの会』の活動目的は表向きのものでね、『雌蟷螂(メスカマキリ)の会』って裏の名前があるって噂があったのよ」

 「……は? め、メスカマキリ……?」


 リーデルの説明によれば、『雌蟷螂の会』とは王宮で結婚適齢期中に良い男を見つけてタラシ込み、玉の輿に乗って幸せで裕福な生活をゲットしようという、『カトレアの会』の裏テーマの活動目的だという。さりげなく不自然に見えぬよう、男を手玉に取りタラシ込むための技が伝承されているそうだ。


 「王宮で働く政務官ともなれば高給取りだし、生まれも貴族や上級商家の者が多かったりするでしょう? それに政務官になるために勉強ばかりしてた人が多いものだから、女に免疫のない男が多くて、ちょっと女を見せて迫ればチョロいらしいのよ。歴史の長い『カトレアの会』の諸先輩方がチョロい男を落として結婚して尻の下に敷き、次々と各家庭で実権を握ってきたことから『雌蟷螂の会』という名前が付いたと聞いたわ」


 それはあくまで裏テーマで、表向きには『異性の上司や同僚と上手に付き合うための所作や作法、話法』として会員に教え込まれる。元々玉の輿狙いで王宮を目指す者や聡い者は、早い段階でそれが男をタラシ込むための手練手管だと気付き、その技の修得に励むのだが、ロージルのように野心もなく恋愛にも興味のない者は、バカ正直に技術だけを学んでいたようだとリーデルは補足する。


 「じゃあ、ロージルの無駄な色気と無自覚な男タラシの所作は、その『会』で仕込まれたってわけか?」

 「そうなんでしょうねぇ。あの子は恋愛や結婚に興味がなかったから、教わったことを深く考えずに覚えていったんでしょうし、王宮での実地研修で自分に向いていないと分かって政務官候補を辞退した時に『カトレアの会』も辞めた筈だから、あんな中途半端な感じに仕上がったんじゃない?」


 恐らくそうなのだろう、とイルマは何度か頷く。成人前に身に付けた男タラシの技が、大人になるにつれ自然に増す色気によって引き立てられ、回数をこなして仕草に磨きがかかり、今や独身男に限らず既婚者でも入れ食いで釣り上げられるほどに強化されている。


 「しかし、あんたよく知ってたねそんなこと」

 「ウフフ、『薔薇を愛でる会』の秘蔵書に何冊も王宮を舞台にした物語があったのよ~。諸先輩方が別冊に記録した解説書によると、それらのほとんどは実話を元にしてあってね、物語の中盤で主人公の男の子を誑かす悪役令嬢のモデルが『カトレアの会』出身で、実話では玉の輿に成功してお家を乗っ取った女性達だったと書かれていたの。まぁ残念ながら男性同士の恋愛部分は創作だったらしいのだけれどね」

 「……なるほどね」


 これで『痴女化』以外の原因は明らかになった。しかし、だからといってどうしろと?

 情報が増えても解決法の進展がない現状に、イルマは頭を抱えて踞る。その時一階からロージルの声が響いた。


 「姉さーん、イルマー? 準備ができたからそろそろ行くってー」


 間延びしたロージルの声にイルマはがっくりと肩を落とし、リーデルはウフフと微笑んだ。


 「まったく……、自分が危ういってんのにアレなんだからさ。参るよホント」

 「まぁまぁ。今すぐどうこうできるって問題でもなさそうじゃない? 今日はお肉食べさせて元気つけさせることだけ考えましょう」


 焦ってもしょうがないのは良く分かっているのに、今朝からのわずかな間に色々あり過ぎたものだから少々混乱していたようだ。イルマは気を取り直し立ち上がる。


 「そうだな。あ、ウチの親父をロージルに近づけないようにしないとな。あのオッサンいっつも『ロージルちゃんはまだ結婚しねぇのか?』って絡むけど、今日は非常にまずい。リーデルも気を付けといてくれよな」

 「ウフフ、分かったわ」


 そろそろ十一時半を回る頃だ。予定通りであればカイエン侯爵一行も帰ってくる。マビァと会う度に物事が大きく動き、さらに問題事が増えるという経験ばかりしているイルマの胸に一抹の不安がよぎる。

 頭を強く振って不安を払い、玄関へと向かった。

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