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産み逃げ2  作者: あまちひさし
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産み逃げ

 幸か不幸か私にはまだ経験がありませんが、出産とは女性である実感を最も強く噛みしめる、人生の華であろうと思います。

 ただし、それは人の親になる覚悟と責任を十分に自覚している場合に限りますが。

「産科を退院する患者さんの支払い相談をお願いします」

 入退院受付の事務室に席を並べる私たちの部署にそう告げられると、まずは私が窓口対応を代わり、患者から事情を聞き、支払い能力と方法を探ることになります。

 私たちの部署は『医療費係』といいます。まさか『未収金回収係』とあからさまに素性を明かすわけにもいかず、掴み所のない名称に落ち着いたのです。

 このときの患者は向井奈美さん、26歳。礼儀正しくことば遣いも丁寧で、歳よりも落ち着いた印象の女性でした。外見からはとても離婚後300日以内に出産して、自身の出産費用も生まれた子の入院費も支払えないと訴えている人とは思えません。

 離婚後300日以内の出産。

 そうです。明治生まれの民法によれば、平成生まれのこの児は前夫の子とみなされるのです。

 しかも妊娠中に一回も妊婦健診を受けていない上に、一人暮らしの自宅で出産して救急搬送されたため、医師の出生証明書が得られず、出生届を出すこともできません。要は本当に自分で産んだ子なのか証明できないばかりか、誘拐や人身売買などの犯罪がらみであることさえ疑われるという特殊な事情のおまけつきなのです。

「はじめまして、水野と申します」

 患者を頑なにさせると必要な情報を引き出せなくなります。警戒されないように初めは穏やかな挨拶から始めます。

「よろしくお願いします。この度は本当にご迷惑をおかけします」

 向井さんもいたって良識的に挨拶を返しました。滑り出しとしてはまずまずです。

「向井さんご自身の医療費は出産後の処置と二日間の入院費だけですので比較的少額ですが、それでも健康保険外の診療ですので全額が自費で15万3,200円です。ですが、生まれたお子さんは現時点で健康保険にも加入していませんので、すでに100万円近い金額になっています。もちろん健保に加入して区役所で乳児医療の手続きをすれば、自己負担額はごく少額に変更できます。お子さんは体重が満たないので、もうしばらく入院が続くと聞いていますが」

「…はい」

 患者とのやり取りはできるだけ正確に記録に残すようにしています。記録にも記憶にも確かに「はい」とありますが、この「はい」にどのような思いが込められていたのか、今となっては知る術もありません。

「立ち入ったことをお聞きしますがご容赦下さい。離婚後300日以内のご出産と聞いていますが、相手の方は別れた旦那さんですか?」

「…いえ」

「相手の方は分かっているのですか?」

「可能性のある人は分かるのですが…、特定までは…」

 さすがに言い淀んだ答えでした。複数の男性のうちの誰か、としか自分にも分からないのでしょう。電子カルテにもそう記されていたことはすでに確認済みでした。

 頬が少々あばた気味ですが、整った品の良い顔立ちの女性です。普通に人に接していれば好感を持たれるタイプだと思います。

「向井さんは国保に加入されているようですが、現在どのようなお仕事をされているのですか?」

「前の夫の社会保険の扶養を抜けたあとはずっと非正規で働いています。初めの頃は派遣で企業の経理をしていましたが、今はコンビニと清掃をかけ持ちしています。慰謝料なんかもらえませんでしたし、自分一人の生活だけで手いっぱいだったので、病院のお金も払えず申し訳なく思っています」

 きっかけがあるのか、隙があるのか分かりませんが、そんな暮らしの中でも複数の男性と出会う女性もいるのです。どういうわけか医療費の未収を残す人には内縁関係の相手がいることが少なくありません。

 ただ、どんなに立派な家族がいようと、どんなに身持ちが悪かろうと、病院にとっては医療費をきちんと払ってくれる人が一番ありがたいのです。その立ち位置から質問を続けました。

「毎月の収入はどのぐらいですか?」

「月によってまちまちですが、だいたい12万から良いときで15万円ぐらいです」

 生活保護の受給水準ぎりぎりです。ですが向井さんの入院費はすでに発生済みですし、赤ちゃんの医療費は乳児医療でごく少額に圧縮できますので、この時点では生活保護の申請という選択肢は保留しました。

 カルテには『自分でへその緒を切った』と記されていました。相当狼狽したのでしょうが、顔に似合わぬ大胆なことをしたものです。これによって事情がよりややこしくなってしまいました。

 出生証明書は出産を確認した医師か助産師、『またはその他の人』が記載することになっています。医師も助産師も立ち会えなかった場合は一般の人でも構いません。せめて救急隊が到着するまで待っていれば、救急隊員に証明してもらえたはずですが、そのような判断もできないほど動転していたのかも知れません。

 そもそも一度も妊婦健診を受けていないので、妊娠していたことさえ何の記録にも残っていません。DNA鑑定を受ければ母子関係は証明できるでしょうが、こうした場合は法務局の判断を待って、出生届を出すことをまずは優先します。

「では、向井さん。お子さんの入院費については出生届が受理されて、国保と乳児医療が発行されたら、あらためて支払い相談をさせていただきます。一方、向井さんご自身の入院費はすでに確定しています。今日はいくらか入金していただけますか?」

「端数程度しか持ち合わせがないのですが…」

「では、3,200円を入金していただいて、残額15万について支払い誓約書を書いていただく、ということでよろしいですか?」

「いえ、あの…、200円です…」

 顔に出るのはとっさに押えましたが、さすがにことばを失いました。でも、身ぐるみを剥がして放り出すわけにもいかない以上、200円を受け取って残額15万3千円について支払い誓約書を書かせるしかありませんでした。毎月1万円ずつ支払う約束で署名と捺印をさせ、記載者が本人であることを証明するために保険証のコピーと割り印をして、この日はここまでとなりました。

 月々1万円ではきちんと支払いを続けてくれても16ヶ月を要します。貸金業ではないので利子を取ることもできません。これには法的に解釈の違いもあるようですが、医療機関が分割払いに利子をつけているという話は聞いたことがありません。支払いが滞れば細かく督促をしなければならないため、分割期間はできるだけ短くするよう促すのが普通ですが、無理を言ってもない袖は振れません。結局は長期戦に耐えるしかないのです。

 私が就職したての頃、医療機関は出産費の未収にはずいぶんと悩まされたものでした。全額自己負担で50万から70万円がそのまま未払いになるケースが少なからずあったのが実情です。

 出産は病気ではないため出産費用は全額自費ですが、健康保険から出産育児一時金という約40万円の給付がありますので、あまり貯えのない若い夫婦はこの一時金を利用して支払いをするのが普通でした。が、中には健保組合や市区町村の国保から支給された一時金をそのまま別の用途に流用する人もいたのです。上の子の入学資金や折悪しく亡くなった親の葬儀費用に充てた、というものから、滞っていた家賃や高熱水費の支払いや、消費者金融の返済に使ってしまった、というものまでさまざまでした。

 平成21年に出産育児一時金の医療機関への直接支払い制度ができてからは、医療機関もお産の患者さんには先手を打って手続きを促すことで、最低でも一時金だけは確保できるようになり、出産の未収からはだいぶ解放されるようになりました。

「子供を産めば出産費用だけじゃなくって、その後の育児にもお金がかかることは分かっているんだから、普通はあらかじめ貯金しておくものだよ。産むだけ産んで金も払わないなんて、食い逃げと同じじゃないか。産み逃げだよ、産み逃げ」

 口の悪い東氏はこのように言っていましたが、確かにそう言われてもしかたのないことです。

 向井さんには退院手続き時に約束した出生届の提出、ならびに国保と乳児医療の手続きを速やかに済ませてもらわなくてはなりません。健保資格のない患者に入院を続けられては、医療費はすぐに数百万円に膨らむため、自費入院費を圧縮することがまずは最優先です。それまで、入院中の赤ちゃんはいわば人質です。

 前述のように向井さんの出生届の提出には法務局の判断が必要になりました。法務局は、市区町村役所の戸籍係が出生に疑義を持ち、出生届の受理照会をしたときに調査に動くのだそうです。家族から合理的な説明が得られた、あるいは妊娠してお腹が大きかったことを複数の人が見ていた、といった状況証拠が揃った場合は『受理』、信用に足らない、もしくは判断がつかない場合は『不受理』と戸籍係に回答するのだそうです。裁判所ではないのでDNA鑑定までは行いません。

 各種手続きの進捗を尋ねるために向井さんに連絡を入れたのは一週間後のことでした。聞いていた携帯電話の番号にダイヤルすると何コールかで応答がありました。

 電話に応じる。まずは幸先が良いと言えます。着信番号を見て敢えて応答しなかったり、病院名を名乗ったとたんに切ったりする患者さんも少なくないからです。でも向井さんの返事は以下のようなものでした。

「すみません。区役所にはまだ法務局からの回答の連絡はないそうです」

「そうですか。もう少し待つしかないでしょうね。ただ、出生届は原則として生れてから14日以内に出すことになっているはずです。その点、区役所の方はどう言っていましたか?」

「区役所には昨日も行って来ました。記録は残してあるので、14日を過ぎても遡って出生届を受理してくれる、と言ってくれました」

「分かりました。ところで出生届を出したあと戸籍はどうなさるおつもりですか?」

「区役所からも聞かれました。いったん前の夫の戸籍に入れて、すぐに抜くのも一つの方法だそうですが、子供の戸籍を汚したくないので、それはしたくないと思っています。それについて一つご相談があるのですが…」

「はい、何でしょう」

 支払いに前向きな相談なら歓迎です。

「区役所で言われたのですが、妊娠したのが離婚した日より後だと病院で証明してもらうことはできませんか?」

 確かにすべての妊婦が40週で出産すると決まっている訳ではありません。懐胎日が離婚日より後であるという医療機関の証明が得られれば出生届を受理するよう、法務省から市区町村に通達があったのは事実でした。向井さんの場合は難しい気がしましたが、事務員の知識と裁量で返答できることではありません。

「できるかどうかは分かりませんが、産科の医師に確認しておきます」

 向井さんにはそう答えて、すぐに産婦人科の教授に問い合わせました。院内でも未収金回収の専属担当者がいることはあまり知られていませんでしたので「未収金担当の水野と申しますが…」と自己紹介をすると、「専属の担当ですか。それはご苦労さまです」と、驚かれ、ねぎらってくれました。

 くれはしましたが、教授の話は以下のようなものでした。

「この患者、入院日が当院の初診日ですからねぇ。それ以前には他院も含めて検診を受けていない。こうなると『初診日に妊娠32週であったという自己申告から、○年○月○日頃に懐胎したと推測される』という内容以外記載できませんねぇ」

 やはり事務員でも想像できる範囲のものでした。ところが、その見解を電話で伝えたときの向井さんの反応は、

「そうですか、分かりました。お手数をおかけしました」

という存外淡々としたものでした。どこか自分の問題という認識に欠けたような肩透かしな印象でした。それでもまずは患者を信用して待つしかないのは辛いところです。未収患者の対応を同時に多数抱える身としては、向井さんだけに時間を割いてはいられません。

 次の連絡をしたのはさらに一週間が過ぎた頃でした。今度は手続きの進捗以外に、向井さん自身の入院費の督促が目的でした。一回目の支払い期日を2日過ぎていたからです。

「こちらからご連絡せず、すみません。コンビニのパートはすぐに再開できたのですが、清掃の方は何日か休んだら『体力に不安のある人は雇っておけない』と言われて…」

 解雇されたのだそうです。つまり一回目の一万円の支払いはまだ待ってほしい、ということです。清掃会社が不安を抱いたのは体力ではなく行状では、という思いも頭をかすめましたが、理由はどうあれ一万円が捻出できないのは事実なのでしょう。普通に職に就いていれば、何か欲しい物があったとき比較的気軽に使える一万円という金額は、重い人には重いのです。

「来週にはコンビニの給料が出ますので、それまで待っていただけませんか」

 事情と期日を明確にされれば承諾するしかありません。

「では20日までには必ずお願いしますね。遅れる場合は向井さんの方から連絡をいただけると助かります。一万円が無理なら、用意できるだけでも入れて下さい」

 患者さんの中には生真面目な性格ゆえに、約束の金額が用意できなかったから、という理由で支払いが遅れることがあります。約束の額より少なくても良いという意識にはなってもらいたくありませんが、まったく入金がないよりましであることは言うまでもありません。多少の逃げ道をほのめかした上で釘を刺す。こうした言い方が有効な場合もあるのです。

 この話を東氏にしたら「うちに入っている清掃業者に紹介してやろうか」と真顔で言いました。

 大学病院というところは実に多くの業者が出入りしています。大きな建物というだけで、警備・清掃・廃棄物の収集運搬、ビル管理や電気・空調・水周りなどは当然外注しており、医療機関ならではの業者としては医薬品や医療材料の物流管理業者はもとより、無菌室の空調フィルター会社や放射性廃棄物の処理業者など、「そんな会社まであるの!?」と思うほど多種多様です。

 医事課長になる前は管財課という、物品購入や設備管理を主管する部署の課長だった東氏は、こうした多くの業者に顔が利きます。勤めていた日本料理屋が倒産して職を失ったところで入院した板前さんを、東氏の口利きで院内の給食業者に就職させるという力業で入院費の支払いをさせたこともありました。

 ですから病院の清掃委託業者に勤めさせるという提案も驚くようなものではありませんでしたが、向井さんの掴み所のない性質を思えば、今回は避けた方が無難と感じられました。

 さて、コンビニの給料が出たはずの20日から2日が過ぎましたが、向井さんからの連絡はありませんでした。出生届の件もそろそろ方向性を示してもらわないと、赤ちゃんの入院費精算の糸口も見えてきません。無保険のままで、すでに200万円を超えていたのです。

 電話をしてもなかなか出ません。2時間後にもう一度かけましたがやはり出ません。翌日も2度試みましたが、応答も折り返しの連絡もありませんでした。

 もちろん、すぐに応答できない場合もあるでしょう。仕事中だったのかも知れません。でも速やかな電話連絡が取れなくなるのは、青信号が点滅を始めたと警戒すべきタイミングです。

 さて、次の手は?電話連絡を繰り返すか、手紙を出すか、自宅訪問か。

 いきなり強い手段に出て、気を悪くさせても得はありません。なだめすかしてでも、赤ちゃんの保険資格と乳児医療だけは確実にしておかなくてはなりません。

 母乳や紙おむつを届けに新生児病棟に毎日来ていることはあらかじめ調べてありましたので、病棟に協力してもらい、向井さんが赤ちゃんの面会に来たときに、こっそり知らせてもらうことにしました。病棟まで赴いて2週間ぶりに対面した向井さんは、体裁悪そうな表情でしたが態度は落ち着いていました。

「お見えになっていると聞いて伺いました。その後の手続きはどうですか?」

「先日法務局の方とはお会いしましたが、まだ何も…。出生届も保留になったままです。あの子はまだ書類上はこの世に存在しないということですね。せめて早く届を出してやりたいと思っているのですが…」

 向井さんが目を向けたガラスの向こうの清潔区域に、びっくりするぐらい小さな赤ちゃんが保育器に寝かさせていました。『向井baby』とのみ記された女の赤ちゃんでした。出生届を出そうとしているのですから名前ぐらいは付けたのでしょうが、オムツだけの姿で精一杯に生きようとしている小さな命が、社会的には架空の存在だとは俄かに信じられない思いでした。保育器の外に居場所を与えられず、へその緒を切られたあとは経鼻の酸素チューブと心電図モニターだけで現世とつながっているのです。その姿がひどく哀れに思えました。

 でも感傷から実務に戻り、向井さんへの質問を続けました。

「お給料はいただけたのですか?」

「はい。ただ、歩合ですから生活費にも満たなくて…。こちらのお支払いに充てるお金をまったく出せなかったものですから、電話にも出ることができませんでした。申し訳ありません」

「そうですか。あの…、ご実家の援助は受けられないのですか?」

「実家のですか?」

 向井さんは、はっとした表情を俯けると、はらはらと涙をこぼし始めました。

 医療費を支払えない患者には何らかの家庭の事情が背景にあることが少なくありません。家庭を持つことに幻滅するような話を何度も聞かされてきました。

 ただこちらも泣かれたぐらいで動揺はしません。泣かれれば泣き止むまで待つだけです。嗚咽が収まりかけたのを見計らって、会話を再開しました。

「実際の話、どのようにして支払いを続けて下さるおつもりですか?」

「今のパート時間を長くするか、他の仕事を見つけるかして、必ず少しずつでもお支払いはします」

 充血した目で私を見ながら、向井さんはそう言いました。信用できるだけの根拠はありませんが、決意表明を聞かされて、この日は退散するしかありませんでした。

 その後は気には留めながらも、千客万来の未収患者に振り回されている間に、しばらく連絡が遠ざかってしまいました。どちらにしても翌月までコンビニの給料は出ないし、法務局のお役所仕事もそう迅速には決着しないだろうと高を括っていました。

 2週間ぶりに向井さんの携帯に電話をかけたところ、向井さんではなく機械の音声が『お客様の事情により通話ができなくなっています』と答えてくれました。黄信号です。

 すぐさま手紙を書きました。

『その後のお加減はいかがでしょうか。さて、一時的なこととは存じますが電話にお出になれないご様子でしたので、取り急ぎ手紙を差し上げた次第です。本状をお受け取りになったら、まずは当職までご連絡をいただきたく存じます』

 この手紙は数日後に『宛て所に尋ね当たりません』と押印されて返送されて来ました。慌てて電話をかけると涼しい声で『この番号は現在使われておりません』と返答がありました。

 すぐさま新生児病棟に確認しましたが、向井さんはここ数日面会にも来ていないとのことでした。ここに至って、事態は一足飛びに赤信号となりました。

 まずは患者宅訪問です。電話を解約した時点で、向井さんには支払いも赤ちゃんに関する各種申請も期待できなくなったことは十中八九間違いありませんが、次の手段に移るために踏んでおくべき手続きとして、自分の目で客観的事実を捉えておく必要があります。

 支払い誓約書に記された住所は『東京都西区堀が丘2の11の13 青葉荘2の201』。コピーを取った国保の保険証にもそう記されていたので住所に嘘はないはずです。

 患者宅訪問は二人組で行うことになっています。東氏の重い腰を上げさせ、バスを乗り継いで住所近くに降り立ち、インターネットから出力した地図と照らしながら向井さん宅を探します。電柱や表札に記された住所表示から、だんだんと目的地に近づいているのが分かります。

 辿り着いた当該住所には2棟の二階建てアパートが立ち並んでいました。以前はおそらく一戸の住宅だったのでしょうが、処分したのか相続し切れなかったのか、元々40坪程度しかない敷地に安普請のアパートが2棟、窮屈に建てられていました。都内にはこのように、同じ番地に数戸の物件が押し詰められているケースが珍しくありません。

 建物の壁面に確かに『青葉荘』と掲げられています。どちらが1でどちらが2なのか不明だったので、両方の201号室を訪ねてみました。

 片方は郵便受けに『秋村』とマジックで書かれた部屋でした。ブザーに応答はありませんでしたが、ドアの外にビールの空き缶と汚れた軍手や地下足袋が雑然と置かれている風情から、これは別人と判断しました。

 ということは、もう一つの201号室が目当ての部屋です。郵便受けの名札は空白でした。ドアの横の小さな擦りガラスの窓からは中の様子は伺えず、電気のメーターは停止しているようでした。狭い中庭側に移動して201号室の窓を見上げても、白いカーテンの内側は薄暗く、生活感のせの字もありません。

 不審人物と思われないよう気をつけながら、郵便受けの中を改めるとガス会社からの封書が届いていました。宛名は向井奈美様。

「ここだな。もういないのかな」

 そう言うや東氏はブザーを続けざまに鳴らしましたが、何の反応もありません。人の気配も感じられません。

 管理会社の看板が塀に打ちつけられていたので、その場で電話して問い合わせると、初めは「個人情報なのでお答えできません」と型通りの応対をしていた担当社員も、こちらがたった今、現地で確認した事実を伝えていると分かると、いささか慌てた様子でした。おそらく管理会社も把握していなかったのでしょう。有効な情報は期待できないと諦めました。

 勤務先のコンビニにも電話して向井さんの呼び出しを頼んだところ、「もうかなり前に辞めましたよ」という回答でした。

「…やられたな」

 やられました。東氏のひとことがすべてです。出産費を踏み倒されたことは何度もありましたが、赤ちゃんを置いて姿を消されたのはさすがに初めてのことでした。

 ここから先は医療ケースワーカーにバトンタッチです。私の作った記録をもとにケースワーカーが向井さんの失踪を区役所に報告すると、区の戸籍課長は『人道上の配慮』から職権で出生届を受理しました。そして病院の住所を本籍地として仮の戸籍を作成し、赤ちゃんは退院できる健康状態になったら乳児院に送られることになりました。

 当院のベテランケースワーカー、宮岡氏が福祉関係者のネットワークで探し当てた向井さんの実家と前夫に連絡を取りましたが、その反応は以下のようなものでした。

「実家の父親は向井さんがまだ中学生の頃、奥さん、つまり向井さんのお母さんが亡くなってすぐに今の奥さんと再婚したようだね。家庭での折り合いが良くなかったのか、居づらい空気だったのか分からないけど、向井さんは高校を卒業したら家出同然で出て行って、その後は音信不通だったそうだよ。でも未成年の娘が行方不明になったんだから探す気になれば探せたはずだよね。このお父さんって人、割り切っていると言うか情が薄いって言うか、『本当に自分の孫かどうか分からない子を引き取るつもりはありません』って、ためらいもなく答えたね。まあ、それももっともなんだけどね。

 前夫はもちろん即答で拒絶。妊娠していたことも知らなかったんだから、自分の子であるはずがないって力説してた。ちなみに、こちらもすでに同棲中の女性がいるようだったね」

 ケースワーカーとして長年さまざまな案件に携わってきた宮岡氏は、少しの感情のぶれもなく淡々とそう語りました。患者の事情に寄り添い過ぎないこと。仕事を仕事として続けるために、病院勤めのすべての職種が暗黙に心がけていることです。

 さて、この流れを受け、次はNGOの担当者が来院しました。主として海外の資産家を相手に養子縁組を仲介している団体だそうです。宮岡氏とも旧知のその担当者は名刺と身分証明書を提示して、赤ちゃんの入院費もその団体で負担することを約束してくれました。団体が立て替えた入院費は養子縁組が決まったあとで、団体の運営資金となる謝礼と併せて、里親から実費で支払ってもらうのだそうです。

 速やかなものでした。残念ながら向井さん自身の入院費は回収の見込みが立ちませんが、赤ちゃんの未収に関しては、向井さんを当てにするより遥かに早い解決を見ました。

 離婚後300日問題から始まった案件でしたが、結局は父親が前夫であるか他の誰であるかなど問題ではなくなりました。母親さえも無縁となってしまったのですから。正真正銘の産み逃げでした。

 その後、たまたま別の患者さんの支払い相談を受けるために新生児病棟を訪れた際のことでした。一ヶ月ぶりにあの赤ちゃんの姿を見たとき、向井さんは今はどこでどうしているのか、という思いがふと頭をかすめました。

 誰も助けてくれない境遇で妊娠に気づき、どうして良いかも分からないうちに出産し、一人で思い悩んだ末に、ついに何もかも捨てて逃げることを選んだのでしょうか。

 穏やかで落ち着いた人柄の女性でした。人の気持ちを害するようなところもありません。何を考えているのか分からないのも、考えるゆとりがなかっただけなのかも知れません。巡り合わせ一つで、道順を誤らずに済んだ人生だったのでは、という気もしますが、それも想像するしかないことです。

 赤ちゃんはひとまわり大きくなったとは言え、まだまだ『取扱注意』と札を下げたくなるような頼りない体でした。向井babyの仮名はそのままでしたが、いずれは自分の名を得ることになるでしょう。どこの国の名になるかは分かりませんが。

 ぴくりと動いた手指には、稚貝のような爪がちゃんと生えていました。小さな唇がお乳を求めるようにかすかに動き、閉じていた瞼が僅かに開いて、無心な瞳を覗かせました。

 何を映しているのでしょう。自分が生まれながらの債務者であったことなど知る由もない無垢な瞳でした。この澄んだ瞳が濁るような人生でないことだけは祈らずにいられませんでした。


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