疑い①
また日が昇る。
柔らかな春の日差しの眩しさで、リンは目を覚ました。夢か現実か分からない微睡み。ゆっくりと目を開ける。
「ここは……家?」
寝ぼけて記憶が曖昧である。確か昨日は寝付けなくてアンリの宿屋に押しかけたはず。それから聖具の使い方を教えてもらって……そこからの記憶がない。自分はどうやって家に帰ってこれたのだろうか?
訝しげに思いながらも身支度を整えようと起き上がると、血のついた外套が目に入った。
その血はすでにどす黒く変色していたが、あの凄惨な事件があったことが紛れも無い事実である証拠の様にリンには思われた。
「やっぱり、夢じゃないのね。」
ジャンやタングの叫びが耳の奥に張り付いて離れない。リンは思わず耳をふさぎその場にしゃがみ込んだ。
すると丁度扉がノックされた。兄がいつもの様に起こしに来たのだろうか。そうだ、学校に行かなければ。
あの事件のことが無ければ何も変わらない日常だった。
学校には行きたくない。それは逃げなのかもしれないが、今は全てを忘れたかった。
「リン、起きてる?」
「兄さん?」
「入るよ」
そう言って少し難しい顔をしてサイソルフィンが入って来た。
「リン、僕が言いたいこと分かってるよね?」
多分夜更けに家を抜け出した事を言っているのだろう。リンは素直に謝った。
「サイ、ごめんなさい」
「色々あってリンも心の整理がついてないのは分かるけど、心配する側の身にもなって欲しい」
確かにあんな事件があって、しかも2度も家族が居なくなったら心配もするだろう。
「まぁ、リンも反省してます。さ、朝食ができましたよ。」
そうやって仲介に入ったのはアンリだった。昨日と同じフリフリのついたエプロンを身につけている。何かそれを見たら、思わず吹き出してしまった。
「アンリ……昨日も気になってたけど、そのエプロンは自前なの?」
「そうですよ。聖騎士の正装しか持って来てないので汚れたら大変でしょう?」
「嘘ね。アンリはそんな粗相をするタイプの人間じゃないわ。私達がとっつき易いようにそんな可笑しな格好をしてるんでしょ」
「……ふっ。まぁ、それは貴女の想像にお任せすることにしますね。」
少しだけ日常と変わらない時間が出来た気がした。
階段を降りリビングに行くと、アンリの言った通り朝食が準備されていた。
「おはよう、リン」
「母さん!!起きてて大丈夫なの?」
「この男が大袈裟なだけだ。大した傷じゃない。それよりリン。お前が無事で良かったよ。」
母も心配だったのだろうが何も言わず、リンの頭をぽんぽんと撫でた。
「母さんにも心配かけてごめんなさい。」
「さ、食べようか。」
「では、紅茶を淹れましょう」
アンリはそういうと慣れた手つきで紅茶の準備を始めた。リンと兄と母と、毎日の事だった朝食を囲むということも久しぶりのような気がする。
ハムエッグにサラダとフルーツ。焼きたてなのか香ばしいパンの香りがリンの鼻腔をくすぐる。暖かい食事をして、ようやくリンの心の緊張が解けるようだった。
朝食も食べ終わる頃だった。
突然玄関の扉が開き、入って来たのはカティスだった。走って来たのか息が荒い。
「カティス!?どうしたの!?」
「どうしたもこうしたも!!イシューの事は村中の話題よ!」
「カティス、走っても大丈夫なの?」
カティスは心臓に負担をかけてはいけないし、走る筋力もあまりないため、一緒にいても激しい運動になる遊びはこれまで控えて来た。余程心配だったのだろうか?
「そうなの。私、走っても平気になったのよ!」
満面の笑顔。
「だから、これからは私はリンに頼らなくても大丈夫よ。だって、あのジャンもタングも居なくなったんだし。」
にっこりと微笑むカティスの表情にリンは違和感を覚えた。
「そう……?」
「うん。それと今日は学校はお休みなんですって」
あの事件で村は騒然としているのだろう。これまで信じて来た女神の守りが揺らいでいるのだ。イシューは夜にしか行動をしないとはいえ、村の中までイシューが入ったのだから無理はないだろう。
それに学校が休みなのは良かった。今は授業を受ける気分にはなれない。
「顔色が悪いな。部屋で塞いでも仕方ないだろ。少し外の空気を吸ってくるといい」
リコが提案するとカティスも同調を示した。
「行きましょう?街によって軽食を買って、それからいつもの丘に行くのはどうかしら?サイはどう思う?」
「うん、そうだね。」
「念のため、私も行きましょう。朝とはいえ昨日の今日で何があるか分かりませんし。」
アンリがそう提案すると、サイソルフィンは露骨に嫌な顔をした。
「ま、アンリの言うことは一理あるな。」
「はぁ、分かったよ、母さん。」
「では、支度をしましょう」
にっこりと微笑むアンリとは対照的にサイソルフィンは諦めたように深いため息をつくと、席を立った。
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