惨劇の始まり③
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風ががたがたとガラス窓を揺らした。
いつもなら満点の星がきらめく夜空も、今日は雲によって空は覆われてしまっていた。
時間は21時30分過ぎ。レディ・マースの館は村はずれにあるから、ここから歩いて30分はかかるだろう。
リンは時計を確認し春物の薄い外套を着こんでそっと家を出た。
これからのことは家族にも内緒だ。兄も母も言えば止めるのは目に見えていたからだ。
外に出ると少し湿り気を帯びた生暖かい風が、リンの頬に纏わりつく。リンは静かに家を出て、レディー・マースの館へ足を進めた。
「雨……降るかな?」
一人で夜道を歩くのは思ったよりも緊張だった。
街灯もない村の小道を入っていく。ランプの小さな明かりが足元だけを照らし、それを頼りに行くしかなかった。
村の小道を抜けるとやがて茂みがあり、それをかき分けると森の木々たちが亡霊のように立っているように見えた。
全てが寝静まっている。静寂がかえって不気味を増している。
イシューは森に棲むというが、レディー・マースの館は村と森との境にある。村のはずれといっても女神ラーダの結界があるからイシューは出ないとリン達は思っている。
レディー・マースの館はその昔、マースという女首領が住んでいた屋敷だが今は廃屋になっている。
レディー・マースは贅沢三昧でこの世の春を謳歌していたと言われ、その豪遊ぶりは当時としても際立っていた。
ただ、問題なのはその資金源だ。村人達に高い税を掛け、自分は毎晩晩餐会を開き、高級な酒を飲み、高級な食事をし、そしてダンスや賭け事を毎晩繰り返していた。
そして不作だったある年、高い税に苦しんだ村人達はとうとう反旗を翻した。
村人達は各々武器を持ち、松明を持ってレディー・マースの屋敷を取り囲んだ。そして、マースを捉えると、その場で処刑してしまったという。
そして時は流れ、今は朽ち果てた廃墟があるだけで、館は当時の豪奢さは見る影もない。
が、子供たちの間ではマースの怨霊がでるともっぱらの噂だった。
「怨霊なんて……そんなもの出るわけないわ。」
半分恐怖を感じたリンだったが、自分の気持ちを高めるためにあえて声に出して言った。
やがて、茂みを超えたところで、大きな錆び付いた鉄の柵状門が出現した。
「遅かったな。」
ジャンが門の前で踏ん反りがえって言った。
「ビビッて来ないんじゃないかと思いましたぜぃ」
タングもにやりと笑いながらジャンの意見に賛同していた。
闇の森の中を歩くだけでも半分恐怖を感じていたリンだったが、それを隠すようにジャンに強気に言った。
「いいでしょ。時間は間に合ったんだし。」
「ま、そうだな。」
「じゃあ、早速始めますぜぃ。」
「より、ルールだ。この屋敷の最奥にあるという燭台を持ってきたほうが勝ち。」
「分かってる。」
「よし、まずはこの朽ち果てた庭園を超えて、屋敷の前までは移動だな。そのあと、屋敷の前でゲーム開始だ。屋敷に居る制限時間は30分。それ以内に燭台を持ってきたほうが勝ちだぜ。」
ジャンはそういって鉄製の門に手をかける。リン達の身長の倍はあるであろう大きな鉄門は、ギギギという錆び付いた音を立てて開いた。
「うわ……館に着く前にこの茂みを超えるのも大変だな。」
「ま、廃墟だもの仕方ないわ。」
ランプの明かりが揺れる度に影が揺れる。3人は誰とは言わないものの、身を寄せ合って庭園に足を踏み入れた。その時だった。
目の前を陰が横切ったように見えた。
「い、今のなんだ!?」
「え?何か……いる?」
明かりを暗闇の方に向けても何の変化もない。が、確かに何かの気配を感じた。すると暗闇の中から獣が唸る声が聞こえる。
思わず明かりを前方の茂みのほうにやると、赤い3つの輝きが煌めいた。と思った瞬間だった。
闇から出てきたのは、漆黒を凝らせたような全身が黒く、赤い3つ目の持つ化け物だった。オオカミやライオンのような鋭い歯がよだれと共にこぼれて見えた。
手は鋭い爪があり、なによりリンの目を引いたのは、体毛と同じように大きな黒い翼を持っていることだった。
「イシューだ!!」
タングが叫んだと同時に、元来た道を戻ろうとイシューに背を向けた。
その瞬間だった。イシューが咆哮を上げたかと思うとタングに向かって飛びついた。その爪がタングの背中を切り裂いた。
パーッと血しぶきが上がっている。暗闇でも分かる血の色。
タングが言葉も発せずその場に倒れた。
「タング!!」
叫んだが何もできない。リンは初めて見るイシューにあまりの恐怖でその場から一歩も進めなかった。
「タング!!」
リンはもう一度叫んでみたものの、タングは微動だにしない。
それよりも、イシューが咆哮を上げたのち、恐ろしいことを口にした。
「同胞ドモ、食事ノ時間ダ!」
そして自らはダンク首筋を鋭い歯で嚙み切った。溢れ出す血が、リンの外套に血の斑点を付けた。頬に触れるとぬめりとした感触がある。
無意識にその頬を触ってから自分の手を見る。タングの血がついているということに気づいた時には、自分も逃げないと殺されるという恐怖が心を占めていた。
だが、ここから逃げるより生き残ることはできないと悟ると、リンは自分をしっかり持つように頬を2度両手で叩いて気合を入れて立ち上がった。
「ジャン、逃げるよ!」
同じく茫然としていたジャンも状況を悟ったようで全力で元来た鉄門へと翻した。
だが、バサバサという羽音を立てて天より舞い降りしは、新たなイシューで。
気が付けば3体のイシューに囲まれていた。
「なんでイシューがいるのよ!一応村の中でしょ?村の中にはラーダの結界があるはずじゃないの!?」
「知らねーよ!」
ジャンと背を合わせる。3体のイシューはリンたちを囲み、その距離をじりじりと詰めてくる。
こんなことならアンリにちゃんと護符の使い方を教えてもらえれば隙をみて逃げることもできたというのに。今の二人は丸腰だった。
そして一匹のイシューが咆哮を上げた。
それを合図とばかりにイシューが飛びかかってくる。
やられる!
リンは反射的に目を閉じる。しかしそのイシューの鋭い爪がリンに届くことはなかった。
ギャン、という短い音がしてリンは目を開けると、イシューが赤い薄い膜のようなものにはじかれているのを認められた。
「なに……?」
一瞬何が起こったか分からなかったが、ふと自分のポケットの中から赤い明かりが漏れていた。
「これは……」
光の諸元は聖具だった。女神の羽ともいわれるこの聖具が盾を生み出し、イシューをはじいたのだろうか?
この聖具はイシューと戦うための武器であるとアンリは言っていた。が、具体的にどのように使えばいいのか、まったく持って想像がつかなかった。
でもこれでとりあえずイシューからの攻撃は防げることはできるのではと考えた。
だが、その考えが甘いことだということはすぐに突き付けられることとなった。
リンの背後で鈍い音がする。そしてジャンの叫びが夜の森に木霊する。




