惨劇の始まり②
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誰もいない廊下をバタバタと足音を立てて駆けていく。
教会奥の突き当りの医務室のドアをノックもせずに勢いよく開けると、驚いた顔をしたウラニアが振り向いて言った。
「リン・ハミルトン?どうしたの、そんなに慌てて。」
「先生!カティスが、発作で!!」
全てを話す前にアンリに抱きかかえられているカティスを見て、ウラニアはすべてを察したようだった。
「とりあえず、カティスをベッドに!」
「はい!!」
するとウラニアは薬品箱から薬を持ってくると、すぐさま鮮やかな手際で処置に入った。
「ウラニア先生……カティスは?」
ひと段落してリンが問うとウラニアは一つ大きなため息をついて言った。
「大丈夫だと思うわ。あとは私が見るから、あなたたちは家に帰りなさい。」
「でも……」
渋るリンの肩に手を置き、慰めるように言ったのはアンリだった。
「リン。ここは先生に任せましょう。それに、丘でサイと待ち合わせしているのでしょう?」
「あっ……。」
バタバタしていたせいですっかりサイのことを忘れていたリンは大きな声を出した。
「さて、決まったようね。ついでにカティスのご家族に一報を入れてもらえると助かるわ。」
カティスの家族はカティスのことをぞんざいに扱っていることをリンは知っていた。
何がどうしてそうなったのかは家族間のことなので分からないが、カティス自身あまり家に居たがらなかったことからも、その扱いも納得のいくものであった。
とはいうものの、日が傾きかけているこの状況ではカティスの家にも連絡はしておいた方がいいだろう。
「分かりました。では、先生、お願いします。」
リンはペコリとお辞儀をして、アンリと共に医務室を出た。
暫くして夕闇が空を支配する頃になった。
「ん……」
カティスが目を開けると真っ白い天井が見えた。家のベッドで見る天井とは違う。空気も薬品独特の香りのする部屋だった。
「ここは……。」
「カティス・ブライトン。あら、気づいたのね?」
「ウラニア先生……。医務室……ですか?」
カティス自身の記憶としてはジャン達に絡まれて、リンが助けてくれて……そこからの記憶が曖昧だった。倒れる寸前に大きな手で支えてもらったのは覚えているが、誰だったのかは分からなかった。
「そうよ、カティス。」
「リンが連れてきてくれたんですか?」
「リン・ハミルトンと、あと聖騎士の青年かしら。服装は違っていたけど、私服でも目立つわね。」
聖騎士の青年ということはアンリだろう。
ということは自分を運んでくれたのはアンリになる。学校には来てほしくなさそうだったアンリだから、またリンに怒られてしまうのではないかと案じるものの、その光景が安易に想像できて、カティスはクスリと笑ってしまった。
「カティス・ブライトン。もう心臓は痛くない?息苦しいとかはない?」
「はい。大丈夫です。」
「そう……。貴女に重要な話があるわ。」
「重要な話?」
「本当は親御さんに伝えるべきだと思ったのだけど、貴女自身の問題だから、あえて言うわね」
それまで柔和な笑みをたたえつつ、事務机に軽く体を預け、腕組みをしていたウラニアの表情が真剣になった。
「カティス、貴女の心臓はもう長くは持たないと思うわ。」
「え……?」
突然の告知に戸惑うカティス。ウラニアの言っている言葉の意味がよく理解できない。
「それは……死ぬってことですか?」
「今のままではね。」
「何年くらいですか?」
「もって1年。早くて半年という可能性が高いわ。」
「そんな……。」
これは余命宣告だ。あと半年と聞いて、体から血の気が失せるのをカティスは感じていた。震える声で尋ねる。
「手術するとか、方法はないですか?」
「医療という意味では残念ながらここの村の設備では無理ね。薬を飲んで発作を抑えていくしかないと思うわ。」
「そう……ですか。」
「でも、一つだけ方法はある。ただし、条件があるわ。」
「条件……。」
藁をもすがる思いで、カティスはウラニアの言葉を待った。
「カティス・ブライトンとしてはすべてを失い、新たな命を手に入れるか。それともカティス・ブライトンとして生き、半年後に死ぬか。いづれかをお選びなさいな。」
言っている意味がよく分からない。カティスは怪訝な顔をした。
「言っても分からないと思うわ。でも、全てを失っても得られるものがあるのなら、私を呼びなさい。」
「……分かりました。」
納得はできなかったが、それ以前にカティスの動揺は大きく、脳がいまいち現実を理解しきれていなかった。
「薬を処方しておいたから。今から一人で帰るのも心配だわ。今夜医務室に泊まりなさいな。」
「いえ……少し休んだら帰ります。」
「そう?雨が降りそうだから、様子を見ながら帰るといいわね。」
「はい……」
本当は一刻も早く家に帰り、自分の部屋で状況を整理したかった。
このままでは自分が死ぬというのか?
いつ?どうやって?何も残せずに孤独に死んでいくのか?
考えれば考えるほど動機が激しくなり、呼吸がうまくできない。
その様子を見たウラニアは少し同情の表情をすると、仕切りのカーテンを引いて、そっと医務室を出て行った。
外を見ればもう真っ暗な闇が広がっていて、まるでカティスの心のように、夜空に暗雲が立ち込めようとしていた。
「雨……降るのかしら……。」
思わず独り言ちするが答える人もおらず、ましてや今の自分には不似合いな言葉なような気がして、なぜかカティスは笑ってしまった。
そして、気づけばポツリと自分の手の甲に滴が落ちた。
涙だ。
思わず嗚咽が出そうになるのを、両の手で口を押えて堪える。
だけど涙が止まらない。泣いてどうにかなるわけではない。理屈ではわかっている。だけど、この命が突然費える可能性があることを改めて認識してしまった。
辛いことがあったときや感情が溢れてどうしようもない時には、サイソルフィンがくれたポプリの香りを嗅ぐと気持ちが抑えられた。
どんな苦しいことにも耐えられた。
だが、今はそれもなくなってしまった。
「サイ……リン……助けて……助けて!!」
心の支えを失ったカティスは、毛布を頭からかぶり、リンとサイソルフィンの名を呼びながら嗚咽するしかなかった。
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