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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

-雀ヶ森惠*短編集「地獄の季節」-

凍てつく邯鄲の夢、見上げた空は余りに遠くて。

作者: 雀ヶ森 惠

「――ゆるして、」


目の前の男が赦しを請う。

最早身体中の腱を切り裂かれ動くこともままならないのだが、それでも男は血溜まりの中を這い、芋虫のように蠢きながらこう言った。


「――ゆるして、ください……」


だが次の瞬間、男の頭部は柘榴のように爆ぜていた。頭部を失った肉片はなおも痙攣を続けたが次第に動かなくなった。

男は完全に沈黙した。

硝子玉のような空色の眸がそれに一瞥を呉れたがやがて何事もなかったかのように、殺戮者は歩き始める。

――何人目だろう? 猛者を名乗る者は今日日(きょうび)後を絶たなかったから、私の獲物に不自由することも無かった。

私は返り血を拭うこともせず裏路地を歩き始めた。

この街ではミンチになった遺骸など猫の死体未満の扱いで、だれかが役場に届ければ翌日には綺麗さっぱり片付いている塩梅だ。

それが誰の亡骸かなんて誰も気にしない、誰もが誰もに無関心な街は冷え冷えと聳えていた。

夕刻、(ねぐら)にしている安宿に戻ると、宿の番頭の(おうな)は私に一言も喋ること無く、この晩の宿賃を受け取った。

狭い一室に入ると私は襤褸同然の衣服を脱ぎ捨て、温い湯しか出ない風呂に入った。

さすがにべったりと返り血が付いている。

安っぽい石鹸を泡立ててそれを拭う、次いで悪鬼の如く(もつ)れた髪も洗う。

すっかり身体を清めて温い湯で流し終わり、薄っぺらなタオルで雫をぬぐい去ると浴室の鏡に映っていたのは、赤茶の癖毛に空色の眸をしたゾッとするほど美しい若い女で――それもたった今、少女から大人の女になったばかりであることが、ありありと見て取れるのであった。


彼女がこの都市に流れてきたのにさしたる理由は無かった。

殺戮の本能、アレとしての血が呼ぶのだ。

喉の奥を熱いアルコールが灼く。

やがてジンを飲み干すと、形の好いやや厚い唇から一滴零れたそれが、豊かな胸に雫を落とした。

そして彼女はバスローブのまま、荷物に置いていた脇差を手にした。

(こしらえ)は古いが鞘から抜くと刃こぼれひとつ無く、安宿の照明にも鋭い輝きを放っていた。

そのとき部屋の扉が乱暴に叩かれた。

番頭の媼だ。


「何の用?」


「へい、お嬢様に客人だとか。通しますか?」


「私に客人? 心当たりはないけれどー―」


少し少女は考えた、この部屋を惨劇の、その場にしても良いのだと。


「着替えるから10分ほど待って頂いても良いならば」


「はい、お伝えしやす」


 それなりの衣服に着替えれば少女はさぞ魅力的に見えたろう、だがそれを自ら拒絶するかのような襤褸同然のシャツとパンツ姿に着替えると、洗い髪に櫛も通さず彼女は客人を招き入れた。


「どうぞ、入って頂戴」


「失礼する」


 入室してきたのは歳かさの男で、さも事情通といった雰囲気だ。


「私に何の用?」


「俺はこの街の情報屋みてえなもんだ、アンタのやってるこたあ重々承知しているとも、その脇差――何でもスパスパ切れてアンタが異常な力を持ってその……」


「ここでゴミ掃除してるって事?」


「ゴミ掃除大いに結構、だがアンタ殺りすぎなんだよ。無関係なやつまでちょっと掃除し過ぎだ」


「それでお前、何が言いたいの?」


情報屋を名乗る男は少女に一通の書状を渡した。


「この街を仕切ってるボスからだ、このままだとやべえってことさ」


少女は手紙を受け取ると読む前に懐に入れた。


「書状を読むも読まないも私の自由、だがお前に対する答えはこうだ――」


「ひっ……」


男の頭が不自然に曲がると脳漿が耳から、鼻から、飛び出した眼球の隙間から溢れ出すと男だったものは、声なき声を上げ絶命した。


少女は宛度無く夜を歩く。

書状にはこうあった、


殺戮を繰り返す無名のをんなよ、なんぢとその剣に興味がある。街外れの吾が館に来るがいい。


 行くも行かぬもこちらの自由だ。

 だがこの脇差に興味があると? 願ってもない、見せて遣ろうではないか。


 彼女を見て下卑た笑みを見せる輩は全てこの脇差の錆としてきた。

 それはあの宿を出た今宵も例外ではない。

 既に四人を屠っている。


――ゴミ掃除大いに結構、だがアンタ殺りすぎなんだよ。無関係なやつまでちょっと掃除し過ぎだ。


 無関係? 関係あるではないか、まあ、目撃者も容赦なく消しているのだから仕方ないのか。


 夜が色を濃くする頃、少女は街外れの館に今宵もたっぷりと血を吸った脇差を手に辿り着いていた。

 和洋折衷の屋敷、その重厚な門。

 少女が素手の白い、だが血に塗れた指でそれに触れるとひとりでに門は開いた。


「お待ちしておりました」


 姿なき声がそう言った。

 だが少女は影の気配を察知して一瞬早くそれを抜いていた。

 胴体が切り株のように落ち、白刃の煌めく間さえ無く影は絶命した。

 その遺骸を踏みつけて少女は門を潜った。


「案内は不要よ、もう主人に言う口もないでしょうけれど――」


 今度こそ少女は館の扉を叩いた。

 誰も出てくる気配はない、先ほどの影のようなものしか居ないのか?


※※※


「それで、その化け物は脇差を一本携えている以外情報も無いというか……?」


「は、お館様それ以外は赤毛の年若い娘だという話しか」


「娘! 大いに結構、ではこのわたしが遊んでやろうではないか」


「ただしこのお館様の間に来られるかどうか、わかりませぬぞ手練れ揃い故」


「半刻もすれば娘を生け捕ったとの(しらせ)が入るでしょう――」




「皆、簡単に壊れてゆく……人間とはかくも脆い」


 鉄錆の霧の中で少女は独りごちた。

 最早、この屋敷で彼女に牙を剥くものは主人くらいしか残ってなかった。

 同じことの繰り返しだった刃向うものを膾にしては潰す。

 街で降りかかる火の粉を斬るのとはまた違った感触、明確な殺意。

 だがそれも十人も斬れば飽きる。

 少女はそこまでの戦闘狂ではない、連続して人を斬れば、潰せば飽きるのだ。

 この雑兵を(けしか)けた館の主は何者?

 最早、惰性で斬ってぐちゃぐちゃにしてあげる。

――そうこの襖を開ければ居るのね。

 少女の空色の眸がそれを射抜いて、見抜いていた。




 果たして襖の奥の部屋には筋肉質で尊大な男とその太鼓持ちが居た。


「独りで来たか予想通りだな、娘よ」


「お館様どういう事で……?」


 太鼓持ちは明らかに狼狽している。

 だが狼狽は一瞬にして抜かれた脇差によって表情ごと凍りつき、頸は畳の上に転がった。

 倒れ伏した身体からはとめどなく血液が溢れだした。

 尊大な男――館の主は手を叩いた。


「見事な手腕だ、娘。して何を望む?」


「望み? そんなものないわ、お前を殺してここを出る」


「残念、交渉決裂か……だがしかしわたしも力を遣う」


 言うや否や少女の影が彼女自身を縛りはじめた。


「おのれ……影を操るか!」


 少女は脇差を落とした。


「影に縛られているうちはおまえの力も使えまい、その間にこの脇差について二三答えていただこう」


「………………」


「どこでこの脇差を手に入れた?」


「知ってどうするの?」


「これと対になる太刀を手に入れるまでよ! 無論おまえにはこの脇差が丁度良い使い勝手のようだがな」


「もう不可能よ、その太刀はある君主が部下に下賜した七振りの太刀。そしてそれは散逸した」


「随分と可愛い声で喋ってくれるようになったものだな、そうか七振りあるのか!」


「でも脇差は一振りだけよ」


「ほう? その理由は」


「それは自分で考えて頂戴」


 男は少女に息のかかるくらい近づいて言った。


「理由は後で考える、今はお前で愉しむこととしようではないか」


 男の腕が少女の頬を撫でる。

 うっすら影の呪縛が緩んだ。

 少女はその隙を見逃さなかった、彼女の力は彼の左腕を破裂させるには充分であった。


「女ぁあああああああああああっ!!!」


 影から少女は逃れると脇差を拾い、目にも止まらぬ動きで男を切り裂き始めたが、素早く男は自らの陰で結界を張った。

 切り裂いても、影ばかりで本体に辿り着かない。

 また常に動いていないと影に足を掬われる。

 厄介な能力だ、なんとかして打破せねば……


「死ねええええええ、女ああああああ……ッ!」


 残った右腕が影を裂いて少女を捉えたがその瞬間を、彼女は見逃さなかった。

 脇差が右の拳を軽々と斬り落とし、少女自身は畏るべき身体能力で天井まで跳躍すると、欄間(らんま)を蹴って再び男へ向き直った。

 影の追撃は間に合わない。


「莫迦なぁあああああ!!」


 叫んだまま頸は脇差によって切り落とされた。

 絶叫、死の臭い、影の収束。

 そして血なまぐさい室内に一人残された生者の少女は、そこを見渡した。

 男の頭部、そして太鼓持ちだった者の頭部、夥しい血液。


※※※


 疲労からか、そうでないのか少女は血溜まりに膝を付き、脇差を畳に刺しそこに身を預けた。

 街から街へ何人の人間を殺めてきたことだろう?

 しかし百年経ったら私もあの土へと還って行くのだ。

 脇差の白い輝きに少女の顔が反射している、白い肌に大きな空色の眸、赤茶けた癖毛。

 全てがぞっとするほどその様は絵のように美しい場面だった。

 少女はやっと口を開く、殺戮の後なにか述べることは稀であった。


「父さん、私は冥府の小箱を開けた蝶、またはその夢――父さんが付けてくれたくれた名前……星子(しょうこ)……」

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