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彼女の言葉は私を変える

勉強しなかったから、受験に落ちた。失敗したとは言わない。ある意味当然だ。それでも受かった大学に入学して大学生になった。でも大学はつまらなかった。


これは、とてもつまらなかった私の大学生活を変える出会いとテクニックを実践したことを記す物語。

 毎日つまらなかった。大学生活はもっとキラキラしているのかと思っていた。広いキャンパス、安くて美味しい学食。みんなが集まる部室とか研究室があって週末には飲みに行く…みたいな。当時の私と言えば、一時限目どころか二時限目にも間に合わない。勢いで入ったサークルはいつの間にか行かなくなったし、ゼミだってその時間だけとりあえず行こうって感じ。毎日午後に大学に行って、興味のない講義を受けて、帰ってなんとなくテレビをみたりスマホをいじったりして眠くなったら寝る。バイトもやめた。とにかく人に関わることが面倒になっていた。顔色ばかりうかがって、面白くない話に笑って、自慢話に心の中で嫉妬した。友達関係も恋愛関係も私には何も起きなかった。起こそうとしなかった。そのまま1年が過ぎ大学二年生になった。もうすぐ二十歳。まだ十分若すぎるのに明日、目を覚まさなくてもいいと毎晩思っていた。


 六月のある日、いつも通り大学に行った。いや、今思えばいつも通りじゃなかった。スマホを家に忘れた。講義中暇でもやることがなかった。だからって教授の呪文のような話を聴いてもその言葉は右耳から左耳に抜けていき、握りしめたペンを動かすこともできなかった。何をしているのだろう。なぜ、大学に入ったのだろう。何度解いても答えの出ない問題が私の頭をよぎった。そのときだった。

「今日はスマホ、みないの?」

後ろから小さく、でも芯の通った高い声が聞こえた。

「…誰?」

前を向いたまま私はつぶやいた。その子は私の質問に答えなかったけれど、一緒に抜け出そうよ、と言った。私は握りしめたペンをようやく離しペンケースに入れた。バッグに無造作にプリントやペンケースをしまって教室を出た。その子もしばらくして出てきた。声とビジュアルが似合わずびっくりした。濃いアイメイクで長い黒髪の大人っぽい子だった。

「私のこと、知っているの?」

「この講義いつも私の前で受けているでしょ」

そうか。と妙に納得していると、さっさと歩き出す彼女の後を急いでついて行った。


 着いた所は肌寒い静かな喫茶店だった。コーヒーと紅茶をそれぞれ頼んで、向かい合った。

「どうして、私を誘ったの?」

彼女がテーブルから目線を移して、濃いアイメイクが私の視線と重なった。瞳はきれいな黒真珠のようなのに、目の奥に強い光が見えた気がして思わず目をそらした。

「つまらなそう…だったから」

私が返事に困っているとコーヒーと紅茶が届いた。私は紅茶に砂糖とミルクを入れてスプーンでかき混ぜた。カラカラと音が鳴る。静寂を恐れて、しばらくそうしていた。彼女はブラックコーヒーをそのまま一口飲んだ。カップにリップの後がうっすら付いていた。なんて色っぽい子なのだろう。かわいい声、濃いメイク、他人を惑わすような瞳。私は彼女に見とれた。少し落ち着こうとやっとかき混ぜるのをやめて、紅茶を飲んだ。甘くて、優しいミルクティーだった。

「いいこと、教えてあげるよ」

唐突に彼女が声を発した。

「いいこと?」

同じ言葉のオウム返し。いつも面白くない話や自慢話をする人と話す時は絶対にしない。興味があるように「何?」って聴いて、でも本当は聴いていないからオウム返しなんてできない。でもこの子の言葉はなんとなく聞き逃したくなかった。

「目をそらさないで」

「えっ…」

予想外の言葉だった。さっきの私の行動を言っているのだろうか。

「どうして?」

絞り出すように私は言った。

「みんな、見てないよ。みんな見てないものをみると、世界が変わる。」

そう言って、彼女はコーヒーを飲むと私の目を見た。私も彼女の目をみた。今度は目をそらさなかった。

「つまらない今が変わるよ、きっと」

彼女は五百円硬貨をテーブルに置き、立ち上がった。

「待って、名前と連絡先…」

私がそう言って立ち上がると、カタンとカップが揺れてミルクティーがこぼれた。振り返らず、彼女は去って行った。外は、雨が降り出していた。梅雨が明けても、彼女は濃いアイメイクに長い黒髪を下ろしているのだろうか。赤い傘をさした彼女が視界から遠ざかる。残ったミルクティーを飲みながら、目をそらさない、と頭の中で何度も唱えた。


その日から、確かに世界が変わった気がする。夕食を買いにコンビニに行ったときにいつもの店員さんの目をじっと見てみた。それだけで「いつも、ありがとうございます」と言われた。次の日には、大学でいつも一緒にいる子達に「雰囲気変わったね、背筋が伸びた感じ」と言われた。面白くない話、自慢話ばかりだと思っていたけれど、彼女たちは私の変化に気づいた。ちゃんと話を聞けば思ったよりしっかりしてる。私が彼女たちを見ていなかっただけだったのか。それからは友達と過ごす毎日が少し楽しかった。

今度はゼミで、苦手な男性との会話も目を見て話す。すると彼から目をそらす。「なにか…付いてる?」なんて照れたように言う。私は彼らとも一緒に帰ったりご飯を食べることが苦痛ではなくなった。

ここから先は早かった。どんな人も意外と人の目を見ていない。電車でふと気になった人の目を見つめるだけでニコッと笑いかける人、慌てて目をそらしてしばらくしてチラチラとこっちを見る人。私を気にかける、意識する人がいる。つまらない毎日が変化することが見てとれた。不思議なくらい上手くいっていてむしろ怖かった。


私は濃いアイメイクの彼女に会いたかった。また、話を聞きたかった。一緒に抜け出した日と同じ講義。私の後ろの席に座るはずだから、きっと会えると確信していた。しかし、いない。次の週もその次の週も彼女は私の後ろどころか教室にいなかった。七月に入れば、講義も終盤に差し掛かり、定期試験が始まる。それまでにもう一度、会いたかった。

「ねぇ、マホ」

いつも一緒にいる友達を呼ぶ。マホは新作のチョコレートを食べながら「うん?」と首を傾げた。

「声が高めで、アイメイクが濃くて、綺麗な黒髪の女の子がうちの学科にいると思うんだけど、知ってる?」

マホは少し上を向いたあと、私の顔をじっと見た。真剣な眼差しだった。私は少し息を飲んだ。

「知らな〜い」

束の間の沈黙が訪れた。それを破るように

「もう!びっくりしたじゃない!」

私は叫んだ。

「ごめん、ごめん。でもどうしたの?急に」

「うん、ちょっと人を探してて」

私はこれ以上、マホに彼女の話をしてはいけない気がした。

「ねぇ。そのチョコ私にも頂戴」

返事を待たずにマホの前に置かれた小さな箱からチョコを一粒取り出して口に入れた。甘くて優しいあの日のミルクティーを思い出させた。

-そうだ、あの喫茶店に行ってみよう。




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