29話-3「ニシカワケンジ」
「ん?」
まだまともに話せる状態ではない。でも、これ以上近かれると対応できなくなる。
「はっ、はっ、はっ……こわい、からっ。それ以上はやばい……」
「……あー。なるほどな、そりゃそうか」
そう言って兼次さんは止まる。
この距離がぎりぎり大丈夫な距離だろう。少しずつだが頭を回転させる。痛みも少しましになってる。
飲まされた回復が追いついてきているのだろう。
「どうや? 大分違うだろう? 虐殺のオーガの時は魔法で恐怖耐性をつけてただろうからすぐに慣れて平気になるけど、耐性無かったら人間なんてこんなものなんだよな。どんだけ才能があってもこれを乗り越えるのは難しいんだよ」
「はっ、はっ、はっ……」
「よし、これを乗り越えられてやっと一人前だ。まあとにかく無理やりでも深呼吸しろ」
「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」
少し耳を傾けながら、言う通り深呼吸を無理やりする。
「今の感覚。死にかけた、怖い、わけがわからない。この感情は自分が思っているタイミングでは来へん。もしこれが調子を乗ってる時に来ると立ち直れなくなる時が多い。しかも相手がモンスターなら待ってくれへんしその時点で殺されて終わりや」
少しずつ呼吸が落ち着いてくる。激しく鳴っていた心臓の音も小さくなる。
「だったら俺の目の前でそうした方がいいやろ? 殺すことはないし殺されることもない。安全策を取ってってことや」
「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」
理解は出来る。このやり取りで納得はする。
「叫んで逃げ始めた時はやり過ぎたか? ってビビったけど、今はもう大丈夫そうやし安心してる」
いや大丈夫そうって、この状況見てそれを言うか。いや、この思考を持ってる時点で大丈夫なのか。
回復の影響か頭も回転してくる。
「全く無理なやつは回復したとしても起き上がれへんし、そのまま殺されてしまうからな。まず逃げきれへん。その分まだ俊には可能性があるわけや」
可能性。つまりじゃあ僕は殺されないのか。
その言葉を聞いて少し楽になる。呼吸もまともに出来るようになってるし、思考も安定してきている。このままいけば恐怖もなくなるかもしれない。
「うん、大分落ち着いてきたな。俺の話は聞けてるんなら本題や」
「……う、ん」
「よし、これで俊は死の恐怖をまともに知ったわけや。全く何も考えられなかったやろ。急にくる死なら一瞬やし何にも意味ないけど、ゆっくり来る死には恐怖が付いてくる。でもその恐怖は死というものに埋め尽くされてしまって、思考が停止する。なにも考えられんくなって、その瞬間恐怖が心に刻まれる」
「……あ?」
話しながら兼次さんが剣を握り直している。
「無意識に刻まれる感情ほどやばいやつはない。簡単に言えばトラウマってやつやな。今まででも軽いことであったんやないかな? でも今回のはそんな生半可なものやないすぐにでも直さなあかんものや。トラウマの対処をしくったら一生付きまとわれる。それじゃあどうするのがベストか。それはな……」
兼次さんは近くに落ちていた剣を拾い投げる。
音を立て目の前に落ちた剣を無意識に拾い上げる。あ、これ僕の剣か。
「トラウマになったすぐに荒療治で治すことや」
「……はっ?」
兼次さんの体が一瞬ブレ、目に追えるギリギリのスピードで近づく。そして、右から剣が迫る。
「っ!?」
ぎりぎり剣で剣を受け止める。
その瞬間もう一度湧き上がってくる恐怖。震える身体。
「まあ、これで治らへん可能性もあるけどな!」
「っ!!」
そのまま押し込まれ無様に倒される。
全く体に力が入らない。またこのままじゃ殺されるとそれが思考を埋め尽くす。
「う、ぁぁぁぁ……」
逃げないと……
止まった思考を上書きするように逃げる事だけしか考えられなくなる。
そして、そのまま地面を這うように、逃げる。
「おいおい、それはダメだろ」
「っ! ひっ!」
目の前に剣が振り下ろされる。当たらないぎりぎりの所で地面に突き刺さる。
「すまんが俺が限界やと思うまでやり続けるぞ。少々の怪我なら治せるからな」
「うっ! ぁぁぁぁぁ……」
怖い、怖い、こわい、こわい、こわい……
目の前の現実を考えられない。とにかくここからどうにか逃げたいと体が無意識に動く。
しかし、
「逃げるな! 立て! 戦え!」
もう一度剣が目の前に振り下ろされる。
「お前はここに何しにきたんだ!」
剣時さんはそう叫ぶ。
その言葉が少し体を震わせる。
ぁ……
逃げるなって言われても怖いし、無理やし、何も考えられないし。わけわらんし!
「はっ、はっ、ふぅー」
恐怖状態。心拍数上昇。息も荒いし、考えもままならない。
只々この人が怖いとしか感じられない。
この人と対峙したら殺されるとしか思えない。
怖いんだよ! 初めてなんだよ! どうしたらいいかわからないんだよ! わけわからないんだよ!
「うわあぁぁぁぁぁ!」
立ち上がる。
「おう。いいぞ」
「はあ、はあ、はあ……」
立ったぞ。立ってやったぞ。で、どうするんだよ。体は震えて力も入らない。こんなんで戦えるわけない。
「殺されないって安心してんなよ。これを乗り越えられなかったら死んだも同然なんだ」
なんだよ。
「お前の冒険者生活はここで終わる」
わけわかんねぇ。冒険者生活が終わるとかわけわかんねぇよ!
「ビビるな、逃げるな、全部を出し切って乗り越えろ!」
わかってる。わかってるよ!
僕は……俺は! 冒険者をしたくて、冒険者になりたくて! ここに来てるんだよ!!
「冒険者をしたいなら思いっきり……」
俺は冒険者だ!
「足掻け!!」
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
叫ぶ。今まで通り自分を奮い立たせるために。
剣を握り直し、全力で地面を蹴る。技もスキルも何もない。ただ、只々全力で握った剣を振り切るだけ。
目の前の恐怖を断ち切るように。
その瞬間何かが変わった気がした。
激しくなる金属音。その後に続く地面に落ちる一つの音。
大きく聞こえる自分の心臓の音。荒い呼吸音。
「……お疲れ。よく断ち切ったな」
「……はい」
そして、目の前で兼次さんは地面に倒れた。
29話終わり。