3.我の理想
「姫奏さん、姫奏さん、新しい呪文を考えたのだ!」
「あら、ユースティティアちゃんいらっしゃい」
「歓迎ありがとうなのだ。清歌ちゃんもこんにちは。ところで、新しい呪文を考えたから聞いてほしいのだ!」
「ふふ、良いわよ? 丁度休憩したかったところだし」
「こ、こんにちは」
生徒会室に飛び込んだ莉那は、部屋の隅の方で仕事をしている元生徒会長でこの学園のアイドル的存在の五行姫奏と、その恋人の御津清歌を見つけると、二人に向かって……より正確には友人である姫奏に向かってにこにこしながら近づいて行った。
「聞くが良い! 我の理想の世を創るための聖なる呪文を!」
「姫奏先輩、櫻井先輩ってこんな人でしたっけ……?」
「あら? ……そうだったわね。清歌はユースティティアの時の莉那を知らないのだっけ。取り敢えず聞きましょうか」
「は、はい……」
生徒会室の片隅には、満面のドヤ顔と、困惑し対応に苦難している顔と、楽しそうに微笑んでいる顔が並んでいてなんとも混沌な光景が広がっていた。突然始まった一幕に、蚊帳の外に置かれた役員たちもいつもの事だと苦笑しながらこの先の展開を見守っていた。
「二人も繰り返すのだ。……ヴィーシニャ・アルブーズ・クルブニーカ!」
「え、えと……。ゔ、ゔぃーしにゃ、あるぶーず、くるぷにか?」
「惜しいわね。вишня・арбуз・клубника。こう発音するのよ」
「うっ……さ、さすが姫奏なのだ。まだまだあるのだ! リモーン! バナーン! ビナグラート!」
「りもーん、ぱなーん、びなくらーと?」
「лимон・банан・виноград! ふふ、莉那らしい呪文ね♪」
なんで姫奏先輩に言っちゃったんだろ……と莉那は今更ながら後悔した。それはそうだ。姫奏は毎回の試験でぶっちぎりトップの成績を樹立し続けている秀才だ。これくらいの|ロシア語
(・・・・)、知っていて当然だったのだろう。
「姫奏先輩、あれってどういう意味なんですか?」
「さくらんぼ、すいか、いちご。レモン、バナナ、ぶどう! って言ってたの。ロシア語ね」
「へええ! 櫻井先輩、くだもの好きなんですね〜!」
「う……。さ、さすが姫奏さんなのだ! 我の呪文に隠された真意まで汲み取るとは、なかなか闇に通じているらしいな」
「あら、うれしい♪」
言葉だけでなく本当に嬉しそうにしているのだから、莉那は姫奏をとても信頼していた。でも悔しいのには変わりない。
「ふ、ふはははは! 今日はこのくらいにしてやろう。次もまた、我の理想を創り上げるために我はやってくるぞ!」
うっすらと目の端に涙を浮かべながら莉那は退散した。……どうせならマノンにやってやろうと思いながら。ノリの良いあの人ならきっと! と思っていたのだが、現実は非情なもので帰り際にたまたま会ったマノンに莉那が同じことをしてみたら、姫奏以上の流暢なロシア語で繰り返され、今度こそ泣きながら寮へと帰っていった。
それはそうだ。莉那はすっかり忘れていたが、マノンはフランスと日本のハーフであるため、ヨーロッパ系の言語はある程度知っていたからだ。
一方の清歌は未だ不思議に思っていることを、学校帰りに寄った五行邸の姫奏の部屋で、姫奏に聞いてみていた。
「姫奏、櫻井先輩ってどっちが本当の櫻井先輩なんですか?」
「清歌が初めて莉那会ったのが、超真面目お嬢様の莉那。今日会ったのが邪神ユースティティア。どっちも櫻井莉那であり、ユースティティアと言える。って本人が言ってたわ。……まあよく分からなかったけど、どっちも本当の莉那だと私は思っているわ」
「そうですか。……おもしろい人でしたね」
「そうね。いつ会っても楽しいわ」
その後その部屋からは夜が更けるまで甘い声が響き渡っていた。