あの花の名前は
【魔女】
どんな人でも魅了し、たらしこんでしまう花があると聞いた。それはとても強く美しく気高い花だそうだ。普通では触れることさえ憚られるのにその花は寛容で誰にでも優しく振舞った。だからその花の周りにはいつも人がいた。花をいつも見ることができないが、周りの人はみんな幸せそうであることはわかった。ある日、人の目をかいくぐって花のところまで行った。流石に夜中だから花の周りに人はいなかった。なるほど。これは確かに美しい。でも、人々がそれ程までにこの花に惹かれる理由がわからない。素晴らしいことは十分に伝わる。どうしてだろう。そうか、外側ばかりに目がいってしまい中身が見えないからか。想いが見えないからか。私が今まで見てきた花たちには何か想いのようなものを感じた。でも、この花からは何も感じることができない。この花のことが少し気になってしまった。そんな時に花に話しかけられた。
「君はあの噂の魔女だよね。わざわざ僕に会いに来てくれたのかな」
「ええ、そうです」
「嬉しいな。君みたいな人まで来てくれるなんて」
花はわらう。どうやら花も私の事を知っているらしかった。私は軽く深呼吸をして花に質問をした。
「貴方は誰にでも平等に優しく接すると聞きました。どうしてそんな風に振る舞うのか、理由を教えてくれませんか?」
花はすぐに答える。
「僕がみんなに優しくしたらみんなが嬉しそうに笑ってくれるからだよ。みんなの幸せは僕の幸せだからね」
嘘をついているようにみえた。私は花を見つめる。その言葉の真意を読み取ろうとする。
「君は僕の言葉が信じられないのかい?」
花は戯けたように言う。
「信じられない訳じゃないです」
「じゃあ何でそんな目で僕を見るのかな?」
「……さっきも、今もあなたは笑って……嗤っているじゃないですか。だから今のあなたの言葉は信じられないです」
花は一瞬固まり、そして嗤った。さっきまでの花とは全く違う雰囲気になった。どうやら、こちらが本来の性格らしい。
「他の人間はこの笑顔が素敵とか言うんだけどな。僕が嘲笑ってたのに気づいたのはお前だけだ。魔女だからそういう特殊能力でももってるのか?僕は周りの全てが嫌いだ。もう、うんざりだ。何もかも消えてしまえばいい。ただ、僕が適当に周りに優しくすると幸せそうになる。嘘だらけの優しさで騙されるようなバカみたいな人達が愉快でたまらないね」
苦しいと叫んでいるようだった。死にたいとも言ってるようにもみえる。
「貴方は何処か寂しそうに見えますよ」
口が滑ってしまった。こんな事言ったら花が怒ることぐらいは想像がつくのに。言い出したら止まらなかった。
「本当の自分に誰も気がついてくれなくて寂しいんじゃないですか?寂しい自分を誤魔化すために常に笑顔でいるんじゃないですか?そんな自分がしょうもない人物に思えて投げやりな態度をとってるんじゃないですか?あなたはみんなが嫌いな癖にひとりぼっちでは過ごせないただの弱虫じゃないですか」
星だけが私たちを見ていた。
「お前に僕の何が分かるんだ。ある日、突然普通の生活が奪われたんだ。これ程の絶望なんてあると思うか。だから何も知らない、自分が幸せだとも気づかない馬鹿どもを嗤って何が悪い。どうせあんたもその馬鹿のひとりなんだろ」
「貴方は"幸せ"を知っているんですね」
花の話が長くなりそうだったので、遮らせてもらった。もうすぐ月が姿を見せはじめる。愚痴を聞いているような時間はない。私は一番聞きたかった事をさっさと聞くことにした。花は自分の話を遮られて嫌な表情をしたが、答えてくれた。
「あぁ、そうだな。知ってるんじゃないのか」
知ってるのか、じゃあ仕方ないやるしかないか。
「そう、分かりました。もう話さなくていいです」
そう言って私は用意していたスプレーを花に吹きかけた。花は完全に話すことをやめた。
【花】
ピアノの音が聞こえる。聞いたことがない曲だ。僕はピアノを弾いたことはないけれど、技術は上手いな、と思った。そう、技術的には。凄い曲なのに何かが抜け落ちている。酷く空虚だ。ピアノの音が止まる。僕は目を覚ました。目を覚ました?僕はどうして眠っていたんだ?あの魔女のせいか。魔女に変なスプレーをかけられてからの記憶がない。さて、ここは何処だ。壁一面を占める大きな窓から太陽光が射し込む。花である僕にとってはありがたいことだ。この無駄に広い部屋の真ん中に大きなソファがひとつ。ソファの前に二十人は食事ができそうな机がひとつ。その机の上には大量の紙が散らばっている。それだけだった。それ以外は何もない空間だった。
「起きたんですね」
さっきまでいなかったはずの魔女が隣に立っていた。音もしなかったのにどうやって入って来たんだ。昨日は暗闇であまり見えなかったが、魔女は小さい。花である僕と同じぐらいの身長だ。顔は整っている。昨日は黒だったが今日は白いドレスを着ている。ドレスの事はよくわからないが高そうなことは分かる。髪と目は黒。全てをのみ込む様な黒だ。この国では見たことがない珍しい色だと思う。
「聞きたい事はたくさんあると思います。その全ての質問に私は答えるつもりです。何から聞きたいですか?」
魔女は僕の前に座った。僕は話さなかった。
「自分から言いたくないのですか。なら、私が勝手に話すので聞いてくれませんか?それならいいですね」
魔女は僕の沈黙を肯定と受け取ったようだ。
「ここは私の家です。ここで幸福の魔法をかける必要があります。この魔法には幸せというものが必要ですが、私は幸せがわかりません。わからないのでかけることができません。この一ヶ月以内にこの魔法を修得しないと私は死にます。だから、幸せを知っているあなたを連れてきました。何か質問はありますか?」
質問がありすぎてこっちが困る。訳がわからない。こんな広いとこで暮らしてて不幸だとでも言うのか。僕は魔女に幸せを教えるがためだけに連れてこられたのか。とりあえず、元の場所に戻してもらう為に魔女を唆そう。
「君はこんな広い所に住んでいて僕は羨ましい限りなんだけど、それでも、不幸なのかい」
「確かに、なに不自由ない生活は送らせてもらっているのは事実です。これは幸せな事なんですか?」
「幸せな事だよ。街にはもっと過酷な環境で生活している人もいるからね。ほら、君は十分に幸せじゃないか」
「そうかもしれません。ですが、実感がありません。実感がないと魔法がかけることができません」
めんどくさい奴だ。心の中で舌打ちをした。これはいっそ魔女の過去でも聞いて幸せという事に気付かせる方向に変えよう。そっちの方がきっと早い。
「じゃあ、君の過去を聞かせてよ。生まれてから今までの」
魔女は少し驚いた顔をした。
「長い話になりますがいいですか?」
こんなところに長くいるよりかは、はるかにマシだ。
「大丈夫だよ。時間はたくさんあるからね」
さぁ、幸せって事を気付かせてやるからさっさと話せ。
【魔女の話】
私は王族の第二皇女として産まれました。偉大な王に優しく美しい妃。そんな二人の子どもだから国民みんなが私の誕生を祝いました。ですが王達は私を恐れました。髪と目が黒かったから。しかも、ただの黒ではなく光を吸い込む様な闇色でした。この黒が意味する事は魔女としての能力です。そう、私は王族なのに魔女として産まれました。この国では魔女は汚らわしいもの。王達は私をこの館に閉じ込めました。王達は私が病気で亡くなったと国民に報じました。このとき王族としての私は殺されました。それでも、私は一応王族。だから教養というものを教えこまれました。三歳の時から教育係がついていました。読み書きから始まり政治学、経済学、音楽、武術まで。これらを修得するのには五年はかかりませんでした。後で聞いた話だと王達はこの事を聞いて私が汚らわしくさえなければと悔やんだそうです。私を殺したのは自分たちなのに。
教育係は教える事しかしませんでした。そう教えるだけ、それ以外には言葉を発しませんでした。十年間で一度も会話をしませんでした。私の友達と呼べるものは本だけでした。七歳の時には魔法も殆ど自分の思い通りにできるようになっていました。この時ちょっとした気まぐれで体の時を止めてみました。数年たっても成長しない私をみて教育係は逃げ出した。最後に教育係は始めて私に向かって言葉をかけました。
「気持ち悪い」
と。教育係がいなくなってからも十分に食事は提供されました。そのおかげか私は無事に十七歳になりました。王達は私を呼び出しました。王達の顔を、両親の顔を初めて認識しました。私の力は王達の想像の域をはるかに超えていたみたいです。使えると思ったのでしょうか。愚かな事に王達は私に黄金や宝石を創れと命じました。私の魔法は少なくとも私を捨てた王達のためにあるんじゃない、と思ってすぐ断りました。すると、衛兵達は私を殴りつけました。王達はどうしても私に宝を創らせたいみたいでした。私は失望しました。王達に、そして王達に少しでも期待していた自分自身にも。どうして期待をしていたのだでしょう。あぁもう腹立つ。みんな消えてしまえばいいのに。薄れていく意識の中で私は初めて怒りを覚えました。そこから先の記憶は殆どありませんが、魔法が暴走したことだけはわかりました。気がつくと私の足下には衛兵達が倒れていました。よく見ると、王達の首に黒い茨の刺青のようなものがありました。私の胸にもバラの模様がありました。これは私が王達を呪った証拠。この呪いを使うことが信じられませんでした。クロイバラの呪い。自分にも被害が及ぶ呪い。私は王達に人を不幸にさせたらその茨が首を締めて殺すだろうと告げました。王達は嘆きました。一人の衛兵が私の腕を掴み裏門まで引っ張っていきました。城門を閉じる前にその衛兵は私に尋ねました。
「同じ鳥籠の鳥なのにこんなにも差がある。自由に歌える気分はどうだい、才能ある黒の小鳥ちゃん」
意味が分からりませんでした。衛兵は自分の頭を触ると、美しい金が横にズレていきました。私と同じ黒い髪が現れました。私は全てを理解した気に鳴りました。
「鳥籠に一羽いるより大きな鳥小屋で仲間がいる方がいいと思いますわ、烏さん」
衛兵は笑いました。そして、真顔に戻って私に言い放ちました。
「笑わせるな」
城門は閉じられました。家に着き自分の身体の事をやっと考えることができました。私も人を幸せにしないといけません。この胸にある花は幸せを養分とします。幸せがないと術者の身体から養分を摂ります。養分が摂られている部分にこの刺青は広がっていきます。全身に刺青が広がった時私は死にます。私の身体がこのままの状態で保つのは一年ぐらいでしょう。これでも普通に比べれば長い方だと思います。一応皆が幸福感に包まれる魔法は知っています。材料というのでしょうか、必要なものが揃えば魔法を実行することはできます。幸せであるという実感。これが大切な材料です。でも、私は幸せがわかりません。この魔法にどうしても必要な要素なのに。国民も私を怖がって話すこともできない。だから、幸せを知っている貴方に、私が話しかけても逃げない貴方に助けてもらおうと思ったのです。どうか、私を助けてくれませんか。
【花】
……うまいこと丸め込むことができなさそうだ。人に裏切られすぎだろ。魔女が何か恨まれるようなことしてるんじゃないのか。こんなところで時間をくっている暇はない。さっさと元の場所に戻れるようにしてもらおう。魔女は困った顔でお願いを続けていた。
「お願いします。私を助けてくれたら貴方にかかっている呪いを解いてさしあげます」
「君にこの呪いが解けるのか?」
つい聞き返してしまった。何年間もこの呪いを解くために馬鹿みたいに笑って幸せを振りまいていた。僕は呪いを解きこれをかけた奴の元にいかなければならない。どうしても返してもらわなければならない、本当の身体を。
「大体は解けます。貴方の望みが叶う程度には」
大体はという所に少し引っかかりを覚えるが早く行かないと身体がどうなるかわからない。奴は何をするかはよめない。一ヶ月。この期間だったら賭けてみる価値はゼロではないかもしれない。
「もし君が死ぬことになっても僕の呪いを解いてくれるかい?」
「ええ、必ず。約束します」
僕は魔女に協力することにした。自分の目的を達成するために。
「僕は君に協力するよ」
「ありがとうございます。一ヶ月間よろしくお願いします」
と言い終わったら魔女は倒れた。どうやら寝たらしい。このタイミングでどうして寝るのかが全く理解できないが、いろいろ考える時間ができたのはこちらにとって好都合だ。翌朝、魔女は日の出と共に起きた。
「おはようございます」
「おはよう」
魔女は少し驚いた顔をした。何に驚いたのだろうか。その事について少し考えていると、魔女が身仕度をして戻ってきた。早いな。
「今日からよろしくお願いします」
幾つかの方針を昨日のうちに考えた。その中で一番効率が良さそうなものを選ぼう。
「幾つか質問しておきたいことがあるんだけど聞いていい?」
魔女は黙って頷いた。
「君にとっての幸せって何だと思う?」
「わかりません」
即答だった。…まあ、予想の範囲内だ。
「ですが、一緒に話せる相手がいることは嬉しいことだと思います」
思いの外しっかりとした考えはもっていた。これは僕が話し相手になればいいのか?話し相手…というより友達になったほうがいいのか。
「じゃあ。僕たち友達にならない?」
「友達ですか?」
「君と仲良くなりたいな」
魔女ははにかんだように見えた。すぐ元の表情になったから気のせいだったかもしれない。
「友達とは何をするものなのでしょうか」
「とりとめのないことを一緒に話したりすることだと思うよ」
魔女は中途半端に頷く。よく分からない奴だ。近付いたら少しは分かるだろうか。
「君の名前を教えてくれない?」
【魔女】
「おやすみなさい」
「おやすみ」
私はソファに倒れこむ。花を連れてきてから一週間がたち、やっとこの生活にも慣れてきた。花と会話をする様になってからなんとなく表情筋が柔らかくなった気がする。風景も何だか鮮やかになって、全てのものが美しく見える気がする。どうしてだろう。よくわからない。そのせいか幸せという実感がわかない。困ったものだ。考えるのは疲れた。今は眠ろう。そして、私は目を閉じた。しばらくしてからだろうか。嫌な感じがして目が覚めた。月が傾いている。自分の身体に異変が起こったのかとも思ったがどうやらそうではないらしい。刺青は広がっていない。確認が終わった時に背筋がゾクっとした。振り向くと花がいた。花の周りに鎖が見えた。本当に鎖があるのではなく魔力が花を締め付けていた。初めて花と会ったときから少し見えてはいたがこれほどまでではなかった。強大になっている。どうやら魔力を集めるタイプの呪いらしい。このままだと花は元には戻れなくなる。この事を花に教えたらどうなるだろう。きっと今すぐ呪いを解けと言うだろう。そして私は幸せを知らないまま、呪いが解けないまま一人で淋しく消えていくのだろう。花がいなくなるのか…。花がいない前の生活を思い出した。胸が痛い。苦しい。病気ではないのに、どうしてだ。花がいない生活を考えたくない。世界が急に滲みはじめた。はっきりと見えない。誰かが私のそばからいなくなることなんてよくあるのに、不安で怖くて堪らない。私の隣にいて欲しい。一緒に話して欲しい。なんて我儘なんだろう。きっと花は花自身の状態に気がついていない。きっと、わたしが何も言わなければずっと一緒にいられるだろう。どうして私はこんなにも自分勝手なんだろう。この気持ちに整理をすることができない。だが、私は決断しなければならない。私と花の未来のために。夜はまだ長い。どちらの決断をしてもいいように準備をしておこう。そして、考えよう。これからのこと、自分のこと、花のことを。
【花】
「おはようございます」
「おはよう」
僕がここに連れて来られてからこのやりとりは七回目だ。随分、この暮らしにも慣れてきた。魔女と会話をするようになってから自分でも幸せについて考えるようになった。自分は幸せをどうやって定義したのか。この身体になってからはそれまでの普通の生活が幸せだと定義した。この時の普通の生活とは身体がある生活のことを示す。"普通の生活を過ごす事が幸せ"それは少し違うのかもしれない。身体があろうがなかろうがやってることは同じである。朝起きて適当に一日過ごして夜眠る。変わったことといえば排泄をしなくなったことぐらいだろう。それなら何をもって幸せだと思っていたのだろうか。わからなくなってきている。ふと、魔女との最初の会話を思い出した。名前を聞いた時のことだ。その時、魔女は黙り込んでしまった。僕は魔女が何か言うまで話さないつもりだった。暇だったので窓の外を見た。庭には様々な花が咲いていた。僕はその花のうちのひとつに目を奪われた。正確にはその木になのだが。僕はその花の名前を呟いていたらしい。魔女も同じ方向を見た。そして笑った。
「あの花があんなに美しいとは知りませんでした」
魔女とあの花はよく似ていた。
「これからはあの花の名前で君を呼ぶ事にするよ」
「わかりました。ありがとうございます」
風があの花を揺らしていた。
今日の魔女はいつもより落ち着きがないように見える。何か言いたげな視線を僕に向けたと思ったら、すぐ目の前の事に集中する振りをする。そんな事を繰り返していた。夕焼けが僕達を染め始めた時、魔女は今日始めて僕と向き合った。
「貴方にとっての"幸せ"って何ですか」
声が少し震えていた。
「僕にとっての"幸せ"は元の生活に戻ること……」
本当にそうなのか。僕はまだ悩んでいる。とりあえず最初に考えていた定義を口には出してみたもののやっぱり違う。
「わかりました」
魔女は今、何を了承したのか。この間違った考えを認めたのか。それは駄目だろう。こんな間違ったことを真実だと思ってはならない。僕が定義を否定するより魔女の行動が早かった。
「今日までありがとうございました」
最初に出会ったときのように魔女は僕にスプレーをかけた。待ってくれ。そんな勘違いをしないでくれ。あんな言葉を信じないでくれ。頭がぼーっとする。考える事が出来なくなってきた。真っ白になっていく。もう目を開くこともできない。何処かからピアノの音が聞こえる。何でそんな音を奏でるんだ。そんな、そんな悲しい旋律を弾かないでくれ。
【魔女】
初めて誰かを想ってピアノを弾いた。今までは義務として指を動かしていただけだった。もうこの音は花には届かないのだろう。それでも弾くことをやめることはできなかった。一曲弾き終わった後、やっと覚悟を決めることができた。花を胸に抱き、あの木の下へ行った。残酷な夜空の中、三日月だけが優しく笑っていた。花をプランターから出し木の近くに植えた。私が自身にかけていた魔法、時を止める魔法を解く。解いたからと言って身体に変化が現れるわけではない。単に成長を再び始めるだけの事だ。あの木に両手で触れ、クロイバラの呪いを移す。この呪いは自分の今までの幸せを少し犠牲にすれば移すことができる。しかし、植物に呪いを与えると制御ができなくなる。しばらくは私の魔力が呪いに宿っているから暴れ出すことはない。だが、その魔力が無くなると国全体が呪いに包まれる。花と出会う前の私だったらそれでもいいと思っていただろう。実際、国民を幸せにする魔法なんて存在しない。花を騙し、自分が幸せになるための嘘だ。だが、今の自分は違う。幸せを知ることができる。喜びを感じることができる。私は一人の人間だ。昨日一晩考えてだした私なりの結論がこれだ。だから、罪の無い国民が不幸になるのは間違っていると思うことができる。不幸になるのは私一人で充分だ。そんな事を考えているうちに呪いは完全に木に移った。あと、幾らの仕込みをした後にすぐ花の呪いを解く。この姿での花を見るのはこれで最後だ。名残惜しくなって、花に手を伸ばした。手が花に触れる。あの夜のことを思い出す。暗闇の中、一縷の望みに縋って花に会いにいった。街灯に照らされて花は咲いていた。花のいた場所だけ別世界だった。世界が光に包まれた。美しい花が私に希望を与えてくれた。でも、そんな風に思った事を認めたくなくてあんなに疑ってかかったのだろう。私はきっとあの時から花に奪われていた。涙が零れる。もし私が魔女ではなくて、貴方が花ではなかったらずっと一緒にいられたかもしれない。でも私は魔女で貴方は花だからそんな未来は起こり得ない。だから、せめて貴方の幸せを祈らせてください。さようなら、花。何時かまた会えたなら笑顔を見せてくださいね。
【花】
僕の前から魔女がいなくなってもう十年がたった。あの日僕は起きたら魔女になっていた。魔女の身体に僕の精神が入っていた。その手には手紙が握られていた。その手紙にはただ一言、"幸せになってください"と書いてあった。あの木に手を伸ばす。此処に魔女の精神はいる。証拠はない。けど、分かる。魔女の手紙の一言が頭に浮かぶ。木に背を向けた。僕は自身の身体を取り返すため、幸せになるため、街を飛び出した。あの時から僕は幸せを強く求めている。身体を取り返しても幸せになれなかった。満たされなかった。幸せになるためにもう一つ取り戻さなければならないことにその時気がついた。十年の歳月がたってしまったが僕はやっとこの街に戻ってくることができた。僕が花であったあの時に見た街とは全くの別の街のようであった。国民が誰かに縋ることなく自分で幸せになろうとしている。自分だけの幸せを見つけようともがいている。僕も幸せになるために足掻いてくることにしよう。森を抜けて、あの木の前に立つ。意外にも木から話し掛けてきた。
「はじめまして。貴方はこの国の国民じゃないみたいだけどわざわざ会いに来てくれたのかしら」
魔女は愉快そうに言う。
「そうだよ」
「嬉しいわ。貴方が持っているその大きな荷物には何が入っているの」
「秘密」
「秘密って言われると更に気になるわ」
「じゃあ、僕の話をひとつ聞いてくれたら教えてあげるよ」
「その話を早く聞かせてよ」
僕は呼吸を整える。
「幸せになってください。大切な人にそう言われたから僕は幸せになる為に旅をしている」
「素敵なことね」
「ああ、そうだろ。旅の中で昔、幸せになれると思っていた方法を実践してみた。それでも何故か幸せを感じることができなかった」
「貴方は今、幸せじゃないの?」
「花になったあの時よりかは幾分幸せだと思うよ」
魔女は黙る。
「身体を取り返しても君といた時の方が幸せだった」
僕は魔女の身体をその木の下にそっと横たえる。
「僕は君と一緒にいたい。君と一緒に幸せになりたい」
魔女は震えた声で問い掛ける
「あ、貴方はあの花なのですか」
僕は笑いながら頷く。
「君の答えを教えてくれないか。もし、君も僕と同じ気持ちならこの身体に戻ってきてくれないか」
答えが聞けるまで待つ事にした。僕は魔女の気持ちを尊重するつもりだ。断られたら、また旅に出よう。魔女が僕にしてくれたように誰か他の人を幸せにするための旅にしよう。
「貴方の幸せは私以外の人でもつくれますよね」
「君じゃなければ駄目なんだ」
魔女の冷たく白い手を握る。あの日のように風は花を揺らす。
「私の名前を呼んでください」
魔女の名前を呼ぶ。魔女の瞳から涙が零れる。手がだんだんと温かくなっていく。魔女を抱き締める。
「今、僕は本当に幸せになれた。これからは一緒に幸せになってくれないか」
「ええ、一緒に幸せになりましょう」
僕たちは目をあわせて笑った。