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「ガーネット、丁度良かった。君と話がしたいと思っていたんだ」
殿下の言葉に私は悪い予感がして、なぜここにきてしまったのかと後悔してしまいました。
久しぶりに学園に戻った私は、侍女のコーラルを伴い薔薇園を散策していました。
学園の西側に作られた薔薇園には色とりどりの薔薇が咲いていて、敷地の所々にベンチやガゼボもあります。
色鮮やかな花弁を眺めながら休憩することが出来る薔薇園は、この学園で一番のお気に入りの場所です。
咲き誇る薔薇の見事な姿、優しく漂う香りに癒されながら気の向くままに足を進めていました。
「ガーネット様、今日は日射しが強い様ですよ、あちらのガゼボでお休みになってはいかがでしょう」
「そうね、そうしようかしら。あら、殿下?」
コーラルの提案に頷いて近くのガゼボへ移動しようと歩き出した時です、薔薇のアーチの影からアレキサンドライト殿下が現れました。
「まあ、お久しぶりです。殿下」
「あ、あぁ。ガーネットか。母上に視察の供をさせられていたそうだな。ご苦労だったね」
優しげな微笑みを浮かべながら労を労ってくださる言葉に嬉しくなりました。
けれど、学園に戻ったばかりで殿下にお会い出来た幸運に神様に感謝したくなったのは、一瞬のことでした。
「ガーネット、丁度良かった。君と話がしたいと思っていたんだ」
その言葉に私は悪い予感がしました。
私の立場は今のところ殿下の婚約者候補の一人というものです。
最有力候補と言いますか、視察中の馬車の中で王妃様から、来月開かれる殿下の17歳のお誕生日のパーティーで婚約を発表したいけれど、私の気持ちはどうだろうかと打診を頂いたばかりですので、婚約予定という位置になるのかもしれません。
10歳の頃に婚約者候補に選ばれ、その後はひたすら勉学の毎日を送りながらも、いずれも見目麗しく優秀な候補揃いの中でどちらかと言えば地味で目立たない、家柄だけで最有力と言われていただけで、いつ候補から外されてもおかしくないと内心思っていたので王妃様からの思いがけない言葉に嬉しさを隠すことはできませんでした。
「ガーネット?」
「申し訳ありません。少し疲れている様でぼんやりしてしまいました」
「それはいけないな、そこに座って話そう」
「はい」
王妃様のお話の後ですから、殿下のお話も嬉しい事の筈、そう思えたらいいのですが、殿下の表情から良い話が伺えるとは思えません。
何を聞いても取り乱さない様にしなければ、そっと息を吐きながら私は殿下の後を付いてガゼボに向かいました。
「母上から来月のパーティーの事を聞いたかと思うのだか」
「はい。王妃様からあの、殿下との婚約に付いてお話を頂きました」
なんとなく婚約という言葉を言うのが恥ずかしい気がします。
婚約者候補として相応しい人間となる様、常に努力を続けてきたのは殿下の傍に居たいが為、10歳の婚約者候補を選ぶために開かれたお茶会で殿下と初めてお会いしてからずっと思ってきたのですから、浮かれるなと言う方が無理な話です。
「そうか」
そんな私の心を無視するかのように、殿下の声は沈んでいました。
ふうっと深いため息をつきながら殿下は右手の人差し指で目頭に触れ、私の顔を見ながら何か話すのを躊躇されている様にも見えました。
「殿下」
婚約の事で気持ちが浮き立っているのは私だけなのだと悟りました。
今の仕草は殿下が困っている時に無意識にされる癖なのです。
それが分かる位には、私は殿下のお側に居たのだと今更ながらに思いました。
「何か私、あの」
「ガーネットは何も悪くない。悪いのは私だ」
思い詰めた低い声に、コーラルが私の背後で「まさか」と呟きました。
侍女がこんな場面で言葉を発することは殿下に、とがめられても仕方のない行為ですが、幸いなことに自分の考えに囚われていた殿下のお耳にはコーラルの言葉は届かなかった様です。
「ガーネット、私はね。気になる女性が出来たんだ」
「え」
「君が学園を留守にしている間に第二学園から転入してきた人がいてね」
悪い予感は当たってしまったようです。
最近殿下の側にはいつも、転入してきたばかりの男爵令嬢が居るとの情報は、昨日寮に戻ったばかりの私の耳にも既に入っていました。
学園の系列校である第二学園、そちらの学園長の推薦で転入してきた彼女は、その成績の優秀さから殿下と同じ組に入り、優しい殿下はまだ学園に慣れていない彼女に色々と心を砕いているのだとそう理解していたのですが、この様子では気になる女性というのはその転入生の様です。