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美しいものが好き。
誰だってそう思うはずだ。
美しい自分が好き。そして美しい自分を永遠に留めたい。
カーバンクルは自分が好きだ。この世で一番自分が好き。お母さんと同じ藍色の髪も、柘榴石の瞳も、白い肌もみんな好き。それに自分の名前も気に入っている。
今日もカーバンクルはかつてお母さんが着ていたような真っ赤なドレスを身に纏い、お母さんと同じように髪を結う。
もう、誰も頭を撫でてくれないから、代わりに自分で頭を撫で、それから鏡の中の自分が美しいことを確認して部屋を出る。
真っ赤なドレスに真っ赤な靴。首飾りは紅玉と柘榴石。耳飾も腕輪も全て柘榴石で揃える。
カーバンクルは赤が好きだ。赤は命の色で、カーバンクルとお母さんの繋がりでもある。
カーバンクルのお母さんは強かった。国の英雄だった。けれども、カーバンクルは国の嫌われ者だ。
混血の異端児。カーバンクルの父は人の子だった。
お母さんは王家の血を引く純血の翼手族なのに、カーバンクルの父は人の子。それも、食料として運ばれてきた餌だった。
お母さんが生きていた頃はお母さんがカーバンクルを護ってくれていたけれど、お母さんが戦死してからはカーバンクルはひとりぼっちだ。
誰も混血のカーバンクルとは口を利きたがらない。
特に、翼手族の連中は、カーバンクルを気味の悪い生物だと考えていた。
混血児は魔力を持たないか、国を滅ぼすほどの強大な魔力を持つかのどちらかで、カーバンクルは後者だった。
幼い頃は制御できない魔力が暴走し、人々を恐れさせた。いや、今も尚、人々はカーバンクルを恐れている。
カーバンクルを一人の人間として扱ってくれるのは国王と、国王の忠臣である宮廷騎士団長だけだ。
カーバンクルはその二人が真っ当な仕事を与えてくれるからこの国で生き延びられる。
しかし、彼らとて、カーバンクルを愛してくれるわけではない。
この世でカーバンクルを愛しているのはカーバンクルだけだ。だからと言ってカーバンクルは寂しくは無い。
だって、お母さんの子だから。
カーバンクルは世界で一番お母さんが好き。カーバンクルのお母さんは英雄で、とっても強い戦士だった。炎の鞭と剣で戦う国一番の戦士で、何度も国の危機を救った英雄だ。敵を全て焼き尽くす、美しい炎の魔術を使う人だった。
カーバンクルは炎を見るたびに、お母さんの戦う姿を思い出す。
カーバンクルはお母さんになりたかった。彼女のように美しく強く、そして国の英雄に。みんなに愛される英雄に。
お母さんの子だから、他人がどんなにカーバンクルを恐れようと、罵ろうと、嘲笑おうと気にならない。
お母さんに愛されたカーバンクルを、カーバンクルはこの世で一番愛している。それがカーバンクルの自信に繋がる。
炎の魔術は自信に満ちていなければ使いこなせず自らを焼き尽くしてしまう。カーバンクルのお母さんはそれを教えてくれた。
そして、カーバンクルは今、国で一番の炎の魔術の使い手になった。
玉座の前でも、カーバンクルは決して膝を折らない。国王もそれを許している。いや、彼は特にそういったことに拘らない男だ。
「お前に頼みがある」
国王は少し視線を伏せて言う。出来れば頼みたくは無いという様子だった。
「なんでしょうか、陛下。私に町を火の海にして欲しいとか」
「いや、違う」
つまらない。
カーバンクルは自分の手を見る。
「叶の、私の妃の遊び相手をしてやって欲しい」
カーバンクルは自分の耳を疑う。
「聞き間違いかと思いますが……私に王妃の遊び相手をしろと?」
「ああ。ミナが暫く留守になる。お前ならば見た目は歳が近いだろう。それに、話が合うかもしれん。叶も服が好きだ」
「女なら誰だってそうだと思いますけど。いいのですか? 私みたいな異端児を王妃様に近づけて」
「叶は人の子だ。お前のことも気にしないだろう。それに、お前ならばあの部屋に入れる」
国王は少しだけ苛立ちを見せた。
カーバンクルは少し驚く。
噂程度しか知らない王妃は随分と幼いと聞いていた。しかも、異邦人だと。そして、国王は完全に王妃に骨抜きにされているとも。
「具体的に、私に何をさせたいの?」
「叶の、仕立て屋の真似事に付き合ってやってくれ。近頃はウィルの服を作るのに熱中していたが、女物も作りたいと言っていた」
「自分の服を作ればいいのでは?」
「創作意欲の湧く相手が欲しいとも。ミナは適任だったのだが、暫く留守なのでな」
「私、これでも男なんだけど……」
カーバンクルは困惑する。
確かにお母さんのドレスを着るけれど、心も身体も完全に男だ。
「国のための戦士になる気はあるけれど、王妃の人形遊びに付き合えないわ」
「三ヶ月だけだ。それに、お前ならば護衛も兼ねられる」
「陛下って、本当に変人ね。私を随分信用しているみたいだし、異邦人を王妃に迎えるし……人の子の真似事までするおつもりかしら?」
カーバンクルは、少しだけ国王をからかおうと思った。しかし、彼は表情一つ変えずに「頼む」と静かな声で言う。
「……王妃が可愛かったら私のお人形にするわ」
「なら、人形決定だな。叶は世界一可愛いくて美しい」
「……主観だけで言わないで」
「お前の好みは、スピネルだったか?」
「そうよ。お母さんほど美しい人はいない」
カーバンクルの憧れの人。
「模倣するのは時に必要だが、いつまでも母の器をなぞるべきではない」
「知らないくせに口出ししないで。これが私の人生なの。一つ忠告しておくわ。子供を作るなら、王妃以外の純血の女を捕まえることね。そうじゃないと、生まれる子は私みたいな扱いを受けることになるわ」
異端児は恐れられ、嫌われる。
カーバンクルが一番よく知っている。
「悪いがその忠告は聞けない。私は叶以外を愛せない」
「そう、どうぞご勝手に。それで? 王妃様をご紹介いただけるのはいつかしら?」
「月が昇ったらすぐにでも。叶は闇を恐れる。だから、灯りは絶やさないでくれ」
彼はそう言ってゆっくり立ち上がった。
「それと、魚人討伐に手を貸してくれると助かる」
「……あいつら苦手よ。うっかり、国土を焼き尽くさないように気を使わないといけないもの」
「なぜか執拗に叶を狙ってくる」
「王妃様のことは護ってあげる。その代わり報酬はそれなりにもらうわ」
「分かっている。お前が望むのは、スピネルの記憶か? それとも、いつものように、柘榴石を?」
「魚人討伐の報酬は、柘榴石の髪飾り、王妃様のお相手は、お母さんの記憶。けど、王宮保管分を残らず全て、はくれないのでしょう?」
「機密も多い。ただ、お前と過ごした日々のスピネルの記憶はすべてくれてやろう」
「絶対よ」
別にカーバンクルに忠誠心は無い。
ただ、母の記憶を求め、王に仕えているだけ。
お母さんがなぜ、国王に仕え、勇敢な戦士になり、人の子に惑わされ、戦死したのか。
カーバンクルは真実を知りたい。
どうして一人になってしまったの?
まだ、お母さんが必要だった。
カーバンクルはそっと目を閉じ、母の姿を思い出す。
記憶の中では赤い鎧を身に纏った背中ばかりだ。
カーバンクルには記憶が無い。
母と過ごした、母の温もりの記憶がなぜか残っていない。
ただ、噂や伝説、そして、母の残した品から、彼女の面影を探す。
「私はただ、思い出したいだけ」
「思い出さないほうがいいこともある」
王は言う。
それでも、カーバンクルは思い出したい。
「空の棺しか残っていないお母さんを探す気持ちが分かる?」
「……スピネルは勇敢に戦った」
王はそれ以上は何も言わない。
「知ってるわ」
そういい残し、彼に背を向ける。
今は顔を見たくない。
国王は、カーバンクルに生きる道を提示してくれるけれど、それはカーバンクルの存在を否定しているようにも思えた。
ただ、動かぬ骸でもいい。もう一度、お母さんに会いたい。
そう願うことが悪いことだとは、到底思えなかった。