海斗のトラウマ
学生寮から少し離れたレストランの様な佇まいをした建物。
その建物が学食みたいだ。
俺は学食の扉の前で立っていた。
「なんか立派な建物だな」
「そりゃ、思春期の女の子たちにはいい気分で食べてほしいからね」
生徒のために学園が学食に力を入れてたんだ。
「て、うぉあ!?あんたどっから湧いてきたんだよ!」
「ははは。僕自身が言うことじゃないけど、神出鬼没なんだよね」
朝から甲高い声で笑う学園長。
なんかテンション高いな。
「なんかあったのかよ」
「いやいや別に。ただ、昨日は君の部屋からいいものを見させてもらったからね」
あっさりと爆弾発言を言う学園長。
「それ、覗きって言う立派な犯罪なんだが」
「それなら君はノックもしないで中に入ったじゃないか」
そこまで見られていたのか。
何も言えなくなる。
学園長は俺の肩を叩いた。
「まあ、ここの生活に慣れてきてくれてよかったよ」
そう言い残して、俺の前から去って行った。
「何がしたかったんだ、あいつ」
「あれー、海斗じゃん。学食の前でいったい何してんだ」
学園長と入れ替わりで玲奈がやってきた。
「玲奈か。いや、何にもないけど。でも、何で玲奈が学食に来たんだ」
「そりゃお前、朝食を食べに来たに決まってんじゃん。海斗は」
「俺もこれから朝飯食べようと考えてたところだ」
玲奈が手を叩く。
「ちょうどいいじゃん。じゃあ、一緒に食うか?うちでよかったら学食のおすすめを教えてやるぜ」
「そうさせてもらうよ。俺、まだ学食のメニューとか覚えてないんだよ」
「じゃあ、決まりだな。早く行こうぜ。うち、もうお腹が鳴りっぱなしなんだよ」
「そうだな。朝食の時間もあるからな」
俺と玲奈は学食に入った。
学食の中は西洋風の内装をしていて、丸テーブルの真ん中には花が飾られていた。
「なんか貴族みたいな内装だな」
「結構豪華だろ。学園長が借金してまで建てたんだぜ」
自慢げに話す玲奈。
あの野郎、借金してまでこんな豪華な学食を建てたのかよ。
「さて、今日の朝食は何を食おうかな」
玲奈はガラス張りのショーケースに入っているサンプルを見る。
俺もサンプルを見る。
朝食なのにメニューが二十くらいもある。
「朝食なのにこんなにメニューが多いのかよ」
「昼になれば四十近くメニューが増えるんだよ」
あいつの力の入れ場所がおかしいだろ。
俺はそれとは別の疑問が思い浮かぶ。
「こんなにメニューがあるのに食材とかはどうしてんだ」
「学園が食材を栽培してるらしいけどそれ以上のことはうちも知らないな」
ショーケースから顔を離す玲奈。
「どうだ。何か食いたいものとかあったか」
「メニューが多くて決められないな」
「だよな。うちも初めてここに来た時はそうだったからな。おすすめはモーニングセットだぜ」
ウインクする玲奈。
俺はもう一度、ショーケースを見る。
確かにとてもおいしそうだ。
「そうだな。じゃあ、それにしようかな」
「おう、そうしな」
俺と玲奈は食券を買って受付に渡す。
俺の頼んだモーニングセットは五分もしないうちに来た。
お盆には、ご飯を中心に目玉焼きとハム、味噌汁、漬物が置いてあった。
「早いな。もう少し時間がかかるかと思ったよ」
「うちの学食は早いのも売りのひとつだからな」
一方の玲奈はかつ丼を頼んでいた。
あえては聞かなかったが、なぜ朝からかつ丼なんだろ。
「さて、頼んだものは来たけど席を決めてなかったな」
玲奈に言われて気付く。
メニューを決めるのにいっぱいで後のことは全く考えてなかった。
どこか空いている席がないか周りを見回す。
「お、あの白くて長い耳はあいつか。海斗、あそこの席に行こうぜ」
笑顔で席を指さす玲奈。
「でも、あそこに人座ってるよな」
「大丈夫だって。まず、座れないことはないからな」
どこからその自信が来てるんだろ。
その席に着くまで俺は玲奈の言葉の意味が分からなかった。
俺は玲奈の後をついていく。
「よう、何してんだよ。美羽」
「あ……玲奈……ちゃん。おは……よう」
その席には美羽が一人で座っていた。
まだ、朝食は食べきってないみたいだった。
「海斗……君も……おは……よう」
「う、うん。おはよう、美羽」
美羽から挨拶されて少しぎこちない挨拶になる。
俺の中で昨日の出来事をまだ引きずっているようだ。
玲奈は俺と美羽の会話を不思議そうに見ていた。
「あれ、二人ともいつ会ったんだ?」
「まあ、いろいろあってな」
美羽は顔を真っ赤にして俯いてしまう。
それを見た玲奈がにやけながら俺を見る。
「まあ、人のプライベートを聞くつもりはないけど、海斗はもう少し節度を守って接するべきだな」
「違うんだ!あれはその、一種の事故で……!」
「何慌ててるんだ?」
玲奈に指摘されて我に返る。
何言ってるんだ、俺。
顔が熱くなっているのがわかる。
美羽はさらに顔を真っ赤にして頭から煙が出ている。
それを見ていた玲奈は腹を抱えながら笑いを必死に堪えていた。
学食にはない異様な光景だった。
「今日は俺にとって厄日なのか?」
出来ればそう思いたかった。
少し落ち着いた俺たちは、美羽が座っていた四人席に座った。
席順は、俺の正面に美羽が座っていて、俺の隣に玲奈が座っていた。
「この味噌汁うまいな。なんか味に深みがあるって言うか」
「おい……しい……よね」
美羽も俺と同じモーニングセットを食べている。
味噌汁から湯気が出ていないので冷めてしまったみたいだった。
「ここの学食って冷めてもうまいんだよな」
「うん……。とても……不思議」
改めて玲奈と美羽が会話しているのを見ると何か違和感みたいなものがあった。
「どうした?何も言わないでうちらをぼーっと見て」
「いや、なんか二人が会話してるのって結構珍しいなっと」
「そうか?まあ、あの頃はあまり話しをしてなかったしな」
けらけらと笑いながら小さい頃の話しを切り出す玲奈。
ある出来事で中学以前の記憶を失っている俺にとって何の話か分からなかった。
「そうなのか?」
「覚えて……ない……の?」
「悪いな。なぜか小さい頃の記憶がないんだ」
すべてを失ったわけではないが、それでもほとんどの記憶がなくなっている。
「でも、海斗はうちらのことを覚えてたんだろ」
「俺はどうやら、思い出をしまっておく記憶の箱だけが半分破壊されているみたいなんだ。原因は今もわかってない。もしかすると、今二人と過ごしてるこの思い出もいずれは消えるかもしれない。俺はそのことを考えるたびに時々眠れなくなる。怖いんだ。記憶がなくなるその時が来てしまうのが」
箸を持っている手が小刻みに震える。
まただ。
また、俺は自分のことで怯えている。
どうしても避けられないこと。
そのことを一番知ってるのは紛れもなく俺自身だ。
それなのに、どうしても意識してしまって死ぬことよりも強い恐怖に襲われる。
俺は顔を見られない様に俯く。
二人がどんな顔をしていたかはわからない。
でも、俺は二人に見せることができるような顔をしていないことはわかった。
その時、誰かが俺の手を握ってきた。
俺は驚いて顔を上げると玲奈が震えている俺の手を強く握っていた。
「玲奈?」
「そうか、海斗は今までずっと一人で記憶をなくす恐怖を抱えてたんだな」
そう言って、玲奈は俺の頭に手を置くとそのまま抱いてくる。
顔に玲奈の大きな胸が当たって、呼吸ができない。
美羽は顔を真っ赤にして手で顔を覆っている。
指と指の間の隙間からチラチラとみていることはあえて突っ込まない。
「ちょっ、玲奈!何すんだ……!」
「落ち着けよ。いいか、あんまり変なことは考えるな。もし、海斗が記憶をなくしてもうちらが思い出させてやるよ。いい思い出も、嫌な思い出も全部な」
玲奈の言葉を聞いて、少し落ち着くことができた。
そうだ。俺には、玲奈や美羽、それに寧子がいるじゃないか。
みんなが居なかった中学の頃とは状況が違うんだ。
気持ちの整理をつけた俺を見て、玲奈は俺から手を離した。
俺は玲奈の胸から顔を離した。
「ありがとな。おかげで少しだけすっきりしたよ」
「おうよ。また何か悩みがあったら、その時はいつでも相談に乗ってやるよ」
玲奈は美羽を見る。
美羽は何も言わなかったが、小さくうなずいた。
「二人とも、ありがとう」
「いいって。覚えてないかもしんないけど、海斗には結構助かったんだ。今度はうちらが助ける番だからな」
「私も……海斗……君に……よく……助けて……もらった……から」
俺の周りにはいいやつがいることを改めて思った。
「ところで海斗、うちの胸はどうだったよ?見ない間に結構大きくなって、柔らかかっただろ?」
「な、お、お前、何言ってんだよ!仮にもここは学食だぞ!」
忘れていたが、ここは学食だ。
そんなとこで胸の話しとか止めろよ!
「正直になろうぜ。どうだったよ、うちの胸」
「まあ、とても柔らかくてふかふかだったよ」
顔がまた熱くなってきた。
抱かれたときの感触をまた思い出してしまった。
「やっぱ男子は大きな胸が好きなのかね。なあ、美羽」
玲奈は美羽に話しを振る。
美羽は顔を真っ赤にしながら玲奈の胸と自分の胸を見比べていた。
そして、自分の胸を触る。
触り終わると俺の方を向いた。
「胸が……無いと……好きに……ならない……?」
「いや、そういうことはないぞ。俺は大きくても小さくてもどっちも好きだからな」
その言葉を聞いた美羽はさらに顔を真っ赤にして俺に呟いた。
「海斗……君の……変態」
その顔は決して嫌がってはいない様に見えた。
「それより、早く食べないと遅刻すんぞ」
玲奈が時計を指さす。
時間はすでに八時近くを指していた。
「ヤバいじゃん。早く食べよう」
その後は黙々と朝食を食べた。
朝食は冷めていたが、さらにうまさが増しているように感じた。