七話 被害者の会
ホテルまでの道のりはそれなりに長い物で、自分の家から向かうのであれば、それなりの交通手段を使うのが妥当であった。しかしまど高校生なので車を運転出来る訳もない。その上、ホテルまではバスも電車も通ってないという状態だった。お金もないのでタクシーて行くことも出来ない。それでも自転車で行くことだけは避けたかった。駐車場で他の出席者は各々の自家用車から颯爽と降りて入り口へと向かうのに、自分だけもたもたと自転車の鍵を閉めて入り口へと向かう。そんな姿を想像するだけで憂鬱になった。要するに周りの人間に幼く見られるのがたまらなく嫌だった。ホテルへと向かっている自分以外の全員が成人した大人だろう。茂の家も当初は彼の母親が参加するはずだったのを押し切って参加した。全て神谷の指示だった。
神谷が言うには、この会議に出席出来るかどうかが、最初の問題点だったらしい。自分の家は結果だけ見れば直接的な被害は受けていなかったのでこの会議に出席できない恐れがあったと彼は言った。その会議への招待状らしき物なら届いていたと伝えると神谷は出会ってから始めて本当の中学生のような無邪気な笑顔を見せた、
ホテルの近くまでは自転車で行き、そこから歩いてホテルまで行くという選択肢もあったがそれもまた嫌だった。行く途中に出席に会うかもしれないというのが意見だったがその可能性は限りなく0%に近く、言ってしまえば被害妄想の領域だということも分かっている。
これから参加しようとしているのは被害者の会という物だ。あの事故で死亡や重傷という被害を受けた部員の遺族が参加し、加害者のバス会社が謝罪をするというものだ。しかし本来の目的は慰謝料等の取り決めをすることだ。
この会議に出席するという旨を由希には伝えていた。彼女の家にも案内は来ているはずだから誘おうと最初は考えた。しかしまだ立ち直れてなかったとしたらこの会議に参加させるのはあまりに酷な試練を与えることになると思ったので、自分は参加してくるという内容のメールを送るだけにした。由希も参加したいという気持ちを持っていたとしたら何かしらのメールが来るはずだった。受付で署名を済ませた。由希からのメールは今の所ない。
ホテル内の会議室なような所で話し合いは行なわれるようだ。会場にいるのはほとんど見慣れた顔ぶれだった。自転車でいけないような距離で練習試合をする場合、父兄が順番を割り決めて送迎するという取り決めがあったので、ほとんどの親と面識があった。
どの保護者も子供の部活動での思い出話や、世間話をする気はないようだった。特に俺が来ていることに良い気持ちをしている親はいないようだ。自分達の可愛い息子の命が奪われたり、重傷を負わせられたのに、何故彼はバスに乗っていなかったのか。口には出さなくとも、心の奥底ではそう思っているのだろう。口を聞くことでその感情が漏れてしまうのを恐れているのかもしれない。
こちらとしても、今回、この現場で大人達と世間話に花を咲かせるつもりはなかった。探している人物は他にいた。それは同じ高校の同級生、倉林敬。自分と同じあのバス事故での無傷の生存者だ。とは言っても彼もまた、あのバスには乗っていない。敬は世間一般でいう幽霊部員に当たる。
一週間前、神谷の部屋で話していたとき、敬という部員がいるという情報を神谷に話た。彼は興味を持った様子で詳しい情報を聞き出そうとしてきた。どうやら彼は敬を説明する時に言った「警官の息子」というフレーズに反応したらしい。特に神谷はその警官が事故の捜査の担当をしているのかをしつこく聞いてきた。偶然と言ったらそれまでだが、確かに敬の父親は事件の担当をしていた。あの時、二人に質問をしてきたあの警官こそ敬の父親だった。
「その敬っていう人のアドレスを教えてもらえますか?」敬の父親に対する神谷の質問が終わった後、神谷が尋ねてきた。
「また何かするつもりなのか?」
「ええ、まあ。茂さんの名前をまた名乗るつもりなんですけど」
部屋に訪ねる前だったら間違いなくその申し出を断っていただろう。しかし、全ての話を聞き終えてしまった今、神谷の手助けをしようと考えていた。それほどに話された内容は衝撃的な物であり考えを変えるには充分過ぎた。
「わかった、お前に任せろよ」
この会議に敬が出席するかもしれないというのは会場に着く一時間程前に届いた神谷からのメールで知った。「かもしれない」と語尾を濁していたが敬は来る物と考えて間違いないと考えていた。神谷も自分の名前を出して何かしらの手を打ったはずだし、何より敬は人一倍正義感が強い人間だ。それは三年間の付き合いで感じ取ったものである。だからこそ、何故敬が幽霊部員となったのか不思議に思っていた。
神谷のメールには続きがあった。その内容を見ていたので敬を探し出さなければならない。それが一つ目の指令だった。
敬を見つけることは簡単だった。会議場の椅子が十列並んでいるうちの最後尾の隅に敬は座っていた。周りに人が居なかったので彼は目立っていた。
「こんな所にいたのか。隣良いか?」
「何言ってんだよ。この席を指定したのはお前だろ。ここなら他の人が座ることはないだろとか言ってさ」敬は目に少し掛かっている髪を掻きあげながら言った。
心の中で軽く舌打ちをした。そんな話は神谷からまるで聞いていなかった。この調子ではまたぼろが出てしまう恐れがある。
「あ。そうだったな」
探り探り話を進めて行く他なかった。
「そんなことより茂。あの話は本当なのか?」
「あの話?」
「事故の話だよ。真相を話すとか言ってメールを送ってきたじゃないか」
「俺もまだ信じられないんだけどな」
「は?お前が出して来た話だろ」どんどん嘘で固められたメッキが剥がれていくのを感じた。
「悪い、忘れてた」
「しっかりしろよ。あの話が本当だったら大事件なんだぞ」
その言葉で改めてあの事故がメディアに与えた影響の大きさを感じ取った。事故が起きた日から一ヶ月が過ぎたにも関わらず、今だに記者は事故の真相を追って、記事を書き続けている。しかし、膨大な数の記事の中にも、神谷がした解釈の記事は一つもなかった。
「そんなことより敬、親父さんから事故について何か聞いてないか?」
「そんなことよりってお前。まあ良いか。警察は事故で片づけるつもりらしいぞ」
「やっぱりそうなるのか」
「仕方ないさ。よっぽど大きな証拠でも出て来ない限り、その見解は変わらないだろうな。ただ、」と敬は続けた。
「うちの親父は何か納得していなかったみたいだ。運転手がどうとか夕食の時に言っていたし」
これは神谷に報告する必要があると脳内のメモに書き留めた。
「会議、始まりそうだな」
辺りが騒めき始めていた。どうやら入り口に何者かが到着したらしい。
「お前が言っていたあの男、来ると思うか?」
神谷が言っていた金を整理してくれるらしい人物のことを指しているのだなと解釈した。
「多分、来るだろうな」神谷の見解が外れるとは思えなかった。
会場は一番前に横長の机二つがくっついた状態であり、そこに椅子が三つ並んでいる。その後ろに被害者の家族が座る椅子が整然と並んでいた。もうほとんどの席が見慣れた顔ぶれで埋まっている。皆、揃って前の方に座っていた。加害者をここぞとばかりに責め立てようとする感情が立ち込めている気がした。
集まっているのがほとんど部員の父親だということに気付き少し驚いた。こういう時に頼れるのは父親なのだろうか。仕事はどうしたのかと疑問に思った。
周りの空気が変化した。今までも充分に緊迫していたがそれ以上に殺伐とした物へと変わった。いつの間にか前にあったバス会社の人々が座ると思われていた椅子が埋まっていた。被害者の敵が登場した様だ。
中央には髪が大分抜け落ちている、高級そうなスーツを着た男性が一人。今回のストレスで髪は抜け落ちたのだろうか。この男性がバス会社の代表者と見て間違いなさそうだ。その両端には補佐役と思われる人物が二人。いずれも暗い表情をしている。何故、自分がこんな所に立っているのか。何処で人生設計を誤ったのだろうか。そんなことを考えているに違いない。三人は深く頭を下げると席に着いた。
三人が腰掛けたのが合図になり会議は始まった。会議は考えていたよりも遥かに酷い物だった。被害者からは常に罵詈雑言の言葉が飛び交った。バス会社から司会者を一人出しているのだが、その人物の必要性はなかった。加害者の三人はただひたすら頭を下げているだけだった。
あの日、部屋で神谷が語ったことを思い出していた。
「辺りにまとまりがなくなり、混乱し始めたら、あの男が出てくる可能性があります。そして、慰謝料の話になったら彼は絶対に出て来ます。常に気を張って下さい」
会話の流れには充分気を配っていた。十五分程度の被害者からの訴えが終わると神谷が話していた通りの事態になった。話の流れが自然と慰謝料の話題へと転換したのだ。
ここで被害者側に変化が起きた。バス会社を罵倒していた時にはあった団結力が無くなり始めた。それは慰謝料の要求額の差という問題から生じた。
大まかに分ければ、死んだ者の遺族と怪我を負っただけの遺族。細かく分けていけば、重傷や軽症さらには、自分の息子は長男だとか一人っ子だとかを主張する親まで出て来た。
慰謝料は全員均等にするのか差を付けるのか。場は混乱し始めていた。被害者側からしてみれば慰謝料の額の問題というのは重大な点なのだろう。
一人の親が意見を出すと別の親が返答する。被害者対バス会社だった構図が被害者対被害者に変わり始めていた。話し合いにならなくなってきた。こういう時こそまとめ役が必要なのだろうと横目で壇上の司会者を睨む。彼らも何かを言ってはいるがマイクが無いので声が全く通らない。
しかし、その混乱が一人の男性の発言で消えた。良く透き通る男性の声だった。