三話 一つ目の事故
良く晴れた真夏日だった。学生にとっては毎週来るのが待ち遠しい土日の2連休。その休日で学生は心身をリフレッシュし、新しい気持ちで月曜日を迎える。休日の目的はそういった物だろうが、練習がある程度ハードな運動部に所属している部員にとって土日はリフレッシュ出来るような日ではなく、むしろ一週間の内で最もハードな二日だった。
しかしこの高校の男子バスケットボール部は例外だった。土日の練習は主に自由参加。体育館の割り当てこそされているが、来るか来ないかは個人の自由とされていた。来るのはいつも五人が良い所だったのでチーム練習も満足に出来ず、個人的なシュート練習をして帰るといった内容が毎日続いた。茂はキャプテンとして毎回参加こそしていたが、この練習に意味があるとは思っていなかった。他の部員に参加を促しても顧問が勝手に決めてしまった、自由参加というルールを口実にされて逃げれ、練習に参加する部員が増えることはなかった。きちんと練習をして、時間が足りないと思っている他の運動部からは、練習をしないのなら体育館を明け渡して欲しいと言われ続け、部員の無気力と他からのプレッシャーという板挟み状態で精神的にまいっていた。
一ヶ月前の日曜日も茂はシュート練習をしばらくやり終え、帰途についていた。生い茂った緑が続く、正に田舎を象徴しているような家までの道のりの半分を過ぎたあたりで、コンビニ近くのスロットが付いている古い型の自動販売機でジュースを買っていた剣道部の直紀の姿を発見した。直紀も茂の存在に気付いたらしく、どちらが何を言うという訳でもなく自然と二人は近くの公園のベンチで一休みをすることにした。
「これから部活か?」直紀が剣道の道具一式を持っていたので尋ねると「まあな」と直紀も答えた。
「これから合宿なんだ」缶ジュースの蓋を開け一口飲むと直紀は言った。彼の表情が夏に飲む冷えたジュースの美味しさを物語っていた。
「羨ましいよ剣道部が。顧問にも部員にも恵まれている」茂もジュースを大きくごくりと飲んで愚痴を言った。予想外に強かった炭酸のせいでむせ返りそうになったのを必死に防いだ。
「まあ、お前の所は確かに部員にも顧問にも恵まれてないな」直紀は愉快そうに笑った。本当に楽しそうなその笑い方はいくら聞いていても不愉快にはなりそうにない。
「笑い事じゃないんだよ」茂は苦笑した。さらに一口ジュースを大きく飲み込む。まだ二口しか飲んでいないというのに缶の重さからもう半分程度しか残っていないことが分かった。
「あとはお前の頑張りしだいだろ」
「分かってるけどさ、もうどうすれば良いのかさっぱりだ」
「お前の所の部員って今時の高校生だよな?」
飲んでいたジュースを思わず吹き出しそうになった。お前も高校生だろと言おうとしたが、直紀の今の姿を見て妙に納得してしまった。目、鼻、口の形ははっきりとしていて、美形に入る部類なのに、髪型は剣道部内で強制されている訳でもないのに坊主。来ている部のジャージも何故か適正と思われるサイズよりも一つ小さいのを選んでる様に見える。確かに今時の高校生とはかけ離れていた。
「まあ、そうかな」
「それならいくらでも変えようがあるだろ」
それから直紀は美人マネージャーの勧誘、ユニフォームの新注と具体例を挙げていった。それを聞いて改めて直紀は不思議な男だと思った。自分がしている格好は親父臭いのに流行には人一倍敏感なのだ。説明された新しいユニフォームも見事に流行の的を射ている。そのことを指摘すると「俺はあえて流行の真逆を進んでいるんだよ」と自信満々に言う。
「本気で言っているのか?それを実現するのはさすがに無理があるだろ」
「そのくらいの気持ちでやれってことだよ。いつも思うけど茂は実行力が足りないんだよ」
お前がありすぎるんだよと茂は嫌味のつもりで告げた。剣道部の現状を作り上げたの
は他でもない直紀だった。それより半年前の剣道部はバスケ部とほとんど変わらない様な状況であった。それを直紀は見事に一人で変えたのだ。それは革命といっても言い過ぎでは無い。しかし茂にはとても真似出来るやり方ではなかった。全てを聞いた訳ではないがどれをとっても褒められるやり方ではなかったらしい。何人かの部員の眉毛が無いのはその名残だと誰かに聞いた。
「まあ、参考にさせてもらうよ」とりあえず曖昧に答えた。
「じゃあ、そろそろ俺行くは、バスがそろそろ来るしな」直紀は腰を上げ、空になった缶ジュースをごみ箱に放り投げると進み出した。少し中身が残っていたのか、缶と一緒に液体も放物線を描いて飛んでいった。
「またな」茂が最後に直紀に話し掛けた言葉だった。本人にとっては、どれが最後の言葉になるのかなんて分かる訳がないのだから、素敵な単語を別れの言葉にしたいのならば、いついかなる時でもロマンティックな言葉を喋るように気を遣わなければならない。それでも人というのは最初や最後という存在に深い意味を求めてしまうらしい。
それからのことは本当にひどく呆気なかった。帰宅して一眠りをした、気付くと三時間が経っていた。まだ眠り眼の状態でテレビをつけるとニュースが放送されていた。それは直紀の死を告げていた。そのニュースを見て納得出来たとかどのようにして真相を確かめたかはまるで覚えていない。
気付くと通夜になっていて彼の死を実感するしかない状況になっていた。その前のその後も本当に曖昧にしか覚えていない。直紀の遺体の煙はどう空に溶け込んでいったとかいう以前に火葬か鳥葬かも記憶していなかった。ここは日本だからまず火葬で間違いなかっただろうが。気が動転していたからなのかは分からないが記憶が途切れ途切れにしか残っていない。遺族の涙。生徒の涙。全てが断片的なのだ。鮮明に覚えているのは、公園で交わした会話だけだった。
あまりに物足りない最後の言葉が、茂の心を酷く痛めつけた。
自分も最後の言葉に深い意味を求める人間だとその時実感した。