十五話 話術
神谷は海里の家の玄関に備えてあるチャイムのボタンを軽く押す。
軽快な音が流れ出て、すぐに止んだ。
「はい」
少し経つと中年の男性を思わせる声がチャイムを通じて流れ出た。
「海里さんのお宅ですよね?先日連絡をさせて頂いた寺川です」
偽名を使った。この偽名にも理由はある。
「お待ちしていました。今、鍵を開けるので少し待っていて下さい」
最初の難関、家への侵入はいとも簡単に突破した。これも前もって準備しておいたお陰だった。
どうすれば怪しまれずに家に入れるか。それは二人が一番念入りに話し合った。
二人はしばらく考えた後、一つの策を考え付いた。それは、自分が興味がある職業に就いている人に将来のために話を聞くという学校の行事があるということを伝え、海里にその話を聞きたいという名目で家で取材をするという物だ。
これならば怪しまれずにバス会社のことも聞け、一石二鳥だった。
その策を実行するに辺り由希は中学生に紛争することにした。まだあどけない神谷が高校生と名乗るよりは現実味があった。
中学生が直接、家を訪ねても良いかと交渉するのは不自然な所があったので、先生に扮して交渉することにした。
使うのは神谷のプログラムだ。彼の担任が中学校の授業お行なっている時に担任の携帯にお馴染みの強制発信と開示のタグが書かれたメールを送る。そのメールにはある添付ファイルを付ける。メールは先生に届くと自然に開かれ電話がかかり添付ファイルが流れ出るという仕組みだ。
その添付ファイルには神谷が担任の声に似せてつくったコンピュータの音声が入っている。
「本校の生徒がバス会社で働きになっていた海里さんのお話しを聞きたいと言っています。急で申し訳ないのですが、明日でも大丈夫でしょうか?無理は承知で電話させて頂いています。もし、了承して頂ける場合は依頼の件了承しましたという旨の電話を折り返しかけて頂けるでしょうか。宜しくお願いします」
あとは海里を監視し、確実に電話に出れない風呂に入っている時間を見計らって担任にメールを送れば完成だ。
「いきなり海里さんから自分が知らない件について電話が来たら不審に思われないかな?」
由希の心配は最もだったが、神谷はその心配もすぐに解消した。
「大丈夫だと思います。そのような行事があるというのは事実ですし、自分が知らない内容の電話が来ることなんて先生達にしてみれば日常茶飯事です。怪しまれることはないと思います」
神谷の思惑通りに話は進んだ。唐沢にも送ったフリーズさせるdrivemailを送り、通信履歴を見ることでそれは確認出来た。
そして今、二人は何食わぬ顔をして海里家にいる。
「話を聞くのが私なんかで良かったのですか?もう現役も引退していますし」
「もちろんですよ。海里さんは大手のバス会社の中でも、とても立場が高い人間だったそうですし、何より僕は小さな頃海里さんが運転していたバスに乗っていたことがあります。その時、安全運転だったのはもちろんですが、お祖母さんが降車する際に財布を落とし小銭が辺りに散乱してしまいました。小さな隙間に潜り込んでしまった、十円玉でさえ海里さんはお祖母さんのために身を屈めて拾っていたことがとても印象に残っています。一緒に乗っていた母にはあんな大人になるんですよ、と優しく言われました。自分が尊敬する大人に会うというこの企画を聞いた時に真っ先に頭に浮かんだのはあの時の運転手、海里さんでした。ネームプレートに書かれていた名前を覚えていたのは幸運としか言い様がありません」
神谷の巧みな話術が冴え渡った。こんなに褒められて嬉しく思わない人間はいないだろう。
「でもあんなバス事故があって世間の人達はみんな僕達を人殺しと見ている」
海里は自ら事故の話を振って来た。神谷達にとっては願ってもない展開だ。
「あれは悲惨な事故でしたからね。でも悪いのは、危ない運転をした運転手だけですよ」
心にも無いことを言った。兄貴が死んだのはお前のせいでもある、神谷は優しい瞳で睨んだ。
「そう言って貰えると少し救われるよ。それで今日はどんな話を聞きたいのかな?」
話が事故の話から脱線しそうになる。正直、こちらから何も仕掛けずに海里がぼろを出すのを待つと言うのは難しいことだと分かっていた。
「もう少し、事故の話を聞かせて貰っても良いですか?思い出したくもない事かも知れないですが」
「ええ、私は別に良いですけど。そんな話で良いのですか?」
海里は相手が中学生だとはいえ、何処か不審に思ったようだった。怪しまれ、口を閉ざされるのは好ましくない。
「はい。訪問させて頂く相手に海里さんを選んだ理由は先程言った物が当然、一番なのですが、実はもう一つあります。それが海里さんがあの事故の関係者だったからです」
「と、言うと?」
海里の顔の、警戒の色が濃くなる。綱渡りをしているような状態だった。
「僕の名字を聞いた時、何か思い当たることがありませんでしたか?」
「思い当たること、ですか?」
海里の表情の一瞬の変化を神谷は見逃さなかった。
「やはり、あるようですね。寺川という名字はあなたが前に働いていた会社の上司の名字と一致すると思うのですが」
前の会社というのは、バス会社を指す。
「だとしたら?」
「それは偶然じゃありませんよ。寺川功は僕の父親ですから」
海里は明らかに動揺した様子だった。寺川功の名前を出した瞬間彼の眉が釣り上がった。
「何しに来た。俺はあの事故とは何も関係していないぞ」
「何を言っているんですか。僕は海里さんの話を聞きたくてお邪魔しているんですよ」
思った以上に寺川功の名前は効果あった。神谷はさらに海里の動揺を煽ることにした。
「確かに、僕の父親は自殺しましたけどそれとこれとは関係ないですよ」
「自殺?」
「やはり、知らない様ですね。父はバス会社が倒産した責任を取って自ら命を絶ちました」
これは全くの嘘だ。寺川は地方の実家で妻と本当の息子の三人で平穏な生活を送っているはずだ。
「だから何だ。もう私には関係ないことだろ」
「ですから海里さんがどうとか言うつもりはないんですよ。何を動揺しているんですか?」
海里の顔が赤面していく様子が見て取れる。最後の追い討ちを掛ける事にした。
「ただ、一つだけ気になる事はありました。父の遺書を読んだ時に感じたことです」
「イショ」海里は始めてその単語を聞いた外国人のようなアクセントが何処にもない平淡な発音をした。意味が分かっていないのかもしれなかったので「遺族にメッセージを残すために書くものですよ」と説明を付け加えた。
「僕は息子ですから遺族に含まれので、その遺書を読ませてもらいました。そこにどうしても見逃せない内容があったもので」
海里は口を開かない。頭の中の整理のスピードが次々と告げられる新事実に対応出来ていない様子だ。
「とても長い遺書でした。これを書き終える根性があるならば、生きる気力に変えて欲しかった物です。僕達、遺族へのメッセージは三分の一程度で、後は会社の暴露話に埋め尽くされていました」
海里の表情はどんどん暗くなっていく。軽い鬱状態に入っているようだ。
「そんな話嘘だろ。本当だったら大々的にメディアに取り上げるはずだ」
「それは僕達遺族がそれを公表していないからですよ」
小さな希望に掛けている罪人の最後の砦を人差し指一本で壊してしまった。
「どんなことが書いてあったんだ」
もう海里は今の話が嘘だという希望は捨てていた。物分かりは良いらしい。
「書かれていたことはあまりに抽象的でしてね。それで詳しい話を聞こうと直接こちらに来たんですよ。もちろん、社会科見学のついでですけどね」
「そんな話、出来る訳がないだろ」
「そんなはずないでしょ。父の遺書に一番多く名前が出てきたのは海里さんでした。社内の情報には精通しているはずですよね。知っていて話さないというならば、この遺書を各メディアに送らせて頂きます。抽象的だとは言っても、注意を引き付けるには充分すぎる内容ですから」
「私を脅すつもりなのか」
「どう解釈しても構いませんよ。ただ僕はあなたを救うつもりで来ましたけどね。話されたことが納得出来る物ならば遺書を永久に封印することを約束しますよ。もちろん書面上で」
海里は深い溜め息を吐いた。こんなことになるなんて想像もしていなかったはずだ。中学生に社会の仕組みを教えてやろうと朝までは得意になっていたはずだ。
「分かった、知っていることを話そう。そっての女の子も一緒で良いのか?」
隣でずっと口を開かずに座っていた。由希を指差す。
「詳しくは言えませんが彼女にも関係する話ですから。それから少しでも隠したら僕は納得しませんよ。遺書に書かれていた多くの点への説明が一つでも欠けていたら暴露しますから」
「何が社会科見学のついでだ。最初からこのつもりだったんだろ?」
神谷は返事をしなかった。答えがどうかなんてもう気付いているはずだ。