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無明短篇集  作者: 無明
2/11

夕陽を見に

ことりとコーヒーカップを机に置く。駅前のどこにでもあるような喫茶店の入口の戸が開いたからだ。さっきから僕はある友人を待っていた。年に数回会うくらいの友人だ。待ち合わせに少々早めに着いてしまった僕は、先にコーヒーを注文して、それを啜りながら、その入口の鐘が鳴る度に視線をそっちへ向けては、まだかなどと心で零していたのだ。

「ごめん、お待たせ」

前会った時よりは幾分か落ち着いた色のショートカットの髪の女の子が目の前に座った。服装もだいぶ清楚な感じにまとめてきている。

「なんか会う度に変わるよな、お前」

皮肉交じりにそんなことを言ってみる。彼女は少し苦笑いしながら答える。

「またそんなこと言ってからかう。そんなんじゃ彼女できないよ」

上着を脱ぎ、眉を釣り上げながら、笑った。上着は丸めて横へ置く。相変わらず横着だ。

彼女の名前は園田早紀。小学校五年生の時に引っ越してきてから腐れ縁が続いている。僕たちの仲が始まったきっかけは何だったかなと少し思い出してみるが、焼かれたフィルムのような記憶が音声無しで再生されたようなものしか脳が映し出さなかった。

「隼人は変わらないね。黒髪に相変わらずのセンスの服……」

小馬鹿にしたような視線が全身に突き刺さる。確かにチェック柄にチェックの重ね着はダサかったかもしれないが、そんなバカにされる程のセンスの悪さなのか、彼女は口元を緩めっぱなしである。

「入ってきたときにすぐ見つけたけど、話しかけようかどうか迷っちゃったもん」

酷い言われようだ。これじゃあ何となく負けた気がするので一矢報いようと言い返す。

「そんなんだから、お前も彼氏の一人もできねんだよ」

「できました。残念ね」

あっさり返り討ちである。全く格好がつかない。情けなくなってぬるくなったコーヒーを啜る。いつ呼んだのか、ウェイターが彼女の注文を取っていた。僕と同じホットコーヒーだけ頼み、ウェイターを下げさせると彼女はこちらに向き直って話し始めた。

「久しぶりだね。本当に。ちょっとまた男らしくなったんじゃない? 服はダサいけど」

「いつも一言多いんだよ、お前は」

ムキになって返すが別に怒ってるわけではない。これも二人の挨拶の一つだ。不思議だ。貶されているのに心地よささえ感じる。

「お前、少し痩せたんじゃねえか? 飯、喰ってんの?」

いつも通り、他愛のない話題しか出てこない。

「親父かよ、お前は。本当に話が下手くそ。それより、こっちの方はどうなの? いなくても出会いはあるでしょ?」

早紀は小指を立てて、にやりと笑う。いつも通りに会話をリードするのは彼女だ。これも変わらない。いつまでも変わらない関係なのだ、僕たちは。

「そんなもんないよ。ダサいんでしょ? そんなのに寄ってくるか?」


「ふふ、来ないね」

「即答かよ……もう少し慰めになる言葉かけてくれよ」

「でも好きな人はいるんでしょ?」

昔から早紀は感が鋭かった。母親が隠した漫画の場所を当てたり、ゲームの選択肢を正しく選んでいたり、終いには僕の如何わしい本の在り処まで嗅ぎつけたことがあった。

「なんでわかるんだよ?」

「早紀ちゃんの鼻は誤魔化せないのです。ほれほれ、我に何でも言うてみなさい」

得意になって身を乗り出す。貧相な胸でも寄るもんだななどと考えながら、自分の近況をつらつらと話し始めた。

「彼女を見かけたのは今年の夏。大学内の食堂だ。最初はあ、可愛い子だなくらいの印象だったんだけど、妙に気になって、授業が重なる度に目で追ってた」

恥ずかしい。しかも、早紀がうんうん、それで? なんて興味津々に相槌なんか打つもんだから、その気迫が僕の羞恥心を煽った。

「それで、ある日の授業で話す機会があって、趣味もあって、意気投合して、今度デート行くことになりました!」

最後の方は早口言葉みたいになってしまったが、なんとか言い終えた。目の前にいる性悪女は目尻がだらしなく下がり、まあまあ、若いっていいわねーなんて言って、完全にバカにしている。

「へえ、そんなことがあったのねえ。お姉さん、ビックリ」

「いい加減バカにするのやめろ」

あら、ごめんなさいと言ってコーヒーを一口啜った。

「でも、その服でねえ。女の子と……」

再び全身に視線が注がれる。流石に鬱陶しい。

「ちゃんとおしゃれして行くよ!  お母さんか?」

抜かりなくツッコミを入れる。

「いつだって、あなたの母親のつもりでやってきたわ!」

「誰だよお前は! 声でけえよ」

一通りの流れを終え、二人で大笑いする。いつもの光景が目の前にあった。安心する。

「それより、お前の方はどうなんだよ? 彼氏いるんだろ?」

「ん……まあね……」

彼女の表情が若干曇る。明らかに幸せムードではなさそうだ。

「なんだよ、それ? 隠し事はなしにしようや」

そういうと僕はコーヒーを口にした。冷めきっていて、暖房の効いた喫茶店の中だと余計に冷たさが際立った。

「別れ話進行中でありますよ、隊長」


おちゃらけて敬礼をする腕の袖口から青い痣が見えた。原因は恐らくこれだろう。僕の視線に気づいたのか、袖口を抑え、それを隠す。

「いつからだよ? それ」

「見えちゃったか……付き合って一ヶ月。私がサークルの飲み会から帰ってきたときよ」

ずいぶん本性を現すのが早いんだなと、妙に客観的に分析していた自分がいた。何ができるわけでもないのに何に必死になっているんだろう。

「それが日に日にエスカレートしていって……まあ、典型的なパターンね。別れ話進行中なんて言ったけど、全然進んでないの。帰省したのも逃げるため。まあ、こっちにもいい思い出なんかないけどね」

彼女は転校してきて、小学校までは順調な学校生活を送っていたが、中学校に上がって、その癖のある性格が災いしていじめにあった。高校ではいい仲間に巡り会えたらしいが、その仲間も今は県外へ出てしまっているらしい。

「よかったのは体の相性だけでしたねー。それ以外は何にも考えてない人だった」

「でもそのセックスにひいひい言わされてたんだろ? 」

「下衆いこと言わないで」

「すまんな」

茶化してみたものの、彼女の目は死んでいた。その目には終わりの見えない地獄が写っているのかと思うほど、その彼の話をする目は死んでいたのだ。僕は何も言えなくなって、ウェイターを呼び、コーヒーのおかわりを注文した。

「……ねえ、私たちが仲良くなったきっかけ覚えてる? 」

「? 覚えてねえよ。何だっけ? 」

ふふと笑うもったいぶった表情はなんだか久しぶりに見た気がする。いや、俺の知っている早紀はこんな顔をしたことがあったのだろうか。知っているようで知らない彼女を見た気がして、胸の中に何か宝物でも見つけたときのような衝動がちらっと走った。

「あれはねえ、私が転校してきた二週間くらいたったころだったかな。隼人、私のこと毎日毎日からかってきたの。それにムキになるのが面白かったんだろうね。とうとう私が泣き出しちゃって、隼人、職員室呼ばれて大目玉食らったの」

朧げな記憶が鮮明になってきていた。そうだ。僕は彼女を泣かして。階段の踊場で、デブだなんだとか口やかましく喚いていた。

「思い出した? ……あれ? ど忘れしちゃった。この後、私たち仲直りさせられるのだけれど……仲直りした後に隼人が何か私にしてくれたのよ」

何だったっけと早紀が頭を抱える。僕もそんな記憶がある。何か特別な物を彼女に見せた気がする。とても、そう、とても特別な物を。

「……ああ、なんでこうなんだろ? いつも肝心なところダメなのよね、私。何かと器用に生きてるとは思うけど、大事なところはいつもタイミング逃したり、見誤ったりするのよ。今の状況だってそう」


彼女は痣を例の目で見つめてため息を吐いた。新しいコーヒーが運ばれてくる。

「ちょっと来て」

僕は彼女の腕と伝票を持ってレジへ向かった。

「え? なに?」

突然の出来事に、彼女は目を丸くして僕の顔を見た。構わずレジで支払いを済ませ、喫茶店を出る。そのまま駐車場に駐めてある僕の車に彼女を乗せ、自分も運転席に腰を下ろした。腕時計に目をやる。

「よし、間に合うな」

「ちょっと、もう……」

彼女は観念したのか、腕組みをして助手席でおとなしくなった。僕はそれを横目に少し笑って、アクセルを踏んだ。慣性により、背中がシートを圧迫する。

「ねえ、どこ行くの?」

「今言ったら面白くねえだろ? 秘密だよ、秘密」

訝しげな顔を僕に向けると、まあいいけどさなどと漏らして、早紀は再び助手席に深く腰を下ろした。

無言が支配する車内を気にせず車を十数分走らせると、僕たちは少し小高い丘に着いた。

「ここは……」

「お気に入りの場所だよ。小さい頃の。今でもたまに嫌なことあったときとかによく来るんだ」

「ふーん……」

彼女は目の前に現れた、目を疑うほど美しい夕陽に目を奪われていた。車を降りて、数歩歩くと立ち止まったまま動かなくなった。

「あの夕陽見るとやなこと忘れて、明日からまた頑張るかってなるんだよね、単純でさ」

そんな僕の言葉も上の空らしく、ずっと夕陽を見ていた。と思えば、急にふふと何か思い出したように微笑した。

「早紀?」

「ごめんなさい。思い出したの。隼人があの時、何をしてくれたのか」

僕はそれが無性に気になった。

「あの後ね、先生が職員室に戻ったあと、まだ泣きじゃくる私の手を握って、隼人、急に走り出したの。私がびっくりして、どこ行くの? とか聞いても何も答えずに。おかしいでしょ?」

ああ、そうだ。あまりにも泣き止まないから、あれを見せようと思って、手を引っ張って連れて行ったんだ。

「それで学校の裏手にある山に入っていって、そこにある大きな木に私を登らせたの。そこからの景色、どんなのだったか、隼人、覚えてる?」


「街を一望できるんだろ? 俺が見つけた特別な場所だ」

そう、元気付けようとして街で一番高いその木に登らせたのだ。

「そうなんだけど。私がそのとき感動したのは、そこから見えた夕陽なの。あなたは気づかなかったかもしれないけど。時間がちょうど日没の時間で」

「え、そうだったのか」

それは気づかなかった。

「ふふ、その狙ってないところで女の子の心掴んじゃうのは今も変わってないよ」

早紀の表情がいくらか優しくなったように、僕には見えた。何か希望が見えたような、そんな光をその目に宿していた。

「……ん? 心掴むって……? 」

「ねえ、隼人……あの時ね、私、確かにドキドキしたの。ただのクラスメートじゃなくて、男の隼人に。初めての……気持ちだった。今も……そうだよ……」

思い出した。僕も全部思い出した。なぜ、必要以上に早紀をからかっていたのか。あの時は幼すぎて、自分の感情がよくわからなかったが、今ならはっきり説明できる。僕は、早紀が……。そして、今でも……。

「俺もだ。今も。何で休みになる度に、真っ先にお前に連絡取るのか……今気づいたよ」

恥ずかしすぎて、今更すぎて、顔から火が出そうだ。たぶん、早紀も同じだろう。ずっと下を向いている。

「なら、また今度一緒に夕陽を見に、行ってくれる? 」

下を向いたまま、早紀が尋ねる。僕は一歩、早紀に近づく。

「当たり前だろ? お前は今日から、俺と一緒に人生を生きていくって決まったんだから」

僕は優しく早紀を包んだ。早紀の横顔は夕陽で赤く染まっていて、この世に生きているのが疑わしくなるほどに綺麗だった。


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