AIを信用できないと言っても、人間よりは幾分かマシでしょう。
世間で騒がれているように見えているということは、実際には事態はもっと先に進んでいるということを意味しており、AIはすでに社会のインフラと化していると言って差し支えないだろう。明言されていなくても、AIを活用したものに囲まれて生きているのが現代人のライフスタイルである。
マスメディア、ネットメディアで広く流される情報というのは、ほとんどの場合、何らかの統制を受けているものであるというのは自明のことだ。初期のネットメディアにはまだ新鮮な、生の情報が少なからずあったように思うけれど、広告まみれの現状を見れば、結局は旧来のメディアと同じ道を辿った言える。オールドだの、ニューだのと区別する必要はない。
とは言え、AIについての議論というか世間話的、井戸端会議的な内容のない会話が好きな人は多いようだ。AIに仕事を奪われるだの、AIに頼るのはリスクが伴うだの、果てはAIには人間味がないだのと騒ぎ立てている。人間ではないものを作ったのだから人間味がないのは当然だと思うのだけれど、古来、人間は人間に似せたものを作りがちであるから、AIにもその幻想を抱いているのかもしれない。
生成AIは過去に人間が積み上げてきたものを模倣しているだけだということで、生成AIの出力するものに疑問を呈する向きもあるようだけれど、人間が作り出すものだって基本的には過去の模倣であり、そこに大した違いはない。処理速度に雲泥の差があるが、速さを競っているわけでもないだろう。人間が100年かけて作り上げたものと、AIが1秒で作り上げたものを比較するとして、出来上がりにかかった時間は関係ない。大切なのはその内容である。
AIが導き出す答えは信用ならないという声も聞くが、それはもっともな感覚だと思う。現時点でその正確性はせいぜい人間が発するものと同じくらいのものだろう。
ただ、AIはその精度を上げていくのに対し、人間の信用できなさは歴史的に変わりがないので、AIの方が信用を勝ち取るようになる日はそう遠くないはず。
人間は他人を騙して発展してきた生き物であり、それは本能と言っても良いかもしれない。商売というのは、突き詰めて考えれば、他人を騙くらかしてどれだけ多くの金を払わせるかというゲームである。そういったゲームによって発展してきたのが人間社会であり、戦争もマネーゲームの一環として行われている。戦争の恩恵を被っていない社会が果たしてどれだけあるだろうか(勝ち負けに関係なく、戦争によって利益を得る立場というのはいずれの国にも存在する)。
投資信託を他人に勧める商売があるが、最近は色々と難しいという話を聞いた。顧客がAIと相談するようになったというのだ。売り手としてはその商品を買って欲しいので、大なり小なり嘘をつく、あるいは色をつけて話をするのが普通だが、AIにはそう言った商売っ気はない。それ故に売り手が話す情報から正直にリスクを分析し、顧客が投資を控えるような場合があるという。
さて、この場合、タチが悪いのは投資信託を勧める側とAIのどちらだろうか。別にAIに相談する側はその見解に絶対に従う必要はなく、あくまで判断材料の一つにすれば良い。結局は最後は人間の決断である。AIはそのための材料を正直に提供するだけだ。下心のある人間よりよほど誠実だと思うが如何か。
AIが示したリスクでチャンスを逃すのは、人間の可能性を奪うことだという主張も聞こえてきそうだが、可能性という言葉で生活を台無しにするよりはずっと良いだろう。
将来的に人を騙すためのAIも生まれるかもしれないし、すでに生まれているかもしれないが、それを生み出すのは人間であり、厄介なのは人を騙そうとする人間の方である。
対策としては、AIを判定する第3者的システムが考えられるが、イタチごっこになりそうではある。それもまた、現在の人間社会でよく観察される光景だ。
AIが登場しても人間は大して変化しないという、希望と諦めにも似た感情を覚える次第である。終わり




