第37話《空に溜まるもの》
夜明け前の空は、異様な静けさに包まれていた。
星は見える。
月もある。
だが、その奥に――
もう一層、別の“空”が重なっている。
ミナトは無意識に、それを見上げていた。
目で見えるわけじゃない。
輪郭があるわけでもない。
それでも、確かに“そこに在る”と分かる。
重い。
圧がある。
まるで、空そのものが何かを抱え込んでいるようだった。
「……溜まってるな」
独り言のように呟くと、
カイルが頷いた。
「記録だ。
この世界で処理しきれなかった“選択の残骸”」
ルカが顔をしかめる。
「残骸って……ゴミかよ」
「ゴミじゃない。
忘れられなかったものだ」
その言葉に、ミナトの胸がわずかに痛んだ。
最初の被害は、小さな村で起きた。
眠っていた人々が、同時に目を覚ました。
皆、同じ夢を見ていた。
――自分の過去。
――選ばなかった道。
――言えなかった言葉。
夢から覚めたあと、
それらは“夢”として消えなかった。
現実の中に、
感触として残った。
ある者は、
死んだはずの家族の声を聞いた。
ある者は、
選ばなかった人生の重さに膝をついた。
そして、空から“雨”が降った。
だがそれは、下へ落ちない。
逆に、
地面から空へ吸い上げられる。
透明な粒。
触れれば、ひんやりと冷たい。
だがその冷たさは、
氷ではなく、記憶の温度だった。
アイシャは、その村の入り口に立っていた。
風が、彼女の周囲だけ静かだった。
村人たちは混乱している。
泣き、叫び、立ち尽くす。
だが、アイシャが近づくと、
不思議と風が整う。
彼女は空を見上げる。
そこには、
無数の“線”が走っていた。
記憶が、
選択が、
後悔が、
希望が。
すべてが、
空へ、空へと引き寄せられている。
「……空が、受け皿になってる」
ミナトが横に並ぶ。
「受け皿?」
「うん。
世界がね、
“地上に置いておけないもの”を
全部、上に逃がしてる」
カイルが唇を噛む。
「……限界が来るな」
「来る」
アイシャは即答した。
「溜まりすぎたら、
空は……降ろす」
ルカが顔を青くする。
「降ろすって……まさか」
その瞬間。
空が、軋んだ。
音もなく、
しかし確かに。
“裂ける前兆”。
ミナトは息を吸う。
「……これが、代償か」
自分が存在を固定したことで、
世界は“整理”を始めた。
その過程で、
整理しきれないものが、
空に押し上げられている。
アイシャは、EchoBANDに触れた。
そこに、
無数の“風の記述”が刻まれていく。
彼女は、理解してしまった。
自分は、
この空に溜まったものを――
読めてしまう。
そして。
遠くで、
空が一瞬だけ“裏返った”。
カイルが低く言う。
「……来るぞ」
ミナトは刀を握る。
「今度は、何だ?」
アイシャは、風の中の“文字”を読み取った。
声が、
確かに、空から降りてくる。
——記録が、形を求めている。
——選択されなかった存在が、降りてくる。
彼女は、静かに言った。
「……次は、夢じゃない」
風が逆流し、
空が“降り始めた”。
記憶が、
現実になる。
それが、
この世界の次の段階だった。




