第34話《存在決定の代償》
光が、静かに引いていった。
観測の中心はまだそこにある。
だが、さっきまで満ちていた圧迫感は薄れ、
代わりに――重さが残った。
世界が一つ、決断を下したあとの空気。
ミナトは立っていた。
足は確かに地を踏み、
身体は揺れていない。
透けない。
遅れない。
消えない。
「……戻った、のか」
呟きは独り言に近かった。
それでも、世界はそれに応えた。
足元の記号が、ひとつ消える。
遠くで、何かが“確定”する音がした。
アイシャは、すぐ隣にいた。
けれど、その距離が――少しだけ、遠い。
ミナトは気づく。
彼女の周囲の風が、以前と違う。
自然に吹いているのに、
書かれている。
流れが、意図を持っている。
「……アイシャ?」
声をかけた瞬間、
彼女の肩が、ほんのわずかに揺れた。
振り返る。
微笑む。
でも――その笑顔は、さっきまでのものと違う。
「大丈夫」
その一言が、
なぜかひどく胸に引っかかった。
観測者の徒が前へ出る。
足音はない。
存在だけが、距離を詰めてくる。
「存在固定、完了を確認。」
淡々とした声。
だが、その奥にわずかな揺らぎがある。
「ミナト。
汝は今より、この世界の“一部”となった。」
ミナトは眉をひそめる。
「……それが、どういう意味だ?」
「“戻れない”という意味だ。」
空気が、凍る。
アイシャが、思わず息を詰めた。
ミナトは、ゆっくりと理解する。
「……俺はもう、
元の世界にも、
中間層にも、
帰れないってことか」
観測者の徒は、否定しなかった。
「存在は一度、決定されれば再分解できない。
汝は“この世界に属する存在”として、
記録された。」
ミナトは、目を閉じる。
一瞬、
ほんの一瞬だけ、
懐かしい空を思い出した。
風のない、灰色の世界。
終わりかけていた文明。
それでも、確かに“生きていた場所”。
(……そうか)
もう戻らない。
戻れない。
でも――
目を開く。
「……それでいい」
観測者の徒が、わずかに驚いた。
「後悔は?」
「あるよ」
ミナトは正直に言った。
「でも……
今ここで消えるよりは、
この世界で“選び続ける”ほうがいい」
その言葉に、
アイシャの胸が、きつく締め付けられた。
彼女は気づいていた。
ミナトが何を失ったのか。
そして――
自分が、何を代償に差し出したのかを。
観測者の徒が続ける。
「風を記す者――アイシャ。」
彼女は、視線を上げる。
「汝の力は、世界の“修正権限”に触れた。
今後、汝が記す風は
偶然ではなくなる。」
アイシャは、静かに聞いていた。
「一度記された流れは、
世界に痕跡を残す。
それは人を救い、
同時に――歪みを生む。」
ミナトが言葉を挟む。
「……つまり」
「汝らは、
世界にとって“必要だが危険な存在”となった。」
ルールが、変わった。
観測者の徒が告げる。
「今後、我らは汝らを監視対象とする。
中立は維持するが、
干渉は……避けられない。」
その言葉は、宣告だった。
ミナトは小さく息を吐く。
「……まあ、最初から
平穏なんて期待してなかったけどな」
その軽さに、
アイシャがくすっと笑いそうになり――
でも、笑えなかった。
胸の奥で、
何かが、静かに欠けている。
観測の中心が、ゆっくりと崩れ始める。
世界が、元の層へ戻ろうとしている。
「戻れ」
観測者の徒の声が響く。
「外側の世界は、すでに揺れている。
汝らが“決定された”ことで、
連鎖が始まった。」
ミナトとアイシャの足元が、光に包まれる。
最後に、
観測者の徒は言った。
「忘れるな。
存在を選んだ以上、
代償は、これから支払い続けることになる。」
光が反転し――
二人の意識が、現実へと引き戻されていく。




