第33話《観測の中心へ》
光が引いたとき、
そこに“空”はなかった。
上下の区別がなく、
地面のはずの場所には星のような記号が浮かび、
空のはずの場所には古い街の影が沈んでいる。
世界が、裏返っていた。
ミナトは足を動かす。
確かな感触があるのに、
踏みしめているのが“現実”なのか“記録”なのか判別できない。
アイシャは、まだ彼の手を離していなかった。
「……ここ、どこ?」
声が少しだけ震えている。
けれど、恐怖よりも戸惑いが勝っていた。
ミナトは周囲を見渡す。
「たぶん……“観測の中心”。
世界が、自分自身を定義するための場所だ」
遠くで、風が鳴った。
だがそれは空気の流れではない。
情報が移動する音。
カイルとルカの姿は見えない。
しかし“いない”わけではないと、なぜか分かった。
「……ここでは、必要な存在だけが引き寄せられる」
ミナトがそう言った瞬間、
前方の空間が歪んだ。
無数の円環が重なり、
古代文字とも数式ともつかない記号が浮かび上がる。
その中心に、立つ者がいた。
人の形をしている。
だが年齢も性別も判別できない。
顔はあるのに、どこか“未完成”。
声が、重なって響いた。
> 「ようこそ、観測の核へ。」
「ここは、世界が“決定”を下す場所。」
アイシャの胸が、強く脈打つ。
EchoBANDが勝手に反応し、
彼女の周囲に風の軌跡が描かれる。
「……あなたたちが、“観測者の徒”?」
存在はゆっくり頷いた。
> 「正確には、その集合意識だ。」
「我らは“記録”であり、“判断”であり、“保留”だ。」
ミナトは一歩前へ出る。
「俺をここへ呼んだ理由は?」
間髪入れず、答えが返る。
> 「汝が“未確定”だからだ。」
「存在として、まだ閉じていない。」
アイシャが声を荒げる。
「閉じてないって……生きてるでしょ!
ここに立って、話してる!」
一瞬、沈黙が落ちた。
> 「“生きている”とは、定義だ。」
「世界がそれを許可して初めて、成立する。」
ミナトは拳を握る。
「……だったら聞く。
世界は俺を、どうしたい?」
空間が震えた。
映像が展開する。
――崩壊寸前の旧世界。
――特異点実験。
――跳ね返る観測。
――ミナトという存在が、別層に固定される瞬間。
> 「汝は“例外”だ。」
「だが、例外は時に“鍵”になる。」
アイシャの視界が揺れる。
彼女の中に、無数の“風の記録”が流れ込む。
誰かが祈った声。
誰かが願った記憶。
誰かが失った世界。
「……わかった」
アイシャは、はっきり言った。
ミナトが振り向く。
「アイシャ……?」
彼女は深く息を吸う。
「ミナトは例外でいい。
世界に合わないなら……
世界のほうを、書き換えればいい。」
観測者の徒が、初めて動揺した。
> 「それは……許可されていない。」
「許可?」
アイシャは微笑んだ。
優しく、でも揺るがない。
「風はね。
許可なんて取らずに吹くの」
EchoBANDが強く光る。
彼女の足元に、文字が刻まれていく。
《記風式》
ミナトの胸が熱くなる。
(……そうか。
アイシャは“記録を書く側”なんだ)
観測者の徒が告げる。
> 「選べ。」
「ミナト。
存在を“固定”するか、
それとも――」
言葉は最後まで紡がれなかった。
ミナトは、もう答えを決めていた。
「俺は……
この世界で生きる。」
アイシャを見る。
彼女も、同時に頷いた。
その瞬間、
観測の中心が強く発光する。
世界が、再び書き換わり始めた。




