第31話《揺らぐ空、動き始めた世界》
ミナトが帰還した瞬間、世界は静かになった。
風も空気も、すべてが一瞬だけ呼吸を止めたようだった。
けれど——
静寂は、ほんの儀式にすぎなかった。
空のひずみが、低く唸りはじめる。
地面にわずかな振動が走り、Dヘルツァ粒子が四方に散った。
カイルが空を見上げながら呟く。
「……来たな。予想通りだよ、残響反動」
ルカが眉を寄せる。
「なんだよその不吉ワード……また爆発すんのか?」
カイルは肩をすくめた。
「爆発じゃない。あと、たぶん死なない」
「“たぶん”が怖ぇんだよ!!!」
ミナトは苦笑しながら立ち上がろうとした。
だが、その足は思うように動かない。
身体が、重い。
いや、違う——世界との接合がまだ不完全なのだ。
呼吸ひとつで、視界にノイズが走る。
(……まだ“戻りきってない”か)
アイシャが気づいた。
迷いなく肩を支える。
「無理に動かなくていい。まだ身体が世界に馴染んでない」
「……ああ、わかってる。ありがとう」
言葉とは裏腹に、ミナトの眉間には痛みの影があった。
その痛みは肉体のものじゃない。
世界との“同期ズレ”が引き起こす拒絶反応。
カイルが分析するように言う。
「ミナト、今のお前は“二重観測状態”だ。
世界はお前を『存在する』とも『存在しない』とも認識している」
ミナトは息を吐く。
「……つまり、まだ俺はここに“定着してない”ってことか」
「簡単に言うとそう。でも——」
カイルが微笑した。
それは研究者というより“仲間として”の笑みだった。
「ここに“触れている”なら、その先はもう本人次第だ」
ルカが腕を組む。
「つーかよ、自分の体重で立ててる時点で、もう半分成功じゃねえ?」
その言葉は軽い。
でも、その軽さがミナトには救いだった。
ミナトはゆっくりと姿勢を整えた。
膝の震えが、ようやく止まる。
「——歩ける。大丈夫だ」
アイシャが小さく笑う。
「よかった。……ほんとに」
その声は、風より静かで
だけど誰より強かった。
---
しかし、その安堵は続かなかった。
遠くから——音がした。
風ではない。
雷でもない。
建物が崩れた音でもない。
“羽ばたき”。
大気を裂くような、金属と生体の中間の音。
ルカが即座に身構える。
「……おい、今の聞こえたか?」
アイシャの表情が真剣に変わる。
「聞こえた。普通の魔獣じゃない。Dヘルツァの共鳴音」
カイルが空へ意識を向ける。
「……来てるな。現象じゃない、“存在”だ」
ミナトも空を見た——
その瞬間、視界が鋭く切り替わる。
現実の景色の奥、観測層の裏側。
そこに浮かぶ巨大な影。
四枚羽。
錯視を伴う輪郭。
光と黒の境界で形が揺らぐ。
名前が口の中に浮かんだ。
(……ヴァルグレア)
しかし以前見たものとは違う。
あれはまだ変異の“途中”だった。
今見えるのは——
完成形。
「……まずい」
ミナトの声が低く落ちた。
「あれはもう、ただの変異体じゃない。
世界の層を“移動するもの”だ」
カイルの表情に緊張が走る。
「観測跳躍型……? まさか、もう進化して——」
ミナトは静かに頷いた。
「俺と同じだ。
“存在理由が確定した個体”」
空が裂け、影が降りてくる。
アイシャは弓を構えた。
ルカは震えながら笑った。
「……なぁミナト、お前帰ってきて五分だぞ。
なのにまた世界終わりそうなんだけど?」
ミナトは刀を握り、微かに笑った。
「じゃあ、五分遅れた分、取り返すか」
風が走った。
空が落ちた。
世界が、次の章へ踏み出す。




