第29話 《残響の座標》
空に、小さな光がひとつ灯った。
星にしては低すぎて
街の灯りにしては高すぎる
——その“中途半端な高さ”で、光は静かに脈打っていた。
アイシャはそれを見上げる
胸の奥の風が 同じリズムで震えている
「……あれ、ミナトの……?」
隣でカイルがうなずいた
表情は真剣なのに 声は落ち着いている
「うん 残響だ
完全な本体じゃないけど
あそこに“座標”が固定されつつある」
EchoBANDがアイシャの腕で静かに光る
Dヘルツァ粒子が 彼女の周りだけ密度を増していた
「座標って……あの光の場所?」
「場所でもあるし 状態でもある」
カイルは空を見たまま続ける
「ミナトはまだ“記憶層と現実層の狭間”にいる
だけどあの光は この世界が『ここにいる』って認識し始めた証拠だよ」
アイシャは唇を噛みしめる
空の光が 少しだけ強くなった気がした
「じゃあ……呼べるってことだよね」
「呼ぶだけなら もうできてる」
カイルは右腕をさすった
双極コードが淡く黄金色に脈打つ
「問題は“形”だ
ただの声のままなら すぐにでも戻れる
けど俺たちが欲しいのは “ミナトの身体を持ったミナト” だろ」
「当たり前でしょ」
アイシャは即答した
少し照れくさそうに でも迷いなく
「ちゃんと立って ちゃんと喋って
ちゃんと怒ってくれて
ちゃんと笑うミナトじゃなきゃ 嫌」
カイルが 思わずふっと笑った
「……そこまで言ってもらえるなら 彼も戻らないわけにはいかないね」
空の光が また一度だけ強く瞬いた
まるで会話を聞いているように
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少し離れた場所で
ルカが頭を抱えていた
「いやいやいや ちょっと待て オレら今 なんかヤバいもん見てね?」
足元の瓦礫がじわじわ浮き上がり
石ころや砂埃が 空の光へ引き寄せられていく
彼の髪も 少しずつ上向きに揺れていた
「重力 おかしくなってねコレ!?
オレ まだ空飛ぶ練習してねえんだけど!?」
カイルがちらっと振り返る
「安心して まだ飛ばないよ
これは重力そのものが変わったわけじゃない
“観測の向き”が少し傾いただけ」
「いや安心できねえって 何そのさらっと言う感じ」
ルカは半泣きで空を指さす
「光 増えてね? しかもなんかデジタルノイズ混じってね? やべぇSF映画のラストみたいになってんぞ!」
たしかに
最初はひとつだった光が
いつの間にか細いリングをまとい
うっすら幾何学模様を描き始めていた
アイシャはその変化から目を離さない
胸の内側で 風がひたすらざわついている
「これ……風 だけじゃない
Dヘルツァも 魔素も
“あそこ”に向かって流れてる」
カイルがうなずく
「世界が “受信機” をつくってる
ミナトを現実に戻すための 物質側の器
でも まだ足りないものがある」
「足りない?」
アイシャが問い返すと
カイルはゆっくりと彼女のEchoBANDを見た
「《意味》だよ」
「……意味?」
「座標は整いつつある
エネルギーも集まり始めた
でも “ここに来る理由” がないと
彼はただの残響として拡散するだけだ」
アイシャは目を伏せる
胸の中で 何かが痛んだ
(理由……)
ミナトはいつも
自分のことは後回しだった
誰かを救うためなら 自分の身体くらい迷わず投げ捨てる人だった
だからこそ
“自分のためだけに戻る” なんて選び方を
きっと したことがない
「……じゃあ」
アイシャは顔を上げた
瞳が揺れていても 声だけは真っ直ぐだった
「わたしが つくる」
カイルが目を見開く
ルカは「おっ」と息を呑んだ
「ミナトが戻りたくなる “意味”
ここへ戻る理由
全部ぜんぶ わたしが渡す」
風が 強く吹いた
EchoBANDが青白く輝き
空の光が共鳴するように瞬く
カイルは 少しだけ笑った
今度は さっきよりも柔らかく
「……なら 僕は “道” を用意するよ」
「道?」
「うん 座標があって 意味があって
そこに繋がるルートがあれば
転移じゃなくて《帰還》になる」
カイルは右腕を見下ろした
双極コードが 静かに目覚め始める
「この腕は 分岐を読むために刻まれた
だけど使い方次第で “橋” にもなる
二つの世界を繋ぐ 通路に」
ルカが ふいに真面目な顔になる
「なあ それ めちゃくちゃ危なくね?
下手したらこっちの世界ごと ひっくり返るんじゃ——」
カイルは真顔でうなずいた
「危ないよ
最悪の場合 彼だけじゃなく
この世界の『観測座標』ごと書き換わる」
「やっぱやべえじゃん!!」
ルカが頭を抱える
「お前ら いつもそうだよ! 命かける話を さらっと日常会話に混ぜるな!!」
アイシャはそんなルカに向かって苦笑する
「でも それでもやるんでしょ?」
「そりゃお前……」
ルカはバツが悪そうに頭を掻いた
「……戻ってきてほしいしな あの兄ちゃん」
空の光が もう一度震えた
とても遠いのに とても近い反応
——聞こえている
そんな気がした
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そのころ
“狭間”では ミナトが目を開けていた
足元はない
空もない
あるのは 透明な海のような記憶の粒だけ
触れれば 誰かの一生が流れこんでくる
離せば すべて夢のように消えていく
「……ここが “未観測層” か」
声はあくまで冷静
だがその奥には かすかな安堵があった
(聞こえたぞ アイシャ
カイル
ルカ)
遠くで 誰かが笑っている
誰かが泣いている
風が名前を呼ぶ
——戻れる
今度は “選んで” 行ける
ミナトは 目を閉じた
かつて自分が研究していた数式を
心の中で静かに呼び起こす
《ヤタノ方程式》
《零点収束》
そして——
「……《残響座標》」
世界がわずかに揺れる
座標が 一点へと収束しはじめる
「待ってろ
今度は こっちから行く」
その言葉に呼応するように
現実側の空で 光が弾けた
アイシャの頬を 一筋の風が撫でる
それはもう ただの風ではなく
帰ってくる人間の “息づかい” に よく似ていた。




