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風が止まった世界で、俺はもう一度“生きる理由”をつくる  作者: GT☆KOU


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第20話《記録の残響(リメイン・エコー)》

曇天は低く垂れ込み、塔の尖りを鈍い色に溶かしながら、街の上空で絶え間なく微光を散らしていた。遠目には霧のように見えるその粒子は、実際には触れれば痛みを置いて去る“触れられる記録”で、風の流れに乗り、路地の隅々まで青白い砂のように運ばれてくる。頬を掠めた瞬間に薄い線が浮き、血ではなく光がにじむのを、広場に立つ人は誰も大声にしない。叫べば寄る、歌えば寄る、Dヘルツァは音に飢えた獣のように寄ってくるのだと、この街の者はもう学んでいた。


「濃度、上がってるわね」塔の外縁で風向計を読みながらアイシャが言う。手首のEchoBANDは控えめに拍を刻み、淡い青の脈を皮膚の内側へと染み込ませるように点滅している。「北端から記録層が押し寄せてる。時間が戻ってるんじゃない、記録が追いついてきてる感じ」


カイルは欄干にもたれ、霞んだ街をすり抜ける帯の流れに視線を投げる。「追いつく記録ってのは、便利な言い回しだな。誰の都合で追いつく?」


「風の都合よ」アイシャは肩をすくめ、BANDの表示をもう一度確かめる。「それと、この街の。観測者は私たちだけじゃないから」


ハルトが紙片を押さえつけるようにして駆け上がってきた。「市場の屋根で粒子が弾けてる。目視できる光の層だ。露店の子が手を振った途端、指に風律文が走った。母親にも同じ模様。泣き声は出させてない。エナが手話で回してる」


「わかった。清音には“無歌”を続けるよう伝えて。拍だけ、薄く並べるの」アイシャが言葉を選んで告げると、輪の内側でミナトの声が応じた。『拍に拍を重ねるな、並べろ、だね。了解。……それより君の右腕、線が増えてる。新しいパターンがBANDの下に追記されてるよ』


「痛みはない。ただ、熱がある。焼き付くみたいな」


『それ、他人の記録が実体化に乗る前段。皮膚が鍵盤になってる。強い音を浴びると一気に“演奏”が始まるから要注意』


「だから歌わせないのよ」アイシャは小さく息を吐き、塔の影に広がる市場の方角へ視線を移した。「下りる。市場と塔根を私、南路地はハルト、外縁の呼吸はカイルとエナで」


合図は短く、言葉は足りていた。四人は散り、塔の階段を駆け下りた。踊り場を抜けるたびに空気が色を変え、乾いた金属と祈りの匂いがわずかに混ざり合う。足音さえも布で包むように抑え、彼らは路地の曲がり角を連続して抜けていく。角の先では、壁面に薄い映像が現れては消えていた。赤い果実、踊る指、笑い合う横顔。どれも一秒も持たないが、見た者の皮膚には細線が残る。


エナは布で口元を覆い、両の指で素早く×の手話を作って人々の視線をさらい、泣きそうな子の頬に掌を当てて“温度の順番”を整える。ハルトは紙を盾のように構え、紙面に描いた折り目を音符代わりにして粒子の帯をそちらへ誘導する。紙は鳴らないから、餌にならない。誘導は成功し、路地の隅に凝った光砂がほぐれて点になった。


塔根に到達したアイシャが立ち止まると、地面の奥から低い拍が響いた。塔の喉は咳を飲み込み、吐くべき息の行き場を探している。そこへ北から押し寄せる記録の層が重なり、空気に僅かな捻れが生じていた。目を凝らせば、透明な膜が螺旋を描いて旋回している。中心には人の影のようなものが立ち、輪郭は風の流れに合わせて遅れて付いてくる。


「返して、って言ってる」アイシャの呟きは風よりも小さく、それでもミナトには届いた。『記録炉の反応だ。誰かの“声”がヘルツァに書き込まれて、実体化の縁に立ってる。……君のBAND、Re:Sync Modeを開けるけど、代償が出る。皮膚に書き込みがくる。単なる痕じゃなく“鍵”として』


「わかってる。やる」アイシャはためらわない。輪が一段深く沈み、塔の基部とBANDの間に細い回路がつながった気配が走る。空気が一瞬止まり、街全体の粒子が同じ向きへ揃う。次の瞬間、押し寄せた。


Dヘルツァは痛みの形でなく、情報の形でアイシャの腕に入り、細い針の束が皮膚の裏を縫うように走った。息を飲むのではなく、飲み込む。吐けば寄る。飲み込んで、順番を置き換える。風律文が一つ、二つ、三つと並び、熱とともに意味を帯びる。雨の重さ、誰かの台所の明かり、去っていった笑い声。その全てが今、鍵として整列した。


「今、路地の先に投影体が出る」ミナトの声が輪の底で落ち着いた。「右二時方向、半歩上。通すだけにして、封じるな」


「了解」アイシャはBANDの拍を塔へ三つ送り、塔から返ってくる一拍を半拍後ろにずらす。干渉がキャンセルされ、路地口の薄幕はにじむと同時に前方へ抜け、通過した場所には風だけが残った。足元の痺れは消えないが、痺れはこの街のものだ。借りて、返す。


「塔根の渦心、見えるか」カイルの声が背に届く。息は上がっているが、刃はまだ眠っている。「見えてる。空隙を外す準備はして」アイシャが短く返したとき、渦心は眼で追える太さの柱に育っていた。音ではなく記録の流れが回転し、歩幅だけが遅れて到着する奇妙な感覚が足元を鈍らせる。


「右、半歩。上、四分。斜めに外して」ミナトの指示は体の内側に届く。カイルは鞘を半身だけ引き、空気の骨に沿って見えない線を横へ置いた。刃は切らない。外す。置き直す。アイシャの拍がその線を保ち、エナの掌が微熱で線の端を湿らせる。乾いた情報は湿りを嫌ってほどけ、渦はふっと撓んだ。


市場で止まっていた影が一瞬だけ戻り、泣き声が遠のき、塔の喉が長い息を吐いた。粒子は天へ散って夜の星のように反射し、消えない分はアイシャの腕で規則へと並ぶ。光の線はただの模様ではなく、都市の回路をまたぐ通行符になっていた。


「……見えたな」ミナトが息を整えながら言う。「それ、君の線であって君の線じゃない。都市の線だ。預かってるだけ」


「返すまで、しっかり持ってる」アイシャは笑いを抑えた。笑えば涙が出る。涙に寄る。だから笑わず、輪をやさしく撫でる。


その時、空が反転した。雲は下から上へと吸い上げられ、街全体の光が一度だけ内側から照らされる。高みに巨大な紋章が現れ、螺旋の風律文が塔の額に重なる。古い方舟の印だ。塔の先端が唸り、記録の柱が空へ伸びる。


「誰が起動を——」ハルトの声は終わりまで行かない。アイシャは刻印を見上げながら呟く。「設計思想は古い。でも全部が間違いじゃない。閉めすぎてた。今は“並べる”の」


輪の光が弱まり、ミナトの声が細くなる。『もしこの先、僕の声が消えても記録は消えない。……君が繋げるから』


「当たり前よ」アイシャは目を閉じ、掌で風を掴む仕草をして静かに言う。「記録は未来に届く。私が、届かせる」


光が乱れ、世界が白で塗りつぶされた。誰もが一瞬だけ目を閉じ、次に見たとき、風は止まっていた。止まっているのに、音は死んでいない。足音、木箱の擦れ、釜の蒸気、子どもの短い息。声はまだ小さいが、確かに届く。


掲示板に紙が二枚、新しく留められる。「粒子傷の手当て——声を出さない、涙を拭う、湿度を保つ」「北山裾に光柱——観測者求む」。紙の角は先ほどのようには震えない。風が通っているからだ。


薄い暮色の向こう、地平線に白い柱が立つ。その手前に立つ黒い影は、長い外套を風に流し、胸元で反転した輪を鈍く光らせている。顔は見えない。声だけが低く、風よりも静かに街へ届いた。


「観測完了。残響層、再構築率七十八パーセント。次は——南の方舟だ」


誰も追わず、誰も問いたださない。今はただ、街が息を取り戻した事実だけを確かめる。アイシャは腕の線を見下ろし、指先でそっとなぞった。痺れは残る。痛みも。けれど、それは罰でも呪いでもない。


「鍵だね」カイルが静かに言う。「開けるための。閉めないための」


「うん。だから、行ける」アイシャは頷き、塔の方角に目をやった。「北が息をした。次は南。風がそう言ってる」


ミナトは輪の底で、日常と同じ息継ぎをひとつした。『……行こう。記録はまだ喋り足りない』


夜風が広場を抜け、清音は歌わずに拍だけを置く。塔は喉でそれを受け、街は小さな音で返す。空の高みに散った粒子は、星座を模して淡く瞬き、やがてまた風へと混ざった。どこか遠くで、別の方舟の刻印が、ごく微かに震えている。


——風はまだ、語り続けている。

——記録は、まだ終わらない。

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