10. 魔法使いオネイロス
そのときです、空からパチパチパチパチと手を叩く音がして、何者かがゆっくりと降下してきました。足が隠れるほど長い裾を持つトガ風のガウン。腰には金色の装飾が施されたベルト。まるで古代の貴人のような服装の女性です。
「何者だ?」
ブレッドが警戒してかまえます。その疑問にはライラが答えました。
「魔法使いオネイロス!」
それはライラがつけている「嘘がつけない首輪」を作った大魔法使いの名前でした。とっくの昔に死んでいる伝説上の人物です。
四人は「そんなバカな」と思いましたが、ライラは嘘がつけません。
「はい。正確には首輪に込められたオネイロスの魂です。残念ながら実体はありません。今日はあなたがたに良い報せをもってきました」
オネイロス本人も肯定しました。相変わらずパチパチと手を叩き続けています。満面の笑みです。
ライラは嫌な予感がしました。
「おめでとうライラ。首輪がレベルアップしました」
「いや! 絶対にいや!」
「拒否しても無駄です。もうレベルアップしてしまいました。その証拠に、あなた以外の四人にもワタクシが見えているはずです。声も聞こえる。首輪が新たな段階に入ったのです。新しい制約がどんなものか、説明するつもりで出てきましたが、帰れと言うなら帰りますよ?」
ライラは以前にも、首輪のレベルアップに苦しめられています。首輪のレベルアップとは「嘘がつけない」という効果が強化されることです。
新しいルールを知らずに破ってしまったら、いきなり死ぬかもしれないのです。
「説明して!」
オネイロスは大きくうなずくと、にこやかに話しはじめました。
「ライラ、あなたは首輪をつけている限り噓をついてはいけません。これまで首輪の魔力で『他人を騙すこと』と『自分の気持ちを偽ること』を禁じてきました。しかし、それだけでは『嘘がつけない首輪』は完全ではないのです。そこで首輪の魔法を完成させるために、もうひとつルールを追加します。これからは『約束を破ること』を禁じます」
約束を破ることを禁じる。人間として当たり前のことです。しかし、ライラは素直に受け入れることができません。
「それは四人との婚約を守れということ?」
ライラの言葉に、オネイロスはうなずきます。
「ライラ、あなたはカジを選ぶと言いましたが、一方的に約束を破棄してはいけません。その行為はロア、ブレッド、ジュリアンに対して『結婚する』という噓をついたことになります。首輪はあなたの命を奪うでしょう。約束を守る努力を続けなさい。いいですね」
ライラがうなずきました。もちろん不満はありますが、オネイロスの理屈も納得できます。重要な約束を一方的に破棄するのは許されないことです。
「わたしだって約束は守りたい。だからといって、このままの状態をズルズルと先延ばしにはできない。自分に責任があると思うから、率先して意見を言うべきだと思った。だからカジを選んだ。これのどこがダメなの?」
ライラの弁解に、オネイロスは首を横にふります。
「どこがダメか、説明してあげましょうか?」
「ええ。望むところです」
ライラは胸を張って、受けて立つという構えです。オネイロスの言葉を待ち受けます。
「ライラ、あなたはロアの部屋で裸の女を見つけたとき『ロアが二股をかけている』と思いましたね?」
「思ったけど、それがなに?」
「あなたは四股をかけているのに?」
オネイロスの正論がライラに突き刺さります。ライラは何も言い返せず、よろめきました。
「しかもあなたはブレッドに女房ヅラで説教しようとしましたね? あなたがブレッドに良き夫を求める資格があるとでも?」
この指摘も図星でした。酔って暴れたブレッドを叱る資格はライラにはありません。
それでもライラは倒れそうになるのをこらえて、オネイロスの正論に立ち向かいます。
「思ったけど、しなかったもん! 我慢した!」
「そうだ。ライラは何も言わなかった。ただ、馬のクソを踏んづけたみてえな顔をしてただけだ!」
ブレッドが加勢してくれましたが、この言葉もライラの急所に刺さります。ライラは頭を抱えて膝をつきました。
オネイロスの攻撃はまだ続きます。
「ライラ、あなたは本人たちに不満をぶつけられなかったので、かわりにジュリアンに愚痴りましたね? そしてジュリアンの中立的な態度にガッカリした」
ライラは床に頭をつけて、耳を塞ぎました。
「そんなの今更だよ。ボクは小さいころパンツの中にカエルを入れられたことだってあるんだ。ライラが意地悪だったらなに? ぜんぜん平気なんだから」
ジュリアンが擁護してくれましたが、その声は耳を塞いでいたライラには届きませんでした。聞こえていたら泣いていたかもしれません。
オネイロスはまだ止まりません。
「ほら、耳を塞いでいないで、ちゃんとお聞きなさい。3人の態度に不満をつのらせたあなたは、カジを選ぶと言い出した。これは賢明な選択というより、間接的な意趣返しではありませんか?」
床に伏せて震えていたライラが、ピタリと静止しました。
そして蚊の泣くような声で「ごめんなさい」と言いました。
「あやまる必要はありません。これで良いのです。どうですか? 四人の中でライラとの婚約を辞退する者はいませんか?」
そう言ってオネイロスは、ロア、ブレッド、ジュリアン、カジの顔を順番にながめました。四人全員が首を横にふります。
「残念。しぶといですね。1人くらい減るかと思ったのですが。こんな娘の何が良いんでしょう?」
ライラは立ち上がって、オネイロスに詰めよります。
「ねえ? 何がしたいの? わたしを苦しめたいの?」
「重要なのは婚約者を減らすことです。あなたは善人ぶって、四人を繋ぎ止めるようなことをしています。それではいけません。嫌われることも一つの手段です」
ライラは反論できませんでした。四人に対して誠実であろうとすると、四人全員を繋ぎ止めることになります。それでは状況は改善しません。いっそ四人から嫌われて、離れてくれる方が良いのかもしれないのです。四人を苦しめるくらいなら、自分が泥を被って苦しむ方が良い、そう考えることもできます。
「わかった。わたしが間違ってた、これで良い?」
ライラがそう言うと、オネイロスはパチパチと手を叩きました。満面の笑みで話しを続けます。
「では、これからどうやって婚約者を減らすのか。あなたは先ほど婚約者たちと約束をしていましたね? もしも彼らが約束を破ったら、たとえばブレッドが酔っぱらって喧嘩をしたら、ロアが浮気をしていたら、婚約を解消する。そういう約束をした。これで間違いありませんか?」
ライラと四人の婚約者たちがうなずきます。オネイロスはパチパチと手を叩くと、真面目な顔になりこう言いました。
「よろしい。魔法の呪文『ホルコス・フィラッセ』と唱えなさい」
ライラは少し嫌な予感がしました。
「なんの呪文?」
「約束を守るための呪文です。実害はありません。信じなさい。さあ、魔法の呪文を唱えるのです。ホルコス・フィラッセ」
ライラは迷いましたが、唱えることにしました。
「ホルコス・フィラッセ!」




