5. 三人目の婚約者ジュリアン
同じフレーズを繰り返し、指に動きを覚えさせ、少しづつメロディーが弾けるようになると、小さな達成感があります。
そのとき窓から一羽のコマドリがやってきて、ライラの肩にとまりました。
驚いたライラが急に動いたせいで、コマドリは振り落とされてしまいます。
「いたた……」
薄く柔らかい声。
なんと、床に落下したコマドリが人間の姿へと変化したではありませんか。華奢で小柄な、透き通るような肌の少年です。
少年は変わった服装をしています。リネンのチュニックの上から、天然石で装飾されたベルトを巻いています。丈の短いショートパンツを履いて、レギンスにサンダル。それは森に住む虹眼族の民族衣装でした。
「ジュリアン! どうしてここに?」
ライラがそう言いました。この少年は「ジュリアン」。ライラの三人目の婚約者でした。
急な落下に戸惑うような表情でしたが、ライラの顔を見ると明るい顔になります。その瞳は虹色に輝いています。虹眼族と呼ばれる、珍しい妖精との混血児なのです。
「どうしてって、今日の約束のことが気になって。でも家にいないみたいだったから。王宮まで飛んできたらピアノの音が聞こえて。それより見てくれた? やっと変身できたよ。モリフクロウじゃなくて、コマドリだけどね」
そういって左手の指輪をしめします。これは虹眼族に伝わるイリディセントリングという魔法の指輪で、森に住む動物に変身する能力があります。まだ未熟なジュリアンには自由自在とはいかないようです。
ふたたびジュリアンがコマドリに変身します。窓から飛び出して、空高く舞い上がり、大きく旋回してから急降下。それからまた室内にもどって、天井近くを飛んでみせます。
元気に飛び回るコマドリを見ていると、ライラの気分は晴れ、自然に笑顔がこぼれました。
コマドリが椅子の上に降ります。そのシルエットがふわっと大きくなると、人の形になり、柔らかな髪が広がってジュリアンの姿にもどりました。
「すごいじゃない。空が飛べるなんて」
ライラが褒めると、ジュリアンは頬を染めて照れ笑いします。
「鳥になるには気もちを軽くしなくちゃいけなくて。それでライラのことを考えながら変身したら、スッと身体が」
ジュリアンの話を遮るように「コンコン」と扉がノックされました。
「見つかったらまずい」
ライラが囁きます。同時に扉が開き、鋭い眼光の男が現れました。
軍服の上からケープを羽織り、その胸の部分にはケヤキの木をデザインした憲兵隊のマークが刺繍されています。片足は義足で「カッコッカッコッ」と独特な足音で歩きます。
軍服の男はライラの近くまでくると、ポケットから取り出した懐中時計を確認して、こう言いました。
「どうされました? ピアノの音が5分間途切れています」
この男は「ウォッチ」といいます。ベラムール国の軍団長で憲兵の隊長でもあります。
ウォッチには黒い噂がありました。先代の国王が死んだあと、後継者をめぐる争いがありました。その争いの中でウォッチは憲兵という立場を利用し、邪魔者に反逆者の疑いをかけ、ことごとくを処刑したというのです。
噂を肯定するように、ウォッチの指揮する憲兵隊には、見るからに素行の悪い人間ばかりが集まっていました。良心や騎士道精神には従わず、ウォッチの命令にだけ忠実な集団なのです。
ライラはこの男が苦手でした。大好きだったアニー叔母さんが変わってしまったのは、この男の影響ではないか。そう思えてしまうのです。