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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
SecondGame
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第073話

 坂道を全力で登る。その過程は足腰に多大な負担をかけるものだ。それがアンクルを足首に付けながらならば尚更のこと。


「うおおお!」


 武は道路に吸い付けられる足を強引に持ち上げて、坂を一歩ずつ進む。声を出し、その後は歯を食いしばり走りきる。ゴールに待つ吉田の前を過ぎたところでタイムウォッチが切られた。


「おお。さっきより二秒速い。すげーじゃん」

「は……が……は……」


 吉田の賛辞に反応できず、武はその場に座り込む。アスファルトは太陽の光で焦げ付きそうなほど。頭から流れ落ちた汗が落ちて模様を形作っていた。

 二人がいるのは中学から少し離れた場所にある坂道の途中。秋のマラソン大会のコース上だった。周囲は住宅地。もう少し先に行くと木々に囲まれた高校がある。吉田は家々に出来る影部分に置いてあったスポーツ飲料のペットボトルを武へと放った。それは座っている武の前に落ちる。

 武は落ちる直前に手で掴んでいた。


「とと」


 手の中から落ちそうになるペットボトルを体重移動で支えてから、武はゆっくりとキャップを開ける。その間に切れていた息も落ち着いていった。

 一息で半分まで飲んだ後、武は尋ねた。


「二秒、だって?」

「うん。二秒」


 視線を向けると吉田は武が走ってきた方向に目を向けている。武もつられると、杉田が走ってきていた。武に続いて三番目。遅れて橋本が追ってきている。

 試合後に吉田が考案した体力トレーニングの一環。金田と笠井が全地区大会のための特別ノックをしているため、基礎体力重視にと一、二年は外に出ていた。この後は吉田と武はダブルスの試合形式練習をすることとなっているが。


「でもこれで練習になるんかな」

「疲れてる時に相手を倒せるかも必要だぞ。あとは回復力」

「でも最初から出来ないだろ。一応金田さん達のためのダブルス練習なんだから」


 まだ起き上がれない自分に武は苛立ち始めていた。まだこの後も走ってから金田達とダブルスをする。万全の体調でもぎりぎりの競り合いとなるのに、これでは簡単に負けてしまうのではないだろうか。


「相沢。お前、もう少し自分勝手になれよ」


 微笑みながら杉田のタイムを押す吉田。続けて橋本のタイムも言い、二人にペットボトルを投げてやる。用意されたペットボトルは人数分あった。


(お前はもう少し抑えたほうがいいかもね)


 敗戦から一週間。吉田は何も言わなかった。小学生の時に初めて優勝した時から、おそらく負けたことがなかったはずなのに。以前勝った相手に負けたというのはどれほどのショックなのだろうかと武は考える。

 思い切り泣いて家に帰った大会の夜。ベッドに横になっても悔しさはまだ尾を引いた。試合中のシーンが蘇り、要所要所でのプレイを自己採点するといくらでも他の手が思いついた。客観的に見られるようになればそれは当たり前のこと。思いついたプレイを試合中に実践できるかが実力というものだ。

 いくつもの手を考えられるようになった分、実践できなかったことへの怒りが身体を駆け巡り、結局、武は寝不足の日々を送るようになっていた。終わった直後は気持ちを切り替えようと思っていたが、難しいことを痛感している。


「なあ。吉田って悔しくて眠れないことってあるか?」


 徐々に集まってくる男子部員達を見ている吉田へと問いかける。質問の意味をすぐに捉えたのか、吉田はうなずいて語りだした。


「そりゃあったな。小学校三年までは」

「四年からはなくなったのか?」

「公式戦じゃ負けなくなったし」


 さらりと凄いことをいう、と武は突っ込もうとしたが話の流れを切りたくないために抑える。


「それにさ。一回負けて確かに終わりなんだけど、まだまだバドミントン続けていくだろ。その間で強くなればいいんだ。昨日の俺より強く。今日の俺より明日の俺はもっと強く。そう思って練習してるとさ、負けた悔しさよりも次にどうやれば勝てるかを考えて、楽しくなるんだ」


 いつになく熱を持って語る吉田の顔は、武が今まで見た中でも最高の笑顔だった。言葉に嘘はない。内にある想いを余すことなく表現している。


「そんな時、思うんだよな。俺ってバドミントン好きなんだなって」

「そう、だな」


 シャトルをいかに落とすか。相手の裏をつき、思考を読む。

 一つ一つのショットが正確になっていく過程。

 技術が、体力が付いてくる実感。どれもが楽しい。武は改めて思い出す。


(俺も。バドミントンが好きだ)


 学年別大会のダブルス決勝の手ごたえ。成長できたと感じられたこと。成長したからこそ、本当の負ける悔しさを得ることが出来たのだ。そこに至り、武は勢い良く立ち上がる。


「おっし! もう一走りするか!」

「お、やる気だね」


 休憩から回復して近づいてくる杉田の言葉に笑う。今の武には全身に気合が満ちていた。



 * * *



 午後七時になろうとしているにも関わらず、空はまだ茜色が多少残っていた。体力が尽きかけた身体を引きずりながら空を見上げる武の目には、十四年の人生で一番綺麗だと思える景色が広がっていた。


「おおげさだね」


 後ろからかけられた声に武は思い切り動揺する。声に出ていたのかと慌てて口を塞ぐものの、その動作が更に笑いを誘ったのか声の主である由奈は堪えきれずに息を吐き出してしまう。


「ははは! おっかしい」

「笑うな!」


 夕日が消えかけて辺りが藍色に包まれようとしていても、武の顔の赤さは由奈に見えただろう。そのことが優越感に繋がったのか、由奈は武に繋がるといきなり背中から抱きついた。


「わっ!?」

「たーけし。早くかえろ!」

「なんでそんなハイテンションなんだよ!」


 酒を飲んだわけでもないのに絡んでくる由奈に疲れながらも駐輪場に辿りつき、武は由奈を背中から下ろした。


「良かった」

「何が?」


 ラケットバッグを背負いなおし、自転車のロックを外そうと鍵を探す武へと、由奈は言葉を向ける。優しく、慈愛に満ちた柔らかい声を。


「久しぶりに元気な武見た」


 がしゃん、と自転車のロックが外れる。武は鍵を制服のポケットにしまい、サドルにまたがった。


「武」

「由奈」


 お互いを呼ぶ声が重なり、二人の動きが止まる。次に何を言おうとしたのか先に促すものの、譲り合って結局言うことが出来ない。


「はぁ。なにやってるんだろ」

「ほんとだね」


 武の顔にも由奈と同じく笑みが浮かんだ。その顔を見てまた由奈は満足する。

 久しぶりに見た、笑顔を。


「武。試合の後からずーっと、笑ってなかったよ」

「そうか? クラスじゃ普通に笑ってた気がするけど」


 今日までの行動を振り返ってみても、特に寂しそうにした記憶はなかった。それでも由奈の言いたいことは分かる。試合後からしばらく由奈と一緒に帰ることもなかった。部活でもどこかぎこちなかった。そんな武を由奈は見てきたのだろう。武自身が気づかないところを。


「心配かけたみたいだな」

「そりゃね。このまま終わっちゃうかと思った」


 そこまで言って由奈は自分の自転車を取りに行く。武から少し離れた場所。今までほぼ毎日していた一緒の登校も控えていた証拠だった。

 自転車を取り戻ってきた由奈の顔を見て、武は目をそらした。今までもよく見てきたはずだったが、今見る顔はどの時よりも綺麗に見えた。


(なんだろね)


 景色といい由奈といい、今の自分の目は壊れているのだろうかと武は心配する。でも心に焦燥感はない。むしろその事が嬉しかった。


「大丈夫? ぼーっとしてるけど」

「あ、ああ。疲れただけ」


 由奈の言葉に我に返り、武は自転車のペダルを漕ぎ出した。少し後ろを由奈がついてくる。油が切れかけているのか足を動かすたびにキィキィと音が鳴り、それが武の意識を現実に留めさせた。もし無音のままで進んでいれば、自分が何かを越えてしまうような気がしていたのだ。


(本当、なんなんだろ。変な気分だ)


 生温く、夏を感じさせる夜風が武の頬を撫でる。他にも微妙に感じていた緊張感が背中に汗を伝わせていく。自分で自分を制御できなくなるような気がして、武は首を軽く左右に振った。その様子を後ろから見ているだろう由奈を意識して更に緊張は高まったが。


「武。やっぱり疲れてるー?」


 自転車で進む中、二人の間を隔てるのは風の壁だった。さほど速度は出していないが、大きめの声を出さなければ届かない程度の厚さが生まれている。武は聞こえない振りをして信号機の場所まで進み、赤色に遮られた。


「疲れてる?」


 聞こえなかったと判断したのだろう。由奈は再び問いかける。武も振り返って認めた。どうしてここまで緊張をしていたのかを。


「えーと、由奈。今度の日曜さ」

「え、バド? 久しぶりに武とできるの?」


 日曜日という単語に由奈はたまに市民体育館でやっていたバドを思い浮かべたらしい。その後に続けようとした言葉を飲み込んで、武はうなずいた。


「ああ。最近は試合のために休日も真面目に練習だったから。今度は気軽にやろうぜ」

「えー。私のとバドは遊び?」

「練習よりはな」


 青信号と同時に飛び出しながら、武は由奈の存在を改めて感じていた。



 ◆ ◇ ◆



 ラケットバッグを落として、吉田はベッドに横になった。武達に体力トレーニングを率先している以上、自分も同じように行い、更に他の部員達の様子も見る。疲れは武達よりも大きかったが、それでも大丈夫なように見せることが出来る精神力を吉田は持っていた。


(素直に疲れたってへばればいいんだけど)


 思った通りにしないのは、単純に吉田の意地だった。誰が頼んだわけではなく、自分で他の部員達の手本となろうとする。上に立つ者として恥ずかしくないように。

 しかし、最近は少しずつ弱い部分を見せていた。微細な変化のため気づいている者はほとんどいないだろう。一番驚いているのは吉田自身。変化の理由も目処は付いている。


(相沢は気づいてないだろうな)


 最も大きな理由である張本人は、最近まで敗戦に落ち込んでいた。個人戦で三位に入れずに全地区大会へはいけない。それでも団体戦でいけるのだからそこまで落ち込むこともないだろうに。そう思っても吉田は何も言わなかった。敗戦を乗り越えることも成長には必要だと分かっていたから。今の自分があるのも負けたことがあるからだということを。


(とりあえず、次のことを考えないとな)


 団体だけでも全地区には出られる。

 今回は駄目だったが、次の大きな大会である全日本ジュニア選手権大会では全道へと進む気はある。そして、来年の最後の中体連――全国中学校バドミントン大会で全国大会へと進むために、全道へと進んだ際に倒すべき相手を確認する必要がある。

 団体だけでも全地区大会に進めたのは収穫だった。あとは勝ち抜いて全道へと進むだけ。


(父さんからビデオカメラでも借りようか……)


 情報収集のための手段を考えていた時、耳元に置いていた携帯電話が鳴った。普段からマナーモードに設定しているため、振動が伝わる。手に取ってみると、メールが届いている。

 差出人は――


「西村?」


 名前を見た瞬間に思わず声を上げてしまった。今年に入るまで何度かメールのやり取りをしていたが、学年別での吉田自身の成績を報告してから連絡が途切れていた。吉田も部活や勉強に流されて気にはなっていたが結局音信不通のまま時を過ごしていた。

 久しぶりのメール。少し緊張しながらも、吉田はボタンを押した。

 吉田の顔に、一筋の汗が流れていった。

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