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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
SecondGame
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第072話

 足が、腕が、身体が重い。

 ファイナルゲームまでこなせる体力は残っていた。それでも身体は動くことを拒み、なだれるように思考も停止していく。取れるシャトルが取れない。届くはずのシャトルへと届かない。耳も何か詰まったように周りの音を取り込まず、視界も狭まっていった。


(くそっ!)


 歪む視界。水の中にいるかのような感覚。どこかで、似たような経験をした気がすると武が思った瞬間、どろどろの空間を突き抜けてきたシャトルが武の胸に当たる。

 一瞬の痛み。硬直。そして、審判のコールだけははっきりと聞こえた。


「ポイント。イレブンエイト(11対8)。マッチウォンバイ、大沢・高見」


 敗北の瞬間だけ、鮮明に武の中へと刻み込まれた。



 * * * * *



 男子ダブルス決勝の舞台。すでに女子は全試合を終了しており、男女全ての視線がこの試合に集まっている。注目が集まる中で金田のスマッシュがうなり、返って来たシャトルを笠井が強引に押し込む。二人のコンビネーションに大沢と高見は完全に反撃の糸口を見失っていた。

 ゲームポイント一対一で迎えたファイナルゲーム。序盤からずっと金田達はペースを握り続けた。一ゲーム目は競り合って大沢達が勝利したが、二ゲーム目は三点差。そしてファイナルは六点の差がついている。


「ポイント。テンマッチポイントフォー(10対4)」


 肩で息をする大沢達に比べて、金田はまだまだ余裕がある。第一ゲームの序盤から今まで、上がったシャトルは全てスマッシュを打ち込んできたというのに、まだまだ切れは増していくようだった。


「さあ、ラスト一本!」


 金田のショートサーブ。大沢はプッシュをしようと前に踏み出したが、シャトルはネットすれすれに飛び、その隙を与えない。


「くっ!」


 身体を捻って何とかラケットを振った大沢だったが、シャトルは打ちそこないの弱弱しい軌道を描き、金田の目の前に浮かんだ。


「ラスト――!」


 飛び、落ち始めたシャトルを上から叩く。体勢を崩してその場に尻餅をついた大沢の耳元を掠めて、シャトルはコートへと叩きつけられた。次に起こるのは、歓声。そして金田と笠井の雄たけび。


「よっしゃぁああ!」

「やったな!」


 二人は抱き合い、自分達の力でもぎ取った優勝を噛みしめあう。ネットを挟んだ大沢と高見は沈黙し、まさに天と地の差だった。


「握手してください」


 決勝で審判を務めていた吉田が、ネットの下部分を持ち上げて二組に催促する。それぞれの事情で試合を締めることを忘れていた金田達は慌ててネット前に集まった。


「ゲームカウント、二対一で金田・笠井ペアの勝利です」

『ありがとうございました!』


 握手をする頃には大沢達も金田達を称える余裕が出来たのか、笑って祝福していた。おそらくは、一年の時から関わっていたのだろう。敵というよりはやはりライバルで。試合が終われば仲間となるのかもしれない。

 そんなことを考えて、武はラインズマンが座る椅子から立ち上がった。

 届かなかった場所を見なければいけない苦痛が、届くはずだった場所への階段を踏み外した情けなさが武を支配して動きを鈍くする。


「相沢。このままラインテープ剥がしはじめてだってさ。俺、シャトルとスコアボード置いてくるわ」

「分かった」


 吉田の顔を見ないまま応えて、武は立ち上がるとラインテープを剥がし始めた。吉田は何も言ってはこず、遠ざかっていく。試合のラインズマンという緊張の元から解き放たれた武の中には、自分自身への情けなさと、吉田への罪悪感で一杯だった。


(負けた……大沢さん達にも。安西達にさえも!)


 揺れる視界。気を緩めれば泣き出してしまいそうだった。もう周囲には武と同じようにテープを剥がしている選手達がいる。ここで泣いては注目の的だった。

 剥がしている間にも記憶が蘇る。

 大沢達にフルセットの末に敗れたこと。

 そして、三位決定戦で金田達に敗れた安西と岩代との対決となり、再び破れたこと。学年別で勝て、共に練習した時も負けはしなかった。それにも関わらず本番での敗北。武達は全地区大会へは進むことが出来ない。


(俺が悪いんだ……俺が、上手くできなかった。なんでだよ。何が、違ったんだ?)


 大沢達にはファイナルゲームで競り負け、安西達にはストレート。それでも共に十一対九。後一歩で勝てたはずなのだ。それなのに、武はスマッシュでミスを連発し、伝染したかのように吉田もヘアピンのミスが目立った。結果として、対戦相手が逃げ切った。


(そうだよ。完全な自滅だ。勝てるはずだった。はずだったのに!)


 一コートのラインを剥がし終えて周囲を見ると、ほぼ作業は終わっていた。手持ち無沙汰になった武は汗をかいたウェアを脱ごうと、ラケットバッグが置いてある客席へと向かう。そこに背中から声がかかった。


「あ、武」


 聞き慣れた由奈の声に身体が震える。もしも何かを話してしまえば、弱い自分が噴出すことは武が良く知っていた。彼女を無視して足を踏み出す。ちょうど弱弱しい声だった。聞こえなかったことにすればいい。


「武」


 だが由奈は強い口調で名前を言いなおし、傍に近づいてきた。聞こえない振りはできない。どうするか武は考える。


(考えるっていったって、どうしようも、ないじゃないか)

「今から着替えに行くけど、ついて来る?」

「行かないよ」


 冗談めかして言うことには成功したのかと由奈の反応を探ろうとする前に、答えが出ていた。


「大丈夫?」


 ごまかすことは完全に失敗していたらしい。

 素直に言うことは簡単だった。それでも、武は口にせずに由奈を置き去りにする。

 どうすればいいか分からないほど、心はダメージを負っていた。

 シャツを着替える間も脳裏には三位決定戦の映像が流れる。自分のスマッシュがネットに押し返され、相手のスマッシュをフレームに当てて見当違いの方向へと飛ばしてしまう。吉田のドンマイ、という言葉が重く、徐々に厳しくなっていくように試合中の武には思えていた。

 安西達からのプレッシャー。内から来る緊張。両方に挟まれて動けなくなった結果が、敗北という事実。


(くそ。もう帰りたい)


 準決勝と三位決定戦。二戦を終えて汗を大量に吸っていたユニフォームも乾き、汗の少し嫌な匂いを放っている。でも、それが試合の終わりを武に伝えて更に気分を落ち込ませた。


「相沢。表彰式はフロアに降りろよ?」


 新しいシャツを着ている間に声がかけられる。主は分かっていた。

 頭を出して裾を整えてから向き直る。


「はい。先生」


 言ってからフロアに降りようと背中を向けた。そこで更に庄司からの声。


「ここで終わるお前じゃないだろう?」


 そうですね、と返すことが出来ずに武は足を進めていた。一年の頃ならば言えただろう。今と一年の時と何が違うのか急に分からなくなる。自分のことにも関わらず。


(頭ぐちゃぐちゃで考えられないな)


 数えることが面倒になるほどの嘆息の数。一つ吐き出すごとに気力が失われていく。各校並んで選手達が整列したところで役員が閉会の言葉を紡ぎだしたが、武の心は上の空だ。


「男子団体優勝。浅葉中」

「はい!」


 拍手に送られて金田が前に足を踏み出す。胸を張り堂々とした立ち振る舞いは勝者の自信に満ちていた。自分も団体戦メンバーなのだから、全地区大会にはいける。それはそれで嬉しいことだった。それでも勝者と敗者。自分と金田や安西達の間に流れている淀んだ川の要素は『勝者の自信』だ。

 一位のトロフィー。二位、三位がもらう賞状。それらを手にするために前にいく選手達と自分には、雲泥の差がある。

 これが負けるということ。本当に「負ける」ということ。


「……くしょう」


 心の奥底から湧き上がる感情。嫉妬の黒い炎が武の身を焼いていく。

 力を込めすぎて震える右手に添えられたのは、後ろに立っていた吉田の手。


「相沢。今は、落ち着け」

(落ち着け、か)


 安西達との試合中も何度も言われた言葉。しかし武には届かずに破れた。また記憶が蘇り頭が痛む。結果的に痛みを堪えることに集中していたため、閉会式が終わるまで武は俯いたままだった。




 閉会式が終わり、体育館は今日一日の役割を終えた。外に出るとすでに夕闇が押し寄せてきており、室内にいたため忘れかけていた時の流れを部員達に知らせる。

 出口付近の外灯の下に、庄司を中心に円形に立っている浅葉中バドミントン部員達がいた。


「みんな、今日は良く頑張ったな。成績としては、女子シングルスで早坂が優勝」


 庄司の周りに集まった部員達は、早坂の成績に感嘆のため息を漏らす。武は見ることが出来なかったが、圧倒的な強さで早坂は決勝戦を勝っていた。団体戦で苦戦していた姿が嘘のように消え、軽やかにコートを舞って相手を圧倒していた。


「そして女子ダブルスは宮川・鈴山ペアが準優勝。男子は、金田・笠井ペアが優勝だ」

『おおー』


 拍手と共に祝福される勝者達。その中に、武はいない。それでも、表彰式の時ほど落ち込まず、拍手で勝者を称えていた。


「男子シングルスが振るわなかったが、特に二年。優勝者と三位は小島と刈田だ。まだ少し先だが、大きな壁になるから注意しろよ」

『はい!』


 橋本らが同時に言う。武と吉田もほとんど遅れずに口を開いたが、そのずれはやはり分かってしまうらしい。庄司の視線が二人を軽く貫いた。


「じゃあ、今日はこれで解散だ。気をつけて帰るんだぞ」


 言葉を皮切りに「お疲れー」と言葉を残して去っていく部員達。武も他の男子部員達に声をかけられ、それに応えていたが心ここにあらずという状態だった。結局、最後までその場に残ったのは武と吉田。そして庄司。最初から残るものと思っていたらしく、庄司は特に反応を見せず武の次の行動を待っている。


(見てる。吉田も、先生も)


 次の行動、といってもたいしたことではない。武自身、ただ聞きたかっただけなのだ。自分がどうして今日、優勝できなかったのか。最悪、二位になれなかったのか。どうしても整理をつけて帰宅したかった。そうでなければ今後もしばらくは部活で引きずるに違いない。


「何で、俺、は」


 ようやく口を開いても言葉が詰まる。落ち着いて考えればとてつもなく生意気な発言だろう。勝てるはずなんて。絶対、なんて言葉はスポーツにはないのだから。


(そう、か)


 武の中に一つの答えが固まりかける。それを後押しするかのように、庄司が口を開いた。


「どうして負けたかって? もう相沢は気づいてるんじゃないか?」


 吉田が武の先を促すように誘導する。それでも最初、武は口をつぐもうとした。考えがまとまるにつれ、自分が実力に見合わないような発言だと理解できたし、向き合うことで試合に負けた悔しさがまた込み上げてきたからだ。それでも庄司と吉田は武の発言を待っている。武自身の口から発することで、今日一日を終わらせようとしている。


「俺は……勝てると思ってた。でも相手に、競り負けた」

「そうだな」


 武が話しやすいようにと庄司は相槌を打つ。吉田は無言で武を見ていた。先に続く言葉はもう分かっているという、微かな笑みを口元に浮かべて。


「俺はまだ、本当の強さを見につけてなんかいなかったんです。競り合って、競り勝つ忍耐力が……地力の強さが足りなかった」

「そうだな」

「先生」


 俯き加減に向けられていた視線が、庄司の顔へと戻る。庄司の目に映るのは、頬を伝う涙を拭わない武の姿。


「俺、本当の意味で強くなりたい。吉田と、もっともっと強くなりたい」

「できるさ」


 大きな手が優しく右肩にかけられ、武は身体を震わせる。暖かさと包容力のある掌が肩にあるだけで、悔しさが和らいでいく。


「経験は本当に強い者だけが蓄えられる。相沢は強くなれる。お前なら、挫折に潰されることはない。もっともっと、上を目指せる」

「はい」

「だから、今日は思い切り泣いておけ。明日からまた頑張るために」


 涙と嗚咽。止まることなく流れ続ける。夜の帳が下りた体育館の片隅で、武は思い切り泣いた。人に見られる恥ずかしさはない。自分の甘さや弱さを精一杯吐き出していくことで、一目など気にする余裕は無かった。


「うぁあああああああ!」


 喉が枯れるまで叫び、ようやく武は嗚咽を止めた。しばらく震えていた横隔膜も落ち着き、息苦しさも終わる。


「相沢」


 吉田が相変わらずのタイミングのよさで武へと話しかける。


「強く、なるぞ」

「……ああ」


 掲げられた吉田の右拳。そこに向かって、武も右拳を軽く伸ばした。ぶつかりあう拳の痛み。そこから伝わる気迫。

 武は涙を拭い、歩き出した。

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