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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FirstGame
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第054話

 それだけ言うと由奈は走り去る。目で追っていくと扉のところに早坂の姿が見えた。目線が重なると彼女の考えが伝わってくるように感じられる。


(勝ちなさいよ。早く、ここに来なさい)


 シングルス決勝に臨んだ早坂の口から漏れた言葉。先に行っているという言葉。それに連なる思い。


「相沢。行くぞ」


 そして吉田の言葉。自分と共に勝ちたい。それまで透明な膜が張られていたかのように届かなかった気持ちが、武の中に流れ込む。

 自分を縛り付けていた鎖が一つ一つほぐれていく。


(なんでだろう。さっきまで、なんで俺は……)

「ストップだ!」


 これまで以上の咆哮が響き渡る。腹の奥底から相手へと叩きつける吉田には、絶対勝つという気持ちが込められていた。

 それは最後の鍵。武の身体を覆う鎖を外す、最後の。


(俺は、馬鹿だった、な)


 武が構えることで試合が再開する。武の時と同じようにロングサーブ。吉田はそれに追いついてドロップで前に落とす。そこに岩代が詰めてきてストレートにヘアピンを放った。


「おっらぁあ!」


 武は思い切り叫んでロブを上げた。サーブ時の吉田に負けないくらいの叫び。準決勝までの武の力強い咆哮。


「ストップだ!」


 シャトルを上げたことでサイドバイサイドを取り、安西達のスマッシュを待ち受ける。シャトルは武へと飛んでくるが、体勢を低くするとほぼドライブを返すようにしてバックハンドで跳ね返した。前に構えていた岩代も武の返したシャトルの速さに反応できず、ただ前に立つ。

 その後も安西がスマッシュを放ってくるが、吉田も武もその防御を崩さない。耐え切れなくなった安西はハイクリアを上げて防御陣形を取った。そこにいたのは、吉田。


「吉田!」


 武の声に吉田は思惑を悟ったのか、シャトルを取らずに前に詰めた。開いた場所には武が移動する。声をかけた分だけ遅れる落下位置への移動。誰もが間に合わずに攻めきれないと感じていた。

 武と吉田以外は。


(うおおお……)


 ほとんど水平飛びで、武はシャトルを追いかける。身体を左側に曲がる限り傾け、インパクトに力を溜める。

 身体が宙を舞う。重力から一瞬だけ解き放たれ、武はコートの下にさっきまでの自分を置いていった。


「――ぉああああああ!」


 強引とも呼べるスマッシュ。

 武の上半身のバランスがあるからこそ放てる技。

 力強いスマッシュが、安西のラケットに弾かれてコートの外に転がっていた。


「っしゃぁああ!」


 スマッシュを打ち込んだ時の音以上に声を張り上げる武。拳は天井をつき、全身から気合の漲る様子が十分周囲にも伝わっていった。

 試合にかける闘志。それこそ、武の最大の武器。


「相沢!」


 吉田もいつもより大きな声で片手を上げる。そこに武は叩きつけるように左手をぶつけた。乾いた音を響かせるハイタッチ。お互いに痛みに掌をひらひらとさせていたが、顔には笑みだけが広がっていた。


「ようやく復活だな」

「悪い。今まで」


 返されてきたシャトルを吉田が取る。点差は六点。今までの流れからして、ここから逆転するのは簡単ではない。

 しかし、武は今まで以上に自分の力を実感していた。


(今は、負ける気がしない)


 吉田のサーブからロブが上がる。トップアンドバックの陣形を取り、武はシャトル目掛けてラケットを叩きつける。


「おらぁ!」


 狙うのは中央。安西と岩代の間。速度の乗ったシャトル最後までラケットにインターセプトされず突き抜ける。どちらが取るか迷う一瞬を武のスマッシュは与えはしなかった。


「ポイント。セブントゥエルブ(7対12)」

「ストップ!」


 安西達も今までと明らかに違う武達に気づいたのか、空気が変わる。その中、武は吉田と安西、岩代。そしてコートだけが目に入る。歓声も聞こえない。その世界にあるのは心音と息遣いだけ。


(集中できる。どこに、隙がある?)


 ショートサーブを上げて横に広がる。チャンス球を生かそうと安西はドロップで武のほうへと落としてきた。前に詰めてくる岩代を見て、武の甘いヘアピンをプッシュで叩こうとしていると分かる。


(どこに隙がある?)


 武の前へと出ようとする岩代を見た瞬間、その左側に空間が出来る。


(そこだ!)


 ラケットを寝かせてヘアピンをしようとした武だったが、直前で手首を返して立てると右方向へとプッシュで打ち込む。それは前に出てきた岩代へのカウンターとなり、コートへと落ちていった。


「ポイント。エイトトゥエルブ(8対12)」

(見える……隙が)


 吉田の後ろに構えて安西達を見る。横に広がり防御陣形を取っていても、武はどこに打ち込めばバランスが崩れるかなんとなくではあるが見えていた。吉田のサーブを警戒して少し後ろに構えて、ロブを打ってスマッシュを放たれても取るという気合が見て取れる。

 吉田のサーブによって上げさせられたロブ。今度は絶対に取るという相手の気合が武へと伝わる。打つ前に一瞬だけ目を向けると、二人とも身体は前傾姿勢で前にいた。体勢を低くすることでスマッシュをドライブと同じくらいの弾道にしてしまおうという作戦。

 だから、武は一歩だけ後ろに下がった。


「はっ!」


 スマッシュと同じ体勢から、シャトルを平行に飛ばす武のドライブクリアは安西の上を越えんと速度を保ち飛んでいく。スマッシュではなかったが、とっさに反応してラケットを上げただけでも安西の反応速度は良かった。

 しかし、当てるだけにとどまったシャトルはふわりと浮かび、前にいた吉田が難なくスマッシュを決めた。


「ポイント。ナイントゥエルブ(9対12)」

「しゃあ!」


 吉田のところへ走ってハイタッチ。それだけでお互いの気持ちが通じているような感覚。


「さあ、一本だ!」

「おお!」


 二人の気持ちが繋がる。

 一足す一が、三にも四にもなる。

 お互いがお互いを動かしていく。


(これが、ダブルス。これが、勝つために必要なこと)


 試合の中で武は何度も触れてきた事実を、改めてかみしめていた。

 勝つために必要なこと。それは考えること。

 どう打てば相手の体勢を崩せるか。それを二人で協力し合うのが、ダブルス。


「ポイント。テントゥエルブ(10対12)」


 武のスマッシュを弾き返したところにある、吉田のラケット。柔らかなタッチでぎりぎりに落とされたシャトルを強引に上げ、体勢を戻そうとしたところへと叩きこまれるスマッシュ第二撃。


「ポイント。イレブントゥエルブ(11対12)」


 ショートサーブと見せかけたロングサーブを打ち上げ、ドロップがやっとの返球をヘアピンで決める吉田。


(そう。全てを思考に。それが、バドミントンだったんだよな!)


 パートナーをカバーしようとして陣形を崩せば、自分達がピンチになる。逆に隙を探してそこに打てば、甘い球が返ってくる。結果的に厳しい球を拾わない分、体力も続く。

 それがカバーするということ。全ては勝つために繋がること。


「ポイント。トゥエルブオール(12対12)」


 遂に追いついたところでタイムを取る安西達。吉田はサーブラインに構えたまま武へと呟く。


「今のままで第二ゲームまで一気に取るぞ。今の俺達なら出来る」

「ああ」


 吉田の言葉に、武が感じている一体感を吉田も感じているのだと悟る。同じ視界。相手の隙を突くこと。そうすれば、どのように返ってくるのかが分かる。同じものが見えているのならば、パートナーがどこに打つかも分かり、次の行動が立てやすくなる。


「一本!」

(これが、ダブルス、か)


 これまでと全く違う感覚は、武の実力を更に高めていく。新たな世界への扉を開かんと、武は全力でスマッシュを放った。


「よっしゃあ!」


 ダブルスの可能性と、自分の実力の高まりと共に。

 武は最後まで全力で走りきった。



 * * *



「今日はみんな頑張ったな」


 客席の浅葉中の一角。庄司が一番高い位置に立ち、その下に部員達が並ぶ。フロアはすでにコートを形作っていたテープもポールも取り払われ、先ほどまでの試合の熱気は冷めかけていた。

 それでも武はまだ興奮が冷めない。首から下げるメダルに今日の全てが凝縮していた。


「今回は二年男子シングルスで金田が優勝。笠井が三位。ダブルスは金田、笠井組が優勝。女子二年シングルスは宮川が二位。ダブルスは浅香、星野組が二位。一年男子シングルスは吉田が二位でダブルスは吉田、相沢組が優勝。一年女子シングルスは早坂が優勝」


 庄司が一通り言い終えると全員が一斉に拍手する。勝者も敗者も関係なく、祝福する。武は小学生の時も経験していたが、いつも祝福するだけの立場だった。だが、今は遂にされる側になっている。


(よかった。この一年が、報われたんだ……)


 小学生でのバドミントンが終わって、初めて中学の試合を見たのはこの学年別大会だった。そこで中学のレベルの高さに恐れを抱き、やっていけるのかと不安にもなった。

 だがそこから由奈や若葉、早坂に橋本、庄司など多くの人に支えられながら力をつけていき、とうとう上までたどり着いた。吉田というパートナーと共に。


(やべ、泣きそうだ)


 鼻の奥がツンとして、視界が歪む。ここで泣いては煩く言われそうだと堪える武に若葉が静かに傍へと寄ってきて武の頬をつねる。


「あっれ? 武、泣いてるの?」

「泣いてないよ、いててて」


 維持になって対抗したが痛みに少し涙が出て、結果的にカモフラージュになった。それが若葉なりの気遣いだということにはすぐ分かる。吉田とのダブルスとはまた違う、双子だからこその意思疎通。


(サンキュな、若葉)


 指が離れた頬を摩りながら感謝しているうちに拍手は終わり、庄司も解散を宣言する。


「これで今日は解散だ。勝った者も負けた者も自分の課題が良く見えたと思う。次の試合で一つでも上にいけるよう、部活で頑張って欲しい。特に、今日優勝した者はこれからは目指される立場になるからな。では、以上」

『お疲れ様っした!』


 一斉に挨拶をして、荷物を持って歩いていく。一年男子は体育館から開放されるのが嬉しいのか、武よりも先に階段へと走っていく。それでも他の中学の部員達でつまるため、武は少し遅れていこうと足を止めた。


「相沢」


 吉田に話しかけられて、武は振り返る。視界に入った顔には疲労が色濃く出ていた。ダブルスで優勝が決まってから、吉田はしばらくコートにしりもちをついたままだった。本当に試合が全て終わったことで完全に体力が底をつき、表彰式までフロアの壁にもたれていたのだ。

 今は普通に歩ける程度には回復している。


「今日の経験。無駄にするなよ」

「もちろん。気をつけて帰れよな」

「親がいるから大丈夫さ」


 そう言って去っていく吉田の背中に、武は無言で礼を送った。今までの感謝と、これからの挨拶を。人もまばらになってきた階段に武も向かおうとして、約束を思い出した。


(そういや、由奈と一緒に帰るんだっけ)


 視線をさまよわせると、早坂達と何かを話し終えてからやってくる由奈の姿が見えた。早坂や藤田など他の一年生女子は逆側の入り口から出る気らしく、反対方向へと歩いていく。

 残るのは武と由奈となる。


「武。帰ろ」

「お、おう」


 由奈の言葉に心臓が高鳴る自分がいることを武は自覚していた。先ほど早坂達に言ったのは自分と帰るからということではないのか? と邪推してしまう。


(自意識過剰だよな)


 結局、ここ数ヶ月の間合いから一日で一気に踏み込まれていた。吉田との距離が近づいた今日一日だったが、由奈の気持ちが分からないまま。

 小学生の時はまだ分かっていたのに。


(まあ、帰ってれば理由分かるか)


 一緒に帰ることを望んだのは、何かしら武に答えを示す意図があるからだと武は思った。だからこそもしかしたらという期待も浮かんでしまう。

 自分の中の由奈への思いを自覚した時から、ずっと思ってきたことを。

 体育館から出ると雪はすでに止んでいた。風は粉雪を運んでいくが、歩道についた足跡を消すほどではない。他の部員達は口々にお疲れ様と言い合って岐路についていく。橋本など一年生部員はいるかと武は思ったが、何故か一人も残っていない。まるで示し合わせたかのように。


(まさか、なぁ)


 良く知った――主に生まれてからずっと一緒に住んでいる顔が脳裏に浮かぶが、妄想をかきけして歩き出す。

 足跡に沿って進んでいく二人。すでに夕日は西の空に落ちていて、かすかに赤色を夜の空へと向けていた。


「綺麗な空だね」

「ん、ああ」


 そう言いながら武の目線は由奈へと向けられていた。少し前を歩くため、斜め後ろから見る形になり、微かに見える横顔がどこか今までの由奈と違うように見えた。


「武はどんどん上に行っちゃうねぇ」

「そうかな」


 少しずつ広がっていく星空。武の中にも不安が広がっていく。何を言おうとしているのか。自分に向けて何かを伝えているのか、それともただの一人語りか判断できない。心臓の音が耳の傍で聞こえているような気がして、武は手袋をしているにもかかわらず、コートに掌をなすりつけた。


(次に点取られたら負けるってくらい緊張する……)

「でも」


 由奈の歩みが止まる。そこはちょうど人気が少ない横道。ここから少し歩けばまた大きな通りに出る。人や車の流れの間隙。


「そんな武、好きだよ」


 風が、止む。その言葉が武に届くのを邪魔をしないようにした、と錯覚するほど。それくらいちょうどよいタイミング。


「今日の武も本当かっこよかった」

「え、え、えと。由奈」

「だから私も頑張って武を追いかけていくよ。武と同じ目線でいたいから」


 由奈の顔に広がる満面の笑み。真正面で見てしまった武は顔が火照るのを止められず、口をパクパクと開け閉めするしか出来ない。ここまでストレートに由奈から好意を向けられたことはなかった。


「武とさ、疎遠になってたじゃない。この数ヶ月」

「ん、ああ」


 由奈の話が武の聞きたかった期間のことへと移った。そこでようやく余裕が生まれて、武は心臓の動悸を抑えながら聞く体勢に入る。三歩ほど離れていた距離を一歩だけ詰めて。


「あの時さ。武が早さんの好きな人は誰だろうとか言って。私、嫉妬したんだよね、早さんに」


 武にとっては信じられない話だった。由奈とぎくしゃくした次の日からも、普通に二人は話していて一緒にも帰っていた。由奈の心に嫉妬があるなんて外から見れば何も分からなかった。


「早さんと武は同じ世界を見られるんだって思ったら、とても寂しかった。小学生の時から一緒にいるのに、私は置いていかれちゃったなって」


 由奈は話している間に傍に積もった自分の背丈ほどの雪山から雪を取り、雪球を作り上げる。球を握るごとに、その中に何かを込めるかのように。


「でも、この三ヶ月くらいじっくり考えたの」

「なにを?」


 この会話が始まって最初の質問に、由奈は応える代わりに雪球を投げてきた。小さな放物線を描いた雪球は武の着るコートの胸元に当たり、落ちる。


「で、結局たどり着いたのは素直になろうってこと」

「何が『で』なんだよ」


 わざとぶすっとした表情で呟いた武だが、心臓はまた高鳴ってきていてそれを隠すのに必死だった。話の流れからしてとても悪いようには思えない。


(あ、えーとつまりえーと……)


 免疫がないだけに思考がまとまらない。つまり由奈は――


「スキー」

「え?」


 急に話が変わった気がして、武は気の抜けた声を出した。由奈の中では繋がりがあるらしく、少しすねた表情をして続ける。


「学年別頑張ったら、ご褒美をって言ってたでしょ」


 由奈の言葉にようやく思い出す。その後の展開のほうに意識がいって、約束など忘れていた。武が納得いったことが分かったのだろう。由奈はまた笑顔に戻った。


「スキーいこう。二人で。私も、行きたい」


 由奈の顔が赤らんでいるのは、夜の帳が下りてきた今でも分かった。寒さだけではなく、身体の中から来る火照り。今の武ならば分かる。自分と同じ種類のものだと。


(素直になるって言っておいて……なんかはぐらかされてるな)


 それでも心地よかった。吉田とのパートナー同士の繋がり。そして、由奈との繋がり。

 二つの絆がより強く自分に結びついたことを実感できた、一日。


「さて、帰ろうか」


 由奈が背を向けて歩き出す。そこで武の身体は自然と動いていた。早足で隣へと近づき、手を伸ばす。


「……あ」


 由奈がかすかに声を漏らす。武は自分の心臓が破裂しないか心配で気にする余裕はない。それでも少しだけ視線を向けると、頬を赤らめながら俯く由奈の顔が見える。


「明日は、晴れるねきっと」


 空は雲がなく、雪が空気中の埃を落としたことで綺麗な星空まで障害物はなかった。

 俯いている由奈に見えたとは思えないが、武はそこを指摘しない。



 手袋越しの由奈の掌を感じていたかったから。



「そう、だな。晴れるな」


 二つの足跡が並んでつけられる。

 一歩ずつゆっくりと。

 お互いの繋がりを大事に思いながら二人は帰路についた。


「武」

「ん?」

「おめでと」

「……ありがと」


 一年の終わりと、二年目の始まりはそこまで来ていた。

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