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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
362/365

第362話

 最初、自分の心臓の音だけが聞こえてきていた。

 次に荒い息遣い。聴力が一時的に麻痺している理由はよく分からなかったが、ゆっくりと立ち上がると共に頭が冷えていき、同時に外から情報が流れ込んでくる。

 見えたのは相手コートに落ちているシャトル。

 そして、自分へと駆けてくる早坂。


(――え?)


 勢いよく飛び込んできた早坂がそのまま抱きついてきて、武は危うく倒れそうになった。


「やった! やったよ! 相沢ぁあ!!」

「え、あ、お、おう……」


 早坂は悲鳴を上げながら武の背中を何度も両手で叩いてくる。

 武が痛みに顔を歪めるほどの強さで何度も叩いてきて、凄い力を込めて抱きしめてくるために剥がせない

 普段のクールな早坂とは全く異なり、自分に抱きついてきている少女は湧き上がる興奮に体を完全に委ねていた。

 傍に興奮しすぎている人間がいれば、逆に周りは落ち着く。

 武も早坂のテンションの高さによって、落ち着いて周りを見ることが出来た。 そして、ゆっくりと近づいてきた仲間達の姿を視界に収める。

 仲間達も早坂の興奮ぶりに出鼻をくじかれたのだろう。特に武の目には姫川と瀬名、小島が呆気にとられているのが良く見えた。


「早坂。ひとまず、試合を終わらせないと」

「……あっ!? う、うん! ご、ごめん!」


 武の言葉によって自分が何をやっていたのかを理解して、早坂は汗をかいたことによる火照り以上の羞恥に顔を真っ赤にして離れた。仲間達も一度コートの外に出て、武と早坂がネット前に出るのを静かに見守る。

 次の瞬間、改めて爆発するために。


「セットカウント。2対1で相沢早坂組の勝ちです」

『ありがとうございました!』


 勝った武達だけではなく、負けた西村と坂本も晴れやかな笑顔を浮かべたまま声を張り上げる。試合で負けても、声の大きさでは負けないと言わんばかりに。

 お互いを隔てるネットの上から手を差し出し、四人が握手を交わす。

 お互い、パートナーにも握手をしてから一度後ろに下がった。自分の勝利と団体戦の終わりは同じ。一緒に戦った仲間達と並んで手前のサービスライン上に並び、審判の言葉を待った。


「3-2で、南北海道の勝利です」

『ありがとうございました!』


 再度、互いの間に交わされる礼。今度は両チーム十人ずつ、二十人が腹の底から声を出して互いに頭を下げた。お互いに全力を尽くして闘った結果への敬意。そして感謝をこめて。

 その思いが会場中に伝わったかのように、観客席からも拍手の雨が降りてきた。


「おわっ!?」

「きゃあ!」


 拍手に気を取られていた武と早坂は咄嗟に体勢を崩され、持ち上げられて悲鳴を上げる。そして、体は重力から解き放たれたかのように宙を舞った。


『わーっしょい! わーっしょい! わーっしょい!』


 安西と岩代を中心に声を出して、二人を何度も胴上げしていく。

 二度、三度と宙を舞う中で視界がぶれる。それでも、武は隣の早坂の表情を辛うじて見ることが出来た。

 満面の笑みを浮かべた表情に、武は不意に泣きそうになるのをこらえる。


(ほんと、ここまでこれて良かった)


 早坂のことは、小学校で一緒のサークルになってからずっと後ろから見ていた。

 胸の中に怖さと同時に、どうしようもない憧れを抱きながら。

 体力をつけたことで一度追いついて、また力の差を見せつけられて。また何とか追いついたのかもしれない。

 自分のこれまでのバドミントンは吉田と、早坂に追いつくためのものだったのだろう。

 早坂へと追いつき、吉田と並び立つための。

 離されては追いつくを繰り返し、遂に並んで闘うことが出来た。

 昔から一緒に組んできたダブルスのように動くことが出来て、掴んだ勝利。

 武は胴上げが終わると共に、自分の中で一つの想いが昇華されていくような気がしていた。

 消えてしまったその思いは最初からなかったかのように、具体的な内容を思い出すことができない。それでも、胸の内にあったことは忘れないと思えた。

 武と早坂は七回宙を舞ったところでようやく下ろされた。ただでさえ体力が尽きそうな所で胴上げをされたために、床に立つと二人ともふらついてしまった。


「しゃ! 次々胴上げ――」

「その前に! 閉会式だ」


 安西が次に小島を胴上げしようと提案する直前に、絶妙なタイミングで吉田コーチが一度大きく両掌を重ねた。

 すでにネットが張られているコートは武達が試合をした1コートのみで、選手達が閉会式のために並ぶ間に片づけられる予定になっている。

 激戦を終えた南と北の北海道勢は、他のチームよりも一足先に、設置された協会本部の前に歩いていくことになる。吉田コーチによって頭を冷やされる形になった面々は苦笑しながら歩き出した。

 武と早坂もラケットを持ったまま胴上げされたため、ラケットバッグに入れてから背負い、歩き出す。

 その分だけ皆よりも遅れて歩き出したことで、最後尾から皆の背中を見ることになった。


「よ、お疲れ!」


 歩き出したのと同時に横から声をかけられる。

 予想通り、西村が隣にいて笑顔を向けて来ていた。試合に負けた悔しさは全く感じさせず、楽しかったという感情を前面に押し出してきている。

 右に早坂。左に西村と言う並びで歩く中、西村は言葉を続けてきた。


「いやー、相沢も早坂も強くなったなー。てか、お前らのローテーションよすぎだけど付き合ってるのか?」

「違う」

「違うわよって……なんでそんな発想になるの?」


 ほぼ同時に、同じ意味の言葉を発した二人は顔を見合わせた後で笑いあう。

 一度息を吸った後で、今度こそ同時に西村へと言った。


『大事な仲間』


 言うべき言葉は示し合わさなくても分かっていた。

 武はジュニア大会全道予選の後で告白されたことを思い出したが、その思いも早坂の中では昇華されたのだろうと感じ取る。

 二人の間で、試合を通して得た答え。

 自分達は小学校からバドミントンを共に続けてきた大切な仲間なのだと、今なら自信を持って人に告げられる。

 武達の言葉に西村はまた笑って、何度か頷いた。


「なるほどなー。じゃあ、俺はあいつ慰めに行ってくるわ」


 指し示す先を見ると御堂に支えられながら歩いている坂本の姿が見えた。

 俯き加減で肩を震わせながら歩いている様子は明らかに泣いている。試合が終わった直後は武達以上に元気な声で言葉を交わしたが、終わった後で抑えていたものが溢れ出たのだろう。

 西村と異なり、試合に負けたことのショックが大きいに違いなかった。

 もう一度視線を西村に戻した武は、穏やかな視線を向けている表情を見る。そこで試合中に感じたことを告げてみた。


「西村。もしかして坂本って彼女?」

「えっ?」


 早坂が武の言葉に驚きの声を上げるが、当の本人はあっさりと肯定した。


「そうだよ。転校してからすぐ付き合ったんだわ。だからコンビネーションには自信あったんだよなー。んじゃ!」


 話を切り上げて先に進んでいった西村を見ていると、早坂が呟く声が届く。


「照れて逃げたわね」

「……だな」


 笑って明るく見せている反面、気恥ずかしい部分もあるのだろうと分かり、武も苦笑する。

 西村の様子について続けて話そうとしたが、先に早坂には姫川と瀬名が前方から近づいてきて声をかけてきた。


「お疲れ様~!」

「感動した……凄かったよ……」

「ありがと」


 そのまま女子は試合についての会話に入り、武は蚊帳の外になったために足を速めて前を歩く吉田と安西、岩代の傍に向かった。


「お、主役登場だな」

「マジお疲れ」


 試合のなかった岩代は冷やかすように。安西はまだ負けてしまったことに負い目を感じているのか、少し暗い表情をしている。だが、更に暗い男が隣にいて印象が薄くなっていた。安西は隣を指してから早足で離れていった。

 武はため息を付いて吉田の隣に並ぶ。


「お疲れさん。やったな、武」

「香介のおかげだよ」

「俺は……なにも……」


 誰が見ても落ち込んでいるのが分かる吉田の様子に、武は奇妙な気持ちになって笑ってしまった。いつもなら落ち込むのは自分で、励ますのが吉田の役回りだったのに。

 噴き出す息の音が聞こえたのか、吉田はきつい目をして武を見た。


「なんだよ」

「いや。吉田でもそんな落ち込むことあるんだなって思ってさ」

「……そりゃ、そうだろ。俺を何だと思ってるんだ」

「何だと、思ってたんだろうな」


 武は吉田の方に手を置く。

 言葉と共に、手を伝って自分の中にある熱さが伝わるようにという思いを込めて。


「ここまで来れたのはお前のおかげだよ。全国でも、たくさんダブルスの経験が出来た。俺も、お前も強くなれたって思う。だから今度こそ二人で勝とう」


 誰にとは言わない。伝えなくても吉田には理解できている。

 自分達の前に立ちふさがるダブルス――西村と山本もまた今回はコンビを解消してそれぞれ対戦した。

 吉田は負けて、武は勝った。一勝一敗だ。


「西村も山本も俺達と戦いたいと思う」

「……そうだな。俺も、あいつらと決着をつけたい」


 吉田の脳裏にあるのはジュニア全道大会での棄権だろう。その時は吉田の足が持たず、決勝を棄権した。

 今回は戦略上の問題で対戦することはなかった。

 まだ一度もちゃんと戦っていない。


「一緒に勝とう」


 武が再度言った言葉に吉田は頷いて口を閉ざす。その前にかすかに聞こえた言葉は武の中に静かに染み込んでいく。


『ありがとよ、相棒』


 何度も吉田と並んだと思い、その度に高い山を感じてきた。

 表面的な力が追い付いても、それ以上に吉田は心も強く、コートの中で頼ることが減ってきても自分はまだ吉田には敵わないという思いがあった。

 謙虚さを越えた、劣等感。一回戦負けが常だった頃から急激な速度で駆け上ってきたことで、心がついていけていなかったのだろう。

 その弱さが抜け落ちて、自分の中に確固たる自信が芽生えた。


(ここからだ。俺はここからまた、強くなる)


 一つの到達点に来たことで生まれる新しい基準。

 一勝もできなかった小学校六年生から始まった自分の中学バドミントンは、ここでようやく新しいものに上書きされた。

 進んできた道のりの先に努力が結実し、次に来るのは今度の目標だ。

 武は一歩踏み出すごとに、自分の中に新しいものが構築されていくような気がしていた。


 * * *


「これより閉会式を始めます」


 マイクを用いて大会委員長が、集まった選手達に言葉を贈る。

 全国から集った52チームの選手達。520名はそれぞれに晴れやかな顔をしていた。自分達が負けた時は沈んでいたかもしれない顔も、最終戦にふさわしい戦いを見た後で笑みに変わる。

 大会委員長も第一回目の大会の成功として、決勝の武達の試合を話題に上げていた。

 選手達の視線が自分に向くのを感じて気恥ずかしさに肩を竦める。

 だが、前にいた吉田が顔だけを後ろに向けて笑みを浮かべるのを見てほっとすると、周りからの視線から気が逸れる。

 先ほどの会話で少しは気持ちを上向きにできたのだろう。

 一通り大会委員長の話が終わったところで、表彰に移る。


「優勝。南北海道。準優勝、北北海道。三位、東東京、埼玉」


 上位四つの都道府県が告げられて、代表者が前に出る。

 南北海道はキャプテンである吉田が。北北海道は西村。東東京は有宮小夜子。埼玉も武には名前が分からなかったがキャプテンであろう男子が出る。

 三位から再度チーム名を告げられて用意された檀の前に来て、大会委員長からメダルを受け取った。

 埼玉の男子は特に何事もなく列へと戻ったが、有宮は自分のチームへとメダルを掲げた。


「やったよー!」


 胸を張って自分達の戦績を誇る様子に笑いが起き、拍手が一時期大きくなる。

 舌を出して「失礼しました」と告げて戻る有宮へと西村が右手を掲げ、過ぎ去る時に彼女は右手を強く弾いていた。パァンと響く乾いた音は耳心地がよく、武は二人の間の自然さに頬を緩ませる。その動作はおそらく示し合わせたものではないだろうが、やって当然と言う動きに見えた。

 離れていても小さい時に一緒だった者達がまとう独特の空気。

 自分と由奈や橋本も、同じような空気をまとっているに違いないと思える。

 次に西村が呼ばれ、同じように銀色のメダルを授与された。

 丁寧にお辞儀をしてからくるりと背を向け、武達の方を向いた西村は唐突に両足で強く床を踏み込み、跳躍する。

 体を後方に回転――バク宙をして着地した。あまりのことに誰もが動けずに、その隙をついて西村は吼えた。


「次は勝ぁああああっつ!」


 残響が消え去り、次には大きな拍手が沸き起こった。

 全く意味がないが、アクロバティックな技を披露した上での勝利宣言。

 北北海道のチームだけではなく他のチームも笑顔で西村が列に戻るのを見送った。その途中で吉田の傍に近づくと右手を掲げた。先ほどの有宮と西村のことを見ていたからか、吉田は顔をそむけつつ右手だけは上げる。そこに西村が勢いよく右掌を打ちつけていた。

 乾いた音が大きく響き渡り、吉田は当てられた掌をひらひらと振って痛みを分散させる。

 西村が列に戻ったところで、咳払いをしてから司会が言った。


「こほん。えー、それでは最後に。優勝、南北海道。代表してキャプテンの吉田香介君」

「はい!」


 高らかに返事をして檀の前にきた吉田に、大会委員長はメダルと優勝カップを手渡した。付けられた帯の文字は詳しいことは武には見えないが、何と書いてあるかは推測できる。

 おそらくは「第一回優勝 南北海道」と書かれているはず。

 記念すべき第一回の大会で名前を刻むことが出来る名誉を再認識して、体を震わせる。

 吉田が壇から離れて自分達の方を向いた時、拍手がこれまで以上に大きな音で吉田へと降り注ぐ。三位よりも、二位よりも大きな音の洪水。会場中の全員が南北海道の優勝を祝っている。

 全力で試合に望んだ選手達が吉田を通して自分達を称えているのが感じられた。


(本当、良かった……)


 滲む視界の中で吉田が静かに優勝カップを掲げるのが見える。

 前二人よりも静かで、力強いパフォーマンスにまた一つ音の段階が上がった。

 しばらく拍手が鳴りやまない中、大会委員長が閉会式の終わりを告げて解散となった。

 体育館を借りている時間の期限が迫っているため、選手達はひとまずフロアの外に出されることになる。協会側の計らいでしばらくは会話の時間を設けるとのことだった。


「あの! 月刊バドミントンです! この度は優勝おめでとうございます!」


 泣きそうになるのを何とか堪えた武の耳に入ってくる第三者の声。

 見ると吉田コーチの傍にカメラマンともう一人、手にメモを持った男が話しかけていた。月刊バドミントンというとバドミントンマガジンを発行している会社で、つい最近も有宮小夜子の記事を見た記憶がある。

 そんな雑誌記者が自分達の所に来るというのはまさか。


「なんか凄く驚いた顔してるな、武」

「だ、だって。取材とか俺初めてだし」

「ココにいるやつらはみんな初めてだろ。でも。今度は当たり前にしてやるんだ」


 隣に立つ吉田の力強い言葉に武は頷く。勝ち続けていけば自然とそうなると言外に語っている。


「よーし。まずは全体写真を撮ってもらおう。みんな並べ!」


 吉田コーチの言葉に従って体育館の壁を背に全員が並ぶ。荷物番をしていた庄司もフロアに降りてきて、全国大会に乗り込んだ全員が並んだ。


「誰が真ん中になる?」

「そりゃ、吉田じゃないか……」

「決まってるじゃない」


 安西と岩代が言ったところで姫川が早坂を。そして小島と吉田が武の背中を押して中央に寄せる。

 そして二人でカップを持つような形にして、その周りを仲間達が固まる。


「相沢。景気づけに思い切り叫べよ」

「そうそう。さっきはゆっきーがはしゃいでタイミング逃したでしょ」


 小島と姫川の言葉に早坂は赤面しつつも、武に視線で促す。再び込み上げてくる思いに逆らわずに、武はカップを掲げて叫ぶ。


「優勝だぁああああ!」

『おぉおおおお!』


 吉田コーチと庄司も含めて、全員が歓喜の雄たけびを上げる中でシャッターが切られた。


 第一回全国バドミントン大会団体戦は、南北海道の優勝で幕を閉じた。

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