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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
333/365

第333話

「ポイント。ツーワン(2対1)。マッチポイント」


 シャトルが小島のコートへと叩き落とされると共に、自分の首元にナイフが突き付けられたかのように小島には感じられた。

 ネットを挟んで向かいには拳を掲げて吼えている淺川の姿。これまで見たことのない嬉しそうな顔で、自らがもぎ取った得点に震えている。逆に小島はラケットでシャトルを拾おうとして右足が悪い意味で震えるのを感じ取り、ラケットで軽く叩いた。


(負けて、たまるか)


 12点目にして同点に追いつかれてそのまま逆転され、マッチポイントまで追い込まれた小島はそこから息を吹き返した。

 サーブ権を奪い返して連続して得点してセティングにまで持ち込み、一点をもぎ取る。誰もが二ゲーム目を小島が取るとほぼ確信していた。

 だが、淺川は小島へと傾きかけた流れをシャットアウトし、逆に二連続得点で王手をかけた。

 シャトルを拾い、羽を整えようとしたがコートの外に出し、新しいシャトルを要求する。普段ならばまだ継続して使用するが、終盤にきて羽が消耗しているせいで軌道がおかしくなるのは避けたいという小島の無言の要請。審判はそれに応えて真新しいシャトルを淺川へと放った。

 放られたシャトルを左手で受け止めてサーブ体勢に入る淺川。顔には失われた笑みが戻り、心底ゲームを楽しんでいるようだ。

 自分を追い詰める相手。湧き上がる力。

 勝つか負けるか分からないスリルに身を躍らせているのだろうと小島は考えて、頭を振った。


(とにかく、まずはサービスオーバーだ。それだけ考えろ)


 ラケットを掲げて「ストップ!」と気合を入れる。仲間も声援をこれまで以上に大きくして小島の背中を後押しする。

 一方の淺川も、北北海道の面々の「一勝目!」というコールに腕を押されるようにしてシャトルを打ち上げた。豪快に飛んでいくシャトルは威力を落とさない。さんざん動き回った試合の終盤でも淺川のパワーは弱まることがない。ファイナルゲームも見据えているのなら体力がなくならないことは当たり前だが、小島は改めて淺川の強さを思い知る。


「おら!」


 それでも引くわけにはいかないと、全力のスマッシュを解き放つ。

 サイドのシングルスライン上へとシャトルを叩き落とそうと狙い、落ちる前に淺川のラケットが阻む。

 小島の脳裏に過ったのは、何回こうして拾われたかということだった。同じような場面を何度も見てきて、体は自然に反応する。シャトルの威力を完全に殺してヘアピンを打ってくる淺川に対して小島の選択肢は、よりギリギリを狙うヘアピンかロブかの二択だ。

 シャトルへとラケットを伸ばしながら淺川の動きを確認して、小島は前者を選択する。

 前に走ってきていても、あえて綱渡りの勝負を挑まなければ勝てないのだから選ばざるを得ない。その行動が小島の体力を削る要因であっても。

 ネットを横に切り裂くように通っていくシャトルを叩き落とさんと前に飛び込んでくる淺川。しかし、白帯から最低限しか浮かぶことがなかったシャトルは淺川のラケットが届く頃には既に落下中であり、重力に逆らわずにシャトルを下から上にラケット面をスライスさせて跳ね上げた。

 シャトルはスピンをかけられて不規則に回転しながら白帯を越える。小島はそこめがけてラケットを差し出す。


(とど――けぇえ!)


 一瞬諦めかけた心を気合いでねじ伏せて、右足を踏み込みラケット面を縦にスライスさせる。するとシャトルは淺川が行ったのと同じようにスピンがかかってネットを越えた。すぐ傍には淺川が到達していて、狙い打つには十分なはずだったが、窮屈そうにしてロブを打ち上げるのにとどめる。小島は飛ぶようにシャトルを追って行って振りかぶった。


「おおあ!」


 渾身の力を込めてスマッシュ。そう見せかけてのクロスカットドロップはラケットとの鋭いこすれる音を残してネット前に落ちていく。淺川もスマッシュに備えたためにバランスを崩して慌ててラケットを前に出すものの、あと一歩届かずにシャトルはコートへと落ちた。


「サービスオーバー。ワンツー(1対2)」

「おおっし!」


 小島はラケットを掲げて全面に気合いを打ちだす。それほどまでに価値のある一打。

 追い詰められている段階で難易度の高いクロスカットドロップを白帯から全く浮かない軌道に乗せて打つことができた。体力が限界に近くてもまだ自分はやれると確信できる一打。淺川もシャトルを拾い上げて羽を整えてから渡す動作に小島への尊敬の念を込めているように思える。


(なんだ尊敬の念って。俺の思い込みか)


 自分でもどうして考えたのか分からない思考の流れ。だが、考えや体が自分の制御から離れだしているようにも感じていた。ずっと集中して相手の動作ばかり見てきた。立ち位置から重心の掛け方。動きだす位置や到達するラケットの場所など脳内でシミュレーションしているうちに、現実に動いた軌跡なのか自分の中だけの空想なのか境界線が曖昧になる。


(かまわない。全部対応する)


 小島はシャトルを持ってサーブ位置につく。セティングにはさらに延長というものはない。ここから二点取ってしまえばセカンドゲームを取れる。右手を後ろに引き、シャトルを手にとって吼えた。


「一本!」

「ストップ!!!」


 自分の声よりも三倍は大きな淺川の声。これまでで最大の気迫にも小島は負けず、一点を破壊するためにピンポイントでサーブを打った。

 ネット前。淺川の右側、サーブのラインに落ちていくような軌道を通るシャトル。ダブルスでネット前のサーブにほとんど注力しているような場合なら、プッシュを打てたかもしれない。しかし、ロングサーブを警戒した状態で後ろに一瞬でも下がるとロブを上げるしかなくなる。


「そこだ!」


 そして小島は、淺川のロブが低く小島から離れるほうへと飛ばされることを読んでいた。その予想を確信に変えるために真正面に踏み出すことで、淺川は攻撃的にロブを放とうと小島のラケットが届く範囲から外れている部分にシャトルを低く打つ。下から上へと飛んでまた落ちていくという軌道としては最も低く飛んだシャトルだが、前に出た小島が横っ飛びで体をのけぞらせながらシャトルにラケットを届かせたことでインターセプトされる。フレームに当たったシャトルは白帯を越えて淺川のコートへと落ちて行った。

 打った直後の硬直から解放され、ラケットをシャトルの下に滑り込ませたところまでは淺川だからこそできた技。だが、同じ轍は踏まないとしっかりとロブを上げたところで小島がシャトルをインターセプトして叩き落としたところまでは淺川も想像できなかった。


「なっ!?」

「しゃあああ!!」


 ネットを超える前。相手のコートのスペースにある時にラケットヘッドを侵食させてシャトルを打つと反則となる。

 しかし、今回はシャトルが小島のコートへと入ったところで打ち返されたものだ。当人でさえ狙ってやったのか覚えていないが、完璧な打ち帰しにシャトルが着弾するのを淺川は見るしかなかった。


「ポイント。ツーオール(2対2)」


 ついに追いついたポイントに小島は再度、拳を握る。吼えるのではなく体を小さくして力をため込むように構えた。あと一点で二ゲーム目は取れる。体力も不安でファイナルゲームを戦えるか分からないが、後のことはその時に考えると割り切って三点目を取るべくサーブ位置へと立つ。淺川は先ほどまでと異なり深く息を吸って吐く、という動作を繰り返し、徐々に落ち着いていくようだった。


(ここで、まずは取る)


 シャトルに自分の中の力を込めて、ラケットを振って打ち上げる。シャトルがしっかりと奥へと返るが、淺川はドリブンクリアで小島のコート奥をえぐった。シャトルを追って行っても体が追いつかずに飛んで強引に背中をのけぞらせる。中空でバランスをとりながらラケットを振り切り、何とかストレートのハイクリアを打ってから着地をするとコート中央へと走っていく。

 腰を落として次のシャトルを待つ時に、がくんと体が落ちた。


(くそ……!)


 バランスを崩した小島の隙を見逃さず、淺川は最も遠い位置へとスマッシュを打つ。角度の鋭さよりもコースを重要視して、長く遠い場所へ素早く突き進んでいくシャトルにラケットはちょうど一個分届かずに抜けられてしまった。


「サービスオーバー。ツーオール(2対2)」


 審判のコールにさっきとは間逆の声が漏れる。北北海道側は「ラスト一点」のコール。逆に南北海道はサービスオーバーを何としてでも、と小島の背中を突きあげていく。仲間からの力を再チャージしてシャトルを拾い、再度シャトルを打って渡した。


(負けてたまるか。絶対勝つ。絶対に、勝つ)


 反抗心に頭が占められそうになって、小島は軽く頭をラケットヘッドで叩いた。唐突に叩き出した小島に仲間達も、淺川も不思議そうに視線を向ける。何度か叩いた後でフレームの部分で軽く額を叩いて、ようやく行動を止めた小島は高らかに攻撃を止めると宣言した。


「さあ、ストップ!」


 熱くなりかけた頭から熱を追い出して、来たシャトルに対応する自分を作り出す。

 淺川のロングサーブを眼で追わずに一気に駆け抜けてコート奥まで行くと、引き寄せられるようにシャトルが小島へと落ちてくる。精度の高さを逆手にとって先回りした上でシャトルに向けて振りかぶると、自分の右腕に力を込める。

 前へと自分の体を押し出すように飛んでスマッシュを放とうとした瞬間、小島は自分の失敗に気づいた。


(――淺川が!)


 スマッシュを打とうとしていた軌道にはすでに淺川が詰めてきていた。自分のサーブの正確さに反応されて先回りをされた経験もあるのか、淺川は自分の行動を逆手にとり、小島の動きを導き出していた。

 ちょうど打ちやすいシャトルが打ち上げられたことで、スマッシュを放つということを。

 淺川がネット前でインターセプトするためにラケットをスタンバイする。もう打つ直前で下手に動かせばネットに当たって試合が終わる。たとえ読まれていたとしても自分のスマッシュを信じて落とすしかない。


「おあああ!!」


 これまで以上にシャトルへ叩きつけるラケットの振りを早くする。タイミングを外すことで淺川の制空権から逃れられるかもしれない。だが、これまで絶妙なバランスを保ってきた小島のスマッシュが動きを完全に読まれたことで動揺し、崩れた。シャトルは小気味よい音を立ててネットに進んだが、小島には自分のショットが失敗したと悟る。シャトルが白帯に当たりくるりと回転して、淺川の側へと落ちる。

 シャトルはシャトルコックが下に向いた時点で淺川がカットし、ネットに触れながら落ちて行った。


「――あ」


 自分の口から出た声とは最初、理解できなかった。小島はラケットを突き出し前に出て、シャトルを取ろうとしていたが届くことはなく。

 シャトルは無慈悲にコートへと落ちて音をたてた。


「――ポイント。スリーツー(3対2)。マッチウォンバイ、淺川。北北海道」


 審判の声が耳の右から左へと通り抜ける。それでも耳の奥に引っ掛かったものはあり、小島は全身の力を抜いた。

 一瞬の心の乱れが体に伝わり、ラケットを通り越してシャトルに結果が表れた。自分の差し出したラケットの先にあるシャトルを、短い間眺めていた小島だったが、ゆっくりと立ち上がり、淺川の顔を見た。

 ネットの向こう側にある顔は勝利の喜びに震えているかと思えたが、予想に反して泣きそうになっていた。瞳は潤み、頬を震わせている様子はまるで負けた側のように見える。淺川のそんな表情を見て毒気が抜かれたのか、小島は呆気にとられて自分の悔しさを忘れて前に出ていた。


「なんだよお前。なんでそんな顔してんだ」


 ネット前に立って声をかけると、淺川はゆっくりと近づいてきて面と向かって立つ。泣きそうな顔をしていると思っていたが、実際に淺川は泣いていた。目を赤くして何度か目元を拭うようすは明らかに涙が出ている。意味が分からず小島は首をかしげつつも手を差し出した。


「うれし涙とか……流すのか?」

「……ほっとしてるんだよ」


 言葉とともに差し出された手がしっかりと小島の手を握る。淺川の肩から何か重たいものが落ちたように感じた小島には、そこで少しだけ言っている意味が分かった気がした。

 それでもはっきりとは分からないため、手を離さずに聞いておく。


「何にほっとしてるんだよ」

「正直、負けるかと思ったからな。強かった」


 淺川の言葉が小島を縛り、右手の拘束を緩める。そうして離れた掌が軽く小島の右手を叩いた。


「お前のおかげでだいぶスリリングな試合が出来た……ああいうの、初めてだったかもしれない。またやろう」


 そう言って去っていく淺川の背中を見て、毒気を抜かれた小島はため息を深くついて自分もコートから去る。

 次には女子シングルスの試合が控えており、試合が終わった者はコートには邪魔でしかない。北北海道の面々に笑顔で迎え入れられる淺川を横目に、小島も仲間の元に帰る。するとゆっくりとした拍手で迎え入れられた。


「お疲れさん」

「凄かった」


 吉田と武がまず声をかけ、そこから次々と仲間達が声をかけてくる。いつも自分が勝つことで引き上げてきた仲間達が今、自分を支えようとしているのがよく分かった。

 同情ということもなく、形式的なものでもない。

 心から仲間だと思ってくれているのが伝わってきて、小島は顔を俯かせる。


「ありがとう」


 声が震えるのを押さえながら、小島はパイプ椅子にゆっくりと座ってタオルを頭にかけた。

 こみ上げてくる悔しさ。淺川のほっとした顔と涙。またやろうという言葉。

 どれもが、自分が楽しめたと言わんばかりのもの。ようやく追いついたかと思えば引き離され、結局は追いついてはいなかった。まだ確実に差があるのだ。

 震える右足はファイナルゲームに入っていたら吊っていたかもしれない。

 準決勝一試合分を休んだにもかかわらず、体力をほぼ使い果たした。そうしなければ本気の淺川に対して接戦に持ち込めなかった。

 まだ、目標を超えるために必要な力がたくさんある。


「次は……負けねぇ」


 全国バドミントン選手権大会団体戦決勝は、エースである小島の敗北で幕を開けたのだった。

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