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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
332/365

第332話

 小島はネット前に落ちるシャトルに、ラケットを届かせるとクロスヘアピンを放った。

 淺川がネット前に詰めてくるのは分かっていて、さらにはクロスヘアピンを読んでプッシュを放とうとラケットを差し出してくるのも分かっていた。

 だが、小島はあえて相手の狙い通りにシャトルを打つ。シャトルは淺川のラケットで捉えられたが、小島の側へと入ることはなかった。

 ネットを越えずに自分の方へと跳ね返るシャトルを中空で拾い、淺川は嘆息した。


「サービスオーバー。テンオール(10対10)」

「……しっ!」


 小島は流れ落ちていく汗をぬぐい、小さく吼える。

 大きな声で叫べば体力が余計に減る。それでも自分を鼓舞するための気合いは必要。情報を整理して必要な力を必要な場所へと振り分ける。小島は自分の人生で一番思考回路を動かしていると思っていた。


(……このラリーを取れたのは大きい。さっきまでは点、取られてたからな)


 ひとつ前のラリー。淺川からサーブを打たれて得点を防ぐことはできていなかった。だが、今回は一点も与えることなくシャトルを奪い返している。序盤に掴んだ流れを常に奪われそうな力を感じていたが、崖の淵で持ちこたえている感覚がある。


(持ちこたえられてるんだから、十分……戦えてるんだよ)


 シャトルを持ってサーブ位置に立ち、淺川を睨みつける。

 闘志を向けた相手の表情から笑顔が消えたのは、自分が五点目を取った時だったと記憶している。一進一退の攻防を繰り返し、点を取ってはサーブ権を取られ、点を取られてはサーブ権を取り返す。

 同じような展開がゆっくりと続いていても、周囲の視線の熱さは変わらない。むしろ、注目してくる視線の熱さはコートを包み込んで小島達の熱気を支えているようにも思えた。


「一本!」

「ストップ!」


 小島に反応するように吼える淺川。シャトルを打ち上げて、コート奥へと押しやる。軌道は二つ前のサーブの時よりほんの少し、浅くなるように調整する。

 コートの端々を狙ってショットを放つだけではなく、ロブを上げる際にも軌道を調整する。平面の二次元的な際どさだけではなく、縦方向の三次元的なところでもタイミングを外そうと小島は作戦を練っていた。いくら強力なスマッシュやドロップを持っていても、打つタイミングがずれるならば力を発揮できない。


「はあっ!」


 速度に慣れてきたこと以上に、スマッシュは威力が十分に乗っていないように感じ取れる。シャトルを強く打ちあげた小島はすかさずコート中央へと戻って腰を落とす。

 そして、足へピシッと鋭い痛みが走った。


(くっ!)


 淺川からはサイドライン上に鋭いスマッシュが食い込んでくる。

 それでもシャトルに追いついた小島は打ち上げるふりをして前に落とした。

 本気でロブを打とうとしたところから、腕に力を込めて完全に動きを止める。淺川は小島の意識の残像に騙されて後ろに体を向けてから前に出た。

 伸ばしたラケットが届き、シャトルがネットを越える。


「おらっ!」


 シャトルは白帯を掠ったところで叩き込まれてコート上に落ちていた。

 体勢を崩した状態で淺川はシャトルの方向を見ていた。淺川の視線を追うように小島も見ていたが、前のめりになっていた状態からゆっくりと体を起こした小島は右足に一瞬走る痛みを表に出さないように後ろを振りむいてサーブ位置へと戻った。

 得点はこれで十一点目。あと四点取ってしまえば第二ゲームを取れる。

 首の皮一枚繋がった状態からイーブンに戻せるということだ。だが、小島は浮かんでくる思考をあえて霧散させる。


(ここで怯むな。押し切る)


 自分は顔に気合いしか出ていないというところまで確信を得てから振り向く。

 淺川はラケットでシャトルを拾い上げて羽を整えていたが、諦めてコートの外に放った。審判はシャトルの行方を見届けてから小島に向けてシャトルを放る。中空でラケットで絡めとり、自分の左手に収めてから身構える。

 視線の先にいる淺川の顔には明らかに疲労がたまっていた。自分よりも明らかに疲れている。


(いや、あの顔は)


 淺川の浮かべている表情に小島は覚えがあった。

 追い詰められている時の顔。ポーカーフェイス代わりに笑みを絶やさなかった淺川の顔から笑みが消え、今度は無表情まで崩れていく。

 間違いなく自分は一歩ずつ淺川を追い詰めているのだと確信する。

 たとえそれが相手の作戦だとしても、小島は気合を入れなおした。


(嘘でもかまわない。お前の顔見て一気に押し切ってやる)


 淺川は深くラケットを振り上げてシャトルを打ち上げた。

 これまでのしっかりと奥に深く飛ばしたロブではなく、弾道が急で空間を斜めにえぐり取っていくような軌道。小島はすぐに腰を落として淺川のカウンターを待ち構える。

 大きな放物線を描いて打ち上げ続けた今、一回だけならば通じるであろう一撃。それでも淺川は反応してスマッシュを打ってくるだろう。しかし軌道を選ぶ余裕はないはず。


(狙ってくるのはまっすぐ……)


 淺川の真正面に構えてストレートスマッシュにあたりをつける。だが、シャトルが小島の側へと落ちてくることはなかった。

 シャトルは淺川の前で止められることはなく、コート後方まで空間を切り裂いていって落ちた。シングルスコートのライン上に着地したシャトルは扇形に転がって動きを止める。


「ポイント。トゥエルブテン(12対10)」


 構えた小島が動揺するほど、淺川は予想を裏切って打ち込んでは来なかった。打ちこむことができなかったのかもしれない。


(考えるな。どっちにしろ、得点なんだ。チャンスだ)


 次のサーブ位置につく間に淺川は落ちたシャトルを拾いに行く。ラケットを使って拾い上げてから何度か天井の方向へとついて、最後に打ち返す。

 小島は立っている位置を全く変えることなく、シャトルは差し出した掌の中にすっぽりとはまった。


(……コントロールが鈍ってるわけじゃない。追い詰められてるように見えてるけどまだ余裕はあるはずだ)


 このゲームを取られたとしてもファイナルゲームが残っている。

 ただイーブンに持ち込めるというだけで、小島に不利な状況は変わらない。むしろ、試合時間が長引けば先にリタイアする可能性も出てきた。


(くそ。何のために準決勝休んだっていうんだ。こいつに勝つためなのに……足りないのかよ)


 足に時々走る痛み。足が少しずつ痙攣しているのは、もう小島も意識せざるを得ない。

 ファーストゲームからセカンドゲームにかけての攻防の中で、人生で最も頭を使い、体力を使って厳しいコースを突いてきた。その反動によって体は今までより早く悲鳴を上げている。


(足りないとか言ってられるか。全部使って足りないなら生み出すだけだ!)


 折れそうになる気持ちを奮い立たせるように、小島は短く気合いを入れた。

 シャトルコックを左手で掴み、ラケットを構える。相手に突き刺さるように短くもう一度気合いをこめて「一本!」と吼えて打ち上げた。

 シャトルは理想通りの軌道でコート奥のラインを落ちて行く。シャトルの真下に移動した淺川はストレートハイクリアで小島をコート右奥へと押しやる。

 回り込んだ小島は同じ軌道を沿うようにシャトルを打つと、再度淺川はハイクリアを打ってくる。

 同じ軌道。同じ場所。五回、六回と続けていく中で次にどう動くかという緊張が生まれてくる。

 ファーストゲームでも起こったことだが、小島は覚悟を決めてクロスドロップを打った。

 打たれた側と打った側。双方が同時にシャトルへ向けて走り出す。

 小島はシャトルの軌道から白帯にぶつかって跳ねると予測していた。タイムラグが起こったところで淺川に隙が出来るのかは分からないが、後ろに飛ばされるより前に落とされる方が反応できないと一瞬で判断した。

 ネット前でぶつかる淺川と小島の視線。淺川はラケットを出してシャトルを打とうとはせずに触れるだけにする。

 シャトルの軌道にラケットを入れて、自然と弾かれるようにするのが目的。だが、小島の予想通りにシャトルは白帯に当たって小さく跳ねた。

 結果として淺川のラケット面の中心から少し外れる。


「ふんっ!」


 次の瞬間に起こったことを、かろうじて小島は理解できたが反応できなかった。

 シャトルは小島の股を抜いてコートへと着弾する。転がるシャトルの気配を感じていても、すぐには振り向くことができない。

 目の前の淺川からのプレッシャーによって、体が硬直してしまっていた。


「サービスオーバー。テントゥエルブ(10対12)」


 審判の声に淺川も構えを解いてサーブ位置に戻る。

 淺川の視界から外れたことが原因か、硬直が解けて小島はシャトルを取りに行く。動かし続けていることで頭も体も熱さに火照っているにも関わらず、背筋は冷たい汗が流れていた。

 いったいどこから流れているのか自分でも分からない。

 だが、汗が流れている要因は予想できた。


(とうとう素直に切り替えを知らせてくれなくなったか)


 淺川の中でまた一つ、スイッチが切り替わったのだ。

 これまで「よし!」という気合いの声に従ってスイッチが入って、彼の中のギアが上がった。

 しかし、今回はその兆候すら見せずにスムーズに移行してあっという間にサーブ権を取られた。

 12点目までの淺川ならば、白帯にぶつかったことによるイレギュラーバウンドに反応はできていなかったはず。それは小島が意識を集中したことによる分析からも見えていて、信ぴょう性は高い。だが、今回のプッシュはこれまでの淺川の反応速度を軽く凌駕していた。

 シャトルの動きに反応し、筋肉が後に続いた。

 その結果、スイートスポットに完璧にシャトルを当てなおしてコートへと落としたのだ。


(本当に、嫌になるな、お前)


 何度、弾き返されても抗うことに変わりはない。

 この土壇場に来てさらに壁が高くなるということも想定の範囲内、というよりも覚悟していた。そのために精神的には崩れることはない。

 あとは、精神が持っても体が持つか分からないということが懸念だ。


(気にしても仕方がないとしても、な)


 嘆息をついて小島はシャトルを淺川へと返した。先ほど淺川が披露したように、自分も淺川が一歩も動かなくてもいいようにコントロールしてシャトルを渡す。

 立っていた淺川が左手を出すとそこにすっぽりとシャトルがおさまった。


「一本」

「ストップ!」


 静かに呟く淺川と対照的に小島は吼える。淺川のラケットが振られると同時に小島は後ろへと飛ぶように移動して、目の前に落ちていくシャトルに反応できなかった。


(なっ――!?)


 フェイントをかけられたということは分かった。

 しかし、反応して前に出ることさえもできないというのは、これまでの試合展開ではありえない。

 特に今は集中力を最大にまで高めている状態。

 疲れはあるが集中が途切れたわけではない。

 つまりは、今の小島の状態でさえ欺くほどの気迫でロングサーブを打とうとする残像を見せて、誤解させたことになる。


「ポイント。イレブントゥエルブ(11対12)」


 審判の声が重く肩にのしかかって前のめりになる小島だが、それでもラケットはシャトルを拾っていた。


(一つのミスを気にするな。何度も思ってるじゃないか……実力は、向こうの方が上だと)


 自分が思いついた言葉。それは現状を改めて認識させる。淺川を追い詰めたと思っていたが、やはりまだ力を隠していた淺川には通じずに逆に追い詰められている。

 得点は一点差だが、すぐに挽回されるであろう未来は見えていた。

 最悪、このまま五連続得点によってセカンドゲームも取られて試合終了という未来がある。到達させないためには一点でも早く止めるしかない。


「ストップだ!」


 ラケットを掲げて右足を後ろに下げるだけで左足が今度は痛みを伝える。

 顔に浮かべないように思いきり息を吐いて、吸い込んだところで淺川がシャトルを飛ばしてきた。今度は弾道が低くコート奥へとえぐりこんでくるような軌道。小島はとっさにラケットを振ってシャトルを相手コートへと打ち込んだ。だが、そこにはすでに淺川が待ち構えていて、ラケットを振らずに置くだけ。

 結果、シャトルは小島が打ち込んだ威力によって弾かれてネットを越えて落ちていく。

 シャトルを打ち込んだ体勢から立て直す前にコートへとついてしまっていた。


「ポイント。トゥエルブオール(12対12)」


 シャトルを取りに行こうとして、小島はがくりと上半身が落ちる。

 正確には膝が曲がって危うく倒れそうになっていた。ゆっくりと体を起こして落ちているシャトルを拾いに行く。ラケットですくい取ってネット越しに放ると、淺川も同じようにラケットでシャトルをからめとった。また鋭い視線が自分に突き付けられているのかと思って顔を見た時、小島は呆気にとられた。

 淺川の顔にはまた笑みが戻っていた。

 だが、それは相手を馬鹿にするとかいう類のものではなく、心底この試合を楽しんでいると伝わってくるもの。それだけならばファーストゲームの時から時折見ていたものだが、今の淺川の笑みはそれだけではないものが含まれていた。

 それが何なのか理解はできていないが、似た物を感じたことがある小島には予想がつく。


(あいつも、この試合で成長したんだ)


 淺川を追い詰めていると思っていたが、急に挽回された。

 底力を残していたかと少し気落ちしたのは確かだが、事実は少しだけ違っていたのだろう。淺川はセカンドゲームの時点で底までついていた。小島が限界以上の力を出すことで、淺川を引きずり込んだのだ。

 そして、そこから淺川は限界を突破した。


(あの笑みは、そういう、笑みだ)


 自分の限界値を分かった上で、壁を突破した時に自然に漏れる笑み。

 そして突破させてくれた好敵手に対しての感謝の笑み。

 そこまで考えて、小島は二点を取られた過程を思い出す。それは自分が淺川へと試し、手を封じ込めて得点できた手段。それをそのまま返されて抗うことができなかった。

 淺川を上回ったかと思えば上書きされる。同じ方法をとられると精神的にも押し潰されそうになる。


(負けねぇって、言ってるだろうが)


 自分へかけ続ける言葉が空回りし始めている。自分だけでは耐えきれなくなっていることも自覚せずにはいられない。


「でも、俺は一人じゃねぇ」


 小島は静かに、視線を早坂へと向けた。仲間達が応援してくれている中で、早坂は静かに見ているだけだった。

 それでも、武や吉田達の応援と同じくらいに小島の中に入ってきていた。

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