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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
315/365

第315話

 シャトルがコートの奥へと突き刺さったところで、早坂は息を吐いた。自らのスマッシュの軌道がちゃんとコートの中におさまったことによる安堵の溜息。力任せにコースを狙わず、ただ打ち返しただけのショットだったが、運が良かったのだ。

 得点は六対五。その時点でエンドを再び交換しつつ、インターバルに入る。エンドチェンジの間に早坂は自分の体の状態を確認していった。

 スマッシュかと思えばドライブ。ドライブかと言えばスマッシュ。それ以外にも、有宮は変幻自在にショットを変えてくる。しかも、いずれも全速力でシャトルを打ち返してくる。この場面でならば打てないはずというショットでさえも強引に打ててしまう身体能力の高さ。その有宮の「力」に反応されながらも、早坂は何とかついていった。時には先回りしてシャトルを放ち、劣勢にさせたところで一気にたたみかけるという方法を繰り返した結果のリード。

 自分が勝っている今は薄氷の上に立っているかのような不安定さではあったものの、勝っていることには変わりなく、油断をしないでこのままいくだけだ。


(大丈夫。体は動く。なんか、調子良くなってきた)


 体力は減り、疲れがたまっているはずだったが、早坂はファイナルゲームに入って徐々に動きが良くなっていることに気づいていた。自分の体にまたひとつ変化が生まれている感覚。

 君長凛と全道大会で戦った時のように、自分が成長していることを実感する。


(こういう時だからこそ、しっかりと)


 シャトルを持った早坂は、ラケットを構えてサーブの体勢に入る。有宮は腰を低くしつつラケットを上げて、前にも後にも弾丸のように飛び出そうという気迫で早坂のサーブを待っていた。


「一本!」


 シャトルをショートサーブで打つと、ネット前に有宮が飛び込んでくる。白帯を越えたところで叩き返されたシャトルに飛びついてラケットを振ると、シャトルは有宮のコートへと入る。プッシュを打った直後に前に足を踏み込んで反動で後ろに飛んだ有宮は、早坂が返したシャトルにも追いついて再びスマッシュを放った。角度はほとんどなく、体を寝かせてのドライブ気味のスマッシュ。

 それを早坂はカウンターで逆サイドに打ち返す。


「はぁああ!」


 シャトルを追っていく有宮。いつの間に体勢を立て直したのか早坂には全く見えなかった。それでも、有宮はシャトルに追いついてストレートにドライブを打つ。早坂のバックハンド側を襲うために。


「やっ!」


 逆サイドに打った時点で中央に戻っていた早坂は、半ば勘で左へと向かう。体の柔らかさと強靭さから強引に方向を変えられる相手に予測は役に立たないかもしれないが、当たったらタイミングが早いほどアドバンテージを取れる。その意味で、早坂がバックハンドでシャトルを捉えたタイミングは完ぺきだった。


「はあっ!」


 有宮が更に前に飛び出して、シャトルをインターセプトするという神業を披露するまでは。

 シャトルは硬直した早坂から離れた場所を貫き、コートへと着弾した。


「サービスオーバー。ファイブシックス(5対6)」

「しゃあ!」


 過去の自分を思い出しても、おそらくは最高のショットと呼べるクロスドライブを、完全に読まれて打ち返された。シャトルを拾うことも忘れて有宮の姿を見てしまう。しかし、相手の視線が自分を捉えると、拘束が解けたかのようにシャトルを拾いに向かった。


(切り替えろ。切り替えろ……ベストショットでも取られるし。ベストじゃなくても有宮からは点を取れるんだ)


 打たれるたびに、自分の感情を調整する。シャトルを渡してから次のレシーブ位置について、自分の靴紐がほどけていたことに気づく。タイムをかけて靴紐を結ぶ時もゆっくりと綺麗にちょうちょ結びにしてしっかりと横に引っ張った。締め付けられた足の甲が自分から離れずについてきてくれる靴を保障してくれる。


「一本!」

「ストップ!!」


 有宮の声に負けないくらいの早坂の咆哮。そして放たれた有宮のサーブは、勢いよく振ったラケットの軌道を完全に停止させてのショートサーブだった。早坂は完全に騙されて後ろに飛んだ体を前へと押し戻してラケットを振るが、シャトルはネットを越えずに自分の元へと跳ね返ってしまった。


「ポイント。シックスオール(6対6)!」


 こうしてまたしても同点に追い付かれる。

 ファイナルゲームが始まってから一点以上の差が広がったことはなかった。全て一点の間でシャトルの持ち主が変わり、互いに奪い合ってきた。牛歩のごとき試合展開にも集中力は切れることはなく、更に高まっていく。周りからの応援の声も遠くなり、逆にネットの向かいにいる有宮の息遣いが聞こえてくるかのようだった。


「ストップ!」


 早坂は言葉を放つと同じタイミングで上がったシャトルの真下へと即座に移動する。そこから更に半歩後ろに下がって、中空に飛んでいた。両足を揃えて斜め前に飛んで体重を前方へと預けながら、タイミングよくラケットを振りきる。

 パァン! と高い音と共にシャトルが有宮のコートの左サイドへと突き刺さって高く跳ねていた。そのシャトルの動きにラケットを差し出しかけた状態で止まった有宮は、右足の脛をラケットヘッドて一度叩く。


「あー! ストップ! だ!」


 自分の中に込み上げてきた怒りを、思いきり叫ぶことで発散する。自身の感情を表に出すことで冷静になるべき本当の感情を整理する。その効果なのか、有宮はシャトルを拾って早坂へと返した時にはもう試合開始前の表情のままだった。

 サービスオーバーで再び、六対六。

 早坂は有宮が構えたのを見てから高く遠くへとロングサーブを放った。シャトルが深い弧を描いて落ちるところにいた有宮は、渾身の力を込めてスマッシュで空間を打ち貫く。右サイドを襲うシャトルに、早坂は完全にタイミングを合わせてストレートに落とした。それは普段とほとんど変わらないタイミングだったが、今回の時は違う。有宮は楽に追いつけたはずの前回までとは違って、表情を厳しくしながらラケットを伸ばしていた。


(遅れてる!?)


 有宮がシャトルに触れるタイミングが、これまでよりもほんの少し遅れた。その遅れに乗じて早坂はいつもよりほんの四分の一歩でも早く踏み出して返ってきたシャトルに触れる。早坂の選択したクロスヘアピンで戻ってきたシャトルを追った有宮だったが、シャトルを取れたのはコートに着くギリギリで、ヘアピンで返したところにはもう早坂のラケット面があった。


「ああっ!」


 シャトルにラケットを当ててから転びそうになる自分を支える。

 ネットに触れないように体を回転しながら離れると、視界に入ったのはコートに落ちているシャトル。そしてそれを取りに行く有宮の姿だ。

 早坂がサーブ権を奪い返してすぐに加点。これで七対六。勝利まで残り四点となるが、ここからが更に辛くなる時間帯。

 有宮から戻ってきたシャトルを取って七点目の位置についてから、ゆっくりと息を吸い、吐く。自分が打つべき軌道を思い浮かべてから、目を閉じたままサーブを解き放つ。シャトルはコート中央のライン上を辿るような軌道で飛んで行く。無論、飛距離は少ないためにすぐ追いついた有宮は飛びあがってスマッシュを放った。


「はっ!」


 高速と急角度のシャトル軌道に早坂はラケットを差し出すことができない。点を奪い、次に繋げようとしても即座に奪い返されるシャトル。

 自分ができないようなスマッシュを、この場で出してくる狡猾さを見せる有宮。

 それでも早坂は自分が負けるビジョンをまだ見ない。


(体が熱い……有宮の動きについていけてる)


 有宮がサーブを打ち、早坂が打ち返す。ストレートと思えばロブでクロスに。クロスにヘアピンを打ってきたことで、ヘアピンの対決がコート上のごく狭い地域にて行われる。ラケットをフェンシングの武器のように突き出しながら、シャトルはネットの左右にふらふらと揺らぐ。

 そして、早坂の一瞬の隙を突いて有宮はプッシュを叩きこむ。


「ポイント。セブンオール(7対7)」


 まだ点差は開かない。今のペースでいけば先に最後の得点を得るのは早坂だ。だからこそ、東東京の面々は有宮の背中を声援で押していく。早坂もまた、後ろにいる仲間達を感じずにはいられない。


「一本!」


 かなり大きく張りあげられる声。これまでと想像の桁が一つ違うような響きで、シャトルが早坂に襲いかかった。顔面に向けられたシャトルをバックハンドでいなしてからコート中央に戻ろうとするが、有宮は股を大きく開いて低い位置でラケットを差し出していた。まるでバレエのワンシーンのごとき動き。シャトルは白帯ギリギリを越えて入ってきたために早坂はシャトルを打つことができなかった。


「ポイント! エイトセブン(8対7)!」


 ファイナルゲームが始まって以来、遂に有宮が逆転して先へと進んだ。早坂は、ここから更に逆転して勝たなければならない。困難さに息を呑むも、反比例して体は早く試合を再開したいと震えがきた。


「ストップ!」

「連続一本!」


 南北海道と東東京。それぞれで互いが送り出した選手へと後押しする。ラケットを構えて有宮のサーブを待った早坂は、ロングサーブと同じような軌道で放たれた鋭いシャトルに、体が反応して叩き落としていた。速度がある分、返されるタイミングも速い。早坂の反応を鈍らせるために打ったドライブサーブだったが、更にカウンターをあてられては勝てないだろう。早坂はそう決めて、コート中央に腰を落とす。

 有宮は咄嗟にしてはシャトルを的確に打ち返していたが、飛距離が足りずに早坂の頭上を少し超えたところでもう落ちていく。コート中央に陣取っていた早坂は思いきり飛んで、ラケットを振り切った。


「やあっ!」


 高いところから叩き落とされたシャトルは有宮の前、ではなくコートの奥に飛ぶ。角度ではなく飛距離が伸びて、シャトルはシングルスコートの端のラインに落ちていた。審判がそのショットに影響されたのか、高らかにサービスオーバーを告げる。


「しゃあ!」


 早坂は着地と同時にラケットを掲げて気合を発散した。完璧ではないにしろ、それは武と同じくジャンピングスマッシュ。本来ならば角度をつけて落とすものではあるが、飛距離を伸ばしたのはとっさの判断だった。


(あのタイミングなら有宮なら、取る)


 より高くより早く。そしてより急角度にシャトルを打つためのジャンピングスマッシュ。だが、早坂は打つ直前に有宮の瞳が一瞬見えて、その後にラケットが届く範囲が『見えた』のだ。自分が打つシャトルはその範囲から出ない。そして出ないならば、有宮は必ず打ち返してくる。それだけのプレッシャーを彼女は放っていた。

 だから、早坂は高さを遠くに飛ばすための手段として生かし、有宮の予測を超えた場所に打つことでサーブ権を取り返していた。


(7対8……まずは同点。そして、先――)


 また一つずつ考えようとして、早坂はその思考を一度止めた。

 自分が今まで積み重ねてきたこと。目の前の一点を追っていけば、最終的に勝ちを取ることができる。先に未来を見てしまえば、足元を見失って転んでしまう。はやる気持ちに体がついていかなくなってしまうと自制してきた。

 だが、目の前の有宮は堂々と先にある勝利を謳い、自らに枷をつけるかのように振舞いながら相手を倒してきた。

 ある意味、自分のプレイスタイルと真逆の存在。


(もしも、有宮と同じところで勝てたら……私はまた、強くなれる)


 君長の時に感じた成長を今も感じている。有宮の特徴的なプレイに何とか読みも体もついていっている。

 体力に技術。あとは心。心を超えるためには、同じ視点でものを見て、乗り越えなければ。

 そして、早坂は吼えた。


「ラスト、フォー!」


 その咆哮は、檻の中で眠っていた猛獣が自分から外に出たような開放感が含まれていた。その言葉に自分の耳を疑ってどう聞こえたかを友人などに問いかける観客や、チームの仲間達。ただ一人、有宮だけはその言葉の意味を理解したかのように頷いた。


「さあ、ストップだ!」


 有宮の言葉に答えるように、早坂は勢いをつけてラケットを振り、ショートサーブを打つ。どれだけ吼えても、気合を乗せても。勢いに思考は乗らない。自分の行動を全て、相手のコートにどうやってシャトルを落とすかと言うことだけに集中させる。勝利を目指して、自分の全身全霊を注ぎ込む。

 一歩ずつ歩いた先にある勝利を掴むのではなく。

 勝利を掴むために一歩ずつ歩く。

 思考の組み立ての変更。外からの冷たい風のような、身を切るような圧力から自分を守るために身に付けていた外套を脱ぎ棄てる。

 真の強者になるために。

 有宮もまた声を上げながらラケットを勢いよく振って、一瞬止めることでロブをネット前のヘアピンに変換する。一度引っかかってしまった体を強引に前に出してラケットを振った早坂は、クロスヘアピンで有宮からシャトルを離すように落とす。落とされた方向に体を向けて、有宮はネットすれすれのところをうまく操作してまたヘアピンを打った。早坂も追い付いてヘアピンを打つ。

 ネット前での細かい攻防。

 この試合の中で、何度も繰り返されてきたヘアピン合戦は見た目の地味さにそれまではどこか冷めた目で見られていた。しかし、この時になって観客も、チームの面々も真剣に凝視し、事の様子を見守っていく。

 五手、六手と進んでいく小さなラリー。それは一瞬一瞬でのほんのわずかな隙によって形勢が傾いていく。

 早坂がミスっても、次には有宮が誤る。その繰り返しで帳尻を合わせながらシャトルは二人の間を十回以上行き来した。

 そして、ネットを十三往復した時、ラリーの綻びを突いたのは、早坂だった。


「はっ!」


 気迫の声と共にラケットが残像を残す。シャトルは有宮の体から離れていき、コートへと着弾する。羽をボロボロにまき散らしながら、シャトルは有宮側のコート上でその目的を終えた。


「ポイント。エイトオール(8対8)!」

「しゃあ!」


 早坂の咆哮と同時に、審判が新しいラケットを早坂へと放る。掲げていたラケットをそのまま使ってシャトルがコートへ落ちる前に絡め取り、サーブ位置に向かう。有宮の方は見ていない。体に溜め込んだ勝利を掴むための力は、点を取るために向きあったところで叩きつける。そのためには、シャトルを通じてしか有宮を見る気はなかった。

 振り向いてサーブ体勢を取り、有宮の姿を見る。今までよりも嬉しそうに有宮はラケットを構えていた。


「ラストスリー!」

「ストップ!」


 シャトルが宙を飛んで行く。高く遠く、先ほどのサーブとは正反対に、有宮のコートを大きく包み込むように。

 シャトルの落下点に移動した有宮は、今まで通り渾身の力を込めてスマッシュを打つ。体中のバネを一点に凝縮したかのようなフォームで、最高の力を叩きこむ。


「あああああああ!!」


 今まで通りの方法で、今まで以上の力を叩きこまれた早坂はしかし、その軌道を完全に読んでラケットを振っていた。これまでで最速のスマッシュを、最速の動きで反応して打ち返す。綺麗にクロスへと打ち返されたロブに対して、有宮は停滞なく追っていく。


(そうよね。あんたは、油断なんて絶対しない!)


 渾身の力を止められようと。どんな力であろうとシャトルをコートに落とせばいいのだから。シャトルがコートに落ちて音を立てるまではラリーは続いていくのだ。

 有宮から返されたストレートドライブを前に落とし、早坂も一緒に前に詰める。


(絶対に、負けない!)


 早坂の心の中の方向に応えるように、有宮も前へと飛び出した。


 そして、二人の決着は二度目のセティングへと向かう。

 ひとつの頂上決戦を終わらせるために。

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