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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
305/365

第305話

「てか、なんでまた一緒になるんだよ」

「考えることは一緒だからじゃないか?」


 武は湯船に肩まで浸かって、隣に座ってきた吉田へと言った。吉田も同じく肩まで浸かることで盛り上がったお湯は武の口元までかかり、思わず口を閉じる。吉田は笑みを保ったまま頭を湯船の縁につけて息を吐いた。


「はぁ……気持ちいいなぁ」

「俺ら、若いうちから温泉の良さを分かるとか爺くさくなりそう」

「毎日毎日、筋肉を使ってるからだよ。当たり前のことさ」


 吉田の声は完全に力が抜けて掠れていた。思い返してみれば、武のミックスダブルスよりも吉田のダブルスのほうが強敵であり、激戦の疲労がたまってもおかしくない。フルセット使い果たして勝ったのだから体力の消費は深刻な可能性もあった。だからって自分と姫川のほうも疲労が溜まっていないとは言えなかったが。


「それにしても。なんか信じられないな」

「何が?」


 吉田の言葉に武は問い返したが、吉田はすぐ返答することを避けて天井を見上げていた。お湯が流れて行く音がしばらく浴室に響き、武がしびれを切らして再度問いかけようとしたところで吉田は口を開く。


「俺達。明日二回勝ったら、優勝なんだよな。全国で一位なんだよな」

「……確かに」


 今まで、辛い時でも乗り越えてきたのは勝っていけば、その先に一位という場所があるということがあるからだ。

 全道大会ではもう少しという場所で力尽きて。その後の全国大会も出られなかった。それは自分達の力が足りなかったということで仕方がないのだが。それから二か月ほど経っただけで、また狙える位置に来ている。

 しかも、今度は北海道で一番ではなく、日本で一番だ。


「そりゃあさ。今回はいきなり全道大会から始まって予選は少なかったし。何より。北海道代表っていうには、北のやつらと当たってない。インターミドルでいえば、小島には淺川がいるし、俺らにも橘兄弟や西村達がいる。あいつらと戦って勝たないと全国はないんだ。道内の、本当に倒さないといけない相手と当たらないで全国にこれた」


 吉田の中では、今回の大会はあくまで例外で、本当の一位はインターミドルで決すると思っているのだろう。武はそう結論付けて、口元までお湯に浸かった。真面目に考えればそうかもしれないが、もう少し楽になってもいいのにと思うと、不意に笑いが込み上げてくる。自分達は、ないものねだりをしているのかもしれない。

 お湯から口元を浮かべて、口を開く。


「それは……ないものねだりっていうか。今、こうして準決勝まで進んだから言ってるだけかもね」

「それは……そうだな」


 吉田は武に反論せず、また肺の空気をなくすくらいに息を吐いていた。

 話がひと段落すると話題もなく、武と吉田は並んで天井を見上げる。

 試合をしてきて筋肉にたまった疲れが溶けだして、毛穴から流れて行くような錯覚さえ覚えるほどに湯の中が心地よい。のぼせるということがなければずっと入っていたいと思えるほどだ。眼を閉じて肌の表面をなぞる熱さを感じると、試合をしている時のような感覚を得る。

 そのまま頭まで沈みそうになった時、頭上から声がかかった。


「風呂に入ると体力消耗するから。あんまり入りすぎんなよ」


 目を開けて体を起こしてから後ろを振り向くと、小島が立っていた。既に髪を洗い終えているところを見ると、少し前からここに入ってきてたらしい。吉田と二人で見上げていると小島は頬を赤くしてそそくさと湯船に入った。


「はぁ。やっぱ生き返る」

「お前も俺らと同じじゃん」

「否定はしないが言ったことは本当だ。俺はすぐにあがるさ。あ、そういや安西と岩代も髪洗ってたぞ」

「全員集まったのか」


 吉田は苦笑して湯船から上がると縁に腰掛け、足だけお湯に浸す。小島の言葉に従ったのか、十分に温まったからかタイミング的に分からない。武は何となく小島の言うことに従うのは癪だったが、のぼせそうになっていたため、吉田と同じように足だけ浸かる形になる。

 ちょうど小島と隣同士になったところで、武は気になっていたことを告げた。


「そういえば小島さ。明日、早坂に告白するのか?」

「ぶは!? な、なんだいったい!」


 肩まで浸かって全身を暖めていた小島は、武の唐突な発言に驚いてお湯を飲んだのか、口から吐き出しつつ体を起こした。武は首をかしげながら自分が言った言葉を繰り返す。


「明日、早坂に告白するのか?」

「なんでそういう思考になるんだよ……明日は、あいつに勝つことしか考えられないさ」

「淺川、か」


 小島の性格ならば、明日の淺川に勝つから付き合ってくれと言うくらいはしそうだと思ったから質問したのだが、小島に尋ねるには重い空気をまとったため、それ以降言うことは憚られる。

 これまで次こそは淺川に勝つ、と自信満々に口に出していたのだが、この場では『勝つ』という言葉を口にしていなかった。


「正直。正直に言うとさ。勝てる自信は、あんまりない」

「小島!?」


 驚きの声を上げたのは吉田だった。武も出遅れて口には出せなかったが、意外な言葉に驚いていた。おそらく中学二年生として過ごしてきたこの年度内で、最も驚いた事件だろう。

 小島の口から弱音を聞くことになるとは、と武は驚いた顔が元に戻らない。


「俺は強くなった、と思ってる。でも、あいつとまだ当たってない。あいつが、どれだけ進化してるかってことだな。俺と同じくらいの幅で進歩してるなら……結果は変わらない」

「……確かに。俺らが強くなってる期間は、あっちも同じだけ与えられてるんだから」


 小島の言葉を引き継いで言った吉田の脳裏には、おそらく西村の姿があったはずだ。

 全道大会でとうとう対戦できなかったかつての仲間。かつての相棒。その時も十分強いと分かったが、今回の戦いで全国の強豪と戦ってきたことで一体に何をどれだけ得たのか気になるところだ。

 純粋な才能だけならば、おそらくは西村のほうが上。練習への熱心さは吉田が少し勝っていた。ただ、今の西村は練習に熱心ではないとは考えられない。全国でも有名なダブルスに成長した西村に、自分達は挑戦者としてまずは東東京を倒さなければいけない。


「もしかしたら。当たらないかもしれないけどさ」


 吉田はその後に言葉を続ける。はっとしたのは小島だ。反射的に「すまない」と謝って、吉田は自分も無意識だったと謝り返す。どちらも武には聞こえていて少し切なくなる。

 明日の準決勝のオーダーは告げられて、それぞれの対戦相手になるだろう選手を少しでも見て研究した。向こうが高確率で同じオーダーで来ることから予測できるのだが、東東京との戦いを勝ち抜いた場合、北北海道が来た場合にはどういうオーダーになるか、吉田コーチは苦虫を潰したような表情で告げていた。武は聞いた時にはなるほどと思った反動で、後になればなるほど残念に思えた。

 おそらくは自分達のわがままも聞いて、勝つために最大限オーダーを探した結果なんだろうと。


「どんなオーダーを言われても、最善を尽くすしかないだろ」

「そうだなー」


 三人の話に声が二つ割り込む。小島は浸かっていた肩を出して縁に手をかけて足を伸ばす。そのまま後ろに頭を倒して、声の主に話しかけた。


「よう。安西。岩代」

「風呂入る時間が全く同じになるって何だよ」


 安西は苦い顔で。岩代は偶然の面白さに笑ってやってくる。南北海道チームの男子メンバーが一か所に揃う。別に示し合わせたわけではなく、たまたま風呂に入る周期が重なったのだろう。呆れる武だったが、安西の言葉に我に返る。


「ここまで来たら女子も集めて十人で円陣でも組みたいかも」


 武は早坂達女子が集まる様を思い浮かべる。場所は更衣室。普通ならば更衣室の場所は別れているために一緒になりはしないが、想像の中では同じ場所ではち合わせするとしか思えなかった。慌てて幻想を消すと、武が口にする前に吉田が言う。


「女子は集まらないだろ。もう寝てるさ。俺らが風呂上がった頃にはな」

「なるほど。それは言えてる」


 岩代は答えて、小島の隣から湯船に入る。安西は逆に吉田のほうから入った。両サイドに明光中ということで勝手に挟まれて中学が変わるという妄想が生まれるが、すぐに試合のことを思い出した。


「まあでも。女子は明日でもいいんじゃないか」

「それだと、もし負けた時には何も言えなくなるんじゃ」


 提案したのは岩代。武はすぐに引っかかる所を質問するが、さらっと岩代は答えた。


「明日、東東京に勝てばいいだけだろ」


 あっさりと岩代の口から出た言葉に四人の動きが止まる。岩代のほうが逆にどうしたのかと慌てて四人の顔を見て行く。最初はきょとんとして岩代を見ていたが、最初に笑ったのは吉田だった。次に小島。安西。最後に武があまりのあっさりとした発言に笑わずにはいられなかった。


「何がおかしいんだよ」

「いや、ごめん。何もおかしくないわ」


 吉田はそう言って湯船の中に立つ。そして右手を前に差し出した。その意図にすぐ反応して、小島が次に手を伸ばして吉田の右手の上に掌を置く。更に、安西。そして岩代も手を伸ばした。残るは武だけ。


「今から明日、勝てるかどうかとか悶々と考えてても仕方がないな。さっさと寝ようぜ」

「ああ。そもそも明日は絶対に勝つ。俺らで三勝ストレートで取るぞ」

「俺は厳しいんだけど……まあやるだけやってやるよ」

「俺が一番辛い気がするよ」


 吉田が。小島が。安西が。岩代が。それぞれの思いを口にしながら、最後には明日の東東京との試合での勝利を乗せる。

 準決勝と決勝の勝利のために、雑念を入れるわけにはいかない。

 武は五人目として吉田達の手の上に自分のそれを置く。

 改めて集まった五人の掌。それまでライバル同士で握手はすることはあっても、それ以上の信頼では結ばれなかった五人。そんな五人が一緒に紡いできた絆が一つになる。


「泣いても笑っても明日が最後だ。全力を最後まで出し切ろう。その先はきっと、俺達を裏切らないさ」

「俺らは勝つために来た。必ず勝って帰ろう」

「ここで学べることは最後まで教わりたい」

「そして成長して、次は勝つ」

「南北海道、ファイト!」

『応っ!』


 最後に武の咆哮に合わせて、風呂場に男五人の声が反響する。あまりの響く声に一瞬にして女性風呂から苦情が上がり武達に注意が行くのは次の日の夜になるが、また別の話だ。


 * * *


(さっぱりした……疲れた……)


 武は風呂上りにペットボトルを買って飲むために男子達からは離れていた。エレベーターホールに先に向かった男子達はもう乗っているだろう。だが、武は追いつく気にはならずに自動販売機の傍にある椅子へと腰をかけた。小島が言っていた通り、入りすぎて体力が削られていたのだ。水分を補給すべく、ペットボトルの中身を半分くらいまで飲んだ。


(美味い……)


 風呂上がりのスポーツ飲料にほっとする。全員で気合を入れた時の高揚感は楽しかったが、いざ風呂場から出て体を拭いたりしていると大きくなったテンションが下がる。結局、着替えて出る頃にはテンションも体力と一緒に体の外へと出て行ってしまったらしい。


(明日で終わりか)


 一人になるとやはり寂しく思えた。これまで一緒にやってきた仲間達と、明日一日で解散となるとやはり胸にぽかりと穴が空く。それも来るべき結末であり、他のチームよりも長く組んでいられたのだから、恵まれた方だろう。


(俺達は、この大会でいろいろ得られた、んだよなきっと)


 学年別大会の終わった後から振り返る。

 橋本や林などベスト4に入った部の仲間達と共に練習兼選抜試験に望み、最終日にAチームに選ばれた。

 全国優勝を本気で狙うチームとして北海道予選を戦い、Bチームを倒して決勝まで進んで早坂は君長凛を倒し、武と吉田は自分達とよく似た梶と鈴木のペアを制した。

 全国でも二人で組んだ時は勝ち抜いて、別々に組んでも負けはしなかった。試合を続けることで、一試合一試合に武は成長の手ごたえを感じることができた。

 自分が外から見て姫川の成長速度は凄いと思えるように。自分もまた凄い勢いで成長しているのかもしれない。自分で実感が湧かないくらい感覚を置いてけぼりにして。


「あー。明日が待ち遠しいような。待ち遠しくないような」

「ひとりで何、言ってるの?」

「うおわ!?」


 唐突に後ろから話しかけられて驚きながら振り向くと、姫川が笑って立っていた。そのまま武の横を通り過ぎて自動販売機に硬貨を入れると、スポーツ飲料のペットボトルを選ぶ。武が飲んでいるのと同じもの。キャップを開けて一口飲んでから武の隣に腰をおろした。そこにしか椅子がなかったからだが。


「どうしたんだ? 一人で」

「相沢君こそ。一人でどうしたの?」


 武はさっきまで風呂に入っていて、男子五人がそろったことで雑談をした帰りだと素直に告げる。自分だけペットボトルを買いに来たため離れたのだと。姫川は目を丸くして「珍しいこともあるもんだ」と何かギャグのように呟く。


「実は女子もさっき集まってたんだよ。時間的に、たぶん男子が風呂から上がる前かな。みんな帰っちゃって、私だけ少しぶらぶらしてたんだ。ホテルの中」

「おいおい」


 散歩をしていたという姫川の顔は少しだけこわばっていた。武は何となく気になって言葉を探そうとするが、すぐに辞める。姫川が抱いているのは、明日への緊張だ。


「お互い。成長度が半端ないと苦労するねぇ」


 冗談めかして言っているが、姫川は自分の成長度に戸惑っているかもしれないと武は思う。試合に臨むたびに成長すること自体は楽しい。しかし、それだけに自然と、かかる負担も大きくなる。

 周りの期待に応えて、何の保証もない成長度を当てにして試合に臨んだ結果、裏切ってしまった時が怖くなる。

 姫川も皆でいる時は気にしなかったが、一人になって気になったのかもしれない。


「そうだな。でも、俺らは俺らで。精一杯試合して勝てばいいんだよ」


 武の言葉に姫川は頷く。気休めくらいにはなったかと思っても、姫川の表情からは窺い知れない。

 決勝を明日に控えていろいろと考えることが増えたと思いながら、武はため息をついた。おそらく、明日が過ぎないと解決しないことだ。それが心の平衡を脅かす。


(それでも。俺らはやらないとな)


 勝ちあがった先にあるものを見るためには、全力で勝つしかないのだから。


「姫川。頑張ろうぜ。俺らが伸びれば、それだけ優勝に近づくってくらいにさ」

「……相沢君は本当に熱いね」


 武と姫川は笑い合い、すぐに立ち上がってエレベーターホールへと向かった。その間は言葉も交わさない。

 すでに言葉はいらなかった。全ては明日、体育館の、コートの中に置いてくればいいだけだ。


 全国バドミントン選手権大会の最終日は刻一刻と迫っていた。

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