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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
302/365

第302話

 武の全力の咆哮と共にシャトルが放たれる。

 空気を切り裂き、コートへと一直線に沈んでいこうとするシャトルを、名田がラケットを伸ばして弾き返す。綺麗にロブが上がって姫川の制空権内をようやく越えたが、背後では武が再びラケットを構えて思いきり振り下ろす。


「らあっ!」


 咆哮とは裏腹に、シャトルを打つ瞬間に止まるラケット。ネット前に落ちて行くシャトル。何度も何度も武が使っているフェイントだったが、名田と宇都宮はその都度反応できない苦しみを顔に浮かべたままシャトルを見送っていた。シャトルが相手コートに十四回目の着地をして、審判がカウントを告げる。


「ポイント。フォーティーンフォー(14対4)」


 ラブゲームこそ逃れた名田と宇都宮だったが、一方的なワンサイドゲームとなったことにショックを隠しきれていなかった。ミックスダブルスが今の状態であり、大阪チームはおそらく一縷の望みを女子ダブルスに託しただろうが、女子ダブルスも武達が試合をしている間に終了して、早坂達が勝ったようだった。

 ようだった、というのも武は試合に集中したかったために、スコアも早坂や瀬名の様子も故意にシャットアウトしていたのだ。


「ラスト一本!」


 今の武には最後の一本しか見えていない。シャトルを受け取った姫川の後ろについて、最後のシャトルを叩きつけるために集中力を高める。深呼吸を何度か繰り返し、サーブのタイミングに体を合わせる。


「ラスト一本!」


 武に習ってか姫川も吼える。そして声が響き終えるか否かというタイミングで、ショートサーブでシャトルを送り出した。試合時間を重ねて、も浮かないシャトル。シングルスプレイヤーにしては格段に上手いショートサーブも、おそらくは宇都宮と名田達の誤算の一つだろう。浮かないシャトルを辛うじてプッシュした宇都宮だったが、弱々しく落ちて行くシャトルに追いつかない道理は武にはない。しっかりとロブを上げて後ろの名田に攻めさせる。

 名田は追いついてからスマッシュを打つふりをしてドロップを放った。武のプレイを見て真似をしてみたという程度のため、フェイントにもならない。それでも、この試合の終盤にきて初めて武も姫川も、足ががくんと落ちて動きが止まった。


(ここにきて、上手くなってる!)


 相手もまた成長していく。武と姫川という選手に会ったことで名田は新しいプレイスタイルを確立しはじめた。武自身も何度も味わってきた感覚を、今度は相手から味わうことになる。おそらく、武と吉田に相対した選手達は、今の自分と同じ思いをしていたのだろうと思える。


(でも、遅かったな!)


 武は硬直から回復したことで前に出る。それまで姫川に任せていたシャトルだったが、一瞬だけ止まったことでちょうどよく踏み込める体勢になった。武が前に出るのを察知して姫川は後ろへと移動し、もし打ち返されても大丈夫であるようにフォローする。


「うおああああ!」


 前に飛んでのスマッシュは、シャトルをコートに叩きこんで羽を細切れにしていた。

 シャトルについていた羽が、武のスマッシュの威力にちぎれて舞う。宇都宮も名田も、一歩も動けずラケットを動かせないまま、二人の間に落ちたシャトルを視線で追っていた。

 シャトルが転がり、羽が一通りコートへと落ちた時、最後の得点を審判は告げる。


「ポイント……フィフティーンフォー(15対4)。マッチウォンバイ、相沢、姫川。南北海道」

『よっしゃー!!!』


 武と同時に声を上げる姫川。そして、武が振り向いた瞬間に姫川が抱きついてきたことで危うく倒れそうになった。汗で濡れてはいたが、女子の柔らかな感触と臭いに、武は顔を赤くして姫川を離そうとした。


「ひ、姫川! やめろって! 離せって!」

「やったー! やったよ相沢君! ベスト4だよ! ベスト4! ベスト4!」


 姫川は何度もベスト4という言葉を繰り返し、武の思いと裏腹に両腕に力を込める。勝利の高揚よりも姫川に抱きしめられていることへの羞恥が上回りそうになった時に、早坂が姫川の肩を掴んで引き剥がしていた。


「こら。落ち着きなさい」

「あ、ゆっきー! 女ダブおめでとう!」

「ん……ありがとね」


 姫川の賛辞に早坂は歯切れ悪く応えた。武も姫川もその様子に首をかしげたが、自分達がまだ試合を終えた挨拶をしていなかったことに気づいて前を向く。だが、早坂達チームのメンバーがコートに入ってきていることで状況は理解できた。ミックスダブルスが終わったことによる礼は省略されて、団体同士の結末を提示するのだ。

 審判は少しだけ武達に近づいて試合結果を両チームへと伝えた。


「3対2で、南北海道チームの勝利です。お互い、挨拶してください」

『ありがとうございました!』


 武達と大阪は同時に声を出す。特に峰兄弟は涙を流して上手く言葉を言えなくても、強引に叫んで言いきった。その後で握手を交わすと、武は何故か対戦していない峯兄弟の大樹と握手をする羽目になった。力強く握られた拳からは、次は絶対勝つという意思が込められているように思える。実際に大樹は武を睨みつけて告げる。


「今度……インターミドルは絶対出てこいよ。お前達、倒すからな」

「それは頑張るけど……俺、お前を倒したペアの片方じゃないぞ?」

「でも正規ペアだろ? 吉田と相沢。覚えたからな」


 大樹はその言葉を最後に力強く握っていた手を離して、コートから出て行く。それまで握手やそれぞれ言葉を交わしていた選手達も、それを合図にしたかのようにコートの外へと歩いて行く。武達はタイミングを外してから、歩きだした。


(……勝ったんだなぁ)


 武は改めて思う。自分と姫川で南北海道の勝利を掴んだ。

 吉田と共に掴んだ全道の時とはまた違った興奮を覚えて、一度は姫川に妨害された気分が再び高揚していく。今日はもう試合がないということが残念でならないほどに。

 しかし、その気持ちもコートから出て瀬名が床に座り込んでしまったことで陰りが落ちる。

 そして武は、この勝利の代償を知るのだった。

 瀬名の戦線離脱という事実を。


 * * *


 観客席の自分達のスペースへと戻った武達は、吉田コーチと庄司が瀬名の足を見ている周りに集まっていた。瀬名は足首を動かされるたびに顔をかすかに歪めたり、明らかに痛いと呟いたりという反応を示している。武は少し離れた場所にいる早坂の様子をうかがったが、感情は表に出てきていない。自分とダブルスを勝ち抜いたパートナーがこうして痛みに苦しんでいる姿を見て、どう思うのか。武も吉田が足を痛めたことで全道大会の決勝を棄権したことを思い出して他人ごとではいられない。


「骨に異常はないようだが、明日の試合は無理だろうな」

「そうですか……」


 ひとしきり足を見た吉田コーチが言ったことで、瀬名は嘆息する。声にはそれほど悔しさは滲んでいない。大阪との試合を勝ち抜けたことが、一つの目標となったのだろう。

 一つ到達したことで、瀬名はやりきったのだ。


「瀬名。よくやった。お前の頑張りで、勝ちぬくことができた。明日は皆を精一杯応援してほしい」

「はい」


 吉田コーチに静かに答える瀬名。まっすぐに目を見てから、吉田コーチは周囲に立つ南北海道チームの面々に告げる。その声は厳しく、改めて武達の気を引き締めた。


「皆。今日は良く頑張った。沖縄も大阪も強敵だったが、勝利できたことは君達の力が通用した証拠だ。通用しただけではなく、試合の中で成長していくのを見ていると、私も心躍ったよ」


 武は拳を握り締めて自分の力を実感する。吉田コーチの言うとおり、誰もが試合中に成長できた。特に大阪戦では岩代と藤田も負けたとはいえ、実力があがったように思える。

 安西と吉田。早坂と瀬名。そして、武と姫川。試合を体験した者は間違いなく成長して、明日の試合へと臨むことができるはずだ。唯一、瀬名がここでリタイアなのは残念だったが。


「今日はもう試合はない。次の試合の相手も、我々が試合をしている間に終えたようだからな。残っている試合を観戦していくのを止めはしないが……私と庄司先生に任せて休んで欲しいと考えている」

「そうさせてもらっていいですか?」


 吉田コーチの言葉に質問したのは吉田だった。親子ではなくコーチと選手という立ち位置でのやりとり。誰もが言いづらそうな雰囲気の中で率先して言うことで、場の空気を次へと流した。


「じゃあ、ホテルに先に戻っていてくれ。香介。皆のまとめ、頼んだぞ」

「分かりました」


 言葉は息子にかけるそれだったが、親子の関係をあまり見せずに吉田コーチと庄司は皆から離れていく。後ろ姿を見送ってから吉田は一つため息をついて皆に言った。


「さあ、ホテルに戻ろうか。瀬名は、誰かに支えてもらいながら行ってほしいんだけど」

「私がやるよ!」


 そう言って手を挙げたのは姫川だった。吉田はすぐに任せて、瀬名のラケットバッグを持ち上げる。唐突なことで唖然とする瀬名だったが、姫川に支えられて立ったところで吉田に礼を言う。


「ありがとう」

「いいって。ゆっくりいこう」


 吉田が足を進めると武達も集団になって歩きだす。瀬名の周りを固めるように歩いて行くが、その中で早坂は後ろをゆっくり進んでいた。

 武は自然と早坂の隣へ近づいて小声で話しかける。それは気を使ってというよりも、緊張してというほうが正しいかもしれない。触れてはいけないことに触れてしまうかもしれないという怖さがあったが、どうしても尋ねておきたかった。武は早坂と瀬名の試合を途中までしか見ていない。瀬名がどうして怪我をしたのかも気付けなかっただけに、早坂の今の思いはどうなのか気になっていた。


「早坂。大丈夫か?」

「私は大丈夫。もう、弱いところなんて見せないわ」


 早坂はしっかりとした声で武へと答える。それでも前を行く皆には聞こえないように静かに口にしているところからも、冷静に周りを見ていることが伝わってきた。武は全国大会の場所へと来てからの早坂より、いつもの早坂以上に気合が入っていることがよく分かった。

 早坂の完全復活。それ以上のレベルアップに笑みが漏れる。


「そうか……」

「瀬名が怪我をしたことまで、私のせいとは思わないけど……やっぱり、怪我したあいつの分までって思うとね」


 一度言葉を切った早坂は武を一瞥して呟く。顔にかすかに笑みを浮かべて。


「やっぱり、燃えてくるわ」


 ビリビリと伝わってくる闘志に武も笑いだしたくなる。足を引きずって歩いている瀬名のいる前では表だって喜べないが、早坂の様子を見れば次の日の試合も十分いけると思える。瀬名の戦線離脱は痛いが、意思を継いで早坂が頑張るのならば、きっと繋がるはずだ。


「そういえば、名前呼びから戻ったんだな」


 ひとつの心配が解決すると他の些細な点が気になりだす。名前で呼び合うようにしていたはずの早坂と瀬名がお互いに苗字に戻っていることに気づいて武は問いかける。早坂は肩から力を抜いて、ため息交じりに答える。


「まあね。一番リラックスできる呼び方って思ったら苗字に行きついたのよ。詠美には悪いけど、私と瀬名はお互い名前が一番ね」


 そう言いながら姫川のことはまだ名前で呼んでいるあたり、律儀だと思える。あくまで瀬名との間のやりとりが名字に戻っただけで、姫川とはまだ続いているということだろう。そうした義理堅い所が尊敬できるところでもある。武は本当にいつもの早坂に戻ったのだと知って、嬉しくなった。


「やっほう。勝ったみたいだね」


 その声に、武と早坂の足が止まった。ゆっくりと後ろを振り向くと、見覚えのある笑顔を浮かべて手を振っている女子が一人。先を歩く仲間達が気づかなかったために距離が開いていき、その場には女子と武、早坂が残された。


「有宮……さん」

「有宮でいいよ。有宮で。同学年だし、香ちゃんって共通の友達もいるしね」


 有宮小夜子はそう言ってまた笑った。何が面白いのかは武にはよく分からないが、心底この状況を楽しんでいるようだ。


「じゃあ。有宮のほうは勝ったの?」


 有宮が言ったとおりに遠慮なく早坂は問いかける。言葉をかけられた方は笑みを浮かべていた顔を更に破顔して、笑いながら頷いた。顔だけではなく全身から滲み出る幸福のエネルギーにあてられて、武は頭がくらくらとしてきた。


(なんだろ……変な感じだ……)


 言ってみれば、有宮小夜子という少女が持つエネルギーの量が惜しげもなく武へと降り注ぎ、溺れてしまいそうになっている。あるいは支え切れずに押しつぶされそうになっている。

 幸せのオーラはまるで試合中のプレッシャーのように武に襲い来る。

 それを跳ねのけたのは早坂の言葉だった。


「東東京。次はどこと当たるの?」

「ん。南北海道だね」


 半ば予想していた答えだった。沖縄と大阪を撃破したあとのトーナメントの割り当て。有宮が勝ったというならば準決勝で当たることは分かっていた。武は正直なところ忘れていたが、早坂が忘れていたとは思えない。改めて聞き、有宮に答えさせることで明確な線引きをしたのだ。

 明日、有宮と早坂は雌雄を決する時がくると。


「さっきの試合、ちょっとだけ見れたけど。かなり調子取り戻したみたいだね」

「かなりじゃないわ。今の私は、君長と試合をした時、以上よ」


 有宮の放つ暖かな、幸福そうな雰囲気を切り裂くように早坂は彼女へと一直線に闘志を突き刺す。早坂が突き刺した闘志の槍を、有宮は巧みに躱して会話を続けていく。それは余裕なのか、それとも油断なのか。武はそれこそ油断なく視線を向けて有宮の真意を読もうとした。だが、どうしても読み切れない。コートの外で、バドミントン以外の自分の洞察力は試合中には及ばないということは分かっていたが、有宮の思考のたどれなさは異常だった。


(なんでだろ。なんでこんなに分からないんだ?)


 有宮は武がそう思って悩んでいることも分かっているかのように微笑んで、一つ頷いてから踵を返した。


「あとは明日だね。試合、楽しみにしてるよ」

「……吉田に会っていかないのか?」


 有宮が去る前に気になって武は声をかけた。吉田の幼馴染というわりには、全道大会でもこの全国大会でもほとんどコンタクトを取ろうとしない。瀬名を先導して歩いているとはいえ、自分が変わっている間に有宮と会う時間くらいは用意しようと思えば出来た。だが、有宮は首を振る。


「香ちゃんとゆっくり会うのは、優勝してからって私自身の縛りにしてたんだよ。結局、準決勝で当たるから意味はなかったけど。だから、明日終わった後にゆっくり会わせてもらうよ」


 これで最後というように「じゃね」と呟いてから有宮は去っていった。その背中を見送っていた武と早坂だったが、早坂が「勝ちたい」と呟いたことは聞こえないふりをしておいた。


 全国バドミントン選手権大会団体戦。準々決勝。

 対大阪戦、3対2で勝利。


 全国優勝まで、あと2勝。

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