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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
296/365

第296話

 自分の足元に打ち込まれてきたシャトルを瀬名はストレートに返す。弾道は低く、飛んでいく先に永澤がラケットを差し出すことも分かっていたが、他のコースを選べるほど余裕はなかった。もともと、瀬名には細かい技術はない。ただし、スマッシュだけは全国でも通用するものがあって、このゲームもスマッシュを軸に攻めていたからこそ大崩れしていなかった。

 それでも限界はやってくる。


「はっ!」


 永澤が放ったプッシュを取りきれず、シャトルはコートに落ちる。瀬名と早坂は転がるシャトルを見ていたが、やがて同じタイミングで互いの顔を見た。

 視線を先に外したのは早坂で、シャトルへとラケットを伸ばして相手に返す。


「ポイント。フォーティーンイレブン(14対11)。ゲームポイント」


 遂にファーストゲームの最後まで相手の得点は到達していた。あと一点取られたら、一ゲームを取られて本当に追い詰められたことになる。さっきまでならば吉田と安西が味わっていたものだが、今度は自分達に降りかかっている。


(まずはここを抑える。大丈夫。まだまだイケる。私は)


 瀬名は自分に暗示をかける。まだ負けたわけではなく、サーブ権を取り返せばまだまだ反撃はできる。相手にはファーストサーブから二回残っているが、二回連続でシャトルを向こうのコートに沈めればいい。瀬名は何度か深呼吸を繰り返して、覚悟を決める。難しいことは分かっているが、それで委縮していては掴めるチャンスも掴めない。

 だからこそ、瀬名は内に生まれるいらつきを抑えられなくなってきていた。


「ごめん、瀬名」

「ドンマイ。謝らなくていいって。何度も言わせないで」


 謝ってくる早坂に、何度同じ言葉を向けただろう。語尾に付けてしまった言葉は蛇足だったが、気持ちが素直に出ていた。心の底から謝ってもらわなくて良いと思っているからこそ、告げてくる早坂にいらついてしまう。

 誰にでも調子が悪い時があり、試合前から調子が悪かったことは分かっている。それでもダブルスとして一緒に出たなら、カバーすればいいと割り切っていた。

 しかし、早坂は不甲斐ない自分を許せないのか、ミスをするたびに謝ってくる。瀬名からすれば反応するのさえ疲れてきていた。


「ごめん」


 今度は自分の言葉に対しての謝罪。欲しいのは言葉じゃないと伝えようとして止める。堂々巡りになっていつまでも試合が始められないということになりそうだった。

 瀬名はレシーブ位置に立ち、相手のサーブを迎え撃つ。前に出てプッシュに失敗してしまえばそれだけで一ゲームは終わる。ならば、どんなショートサーブだろうと安全策でロブを飛ばすように割り切ればいい。

 追い詰められていく状況の中で、瀬名は思考が先鋭化していく。無駄なものを削ぎ落とし、必要なことだけを見る。ファーストサーバーである栄口は「ラスト一本!」と叫んでショートサーブを放った。白帯の上を通り抜けた綺麗な軌道は対峙していなければほれぼれとしただろう。瀬名は下から上にシャトルをはね上げて、防御陣形を取った。

 永澤が放ってくるスマッシュに瀬名はストレートのロブを返す。低くすると栄口がネット前に詰めてくるため、上げられるだけ高く上げる。攻められ続けることになるが、少なくともミスをすることはない。ただ攻められるのではなく、相手に攻撃するための隙を探す必要があった。


「はあっ!」


 三回スマッシュを受け流したところで、永澤は矛先を早坂に変更する。クロススマッシュで早坂の胴体へとシャトルが撃ち込まれる。早坂はバックハンドに持ち替えて胸の前でトラップするように打ち返し、そのままネット前に出た。待ち構えている栄口はラケットを突き出してスピンをかけてヘアピンを打ってくる。シャトルがストレートに、最短距離を落ちていくのを視界にとらえた早坂はラケットをコートとシャトルの間に入れてクロスヘアピンを打った。更にシャトルにはスピンがかかっており、不規則な回転がかかったままでほぼ真横に空間を切り裂いていった。


「甘い!」


 栄口が吼えてシャトルに横っとびで追いつく。ラケットを小刻みに振って、プッシュを瀬名の真正面へと打ち込んできた。叫んだ言葉は自分を奮い立たせて、早坂をけん制するためのものだったのか、打ちこまれたコースは皮肉にも甘くなる。瀬名は打ち込まれたシャトルを高いロブで返してラリーをリセットした。打ち込んだ栄口はバランスを崩しながらも倒れはしない。後ろでシャトルを待ち構えていた永澤はそんな栄口を見て、更にクロスでスマッシュを打ち込んだ。すぐに行動できないかもしれないのに。

 またクロススマッシュで自分のところにシャトルがきた早坂は、まだ自分から見て右側に硬直している栄口を確認すると、ストレートにヘアピンを打った。遠ければ追いつくことも難しく、ネットを越えればチャンスになる。しかし、栄口が躊躇なくネットを越えようとしたシャトルに飛び込んできたのを見て、瀬名も、おそらくは早坂も罠にはまったと理解した。


「やっ!」


 栄口の短い咆哮と共にシャトルがプッシュで打ち込まれ。今度こそ早坂は取れずにシャトルはコート中央へと落ちていく。致命的な一撃に、瀬名は強引に足を踏み出した。


「うぅううやああ!」


 シャトルへラケットを伸ばす。当たるか分からなくても、ラケットを伸ばして、振ることで可能性を繋ぐ。だが、無理な動きをしたためにバランスを崩して、瀬名の体は宙空に投げ出されていた。


(それでも――!)


 体勢が崩れたことでシャトルを一瞬、完全に見失う。それでもラケットを振ると、かすかに手ごたえがあった。振りきった状態でコートに体が落ちて大きな音を立てて、衝撃による痛みに顔を顰める。早坂の悲鳴じみた声が届き、すぐに傍に早坂自身がやってきたことで自分の打ったシャトルの顛末が自然と知れた。


「だ、ダメだった?」


 痛みにから回復して目を開けると、最初に飛び込んで来たのはネットの傍に落ちたシャトルだった。ラケットはシャトルに当たったが、ネットに阻まれて落ちていたらしい。

 コートに叩きつけられて痛む右腕をさすりながら立ち上がると、隣でしゃがみこんでいた早坂は遅れて立ち上がり、また瀬名へと謝ってきた。


「次、頑張ろう」


 瀬名は短く呟いてからコートから出て、ラケットバッグを取る。後ろを静かについてくる早坂に、自分が苛立っているのが分かった。どうしても腹が立つ。自分を冷静にして、早坂をサポートしようと考えていたが、怒りを抑えきれなくなってきた。いったい、何に対するものなのか。自分の中に渦巻いている感情の根本がようやく理解できた瀬名は、コートの中に入る前に早坂へと向き直り、告げる。


「あのね。いい加減謝るのやめてほしい」

「ご、ごめ……うん」

「理由はあんたが思ってるようなことじゃないの」


 瀬名の言葉に早坂はぴんとこないで首をかしげる。瀬名は一度深呼吸してタイミングを外してから、先を続けた。


「あんたがいくらミスしても、カバーしてやるわよ。早坂だって、ああやって馬鹿正直に前にばかり打ってたのは、感覚を取り戻すためでしょ。それを分からない私じゃないわよ。次に繋がるミスならもうすぐ負けるって前までならしてもいいって。まだ、一ゲーム取られただけなんだから」


 瀬名は早坂の右肩を軽く叩く。そこに自分の力を注ぎこむようにイメージすると、本当に自分の力がそそぎこまれていくように思えた。もちろん、自分だけの錯覚で早坂には伝わっていないだろうが。


「一回しか言わないからね。それ以前にね。あんたにそんな何度も、謝られたくないのよ」


 いつまでもコートに入らないわけにもいかず、瀬名はそう言ってからコートに入る。慌てて続いた早坂に視線を合わせないまま、瀬名は呟くように言った。


「あんたはもっと堂々としてもらわないと、調子崩れるのよ」


 本心を告げるのも恥ずかしいため、呟くだけにする。

 自分が追いかけてきた早坂は、全国大会で見せているプレイをするような女子じゃない。もっと強く、綺麗なプレイをするのだ。自分が勝てない理由はそこにある。思考をシンプルにしてスマッシュを打つだけの選手では絶対に勝てないと分かっている。だからといって瀬名は諦めたわけではなかった。必ず道を探して、シングルスで早坂に勝つ。そのために今は、あえて自分の道を突き進む。

 中途半端ではなく、突きつめた先にこそ状況の打開策はある。


「真由理」

「何よ、はやさ――由紀子」

「いいよ。呼びやすい方で行きましょ。私も、正直疲れたわ」


 さっきまですっかり忘れていた、姫川と取り決めた名前で呼ぶこと。だが、早坂から止めようと提案してくる。その表情には、先ほどまであった焦燥感がほとんど残っていないように瀬名には見えた。それまでどこか他の人の言葉に従っていた早坂が自分の意思を前に押し出す。


「ありがとう。二ゲーム目、スマッシュよろしく。瀬名!」

「――任せておいて」


 瀬名の差し出した左拳に早坂が同じく左拳を合わせる。すぐ後に審判が第二ゲーム開始を告げる。


「早坂! 瀬名! まずはストップ!」


 いつも通りに聞こえてくる武の声に瀬名は頷く。早坂も視線を合わさなかったが顎は頷き、動いていた。自分達が負けて帰ってきてもまだまだと励ましてくれる武の声は二人の中に留まって力になる。瀬名としてはほんの少しだが特別な感情が交じっていることもあって高揚してくるのだが。


(まだ、相沢に教えてもらったスマッシュを打ち込んでない。もっと、行けるはず)


 腕の力だけではなく、フォームの正しさやタイミングで打ち込むスマッシュ。練習では何度も打てるようになってきたが、試合中では数えるほど。この試合ではまだ一回も打てていなかった。早坂を無理にカバーしようとして体勢を崩すことが多かったためだろうが、第二ゲームでは放てると心に自信が生まれる。

 長い時間――第一ゲームをまるまる使っての調整が終わり、いよいよ反撃に出ることになる。

 相手のサーブを迎え撃つ早坂の背中が第一ゲームよりも大きく見えたことが、瀬名の自信を確信へと繋げていった。


「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」

『お願いします!』


 四人の声が同時に走り、第二ゲームがスタートする。これで負けたら敗退決定。さっきまで吉田と安西が経験していたであろう緊張感が二人の肩にのしかかる。それでも瀬名には不安はなかった。


「一本!」


 叫ぶと共にすぐ栄口はシャトルを打ってきたが、早坂はシャトルが放たれたと同時に前に出ていた。いくらショートサーブがメインのダブルスとはいえ、裏をかいてロングサーブを放たれる可能性がある以上、サーブの時は読み合いが発生する。だが、今のタイミングは完全に前にシャトルが打たれると早坂は決めてかかり、前に出たように瀬名には見えた。


「はっ!」


 シャトルが白帯を越えた瞬間にプッシュで叩き落とす。コースは栄口が届かない右方向へ。更に外側のライン上へと向かわせる。鋭く速いタイミングで落ちたシャトルに、控えていた永澤も反応できないまま見送ってしまった。


「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

「しゃ!」


 早坂が短く気合いの乗った声を出す。瀬名は本来ならば同時に「ナイスショット」とでも声をかけるのだが、それさえも忘れて早坂の背中を見ていた。自分が追ってきた背中が、今、ようやく自分の目の前に現れたような気がしていた。


(これだよ。これが、早坂なんだ)


 全国大会に入ってふがいない試合を続けていた早坂。当人以上に自分がストレスをため込んでいたのかもしれない。早坂の復活のプッシュといってもいい今の決め球に、胸の奥にあった黒い塊が溶けていくように思えた。

 早坂がシャトルを受け取り、サーブ位置に戻った時を見計らって出てこなかった言葉を改めて伝える。


「ナイスショット。早坂」

「ありがと。瀬名」


 自分達の間に血が通い出す。

 言葉も、動作も、思考も。かちりと一つ歯車がはまったような感覚。そこから順次、血が通いだして一つの流れを形成する。瀬名だけでも、早坂だけでもない。二人が一つの塊になって、一つの大きな流れを渡っていくイメージ。ダブルスプレイヤーではなかった瀬名が持った、ダブルスのイメージ。早坂がサーブ位置につくのを見て、瀬名は中央の線をまたいで腰を落とした。


「一本!」

「一本!」


 早坂の声に呼応して吼える。バックハンドで構えた状態から早坂がショートサーブを打つと、栄口はネット前に落としてくる。先ほどやられた仕返しというかのごとく、外側のダブルスライン上へとシャトルを落としてきた。だが、早坂は即座に追いついてストレートにヘアピンを返す。まだ栄口がそこにいるのに、挑むように。栄口は目の前に来たシャトルを叩こうとした。第一ゲームで何度もプッシュで返してきたのだから同じように打つのは当然の行為。しかし、何かが違ったのか、栄口のラケットはネットに触れてしまい、シャトルを打ち返すことはなかった。


「ポイント、ワンラブ(1対0)!」


 第二ゲーム初めての得点に早坂がラケットを掲げる。逆に栄口は呆然自失の体で、落ちたシャトルを見ていた。おそらくは第一ゲームまでと同じタイミングだったはず。しかし、現実としてシャトルは打ち返せずにポイントを取られた。瀬名は早坂の背中から大きな炎が噴き出しているように錯覚する。実際にあるわけはないが、第一ゲームまででため込まれたストレスが逆転して力となり噴き出しているのかもしれない。栄口は我に返ってシャトルを拾い、早坂へと手渡す。その時も堂々として早坂は次のサーブ位置へと移った。瀬名は同じように中央線を跨いで、シャトルが来るのを待つ。


「一本!」


 今度は瀬名自身から声を出す。早坂も同調した後でショートサーブを躊躇せずに打った。シャトルは全く浮かず、そこに透明なパイプがあり、その間を通っていくかのように進んでいく。永澤はプッシュを諦めて高くロブを上げていた。即座に追いついた瀬名は今までよりもシャトルに余裕を持って追いつけたことで、動作を一つ一つ確認していく。ラケットを掲げるフォーム。体重の移動。力を必要以上に入れず、リラックスした状態でのラケットの振り抜き。

 何点かのチェックポイントを通った上で、シャトルへとラケットを振り切る。

 頭の中で理論だてられたわけではない。瀬名も自分でそこまで詳しく考えられるほど頭の回転が速いとは考えていなかった。ただ、何となくというレベルでも、今度は自分の中の歯車がひとつになる。


「やあっ!」


 シャトルと相手のコートを一直線で結ぶ。そのラインへと打ち込むとラケットは乾いた音を響かせてシャトルを押し出す。

 相手の足元に食い込むような軌道と、正確に反応して打ち返すことを許さない速度。瀬名が人生で放った最高最速のスマッシュの一発目が相手コートに叩きつけられていた。


「ポイント。ツーラブ(2対0)」

「しゃー!」


 ラケットを振り切った体勢を崩して吼える。早坂もナイスショットと声をかけてきて、左手をあげた。自分の左掌をそこにぶつけて力の限り握る。近距離でお互いに気合を入れあった。


「よし、このままでいこう」

「期待してるよスマッシュ」


 早坂の手から自分の手を離して後ろへと戻る。シャトルを受け取った早坂がサーブ姿勢を取ることに合わせて、瀬名は腰を落とした。

 その時、一瞬だけ右足首に痛みが走った。


(――え?)


 女子ダブルス。セカンドゲームは2対0で早坂、瀬名組がリード。

 しかし瀬名は目の前に黒い霧が広がっていくように思えていた。

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