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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
293/365

第293話

 安西のスマッシュが峰兄弟の間を突き抜けて行く。咄嗟にラケットを出したのは健吾。フォアハンドで思い切り振り切ってドライブを真正面へと打ち返す。コースを狙うという思いが全く感じられないシャトルは渾身の力を込めて吉田の顔面目掛けて飛んで行く。シャトルをしゃがんでかわした吉田は、後方で打ち返そうとしていた安西に「取るな!」と鋭く叫んで止めた。

 シャトルを取ろうとラケットを伸ばした安西の動きが止まり、シャトルはそのままコートの外に出て着弾していた。


「ポイント。サーティーン、イレブン(13対11)!」

「よし!」

「ナイス!」


 吉田は汗を拭いながら吼え、安西は拳を吉田へと掲げていた。

 第二ゲームは序盤は吉田と安西がリードしていたものの、中盤でシーソーゲームとなり、徐々に追いつかれていった。安西の攻めに対して峯兄弟が慣れてきたことも原因の一つ。安西のショットは相手の動きを制限する効果はあったが、一歩間違えばチャンス球となって自分達にピンチが跳ね返ってくる。最初の頃は吉田の神がかり的な反射神経もあって攻撃を防げていたが、そんな宙空に張った綱を渡るような状態は長くは続かない。

 徐々に吉田の前衛をかいくぐってシャトルが届くようになり、地力で劣る安西は攻撃をこらえきれなくなっていった。

 それでも、安西は吉田を信じてシャトルを打ち続ける。

 吉田が反応できる程度の動きに抑えられさえすれば、攻められていても必ずチャンスが訪れる。

 シャトルを通じて伝わる安西の意志の力に、吉田は良く応えた。その甲斐があって、先に十三点目を取る。ちょうど、第一ゲームのスコアとは逆。もし追いつかれてもセティングに突入できる。アドバンテージの分、精神的に余裕ができた。


(それでも、その余裕は命取りかもしれない)


 切れてきている息をゆっくりと呼吸をすることで整える吉田。リードしているとはいえ局所的なものであり、トータル的には負けている。更には、もし今回逆転負けを喫したならば、それだけで自分達の挑戦が終わる。それだけは避けねばと吉田は改めて安西に気合を入れようと口を開きかける。


「吉田。油断するなよ。セティングがあるって考えないで、一気に勝とうぜ」

「……俺のセリフだったんだけどな」


 吉田は素直に口にする。自分が言おうと思っていたセリフを言われて悔しく思う気持ちをはっきりと出すと、安西は悪気がなさそうに「悪い悪い」と言って吉田から離れた。

 サーブは吉田。12対11の時にサービスオーバーでシャトルを受け取った吉田の第二打。第二ゲームに入ってから今まで、一度もリードは奪われていない。このまま逃げ切るという考えではなく、攻め勝つ。少しでも後ろ向きな気持ちを持ったらこの相手には勝てないだろう。

 吉田はまたひとつ大きく深呼吸をしてから、吼えた。


「一本だ!」


 気合いの咆哮と共に鋭くシャトルを打つ。弾道が低いロングサーブ。フォルトすれすれの軌道でラケットを振り、弾丸のようなサーブを放つ。下から打ったとは思えないほど床と平行に近い軌道で飛ぶシャトルを、健吾は重力に逆らわずに体を寝せて打ち返していた。打った直後で後ろに倒れそうになってバランスを崩すものの、シャトルの滞空時間の影響で立て直しには十分だ。ロングサーブを放った吉田がそのままシャトルを追っていき、安西が前につく。ちょうど同じタイミングでネットの向こう側に大樹が腰を落とした。


「取るで! お前なら!」

「そうだな」


 あおりなのか気合いを入れた結果なのか分からない大樹の言葉を、安西はすんなりと受けとめた。

 安西の言葉を挑発と受け取ったのか、大樹は怒りを抑えようとしないで安西へと怒気を叩きつける。先に喧嘩を吹っかけてきたのはそっちだと言うように、安西はただそこに立って吉田のシャトルを待つ。

 前衛の様子を視界に入れながら、吉田はラケットを振り切った。シャトルはストレートスマッシュで相手のコート左側のライン上へと落ちて行く。安西と真正面から向き合っていた大樹には遠い。吉田には何を言っているのかは聞こえなかったが、大樹と吉田の間で何かしらのコミュニケーションが交わされたのは分かった。そのため、反応が遅れたのだろう。

 シャトルを拾ったのは健吾。後ろでシャトルが来るのを待ち構えていたとは思えないほどの速さで前に飛び込み、ヘアピンを放った。吉田ではなければネット前の攻防に一日の長があると判断した結果なのか、安西の右側へとシャトルを打ち返す健吾。

 だが、次の瞬間に健吾の顔は後悔に歪むことになった。

 自分の打ったシャトルがネットを越えようとした瞬間に遮られたことに、歪む顔を後方にいた吉田もしっかりと捉えていた。


「ポイント。フォーティーンゲームポイント、イレブン(14対11)」

『ナイスショット! 安西!』


 南北海道の全員が安西に向けて声援を送る。吉田ではなく安西がネット前でシャトルを決める。それはけしておかしいことではない。今は吉田と武に一歩劣るとしても、彼らを苦しませるダブルスの一人。ハイレベルのダブルスの中にあっていつまでも後塵を拝しているということはない。


「ナイスプッシュ」

「サンキュ!」


 吉田の掌に安西は掌を叩きつける。

 これまでの試合の流れで峰兄弟の中から安西の存在はほとんど消えていた。自分達の動きを制限していたのは安西だということに、おそらく気づいていないのだろう。ローテーションの件もそうだが、相手ダブルスは理論的に考えず感じるままに動いているのだと吉田は感じた。それが峰兄弟の強みであり、弱点。自分達が何によって歯車を狂わされているのか理解するのに時間を要する。


(あと一点か)


 久しぶりのゲームポイント。南北海道の三試合を通して初めて取るゲームポイントではないかと吉田は考える。思い返してみると確かに、岩代も藤田もストレートで負けている。シャトルコックを持ってくるくると羽を回しながら、吉田はゆっくりとサーブ位置に立った。まずは一ゲーム、の前に一ポイント。自分が取る一点は、いついかなる時でもただの一点なのだ。特別な一点などない。たとえ、次に得点すると世界選手権で一位が決まる、ということだとしても一点は一点。

 特別なことはその先にある。


「よし、一本行くか」


 だから吉田は必要以上に一点にのめりこまない。流石に無心になって今の状況を捉えられるほど達観はしていないため、極力気にしないようにする。体の緊張を押えて、冷静にシャトルを打つことで、未来の勝利の道筋が見えるのだから。


「一本。頼む」


 安西の言葉に頷いて、吉田は前衛のサーブラインのすぐ前につま先を置いて踏みしめる。

 だが、吉田はサーブ体勢を取ろうとして体の動きを止めた。まったく自分では止める気がなかったのだが、周りの空気が急に実態を持って自分を押さえつけてきているかのような錯覚に陥る。ネットの奥からくるプレッシャーの質が、切り替わった。


(……これは)


 最後のサーブを打とうと斜め前を向いた吉田には、眼前に大きくそびえる大きな岩が見えた。ネットの端から端まで。床から天井までを覆い尽くすような巨大な一枚岩がコート上に鎮座している。それはいかなるシャトルを打とうとも、貫くことができないように感じた。吉田は頭を振って自分の目から入ってきた強烈な映像を追いだす。

 次に目を開けた時には、大樹がラケットを構えて立っていた。


「一本!」


 吉田は改めて宣言すると集中力を何枚も折り重ねるようにして、シャトルを前に出す。シャトルにラケットを当てて、理想の軌道を思い描く。最高の軌道にシャトルを乗せることで、いくら相手が素早く前に出てシャトルを叩こうとも強打はさせない。自分のイメージを現実へと昇華させる。吉田はラケットを小さく振って、シャトルを前に押し出した。

 白帯へと向かってから下向きに穏やかに流れて行くシャトルの軌道。打ったかすかな勢いを使って前に出て、いつでもラケットを出せるようにシャトルの軌道を追う。そして吉田の視界には、大樹の体が大きく映っていた。


「どらあっ!」


 喉から拳を突き出したかのような叫びと共に渾身の踏み込み。そしてシャトルは吉田の予想に反して強打で返されてしまい、ラケットが届かないままシャトルが抜ける。後ろには安西がいたが、想定以上の速さで突き進んできたためにシャトルを上手く打ち返せず、フレームショットでネット前へと返されてしまった。ふらふらと返ってくるシャトルに照準を合わせて、大樹はまた吼えながらスマッシュを打ち込む。今度は吉田も安西も一歩も動けずに、二人の間に突き刺さって転がったシャトルを呆然と見ることしかできなかった。


「セカンドサービス、フォーティーンイレブン(14対11)」


 審判のコールに続いて心の底から嬉しそうに吼える大樹。今まで追いこまれてきたフラストレーションを存分に発散しているかのように、健吾と抱き合っている。もう試合に勝って、全国大会ベスト4へとコマを進めたような騒ぎ方だ。


「まだ終わってない」


 吉田はラケットでシャトルを拾い上げ、安西にそのまま渡す。ラケットの上のシャトルを手にとって前に出る時にすれ違う瞬間、吉田は安西に呟いた。


「最後にロングサーブを決めてやれ」


 安西は一瞬動きを止めたが、かすかに顎を下に動かして前に出る。同意したという証と信じて、吉田は腰を落としたままいつでも横に跳べるようにした。安西がロングサーブを打てば、おそらく健吾ならばストレートにスマッシュを放ってくる。すると自分しか守れるものがいなくなる。

 安西にロングサーブを打たせるのは博打かもしれない。しかし、吉田は何故か言うことに躊躇はしなかった。それは、次の安西の言葉によって確信に変わる。


「最初からそのつもりだよ」


 安西は吉田のことを「おかしなことを言うやつだ」という目で一瞥してから前を向く。吉田のほうは、まさか自分が安西の次のサーブを当てるなどと考えてもみなかった。自分に何か癖でもあるのだろうかと思うが、そうではなくとも知る方法はあるのかもしれない。


(川瀬と須永を除けば、安西と岩代と試合してきたのは俺らが一番多いだろうからな)


 第二ゲームの終わりに来て、安西の打つショットが読めるようになってきたということ。それは自然と、安西のダブルスのパートナーとして繋がりが強くなってきた証拠かもしれない。安西に操られるようにシャトルを追いかけ、コートを動いてきた第二ゲーム。操縦されている気がなくとも、結果的に安西の思うがままに動かされている。吉田にとってそれは心地よかった。いつも自分がしていることを他人にやられることの刺激。考えるのは武のことだ。


(あいつもこんな感じで試合やってたのかな)


 一瞬だけ武のほうを見る。自分の正規パートナーは安西達の試合の動きに一喜一憂している。この試合に吉田と安西が負ければそれで敗退なのだから。吉田は安西の背中を見ながら思う。


(ここで終わらせないぞ、武)


 吉田の心の声と安西の「一本!」という声が重なる。安西は安藤の低いロングサーブでシャトルを飛ばし、健吾はスマッシュを叩きつけてくる。吉田の読み通りの位置に来たシャトルを渾身の力で高く遠くへ弾き返す吉田。その後に安西も横に広がってサイドバイサイドの陣形に変わった。


「安西! 半歩前に出てクロススマッシュに備えてくれ!」


 大きな声を上げて安西に指示する吉田。それは相手がシャトルを打つ前に発せられた言葉。まだ、シャトルをどう打つか変えられる。しかし、健吾はためらうことなくストレートスマッシュで吉田の胸部をえぐろうとした。バックハンドで構えたラケット面にシャトルが当たり、弾き返される。完全に読み切った軌道の上にラケットを置くだけで、労せずにヘアピンを返せる。鋭くネット前に落ちて行くシャトルのタイミングは、吉田が何度か感じた必殺のもの。その感覚の上ならば、峰兄弟のどちらもシャトルを返せそうにない。

 今までならば。


「うぉおおおあああああ!」


 叫びながら前に飛び込む健吾。後ろからスマッシュを打った人間が前に飛び込んでくる。プッシュをしようとするのは分かったが、すでにネットを越えて下降しているシャトルには抗えない。残るのはロブかヘアピン。二択と考える間もなく、吉田は思いきりある地点にラケットを突き出していた。

 瞬間腕が後ろにぶれる。ラケットに何かがぶつかったような衝撃に抗えず、数歩後ろに下がってから止まった。


「――あ」


 シャトルは健吾の左隣に落ちていた。羽はボロボロになり、それまでどれだけの強さで弾かれたのかを示している。

 それでも、落ちたのは峰兄弟の側だ。


「ポイント。フィフティーンイレブン(15対11)。チェンジエンド」


 審判の声によって第二ゲームは自分達がもぎ取ったのだと理解して、吉田はほっと息を吐いた。

 第三試合を遂にイーブンに持ち込んだことに吉田は嬉しさよりも安堵を感じる。これで五分五分にしたことで、ファイナルゲームへと雌雄を決することができる。首の皮一枚、自分達の命運は繋がった。

 コートを変えて、次の試合が始まるまでにインターバルはほんの数分。その間に少しでも体を休めてアドバイスを聞こうと、吉田はそそくさとコートを出た。そこに待ち受けるのは武達の声の嵐。


「いやー! やったな、吉田! 安西!」

「二人とも信じてたよ!」


 武と姫川が先頭に立って吉田と安西に激励を飛ばす。まだ勝ったわけではなかったが、巻き返したのは価値あることだ。


「お前達。インターバルは短いんだ。先にアドバイスさせてくれ」


 吉田コーチが武達をなだめてから二人の前に立つ。よくやったと労った後にファイナルゲームに向けて相手を見ながら口を開いた。吉田コーチの表情は追いついたのはいいが、暗い。


「ファイナルゲームもこのまま行けと言いたいところだが……」

「峯兄弟のプレッシャー、ですね」

「一枚岩みたいに、隙がないようなイメージだろ?」


 続けた言葉に頷かれる。吉田だけではなく安西も感じたのか、同じイメージを共有したかのように口から言葉が出てくる。吉田は大阪のほうを見ながらタオルで髪を拭いて行く。


「ファイナルゲームに入って、あいつらはきっともっと攻めてくる。そうなると、二ゲーム目の戦法はきついかもしれない。安西の打ち回しのおかげでだいぶ楽できたけど、そろそろ通じないかもしれない」

「なら、今度は吉田がゲームを支配すればいい」


 安西がさらっといた言葉に吉田は不服そうに顔を歪める。簡単に言うなと思ったが、その言葉は吉田コーチによって遮られる。


「そうだな。ファイナルゲームは、香介。お前がゲームメイクするんだ」

「そりゃ、やれるならやるけど……できなかったから一ゲーム目負けたんじゃ――」

「お前はもう、分かっているはずだ」


 吉田コーチの言葉に思い返してみる。注目したのは15点目を取る際の相手の動き。後ろからラケットを振ってスマッシュを打ってきた健吾は、ネット前に打ち返しても飛び込んできた。その姿を視界に収めながら自分が見たイメージのラインにラケットを突き出した。結果、シャトルをインターセプトして二ゲーム目を取ることができたのだ。


「安西が一ゲーム持たせたおかげで、お前はもう対応できるはずだ、香介」


 吉田は頷いてコーチを見る。自分の父親からの信頼の視線に、体に力がみなぎってくるように思えた。


「よし、じゃあいくか」


 安西がそう言ってラケットを持ってコートへと入る。吉田も向かおうとしたところで、背後から声が聞こえた。


「こちらでも試合を開始します。女子ダブルスの選手の方は入ってください」


 吉田達が勝つ可能性が出てきたことで、次の試合が始まろうとしていた。

 早坂と瀬名。二人が緊張気味に立ちあがり、ジャージを脱ぐ様子を一瞥してから吉田はサーブ位置へと向かう。

 それぞれが勝負の時。吉田達が次のゲームを落とせば終わり。そして、早坂達が負けても終わり。

 お互いに負けられない戦いへと突入する。しかし、吉田は辛くはなかった。


(さあ、行こう)


 男子ダブルス、ファイナルゲーム、開始。

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