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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
289/365

第289話

 武の隣で吉田が立ち上がり、試合が行われているコートから離れていく。ついていくのが安西であることを確認した武は、次の試合のための準備なのだろうと理解した。目の前で展開されている岩代と松本の試合は5対2と第二ゲームの序盤を終えようとしていた。

 リードしているのは、松本。第一ゲームの間に岩代は何とか離されないようにと食らいついていたが、離されないだけで点差を詰めることが出来なかった。

 第一ゲームを取られてしまい、第二ゲームでも焼き増しのように最初に点差をつけられ、そのままの点差が最後まで続くという同じ展開になりそうな気配があった。岩代は松本の短調な攻めのパターンに対応し、松本は対応されれば次のパターンを出すということを繰り返している。武にはよく分からなかったが、岩代は松本の攻めに何故か対応できるようになるのが早かった。同じパターンを有効じゃなくなるまで使い続け、通じなくなれば別のものに変えるという変わった選手らしい。そして、岩代はそのパターンの先を読めるかのように二、三回使われれば見極めて、対応できるようになっていた。ただ、どうしても対応には二、三回はラリーをする必要があるために相手が二点取る間に自分は一点を取る、ということが多くなり、徐々に点差が開いて行く。たまに松本に点を取らせないままでサービスオーバーということもあったため、純粋にパターンが切り替わるたびに点差が一点ずつ広がっていくということはなかったが、焼け石に水という状況だ。


(何とか食らいついていたとしても、岩代はもう一歩、足りないんだ)


 試合の間に対応策を見つけられればと思うが、武に考えられることはなかった。もしも岩代に勝つ可能性があるとしたら、松本のストックしているパターンが尽きること。しかし、一口に攻めのパターンと言っても組み合わせ次第では無限にある。

 最初はサーブからお互いに一回ずつシャトルを打ち合ったところで終わるパターンだったが、徐々にラリーの行われる回数も増えて行き、パターンはその分増えて行く。試合時間が長くなっているのもそれが原因だった。

 松本のサーブでシャトルが打ち上げられたと同時に、背中の方から小さな拍手が沸き起こった。視線を向けると、最初に目に入ったのは俯いた藤田の姿。傍に落ちたシャトルを覗き込むように顔を下に向けている。向かいのコートに立っていた木戸がネット前に立ち、藤田が来るのを待っている。その光景を見て武は藤田の敗北を理解した。


(そっか。これで安西と吉田は準備に行ったんだ)


 この試合は二つのコートで同時に試合が展開される。

 安西と吉田の試合は男女シングルスはどういう結果になろうと必ず行われるため、試合間隔を空ける必要はなく試合が終わればすぐに行われる。これが女子ダブルス、ミックスダブルスとなると先に行われている試合の結果いかんで実施するかどうかが決まるため、間に少しインターバルが挟まれることになっていた。

 顔を上げた藤田がネット前に行き、握手をする。その表情は晴れやかとは言い難かったが、それでも気丈にふるまおうとしている。手を離し、コートを早足で出てコート傍のラケットバッグを拾い上げると女子達が傍に行って口々に言葉を紡ぐ。審判はすぐに吉田コーチと相手の監督へ声をかけていた。


「次の試合を開始します。男子ダブルスの選手の方をコートへ」


 審判の声に従って先にコートに入ったのは、大阪の峯兄弟だった。

 同じくらいの高身長。同じ筋肉質の体格。そして同じ顔。どちらがどちらか武はすぐに分からなくなる。コートの向かい側へと片方が向かった際にゼッケンを見てみたが、意図的なのか「峯」とだけ書いてあった。確かに名前が付けられる時は苗字であり、双子だからと言って名前を表記しなければいけないという理由はない。たまたま他人で同じ名字のペアということもあるだろうから。

 それでも峯兄弟を見るとそれが作戦ではないかと思えるくらい似ていた。

 峰兄弟に遅れること十数秒で安西と吉田もコートに入る。吉田が早足で安西と反対側へと行き、シャトルを打ち上げる。二人とも軽く体を暖めてきたのかすぐにスマッシュから入り、乾いた良い音を小気味よく響かせていた。吉田も安西も気合いが乗ったスマッシュを打っていて、二人の調子が良いことが外からでも分かった。


「だ!」


 武の耳に入った声の主、峯兄弟のどちらが放ったスマッシュが風を切って相手コートに突き進む。その音が耳に入ったとたんに武は先ほどまで生まれていた安西と吉田への自信が揺らいだ。

 打ち込まれたシャトルが返され、浮かんだシャトルが再び轟音と共に放たれる。連続して空間を切り裂く峯兄弟の片割れのスマッシュは武を戦慄させるのには十分の威力を持っていた。恵まれた肉体を持つ者が更に鍛え上げて打ち込むスマッシュ。それでいて、数度繰り返した後に打ったドロップの切れ味の良さ。武も得意とする戦法であり、誰もが使ったことのあるポピュラーなパターン。だが、それでも通じることが多いのは、そのパターンがいわゆる「必殺パターン」に近いものだからだ。分かっていても取れない。反応できない。次に来ると分かっていても、それまでのスマッシュとの落差に体が言うことを聞かなくなる。

 峯兄弟の鍛えられた体はパワーだけではなく、ショットを打つのに必要な土台まで整っているようだ。外から見ていても、自分が吉田と組んで挑んでも厳しい相手になることは間違いなかった。


(橘兄弟とどっちが強いか……ってところ、だな。あいつらも、西村や山本と同じように全国クラスだとは思っているけど)


 全国に行けなかったから全国クラスではないということはないはずだ。一回戦負けならまだしも、ベスト4に入るくらいならば。それならば自分も同じくらいだろうという考えは今の武には浮かばない。岩代や、吉田・安西の試合へと意識が映っていたために。

 岩代と松本の試合に目を戻すと、すでに松本が一点取っていた。これで6対2。今までの流れならば次には止められるはずだ。武は短く「ストップ!」とだけ試合の続きを見守る。そこに、空いている隣の席に藤田がやってきた。


「ここ、座っていい?」

「あ、ああ」


 藤田は音をたてないように座って岩代へと視線を向ける。試合の中で岩代は叩きこまれるスマッシュを何度も取っていた。今度のパターンはスマッシュを連続で交互にクロスさせて打っていくものらしい。岩代は隙を探すために次から次へとシャトルを取り、打ち上げて行く。


「岩代、負けてるんだ」

「ああ。それでも、ただ負けてるわけじゃない。だいぶ打ち崩してるよ」

「そうだね」


 藤田はその後も何か言いたげだったが、口をつぐんでしばらく試合を見続ける。武もしばらく横眼で藤田を見ていたが、岩代の方へと視線を戻した。ちょうどそこで、岩代のラケットが空を切り、スマッシュがコートへと突き刺さる。

 7点目に武は違和感を覚える。今までも何度かいつも以上に点を取られたことはあった。帳尻は後で合わせることができたが。今回の得点には今までとは違う何かが含まれている気がする。


「岩代はさ、頑張ってるよね」

「え? あ、ああ。そうだな」


 違いを考えようとしたところでの藤田の言葉にタイミングを外されて、意識が藤田へと向かう。藤田は岩代の姿を見ながら呟き続ける。


「岩代はさ、多分、最初から頑張って相手の隙を探してとか勝とうと思って頑張ってたんだよね。だからこんなに長く試合して……体力がなくなってきてる」


 藤田の言葉に再度岩代を見てなるほどと思う。岩代は肩で息をしており、追いつかせるために何度も深呼吸をしていた。試合の再開までにできるだけ落ち着かせようと天井を見上げたり、咳をしたりと試行錯誤の様子が分かる。


「でも、私は……駄目だった」


 藤田の声に少し涙が混じった。驚いて顔を見ようとしたが、俯いて前髪に隠れた表情は見えない。何かを言おうとしたが、武には言葉が出なかった。藤田の試合は見ていないため、何について辛いのかが、まだはっきり分からない。藤田が続きを言えばまだ何とかなるだろうが。

 その「続き」を、藤田は口にする。少し間が空いたのは悔しさに漏れそうになる嗚咽を堪えていたからか。


「私は最初、試合を諦めていたんだ」


 藤田はそれから自分のことを武へと話していく。最初に見せつけられた実力差に早々に諦めて、簡単にファーストゲームを取られてしまったこと。第二ゲームに入る前も諦めの気持ちからアドバイスや皆の応援を聞かないで無駄にしてしまったことを。

 その後は相手の弱点を見つけて何とか試合になったが、時すでに遅く、負けてしまったこと。


「私さ。終わってみて凄く情けないって思った。早坂や姫川みたいなシングルスの人らを休ませるのにある意味、捨て駒だって思って。それが皆の役に立つってのは清水にも言われたんだけどさ……やっぱりどこかで納得してなくてめんどくさくなってたんだ」

「誰だって、負けるに決まってるって思われたまま試合をするのは、疲れるよ」

「それを見返せるのも、自分だけでしょ」


 藤田は声が大きくなりそうになって自分で口を塞ぐ。試合の邪魔にならないように口をつぐむかと武は思ったが、藤田は止めなかった。今のうちに吐き出さなければこれ以降にチャンスはないとでもいうかのように。


「最初から諦めていなくても結果が変わってなかったかもしれない。でも、変わったかもしれない。そんなことを、当たり前のことを気づいたんだよね。凄く、辛い」


 藤田はそこから黙り込む。武には告げられる言葉は考えつかない。藤田が自分で言っている通り当たり前のことで、自分で気づいているならば次にどうすればいいのかは、答えがもう出ているんだから。


(そう。仲間に任せるっていうのは、仲間に依存することじゃない。自分で全力で目の前の壁に挑むからこそ、仲間が応援してくれて、駄目だった時に任せられるんだ)


 武がそこで思い出したのは早坂のことだ。調子が悪く、試合で負けても弱音一つ吐かずに挑み続けた。早坂の場合は相談をしなかったことで悪い結果を引きずってしまったが、早坂が今まで全力で試合をしてきた姿を見て皆が今度は支えると思えた。

 自分がまずベストを尽くすこと。全てはそこから始まる。

 今まで他者のサポートに回ることが多かった藤田にとって、今回の経験は力になるはずだ。


(その次が、この大会中にあったなら、きっと立ち直りも早いんだろうけど)


 藤田の経験を生かす機会があるかどうかは、吉田コーチと自分達次第。まずはこの試合で勝つ必要がある。藤田が負けてまずは一敗。岩代も旗色が悪い。話しながらも試合は見ていたが、得点は10点まで取られていた。岩代はおそらくは松本の攻撃が読める。しかし、体力が追い付いていない。ダブルスとして試合もしていて、体力も鍛えているはずだったが、久しぶりのシングルスで体力の配分を間違えたのかもしれない。


「岩代は体力がなくなったとしても、試合を諦めないと思う。だから、きっと次に繋がる。でも、私は」

「藤田も繋がるさ。それだけ反省してるんだから」


 武は次に言おうとしているセリフに自分で照れてしまう。だから視線をコートに向けたまま、口をあまり開けずに囁くように言った。


「俺達が、名誉挽回のチャンスを作ってやる」


 隣で藤田が武のほうを見る気配を感じる。それでも武は視線を戻さず、岩代の方を見続けた。自分の言葉に照れて顔が赤くなっているのが自分でも分かる。吉田や由奈、早坂など自分のそんな「クサいセリフ」を聞いている友達の前ならばまだ照れは少ないが、藤田とはいつもはほとんど接点がない。それだけに自分の強い言葉に耐性があるのかは分からなかった。


「うん。分かった。ありがとう」


 聞こえてきた言葉は思ったよりも静かで、武への感謝の気持ちが素直に表れていた。もう少し冷やかされると思って緊張してた武は気が抜ける。

 それから先は藤田も何も話すことはなく、淡々と試合が進んでいくのを見て行く。追い詰められていく岩代に、ラリーが落ち着くたびに武達と共に声援を送るくらいで終わる。最後に岩代の傍にスマッシュが叩き込まれた時にはその場の誰よりも落胆し、ため息を深く漏らしていた。


「ポイント。フィフティーンファイブ(15対5)。マッチウォンバイ、松本。大阪」


 審判の声に岩代は顔を上げる。背筋を伸ばしてゆっくりとネット前に近づいて行く。松本もまた堂々と前に出て、ネットを挟んで向かい合った。


『ありがとうございました』


 同時に言って握手を交わす二人。岩代は負けてもなお胸を張り、真正面から松本の視線を受け止める。松本もしばらく松本から目を離さなかった。武の位置からは分からなかったが、何か岩代へと言葉を紡いでから手を離す。岩代は去っていく松本の背中をしばらく見ていたが、やがて足を動かしてコートの外に出る。武は椅子から立ち上がって岩代の傍へと向かった。既に小島や歩まだ試合ではない女子が傍に集まって労っている。武は一番最後に傍に行って「お疲れさん」と声をかけた。


「ああ。マジ疲れたよ」


 岩代はそう言って他のメンバーに安西と吉田を応援するように告げる。二敗している南北海道にとって、吉田と安西の試合が最大の試練となる。ここで負ければ敗退が決定するというところで、相手は全国でも名前が知られている峯兄弟。武と吉田ならばまだしも、安西と吉田というペア。急造でも実力は高いが、武と吉田のコンビネーションから相乗効果で高くなる実力に及ぶのかは誰にも分からない。

 男子ダブルスの試合の動向を見た上で次の女子ダブルスが試合をするかどうか決まるため、今のところ次の試合はすぐには行われない。吉田と安西のダブルスに応援が集中することになる。負けられないプレッシャーと、勝ちこしてこれで勝てば勝ち抜けられるということで攻めてくる相手に挟まれて、二人はどう試合をするのか。


「大丈夫だよ、安西なら」


 小さく呟かれたその言葉は武に届く。同時に武も、吉田と安西については同じことを考えていた。


(二人とも、いつも強い相手に挑み続けて来てるんだから)


 男子シングルス。岩代VS松本は松本が勝った。

 チームの勝利は2対0で大阪が勝利への王手をかけ、踏みとどまれるかは、吉田と安西に託された。


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