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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FirstGame
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第027話

「ありがとう」


 唐突に吉田が発した言葉に、武はどう返答したらいいか分からなくなった。

 寒さに思考が鈍っているのかもしれない。

 プールが二時間ごとにある休憩に入り、武と吉田はプールサイドにつけられているサウナに入っていた。冷えた身体を暖めて体調を整えるための場所。実際、武達の唇は青くなっていて身体も少し震えている。

 それでも吉田の声は震えない。


「い、いいや。本当、楽しめてよかったよ」


 西村は最初の五分は武達といたが、熱いのが苦手だと出て行って女子と話しているらしかった。一足先に上がって暖気を終えた由奈達と、西村。どんな会話をしているのだろうかと想像する。しかし、吉田の冷静な声が想像を斬り裂く。


「あいつ、明後日に引っ越すってさ」

「え!?」


 予想以上に早い別れの時。武の驚いた顔に笑い、吉田は言葉を続ける。


「本当、湿っぽい別れ嫌がるんだよな、あいつ。今回もさ、相沢が自分の弱ってる姿見たからじゃないかって気にしてたんだ」

「……そうだったんだ」


 気にしている様子など微塵も見せない。武は西村の見方を間違っていることにようやく気づいた。この、別れの時になって。

 騒がしさで中身を隠す男。部活でもどこかおちゃらけていたが、確かなバトミントンへの思いがあったと解ったのも終わりが近づいた時。

 もっと早くに気づいていれば、もう少し仲が良い友達になれたのではないかと武は残念な気持ちを持った。表面だけ見れば、武にとって親しみづらい男だったのだ。


「そうだ。今度の部活、休むからさ。相沢が仕切っておいて」

「俺が?」


 唐突な申し出に武は思わず聞き返した。口調は軽い。しかし、武が向けた視線の先には真剣な表情の吉田。理由のないサボりではない。言葉の上には何かしらの決意が乗っていた。

 それを聞く前に吉田は続けて「頼むよ」と手で拝んでくる。武は頷き、そこで会話は終わった。


「さ、残り楽しもう」

「うん」


 どこかすっきりした顔で吉田は言い、すくっと立ち上がる。


「先言ってるな」


 後姿に見える凛々しさに、武はおぼろげながら吉田が持った強い思いを感じ取っていた。


 そしてプールでの最後の交流を終えて――



 * * * * *



(西村……)


 プールから日が過ぎて、今、吉田と西村は体育館へと向かっていた。吉田は前を進む西村の背中を見ている。サウナで武が彼の背中を見ていたように。

 自分の申し出を躊躇うことなく受け入れ、ラケットバックを背負った西村。そのことに感謝しつつ、吉田は徐々に自分が戦闘モードに切り替っていくのを感じていた。思考の一つ一つ。筋肉の、そして細胞の変化を。


(初めて友達になった時も、前にいたよな)


 吉田の思考は小学校一年の時点に遡る。今よりも小さい背中。しかし、ラケットバックだけは変わらずに揺れている。

 そのまま成長した今の二人が、また自転車をこいでいる。


(ありがとな)


 吉田は心の中で呟く。引越し前の大事な一日を、自分との決着のために使ってくれた友に。


『一度、決着つけないか?』


 その申し出をしたのはプールで泳ぎ終えて、帰り道の途中だった。小学校の学区がそのまま反映して、武や由奈達とは逆方向となった吉田と西村。

 挑戦状を突きつけられた相手は、顔に不敵な笑みを浮かべて問い返す。


『壮行試合、じゃないな』

『……ああ。今時点でどちらが強いか』


 吉田の言葉に西村は何度も頷きつつ、笑う。馬鹿にしているわけではなかった。広がる雰囲気は中傷の類ではない。

 風吹く草原の中で遊ぶ幼い子供達。無邪気な彼らがまとう、匂い。

 そんな穏やかさを感じさせるような笑みだった。


『香介は変わってないよな』

『何が?』


 香介、と呼ばれて心臓が高鳴る自分に気づく。名前を呼ばれていた時期を振り返ると、小学校一年時に町内会のサークルで出会ってから小学校の低学年まで遡ることになった。疎遠にはならなかったが、いつの間にか苗字で呼び合うようになった二人。バドミントンにかける情熱は変わっていなくとも、確実に何かが変わっていた二人。


『負けず嫌いなところ。確か、五十戦二十五勝二十五敗だろ』

『そっちも忘れてないじゃないか。負けず嫌い』


 笑いあい、そして心の中で寂しく思う。吉田も、西村も。同じように外に寂しさを出したくないと思う。一方は真面目に突き進む委員長気質。他方はおちゃらけたムードメーカー。対照的な二人だ。


(それでも続いたのは、多分お互い同じだったんだろうな)


 吉田の中に生まれる一つの考え。それは表現が違うだけで本質は同じなのではないかというもの。

 吉田はストレートに表し、西村は歪曲して表現する。

 真意は分からない。だが、吉田は確かに充実感を感じていた。もう一人の自分に出会ったような。話しているような。共に、試合をしているような。

 いわば自分の分身のような友達。

 それが、吉田にとっての西村だった。


『二十六勝目、いただきだ』

『それはこっちの台詞』


 その前哨戦と言わんばかりに、西村は自転車のペダルを踏み込んで一気に距離を広げていった。

 吉田は、あえて追わなかった。おそらくは、泣きそうになるのを堪えているのだと考えて。

 自転車を進めている間にも甦ってくるのはともに過ごした時間だった。互いに切磋琢磨してきた。何度も競い、勝ち、負ける。

 シングルスで対決し、ダブルスで協力し合う。結果、二人は地区に敵無しと呼ばれ、吉田は全道制覇も夢ではないと父親にも言われた。小学校時代は出来なかったが、中学で、西村と一緒ならば高みを目指せると吉田は本気で考えていた。

 だが、それも終わる。あまりにもあっけなく。


(でも……)


 吉田の中にはそれほど喪失感はなかった。遠くに行っても友人ということは変わらないのはもちろんだが、バドミントンを見れば大変な損失であるはずなのに。


(なんでだろう?)

「吉田、どこまで行く?」


 前を走っていたはずの西村の声が、後ろから聞こえてきたことに驚いて、吉田は自転車を止めた。慌てて振り向くと、西村の後ろに体育館が見える。考え事をしている間に通り過ぎてしまったらしい。


「あ、ごめん。考え事してた」

「そんなぼんやりしてたら俺の勝ちは確定だなー」


 吉田の考え事に興味を示すこともなく、西村は駐輪所へと自転車を進める。吉田も後に続き、隣に止めた。


「吉田」

「ん?」

「ぜってー負けないわ」


 西村の瞳に宿る炎が、吉田には確かに見えた。それから視線を合わせることなく中へと向かう。背中から陽炎のように揺らめきが昇っている――ような気がしていた。


(臨戦体勢、か)


 ラケットバックを握る手に力がこもる。一歩、思い切り前に足を踏み出してから吉田も前を見て歩き出した。頬を張るのと同じような効果で気合を入れる。あえて隣に並ぼうとはせず歩いていく。

 後ろから、西村の小さい背中を見る。自分よりも小さい背丈。しかし、限りなく大きい背中。


(余計なことは考えない。今は、勝つだけだ)


 ふぅ、と思い切り息を吐きつつ、吉田は体育館の中へと消えていった。

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