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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
247/365

第247話

 君長のシューズがコートをしっかりと掴み、これまでより速度を増して前に出てくる。一方で早坂が打ったクロスカットドロップは通常のドロップよりも鋭い軌道を描き、速く切れ込んできた。ネットすれすれに落ちたシャトルを君長はバックハンドでラケットに当てて手首のひねりだけでヘアピンとして返す。ネットすれすれのショットのカウンターとして、同じくらいの際どさで飛んでいくシャトルに、早坂は体が悲鳴を上げるほど急制動をかけて足を踏み出す。


「はっ!」


 ラケットをフェンシングさながらに突き出して、シャトルはスピンがかかって落ちていく。君長はネットに触れてそのまま落ちていくシャトルへと触れることはできず、近くまで来てもシャトルを見送った。


「ポイント。エイトセブン(8対7)!」

「よし!」


 審判のカウントも熱が入る。コート上の二人はファーストゲームとセカンドゲームの時とは全く別人で、気合いを前面に押し出して自分の全てをぶつけているかのように熱い試合を繰り広げていた。君長のフットワーク速度はファイナルゲームが進んでいくほど速くなり、終盤にして最速を誇る。しかし、早坂もスマッシュ主体に切り替えてからは勢いのあるスマッシュを弾き返したり、ハイクリアでかすかに打ち損じた時を狙い撃って、最も切れ味のあるカットドロップを打ち込んでいた。

 互いに己の武器を最大限に生かす方法を考え、戦況にどう組み込むか思考し、実践している。

 全道大会の決勝戦としてふさわしい好カードと、観客達の視線が一気に集まる。


「一本!」


 早坂は高らかに吼えてロングサーブを打った。シャトルはこの試合が始まってからずっと同じような軌道を描き、君長のコートへと落ちていく。だが、君長はふとフォームを解いて、シャトルを静かに見送った。シャトルが落ちた場所はシングルスラインの少しだけ後ろ。ラインズマンの邪魔にならないように避けたことでラインズマンの真正面にシャトルが落ちてきたことになる。

 両手を広げたところを確認して、審判はサービスオーバーを告げる。早坂は内心の童謡を悟られないように注意しながら深呼吸して心を落ち着かせる。


(駄目……弱気になるな……予想できたこと、なんだから。体力が切れそうになるなんて)


 君長の速度は今履いているバドミントンシューズに合っていっているのか、記憶の中にある速度以上だった。速度だけではなく踏込もぶれなくなったためにショットに力強さが増す。どのショットを打った後にもしっかりと踏み込めるために体勢の立て直しがわずかながら速い。

 いくつかの動作がほんの少しずつ是正されることにより、結果が現れるタイミングが早くなり、早坂のショットコントロールのアドバンテージをゼロにしていた。

 だからこそ、早坂は君長の防御を力でこじ開ける。

 フットワーク速度に頼る傾向にある君長は、レシーブが他のショットに比べてほんの少しだけ、弱い。弱点とも言えないかもしれないが、見つけた弱い部分。レシーブを崩すために苦手だったスマッシュのパワー勝負を挑んだのだ。結果として、君長は真正面のスマッシュを上手く返せず、それが今のリードに繋がっている。その代わりに失ったものとは、体力。


(いくらきつくても、体力を最後まで振り絞って、勝つんだ)


 気を取り直してレシーブ姿勢を取る。スコアは8対7。僅差ではあるが、勝っている。ここで点を取られれば同点。更に取られれば逆転。敗北の扉が徐々に迫ってくる。そのイメージを一瞬で振り払い、早坂は叫ぶ。


「ストップ!」


 負けることなど考えても無駄。最後まで前に突き進む。早坂は自分でも驚くほどに強い意志で君長の前に立っていた。それは、君長を目標に据えて今まで頑張ってきた時とはまた違う。ラケットを掲げる手も、動き回る足も長時間の試合に悲鳴を上げ始めている。それでも、動くのは自分の培ってきた練習によるもの、だけではないと思える。


「一本!」


 君長は大振りでシャトルへとラケットを叩き付け、インパクトの瞬間に完全に力を抜いた。下から絶妙なコースを通って早坂のコートへと向かって行くシャトル。しかし、そこには早坂の姿があった。

 君長の目が大きく開かれる。早坂はその顔を一瞬でも見れたことに満足して、ラケットをシャトルへと叩き付けた。


「はっ!」


 鋭く落ちていくシャトルにフットワークは意味をなさなかった。シャトルがコートに落ちて勢いのままに転がり、君長の足元で止まる。審判が再びサービスオーバーを告げたのを、早坂も君長もお互いを見ながら聞いていた。


(読みが当たった……)


 直感的にショートサーブが来ると考えて、躊躇なく前に出る。たとえ後ろに打たれても、前に出た後で全力で走れば追いつけるだろうと、ほんの一瞬で判断できた。それは思考というよりも、感覚。自分の今までの経験が、君長の体の動きをぼんやりと眺めることで次の動きと重なる行動結果が自動的に導き出される。

 連続する試合と熱さ。流れ落ちる汗をぬぐいながら、徐々に狭まっていく視界を瞼を拭いて遅らせる。体力が減ったと同時に、自分の意識が体を支配することを避け始めていた。眠気が襲ってきて、早坂は頭を振って眠気を散らす。


(まだ、倒れちゃ駄目)


 サーブ権を奪い返し、あと三点を取る。たった三点で、勝利が決まる。一月に負けてからずっと練習してきたのは、この先にあるもののため。

 君長凛を倒すため。

 早坂の視界がちかちかと瞬く。酸欠になっているのか息も荒い。背筋を伸ばしてちゃんと酸素を取り込もうと深呼吸したところに、君長からシャトルが飛んできた。それを掴もうとして、手をすり抜けて落ちて行く。その光景は誰もが体力の限界を見せられているという気にさせた。

 しかし早坂は、次の瞬間に力が蘇ってくるのを感じ取っていた。


「ゆっきー! ファイト!」

「由紀子! もう少しだよ!」

「早坂ー!」


 後ろを振り向くと姫川や瀬名。小島や安西、岩代。そしてBチームの面々全員が口々に早坂への激励の言葉を投げかけていた。


「早坂さん。早く試合を再開してください」

「あ……はい! すみません!」


 ボーっとしていたところを審判に促され、慌てて早坂はシャトルを拾う。そして羽を整えながらゆっくりとサーブ位置に移動した。君長は軽く両足で跳ねながら早坂の準備が整うのを待つ。視線は鋭く、王者として挑戦者を待ち受ける気迫が早坂には感じ取れた。コントロールが危うくなってきているのは分かっている。このままでは近いうちに動けなくなり、すぐに点を取られておしまいになる。

 だからこそ、これは最後のチャンスになるかもしれない。

 早坂は慎重に何度も息を吸って吐き、自分を落ち着かせる。シャトルを構えてサーブ姿勢を取り、君長のどこを狙うかを決めた。


(今度こそ、ちゃんと入ってよ!)


「一本!」と叫んで高くシャトルを跳ね上げる。先ほどアウトになった時と同じような軌道。二回連続でサーブ失敗は致命的。早坂は自分の中の手ごたえに賭けてコート中央に腰を落とした。それだけで今までよりもかかる重さが強くなったような気がするが、体力の低下で膝が笑い始めている証拠。その現状を頭から追い出して、早坂は目の前から来るシャトルを待つ。

 君長はまた後ろまで下がってジャンピングスマッシュを打った。シャトルはストレートに早坂へと向かってくる。最も取りにくいボディに最速のスマッシュ。早坂は咄嗟に体を捻ってバックハンドでラケット面をシャトルに当てた。勢いを殺されて返ってくるシャトルに飛び込んでくる君長。シャトルに追いついてから手首で軽く跳ね上げて早坂の頭上を越す。完全に君長に背を向けてシャトルを追い、横に回り込んでサイドストロークで思い切りシャトルを叩いた。


「やっ!」


 打った後で体勢を立て直せずに早坂はコートに倒れてしまう。ドン!と大きな音を立てて倒れた早坂に対して悲鳴が上がるも、すぐに起き上がって君長の行方を追う。君長もすでにシャトルには追いついていた。完全にフォアハンド側に回り込んでラケットを振りかぶっている。だが、君長でもぎりぎりだったのか低いところからのショットしかない状態だった。早坂は咄嗟に前に出て、君長の打つショットを予測する。前に出てくる早坂は君長の視界に見えているだろう。


(私の、いないところに打つ――)


 心の中で君長の打つシャトルの軌道を描き、シャトルを打った瞬間に、全く違う方向へと早坂は足を踏み出した。一瞬前の早坂が走っていく進行方向とは逆の方向へと放たれるシャトル。そこに方向転換して飛び込む早坂。ラケットを必死に伸ばして、更に体も投げ出してシャトルにラケット面を当てる。そのままシャトルは勢いを失って君長のコート側へと落ち、早坂も胸部から床に倒れた。


「――っ」


 早坂は胸部の痛みに顔をしかめながら立ち上がる。審判が大丈夫かと声をかけてきたところに手を上げて笑いかけた。


「大丈夫です。すみません。ここ、拭いていいですか?」


 審判が了解すると早坂はコート外にタオルを取りに行く。ラケットバッグからタオルを取り出して自分の倒れた場所に人型についている汗を丁寧に拭き取った。倒れてどこか痛めてないか不安だったが、今はまだ打った時の痛みくらいで致命的なものはきていない。


(試合の後ならいくらでも痛んでいいから……今だけは)


 綺麗に拭き終わり、ラケットバッグへとタオルを投げて被せると早坂は次のサーブ位置へと向かった。すでに君長からシャトルが放られて、コートに落ちている。先ほどのサーブと今回の打つ軌道。どちらも半分は勘だったが、半分はここにくるという確証があった。ファイナルゲームに来て君長の動きをほぼ把握できたのかもしれない。


(でも、予測は予測。今のショットも、あれくらい状況が限定されていたから読めたんだし)


 先ほどの君長のサイドストロークは、そこまで高いシャトルを飛ばせない。下からならロブを飛ばせるが、君長が移動した位置は下から上に跳ねあげるには位置が高く、少しでも躊躇すれば打てなくなる。短い時間の中で一つの答えが明示されれば誰でもそこに行きたくなる。状況的に追い込んで選択肢を狭めて、可能であれば一件のみにする。スマッシュを真正面に打たれたならば打とうと思っていた軌道に計算通り打つことができた。そのことに早坂は手ごたえを感じる。


(これで、九点。セティングまで最低でも持ち込めるってわけね)


 九点と十点で同点になった場合、追いつかれた方はセティングを申請できる。

 九点からは三点まで。十点だと二点、得点が延長される。追いつめられてもまだ逆転の手を残せるということだ。


「一本!」


 シャトルを持ち、サーブ姿勢を取ってすぐに叫ぶ。すでに身構えていた君長は逆に静かに「ストップ」と呟いて早坂の気合いを受け流した。ロングサーブで思いきりシャトルを飛ばし、コート中央に構える早坂。君長はストレートのハイクリアでシャトルを早坂のコートへと運ぶ。

 しかし、シャトルはコートから大きく反れて隣コートのダブルスラインのギリギリ外に落ちていった。


「ぽ、ポイント。テンセブン(10対7)。マッチポイント」


 突然の君長のコントロールミスに後ろから仲間達が沸き立つ声が届く。ラスト一本のコールが鳴り響き、会場の他の観客達も君長が負ける瞬間を見ようと更に近くに集まってきた。

 周囲の熱気とは裏腹に、早坂は背筋が凍っていく錯覚に陥っていた。目の前から来る君長の気迫が、自分の周囲をすべて凍らせるような、自分さえも凍らせてしまうような錯覚。全ては君長から来る圧力が生み出す幻――その圧力さえも幻。しかし、その幻を本当と思わせる雰囲気と力が君長にはあった。そして今の気配は、このファイナルゲームのラストまで体験してきたどの場合にも当てはまらない。


(本当に追いつめられた、君長、凛)


 早坂はなんとなくではあるが、君長の今のショットの意図を掴んでいた。

 君長がこれまで何度か見せたことがある驚いた表情。自分のショットを早坂に読まれて先手を取られて打ち込まれた。そのことで動揺し、その動揺が回復できないままにラリーを続けたのかもしれない。そんな自分を思い切りリセットするために、あえて一点を早坂へと与えた。シャトルに自分の負の感情を込めて、思い切り打ち抜く。そうすることで、ストレスも消えるのかもしれない。

 だが、あと一点で負けるという時に行うのはどういうつもりなのか。


(ファーストゲームからそうだった。君長は、自分をわざと追い込んでる。最初から全力なら、もっと楽に……私に勝てたのに)


 靴の件を考えて、早坂は思う。ここまで競っているのはファーストゲームを早坂は何とか獲得できたから。セカンドゲームは押されっぱなしだったが、最後には君長の更に本気を引き出した。だがそれも勝つことだけを考えれば無駄なこと。こうして追い込まれている状況を作り出しているのは君長自身。

 今回のアウトも、自分をあえて追い込むためのもの。ならば、何の意図があるのか。


(本当に追いつめられた時。君長から何が来る?)


 君長が無言で構えたのに反応して早坂もサーブ姿勢を取ってしまう。いつもならば先にサーブ姿勢を取るなど自分のペースで構えるが、今回は『取らされた』のだ。慌ててタイムを取り、靴紐を一度ほどいてしっかりと結びなおす。


(落ち着け……平常心……いつもの私のバドミントンをすれば、いい)


 きつく紐を縛ってからシャトルを持ち、再びサーブ姿勢を取る。君長もだらりと下げていた右手を上に掲げ、右足を後ろに下げて待ち受ける。更に強くなったような圧力に片目を閉じつつも、早坂はシャトルを打ち上げた。


「一本!」


 シャトルが飛んでいく方向に同時に走る君長。シャトルの下に入り、勢いよくラケットを振り切る。パスッと薄い音が響くと同時にシャトルがクロス方向へと進み、落ちていく。ハイクリアとスマッシュと、通常のドロップ。その選択肢しか頭に浮かばなかった早坂は完全に追いつくタイミングを失った。

 シャトルは白帯に当たり、そのままくるりと反転してコートへと落ちて行った。


「サービスオーバー。セブンテン(7対10)」

「しゃ!」


 審判のコールにガッツポーズをする君長。

 早坂はその様子を見ながら冷たい汗が噴き出るのを止められなかった。

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