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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
245/365

第245話

 シャトルがコートを切り裂き、奥まで飛んでいくのを早坂は追っていた。フットワークを駆使して追いつき、スマッシュを放つ。ストレートに、シングルスライン上へと目掛けて打つのは前提になっていた。少しでも内側に、君長凛の防御範囲内に食い込むようなショットを打てばたちまちカウンターを打たれる。

 だからこそ早坂はコントロールを重点的に身に着けてきた。いつでもいかなる状況でも厳しいコースへと打てるように。

 その成果が出て、一ゲーム目を取ることが出来た。なす術なく倒されたジュニアの全道大会の時とは違う自分を見せつけた。

 だが、君長は更にジュニア善導大会とは違う自分を見せつけてきたのだ。


「やっ!」


 早坂は切り替えし時に上手く反応できず、シャトルがコートに着弾するのを見送るしかなかった。


「ポイント。ナインファイブ(9対5)」


 審判のコールを聞きながら、早坂はゆっくりとシャトルを拾う。ボロボロになった羽根を審判に見せると、足元に置いてあったシャトル筒からシャトルを取りだし、君長へと放る。君長は中空でラケットを使って器用に取ると、サーブ位置について早坂の準備が整うのを待ち構えた。自分を真っ直ぐに貫いてくる視線を意識して、早坂は一度深呼吸をする。緊張が体を支配する前にガス抜きをするかのごとく。


「すみません。顔、拭かせてください」


 審判に断ってから早足でラケットバッグに向かう。申請が断られることはまずない。あくまで形式的なものだ。試合で悪質な中断とみなされなければこうしたことは許される。そこで生まれた間を、お互いに上手く使うことが試合でのコツとなる。早坂の場合はまず次のラリーを制すること。そこから点を取ることが課題だ。


(一点ずつ……もし、次にサーブ権が取れて、そこから得点できたとしても。一気に連続得点を狙うのはやっぱり厳しいかもしれない)


 苦しくなるとサーブ権がある間に得点を取り続けたいと思う。そうすると逆に焦りが生まれてサーブ権を奪われる。そこから奪い返さないとと更に焦り、相手に得点されてしまう。

 ここまで来ると我慢比べ。サービスポイント制の利点は「サーブ権があるほうが決めなければ得点にはならない」というところだ。つまりは、サーブ権を相手が持とうと、そのターンで自分がシャトルをコートに沈めることが出来れば点数は動かない。逆に自分が得点するチャンスへと繋がる。

 諦めなければ状況を打開できる可能性は十分に残っている。


(君長も、ここで私がそういう風に考えてるってことは分かってるはず。多分、次のラリーが一番難しい)


 早坂はタオルを顔から離して、勢いよくコートへと戻る。君長は軽くシャトルをラケットで跳ね上げて息を整えている。

 リードしている余裕からか、早坂の方を見てからシャトルを取り、かすかだが笑みを浮かべる。それが挑発だとしたら、意外だと早坂は思った。


(私相手に、挑発とか……前だったらありえないわね)


 以前、完膚なきまでに倒された記憶。その中では君長はまるで作業のように早坂を追いつめていき、負かした。その時、自分は君長の対戦相手になりえていただろうか。優勝する前にこなさなければならない「作業」としてしか存在できなかったなら、屈辱というよりも寂しいと思えた。


(今の私は……あなたの相手になれてる?)


 君長のサーブ姿勢に合わせて早坂もレシーブの体勢を整える。掲げるラケットはまだ重くない。第一ゲームは体力を予想以上に消費したが、第二ゲームは消費する前に得点を決められていたためにあまり疲労はしていない。悪い傾向のために喜びはしないが、最悪、第三ゲームにもつれ込んだ時に少しでも体力があれば優位になる。

 そこまで弱い自分を考えてから、早坂はそれを吹き飛ばすように叫ぶ。


「ストップ!」


 弱気を声に乗せて頭の外に出す。早坂とは逆に君長は特に自分を鼓舞もせず、ショートサーブを放った。早坂は山なりの軌道を描いて前に落ちるシャトルを綺麗にロブを上げて遠くまで飛ばす。しっかりと飛ばされたシャトルは落ちる頃にはほぼ垂直となってシングルスラインへと落ちていく。落下点に回り込んだ君長は、更に数歩後ろに下がって前方へとジャンプすると中空でラケットを振りかぶり、前方に渾身の力を込めてスマッシュを打ち放った。


「はっ!」


 気迫のこもったシャトルがストレートに早坂のコートへと突き刺さろうと飛んでくる。早坂は前にバックハンドでラケットを固定したまま突き出して、シャトルの軌道の前のほうでインターセプトできた。反動で打ち返されるシャトルはネット前にふらふらと落ちていく。そこに即座に飛び込んでくる君長だったが、プッシュをするには高さが足りない。ラケット面を縦にしていたところから横へと倒してクロスヘアピンに変化させる。全国トップクラスの移動速度を保ったままで細かなヘアピンを打ち分けるところに会場が騒然となるが、更に観客から歓声が沸きあがったのは早坂がそのシャトルをロブで打ち上げることに成功したからだった。

 君長はフットワークを駆使してシャトルを追って行く。早坂はネット前からコート中央へと戻って腰を落とすと、スマッシュに備えて両足の幅を広げる。

 今、君長のヘアピンを打ち返した反応速度に自分で興奮していた。


(あれを返せる……集中力は、高まってる!)


 自分の思った以上のプレイが出来る。

 リードされていても精神的に落ち着いている。落ち着いている上で、君長との戦力差を理解して、自分に何が出来るかを模索している。諦めも希望もなく、今、目の前のラリーを制するために何をすべきか。そうしてラリーを制していく先に勝利があると淡々と考えていた。


(なんか……時間が周りと違うみたい)


 仲間の応援の声は聞こえていた。だが、それはどこか膜がかかったように早坂の耳に届くまでが遠い。君長のスマッシュが放たれた際の音がはっきりと聞こえ、シャトルは速度を上げて前に沈んでいく。足を伸ばそうとした時にはシャトルにラケットが伸びていた。ラケット面に当ててヘアピンにして、それを君長が拾う。先ほどのラリーの焼き増し。左右逆だが、同じ展開。そこで君長はロブを上げて早坂を後ろへと追いやった。フットワークを使ってシャトルに追いつき、更に一歩、後ろに下がる。


(今なら……打てる!)


 右手を思い切りしならせる。イメージは鞭。後ろから前に思い切り鞭を振るうようにしなやかに腕を振る。

 シャトルの落ちてくる軌道と速さを頭の意識に置いて、あとはラケットを振ることだけに集中し、振り切る。早坂自身のしなやかな筋肉を十二分に生かした、オーバーヘッドストローク。


「はっ!」


 早坂が打ったスマッシュは今までとは明らかに違う速度で突き進み、コートに着弾していた。君長は当然後を追ったが、ラケットが届く前にコートに落ちたシャトルに後から追いついて慌てて足を踏み込み、体の流れを止める。シャトルを見下ろしてその羽がボロボロになっているのを見て驚いていた。


「サービスオーバー。ファイブナイン(5対9)」


 カウントを告げた審判へとシャトルの交換を要求する君長。すぐに新しいシャトルを早坂へと提供し、自分は古いシャトルを回収する。早坂は今、自分が打ったショットの感触を思い返していた。


(凄い手応え……今、理想の重心移動が出来た……)


 武に教えてもらったスマッシュの体重移動やフォームのコツ。それに早坂自身のアレンジを加えた切り札。

 コントロールだけでは試合の最初から最後までコートを縦横無尽に駆け回ることができる君長に対抗するには足りないと判断して、もう一つの武器として鍛えてきた。第一ゲームは出す余裕はなかったが、第二ゲームは相手もスマッシュ主体で押してくるゲームになったために、こちらもスマッシュを打ちやすくなった。上体の姿勢制御だけで打つのではなく、下半身もしっかりと使って前から後ろへと踏み出す力も加える。

 全身のバネを一点に集中するようにして打ったスマッシュは、通常のスマッシュよりも初速は二倍は速く感じるはずだった。


「よし、一本!」


 流れに乗ってもう一本。その気合いでシャトルを構えた早坂に見えないプレッシャーが吹き付ける。

 君長のプレッシャーは前からのものと同じ。早坂も体を震わせるがそれはもう慣れていた。新たに感じる脅威は君長にはない。それはつまり、早坂自身が君長と同じステージに立てたと言ってもいい。だが、早坂はまだ不安を残していた。最初に抱いた違和感はいつしか消えていたが、その正体はまだ謎に包まれている。


(あれがただの気のせいとは思えない……まだ、終わりじゃない)


 早坂は息を吸ってまた「一本!」と叫んでロングサーブを打った。ロングサーブはシングルスライン上にシャトルを運び、君長はストレートハイクリアで同じくライン上を狙っていく。コントロールの勝負までは互角――少しだけ早坂が勝っていたが、このレベルになるとその差が明暗を分ける場面は少ない。実力が完全に拮抗していれば分けるだろうが、まだ君長の方が地力はある。


(地力……本当にあるの? 私はどうしてこんなこと、思ってる……?)


 同じレベルに達したと思ったり、やはり差があると思ったり。自分の思考がぶれているのが分かる。それで集中を乱してはいけないことは分かっていたが、早坂は込み上げてくる怖さから目を背けられない。


「はっ!」


 遅いスマッシュにタイミングを外されて、早坂はほんの一瞬遅れてクロスヘアピンを打った。君長は右コート奥。そこから真っ直ぐ前に飛び込んでいくところだ。クロスならば打たれるだろうがプッシュではなくヘアピンかロブだろう。そう考えてのことだったが、君長は更に速度を上げてプッシュでシャトルを沈めていた。


(あそこから……追いついたっていうの?)


 君長凛の速度は把握しているはずだったが、想定以上の速さに早坂は驚きで口が少し開いていた。自分で変に見える顔をしていると思い咄嗟に口元を隠したが、それを一番目にしやすかったであろう君長は下を向いて息を切らしていた。


「はっ……はっ……ぜはっ……はぁ……」


 今までにない消耗ぶり。限界を超えた速度を出したことで体が悲鳴を上げたのか。今のシャトルを取るために無理をして体力を大幅に消費したならば、早坂にとってはチャンスとなる。


「君長! 行っていいぞ!」


 君長への応援に、奇妙な言葉が差し挟まれる。それに対して息を切らしていた君長は上体を起こし、頷く。

 サービスオーバーになったことにようやく気付いて、早坂はシャトルを取りに行き、羽を整えてから君長へと渡し、レシーブ位置に移動する。シャトルを構える君長はまだ肩を上下させていたが、息は落ち着いてきている。


(行って、いい……? まだ何かあるの?)


 また脳裏によみがえる違和感。遂に全てが分かるかと、早坂はレシーブ体勢を取った。そこに打ち込むように、君長はショートサーブで早坂の前にシャトルを飛ばす。ネットから少し浮くような甘い軌道。早坂は体の反応のままにラケットを掲げて前に押し出した。


「やっ!」


 しかし、シャトルは君長のコートに入った瞬間に君長のラケットに打ち返されて落ちていた。


「ポイント。テン、ゲームポイント、ファイブ(10対5)」


 早坂にはいったい何が起こったのか分からなかった。しかし、落ちているシャトルを見て、自分が打ったシャトルが跳ね返されたとすぐに悟る。早坂が打ち込む位置を想定して、そこにラケット面を立てることで勢いで弾き返したのだ。実際、君長もラケットを掲げた状態から少しして戻り、ため息を付く。早坂を見る視線にはしてやったりという感情が見て取れた。


(完全に予想されてた……私も、分析されてた?)


 長い試合時間の中で、早坂は君長のショットの傾向を分析していた。明確に分析していたわけではない。コート奥までのハイクリアに対してどのようにショットを打つか。ハイクリアなら。スマッシュなら。ドロップなら。そういったことを感覚的に把握し、次のプレイの予測に役立てた。

 先ほどから君長が打つシャトルに、より早いタイミングで反応できているのも体の経験値がたまり、早坂の動きをサポートしているからだった。だが、今回は更に上の速度で君長が動き、シャトルを叩きつけている。

 君長もまた、同じように早坂のプレイの癖を分析していたのだろう。そして、その結果をこの終盤で引き出し、予測して動くことで早坂に素早いフットワークでシャトルに追いついたと錯覚させた。


(そう。錯覚よ……さっきまでの君長がマックスのスピードだったはず)


 自分を落ち着かせるように思う。だが、それはあまりに弱々しい否定。まだ上があるかもしれないと思わせる底の深さを君長から感じて、早坂は一瞬体が硬くなる。そこを、君長は見逃さない。


「あっ!?」


「一本」と言ってすぐにロングサーブを打ち上げる。思わず声を上げてしまったが、早坂はシャトルを追い、スマッシュの体勢を取る。先ほど君長相手にエースを取ったスマッシュをもう一度。

 右腕をしならせ、前に踏み出すと同時にシャトルにラケット面を打ち当てる。乾いた高い音を響かせて、渾身のストレートスマッシュが君長のコートへと侵入する。


(やった――)


 早坂はエースを確信する。しかし、床に届く直前にシャトルは軌道を変えて早坂がいる逆サイドのシングルスラインへと飛んでいた。慌てて追おうとしたが体が急激な移動に耐えられず動けない。

 シャトルが落ちるまでの間がスローモーションになったように早坂には見えていた。スロー再生が消えて、周りに音が戻る。通常のカウントが耳に届き、早坂ははっとする。


「ポイント。イレブンファイブ(11対5)チェンジエンド」


 セカンドゲームを取られた。それは想定の範囲内だったが、最後の取られ方が悪すぎる。このままでは後に引きずると、早坂はコートの外に出てからタオルで顔を拭き、気分転換を試みる。取られてしまったものは仕方がない。だが、ようやくイーブンに持ち込まれただけでファイナルゲームを取れば問題ない。

 そう思って君長を視界に収めた時だった。


(……あ、そう、か……そうだったんだ……)


 早坂はファーストゲームからどこか頭の片隅に違和感があった。しかし、それがなんなのか分からず、ここまで来た。それが今、ようやく理解できたのだ。

 視線の先では君長が靴を履きかえていた。靴から解放された足を軽く回し、その間にスプレーを靴の中に噴射していく。しばらくそうしてから、床に置いて、ラケットバックから二つ目のバドミントンシューズを取り出した。


(全道大会で見た……靴だ)


 全道で試合をした時に履いていた靴。それを今、履いている。違和感とはつまり、君長の立ち姿を見た時に靴が以前見たものと異なっていたということだった。それが何を意味するのか早坂には分からない。しかし、完全な君長凛の立ち姿を見た時、早坂は込み上げてくる恐怖を抑えきれなかった。


「ファイナルゲームが、本当の君長凛……」


 口の中が乾いた早坂は、不安を飲み込むように一気にスポーツドリンクを飲み干した。


 団体戦第二試合。

 早坂由紀子VS君長凛。

 ファイナルゲーム、突入。

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