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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FirstGame
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第024話

 西村が転校するとカミングアウトしてから一週間が経過していた。夏休みの世界は徐々に暑さを増していき、体育館の中はドアを開けられないことで蒸し風呂と化す。汗と中で動く生徒達の体力を吸い込んだ空気はひたすら重くなっていた。


「暑い……」


 武は体育館内のステージに腰掛けながら手団扇で頬に風を送りつつ呟く。体感温度は三十度を超えていて、男女一年生の身体にはだるさが見える。空気中に溜まった水分が体内からの汗と同じようにシャツやハーフパンツを濡らしているように武には思えた。

 それでも、二つのコート内の動きは衰えない。無風の世界に、風が吹く。


「一本!」

「ストップだ!」


 男女のコート。特に男子の場所では吉田と西村がダブルスで金田、笠井のエースダブルスと戦っていた。武の眼から見ても一進一退の攻防。互いにワンゲームを取って、ファイナルに突入している。

 後ろから打ち込まれる西村の弾丸スマッシュを難なく弾き返す金田。そのシャトルを吉田が尋常ではない反射速度でインターセプトして前に落とす。それでも笠井が拾って後ろへと飛ばす。

 武ならばすでにサービスオーバーになっているような展開を何度もこなしている四人。上がる気温の中で動きもまた停滞せず更に速く動いていた。


(凄いな……)


 武の中に生まれたのは感嘆だった。

 ただ、ただ凄いという感動。

 自分の届かない高みでの戦いを見るのは、彼にとっては至福ともいえる時間だ。身体は繰り出されるプレイに嫉妬しているのか疼くものの、割り込んでいくには勇気が足りない。


(西村が言ってた向上心が足りない、ってこういうことなのかな……)


 滞りなく過ぎた日々。武は西村の言葉が気になっていて、含まれていた静かな憤りが噴出しないか心はざわめいていた。しかし、その日も次の日からも西村の言動はいつもと変わらず、先輩に呼ばれて共にプレイをして武達は空いているコート中央で自分達の練習をする。

 それもけして無駄ではないが、吉田や西村との差が広がっていくのは十分理解できた。


「相沢。次ー」

「あ、うん」


 杉田が汗を拭きながらステージへと昇る。空いたコートの向こうには林がシャトルをその場で上へと打っていた。武が来るのを待つだけという状況。杉田に返答してすれ違ってコートに向かう。ついた瞬間に、隣から足元へとシャトルが着弾する。

 鋭く、強い一撃。

 渾身の力が込められていると試合をしていなくても分かる。


「ごめん」


 シャトルを拾い、傍に来た吉田へと渡した。額から流れる汗が顎まで滴り、それが床まで行かないようにシャツの袖口で拭き取っている。今まで凄まじい練習をしてきたという証。武はシャトルを渡すのも忘れて、その姿を見ていた。


「相沢?」

「あ」


 吉田の言葉に武は我に返り、差し出してきた右手にシャトルを渡す。


「がんばれ」


 無意識に出た言葉に武が動揺する間もなく、吉田は「サンキュ」と答えて練習試合へと戻る。ふと視線を感じて顔を向けると、西村がじっと武を見ていた。


(あ――)


 視線も一瞬のことで、吉田が「一本だ」と西村へと言った瞬間に武から外される。それだけで緊張感が消えて自然と息が洩れていた。


「相沢ー」


 ネットを挟んで林が武に行動を促す。すでにシャトルは手の中にあり、練習の再開をするためにサーブ姿勢を整えていた。

 武は自分の身体を見る。汗に濡れてはいるが疲れはさほど無い。所々で交替して体力を回復させているからだろう。


(俺は……)


 考えながら構え、林のサーブを待つ。今はドロップ&ネット。ロングサーブで飛ばされたシャトルを前に落とし、落とされた相手はそれをヘアピンで返し、返された相手はコート奥へと飛ばす。

 フットワークとショットの正確さを同時に鍛えられる練習法。入部当初に比べればその精度は誰が見ても上がっている。

 それでも、武の中に徐々に広がる不安をぬぐうことは出来なかった。

 何とかフットワークも様になってきた林に合わせる形で、武は配球を組み立てて出来るだけ長く続けられるようにしていった。

 その中で耳に飛びこんでくる、隣の激しいラリーの音。

 徐々にそれは意識を支配していって、最後には前に詰めたにも関わらず見逃してしまう。

 通過したシャトルがコートについて、空しい音を響かせた。


「相沢ー。どうしたん?」


 林が不満そうに問い掛ける。彼にとっては一回一回の練習は大事なものだ。武は自分の集中力のなさに頭を小突き、シャトルを拾うと再びサーブで高く上げた。


「すまん! じゃあ、十回連続でいこう!」

「オッケ!」


 林も呼応して「一!」と数えてドロップを放つ。だが、ネットに簡単にかかってしまって下へと落ちた。


「もう一度ー」


 すかさず拾ってサーブ。考える隙を持てばすぐ吉田達の試合が気になってしまうだろうと、林とのドロップ&ネットに集中する。


(不安なのは仕方がない。でも、俺のせいで林まで迷惑かけちゃ駄目だ)


 この練習で成長すべきは武よりも林。中学から始めた初心者は、今の一年には男女合わせて大地と林、杉田しかいない。上の年代には、もしかしたらいるかもしれないが、武には分からない。


(俺が望んだのは……初心者も参加できる部活だ。同じくらいの実力に、みんな追いつけるような。今は林との練習に集中するんだ!)


 自分を叱咤するように武はシャトルを一気に飛ばした。密度の濃い中空を斬り裂くシャトルに、自分の迷いをも吹き飛ばして欲しいとかすかに願いながら。





「相沢、林。コート入りな」


 ちょうど十回。シャトルが交互に二人の間を往復して落ちた後に吉田から声が掛かった。前後に動き続けることで流れた汗が目に入らないよう拭い取る。その一瞬で視界が無かったことから、内容とあわせて更に驚く。


「俺と……林?」


 武はその人選に疑問を覚える。彼らの隣で打っていたのが自分と林だったというのは簡単な理由だが、ダブルスをするなら林ではなく橋本を選ぶはず。


「早く入って。この一ゲームやったら部活終わるから」


 吉田の言葉に時計を見るとあと三十分で三時。部活が終わる三時間が過ぎ去る。確かに迷っている暇はないと武と林は並んで構えた。


「じゃあ、十一点なー」


 ファーストサーブが吉田。じゃんけんをしてサーブ権を取るとそのまま試合モードへと入るのが武には感じられた。

 最近になってようやく理解した、切り替る瞬間。

 部活の時と、実戦の試合の時。空気の色が塗り替えられる。


「一本!」

「ストップ!」


 林をファーストサーブに据えて武は叫んだ。パートナーもまた武に呼応するように声を上げる。だが、ショートサーブを上げることしか出来ず、後ろから西村のスマッシュが叩きつけられる。


「後ろ下がれ!」


 その展開を読んで、武は林に指示をすると自ら前に出た。林の真正面に来るシャトルを弾き返し、すぐに横に広がる。

 防御の陣形・サイドバイサイド。コートを半分に割るラインの左右を自分達で守ることになる。


「こ――」


 自分の集中を更に高めようと咆哮しようとした瞬間、武の足元にシャトルが突き刺さっていた。完全にタイミングを外された形になり、しばらく動く事が出来ない。


(なんだって……)

「ポイント。ワンラブ」


 吉田のカウントにようやく我に返り、目の前に落ちているシャトルを返す。その間にも武の中にある違和感は広がっていった。


(今の……タイミングが外されたのか? そんなように思えなかったけど)


 思考している間にも吉田がサーブ体勢に入る。霧のように武の周りを覆っていた違和感が徐々に形をなしていく。吉田からのプレッシャーはすぐに強まり、緊張を保ったままショートサーブが放たれる。


(――駄目だ)


 プッシュを諦めて高く上げる。遅れないようにつま先立ちになって上下に身体を動かし、シャトルを待つ体勢を整え――


 バンッ


 反応、できなかった。



 * * * * *



「ポイント。フィフティーンラブ(15対0)。マッチウォンバイ吉田、西村」


 審判を務めていた金田がどことなく気が抜けたような口調で言い、ゲームは終了した。武は目の前に落ちたシャトルを見ながら呆然と立ち尽くす。林がラケットで軽く肩を叩いたことでようやく視線を前に向け、吉田と西村の姿を瞳に映した。


「握手握手。そして片付け」


 促してくる林に頷いてネット前に歩いていく。その間に心の中に広がる感情がにじみ出てくるのを何とか抑えつつ、武は握手を交わして挨拶もすませた。


「これくらいの差か」


 西村の言葉に反応して顔を上げた自分に、思った以上に俯いていたと初めて気づく武。目に入ったのは西村の顔。無表情で武を見上げてくる姿に思わず顔をそむけたが、目に映ったものは消えない。


「まだまだ、遠いな」


 前から去っていく気配。武は逆に中のコートへと歩いていく。すでに他の一年はネットを外し始めていて、手伝うために早足で向かう。最も、西村と吉田から早く離れたかったというのが本音だが。


『まだまだ、遠いな』


 言葉は心に突き刺さる。それは武自身が感じていたこと。

 この数ヶ月で確かに武は強くなった。それは自惚れでは無く、事実だ。それでも、吉田と西村には届かない。


(パートナーが橋本だったとしても同じ結果だったろうな……)


 どうあがいても勝つビジョンを思い浮かべられず、最後のポイントでは完全に戦意を喪失していた。情けなさに武は胸の奥から感情がせりあがってきた。


(そうか……)


 人生で始めての、屈辱という思い。

 ゆがめた顔は片づけが終わるまで直ることはなかった。


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