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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
230/365

第230話

 早坂のスマッシュによって森丘の左サイドにシャトルが叩き付けられる。審判が告げるポイントは八点目。森丘はまだ一点も取れていなかった。脛にラケットを叩き付けて天井を向く森丘。鋭く、鋭角に食い込むシャトルに森丘は反応できないこと自体に情けなさを感じているように武には見えた。

 その光景はどこかひとつ前の試合――君長凛との試合を思い起こさせた。


「早坂のやつ、容赦ないな」


 試合を見ていた武の隣に小島が来て、呟く。振り向くと寝起きなのか欠伸をこらえて涙を浮かべている顔が見えた。自分への問いかけだと気づいて武は少し考えると言葉を返した。


「あいつは君長まで気を抜かないだろ……」


 試合によって常に自分の実力よりも上の目標を決めて、それを達成するように試合運びをする。そうすることで試合の中で少しでも成長しようと思っているのだろう。武も同じようにダブルスの試合に挑んでいるため分かること。小島もまた同じなだけに聞く必要のないことだろう。


「あいつはぶれなくていいな。だいぶ変わったよな」


 武は肯定の意も兼ねて沈黙で答える。

 入学当初の早坂は強かったが精神的に脆く、武に負けたことで部活を休むほどだった。自分がバドミントンをしている意味を考えて、悩んでいた。

 それでも皆と一緒に強くなってここまで来た。もう脆いところはないはずだ。


「でもよ、相沢」

「?」


 小島の口調がどことなく厳しくなる。その変化が気になって視線を向けると、小島が鋭い視線を早坂に向けているところだった。


「今の早坂は、君長凛を倒すって目標にひたすら向かってる。そのために、試合をしてるようにも見える」

「……お前も同じじゃないのか?」

「俺も似たようなものだけど……少なくとも、俺はあいつを……淺川を倒すのは通過点だって思ってる。俺の目標は、あくまで全国一だからな。そのために淺川が邪魔だってだけさ」


 小島の言いたいことは武にも分かる。小島はあくまで淺川が、今の全国一位だからこそ倒そうとしている。目標のところに、淺川がいるだけであり、淺川以外が一位ならば、倒す相手が変わる。逆に早坂は目標が君長凛を倒すことになっていると小島は言っているのだ。

 それは別におかしくないと武は思い、そのまま言う。


「別に。君長を倒せば全国一位って考えれば、いいことじゃないか?」

「そうなんだけどな。なんとなく不安なんだよ」


 小島の言っていることは分かる。しかし、その先に何があるのか分からない。

 一度息を吐いて流れを止めてから、小島は言った。


「君長を倒した時に、早坂は糸が切れちまうんじゃないかなって、思うんだ」


 視線だけは厳しく。他は特に浮かぶ感情がない。そんな不思議な顔を見ていると、武は不安になる。


「早坂が、燃え尽きるっていうことか? なんか兆候があるって?」

「だから、なんとなく不安だって言っただろ? 俺だって確証を持って言ってるわけじゃない。ただ、君長に対しての早坂の執着って凄いなって思ってさ」


 森丘の届かないところにシャトルを打ちまわしていく早坂の容赦なさ。その眼は森丘を見ているようで見ていない。勝った先にいる誰かを見ているように武にも思える。それが誰かは明らかなのだが。

 しかし、それは小島も似たようなものだ。小島は形のない「全国一位」という目標を果たすために、具体的に淺川を倒すイメージを持っているはずなのだから。


「ポイント。イレブンラブ(11対0)。チェンジエンド」


 早坂は審判の声に一つ頷いて、コートから出る。ラケットバッグを持って向かいのエンドへと歩いていくが、森丘は苦い表情で逆側からコートを出た。そこに庄司が駆け寄っていろいろとアドバイスを始める。

 早坂には吉田コーチが付いていたが、特に何も言わずにコートへと送り出していた。


(特に言うことはない、か)


 今の調子を崩さずにいけば、早坂の勝ちは揺るがない。それだけ今の早坂は神がかっている。前日よりも更に集中しているようだ。全道大会で負けてから追い求めてきた相手と、もう少しで相まみえる。

 セカンドゲームのために早坂がコートに入った瞬間、武には彼女を中心に風が吹き荒れたように感じられた。


(凄い気合いだ……なんだ、これ……)


 今までの早坂とは明らかに違うプレッシャー。外から見ている武にさえここまで重苦しくなるのならば、対峙する森丘はどうなのか。案の定、森丘の顔は青ざめて体が小刻みに震えているようだ。


「おいおい……本当にどうした、早坂」


 小島でさえ、額に汗をかいている。凄まじいまでの圧力にその場の誰もが動けない中、審判がセカンドゲームの開始を告げる。


「一本」


 静かに告げる早坂。そしてシャトルを落とし、強く打ち上げる。構えていた森丘はしかし、行動が一瞬遅れてシャトルを追った。ぼーっとしていたわけではないだろう。早坂のプレッシャーが強すぎて萎縮したか。

 森丘が何とか追いついてラケットを振るも、苦し紛れのハイクリアしか打てない。それを読んでいた早坂は即座に下に移動して、森丘の動きを観察する。


「はっ!」


 早坂が打った場所は中央に戻ろうとした森丘の動きを逆行させるドリブンクリア。斜め後ろから中央への運動を止めて、また逆方向にバックステップしなければいけないために体への負担が大きくなる。森丘は無理を押してジャンプし、仰け反りながらラケットを伸ばすような体勢になった。シャトルを何とかとらえると、背筋と腕のしなりでドリブンクリアで弾き返す。そのまま着地には成功したものの、次の瞬間、森丘の視界にはシャトルにラケットを触れさせる早坂の姿。

 シャトルは静かに前に落ちていった。


「ポイント。ワンラブ(1対0)」


 審判が静かに告げ、早坂は自分が前に落としたシャトルを拾った。

 すぐにでも試合を再開して進めたいという気持ちを前面に押し出している。その、いつも試合ではクールで感情を見せようとしない早坂と違う部分を見て武は徐々に違和感を増していく。


(なんだ……どうしたんだ、早坂)


 何かあったのかと思い、周りを見回す。

 そこで気づいた。自分達がいるコートの反対側。

 もう一つの準決勝が行われているコート。そこではすでに第三試合の男子ダブルスが行われていた。男子シングルスと女子シングルスは終わったのだろう。その雰囲気から見て、函館チームの二勝は間違いないだろう。

 武が気づいたのは、小さく見える程度でも、しっかりとこちらを見ている人影だった。

 周りにいる選手達から見ても、小さい。しかし、その小さな体には少なくとも全国レベルの力が詰まっている。


(君長……凛……)


 遠く離れていても、君長から放たれる気配を感じるように錯覚する。早坂はおそらく、試合の中で君長がこちらを見ていることに気づいたのだろう。そして、もう目の前の相手よりも次の相手を意識し始めた。そこで放たれる、気合い。

 完全に君長へと照準を合わせている。


(なんだよこれ……君長のやつ。本当に化け物なのか)


 あの橘兄弟に勝るとも劣らないプレッシャー。見た目は小さく可愛い系の女の子なのに、バドミントンプレイヤーとしては恐ろしい域に達している。


「早坂! 落ち着いていけ!」


 武は思わず声を出していた。早坂はそれに気づいたのか、一度手を上げて審判にタイムをかける。そして上を向いて息を吐き、それから靴紐を結びなおす。一度ほどいてまた結ぶという過程を終えて立ち上がった早坂の顔には、先ほどまでの固く重い雰囲気は消えていた。


「一本!」


 第一ゲームの初めの方、まだ森丘が視界に入っていた時の目に戻って、早坂はシャトルを打ち上げる。森丘はそれを追ってハイクリアを放ち、早坂を奥へと追いやる。すぐさま追いついた早坂はクロスドロップを打って前に詰めた。本来なら滞空時間が長く相手のチャンスになるタイミングだが、ネットすれすれに落ちていくシャトルに追いつこうとラケットを伸ばす森丘。結局は、シャトルを捉えられず、コートに落ちてしまった。


「ポイント。ツーラブ(2対0)」


 早坂は小さくガッツポーズをして次のサーブ位置へと向かう。森丘は立ち上がってシャトルを取り、軽く早坂へと放った。それを受け取った早坂は羽根を整えながら森丘が態勢を整えるのを待つ。


「……お前の応援で正気に戻ったな」

「正気って、なんか乗り移られてたみたいだな」

「案外そうかもよ? あの君長に」


 小島も気づいていたかと目で聞いてみる。

 小島は笑って頷いた。それだけで特に言葉は発しなかったが。

 そのまま視線を早坂のほうに戻して試合を眺める。武も特に話を続けることもなく、試合の続きを見た。

 早坂はそこから、禍々しいプレッシャーはなくし、堅実に試合を進めていく。一つのショットが三手先の相手の行動を狭めて、最後には甘いショットを打たせるかコートの外に落とさせてしまう。試合を完全にコントロールしていく。

 それはそれで、別の意味で武は背筋を悪寒が駆け上る。


(早坂の奴。ここにきて試合を完全に支配してる)


 ある程度実力があるものならば、自分の思い通りのショットを打たせて、展開を作ることができる。

 しかしそれも、相手との差に開きがあればだ。森丘も専門はダブルスだからと言って、シングルスが不得意なわけではない。君長のような超中学級の相手には惨敗したが、他の試合ではある程度良い成績を収めている。試合を重ねることで練習以上に成長はしているはずだった。

 そんな森丘相手に早坂は完全に試合をコントロールしていく。そして、武は自分の考えの間違いに気づいた。


(早坂は、あのプレッシャーを出すのを止めただけで、戦ってる)


 あくまでも君長凛を倒すため。森丘を完全に支配下に置いて打ち負かそうとしている。それくらいできなければ君長には勝つことができない。

 試合の中で成長するためにと目標を決めることを念頭に置いてきた武達。

 その中で早坂は最も実現が難しいことをやってのけようとしている。


「早坂の奴。とんでもないな」

「やっぱり……森丘相手に試合を完全に支配する気かな」

「ああ。相手も状況を打破しようといろいろ考えて打ってくる。でも、自分のショットの時点で相手の選択肢を狭めて、その選択肢にもすべてどうするか対策を用意する。打つ前にもどれを選ぶか予測して先に動き出している。裏をかかれても対応できるくらいに抑えて」


 小島が並び立てる言葉の一つ一つが、言うのは簡単だが実行するのは難しい類のものだ。森丘と早坂の中で流れている時間が異ならなければ、早坂の方が明らかに早くなければできない芸当だ。


「早坂の奴。決勝前に更に強くなりやがった……俺も試合したくなってきたよ」


 小島が小刻みに震える。強い選手と戦ってみたいという衝動を抑えているためだろう。武もその気持ちは分かった。

 小学校時代は何度か試合をしたが簡単に負けていた。中学に入ってから始めて勝利し、それから何度かシングルスの試合をしたが最近は全くしていない。自分達の練習に手一杯だったことが理由だが。

 今の早坂に自分の力が通用するのか。それを試してみたくなる。


 結局、早坂はそのまま森丘を完封した。



 * * *



 審判が試合の終わりを告げた後、ネットを挟んで森丘と握手した早坂は足早にコートを出た。そこに武や小島といったAチームの面々が押し寄せる。


「おつかれさん!」

「お疲れ、早坂」


 次々にねぎらいの言葉をかける仲間達に早坂は困惑して聞き返す。


「何? どうしたの?」


 その言葉にどう返したらいいかみんなが悩んでいた。その中で武が先に口にする。


「いや。試合途中まで肩肘張ってただろ。だから疲れたんじゃないかって」

「ああ……そうよね。確かに勝とう勝とうって空回りしてたかな。でも相沢の応援やみんなの応援で気が晴れたよ。ありがと」

「どういたしまして」


 そこでいつまでに話しているわけにはいかず、早坂と一緒にコートから離れる。

 ここまでで二勝。残り一勝すれば、決勝へ進むことになる。次の対戦は安西、岩代組と川瀬、須永組。

 同じ中学でしのぎを削ってきた仲間だ。

 公式戦の成績では安西達も勝っている。順当にいけば問題ないはずだった。

 だが、安西達からも川瀬達との最近の様子は聞いていた。


『負けるかもしれない。最近、練習していても負けることが増えてる』


 何度も一緒に練習してきたことでの慣れということではない。川瀬と須永の実力がここ最近、飛躍的にアップしているのだ。それまでも強敵だった二人がそれぞれの何か蓋が空いたのか、更に強力になっていく。それを一番傍で見てきたのは安西と岩代。二人が警戒するならば間違いはないと武は思う。


「でも、ここで決めて来てくれよ」

「ああ……俺らもまだあいつらにひっくり返されたくないからな」

「その通り!」


 安西と岩代は自らに気合いを入れる。試合のアナウンスが鳴り、二人はコートへと歩いていった。ちょうどそれと入れ替わるように吉田がやってくる。


「あれ、いつの間に早坂の試合終わった?」

「さっきだよ……って、お前もいつの間にいなかったんだ?」

「第二ゲームの終わり頃から。トイレだよ」

「そっか……とりあえず早坂が勝った」


 武が簡単に説明をする間に、コートでは安西岩代ペアの試合が始まろうとしていた。


「遂に川瀬達の今の力が見られるな」

「……やっぱり安西達の言ってたこと?」

「ああ。おそらく、今後も考えれば。俺達と全道大会の椅子を争うのはあいつらに変わってるかもしれないぞ」


 吉田がそれほどまでに警戒する二人。今まで全道大会で一緒になってもほとんど会話もしたことがなかった。普段からあまり人と話さないとは聞いている。普通に話すのは安西達だけとも。

 ダークホースの、川瀬、須永組と。安西岩代組。

 試合、開始。

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