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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
204/365

第204話

 武は机に突っ伏して眠気に身をゆだねていた。昨日、練習後に勉強を開始したが、どうしても解けない問題があり、粘りに粘って解いた時には深夜二時。急いで寝たがどうしても眠気は取れず、今日一日ずっと気だるい体を引きずっていた。


「相沢は眠そうだなー」


 隣の席に座って同じく欠伸をかみ締めているのは橋本だった。その欠伸は、武のものとは違って深夜二時から放映しているアニメを見ていたからだと朝の内に聞いていた。何か神話上のヒーローやヒロインが戦うファンタジックは話らしい。興味はあったが、そこまでして起きる気力は無く、家のDVDプレイヤーで録画するには少し魅力が足りない。


「どうしても解けない問題があってさ……集中してたらいつの間にか二時」

「相沢のその集中力はバドミントンに生かされてるな」


 橋本の後ろには林。特に眠そうでもなく、橋本と武の会話に少しずつ入りつつ、夕方の空気を楽しんでいる。

 武と橋本と林がいるのは教室の中でも窓際であり、冬場の午後四時となると少し寒い空気が流れてくる。林はその気配が好きで心地よさを感じている。


「いくら暖房があるからって、なんで窓際にいるの?」

「確かに。寒いよな」


 武達三人を呆れ顔で、早坂と吉田は眺めていた。二人とも教室の中央で立て並びで座っている。前に早坂。その斜め右後方に吉田という配置。どちらもこれから教卓の前に立つであろう庄司の話を良く聞けるようにということだろう。その吉田の更に後ろについていた一年生四人は恐縮している。


「この集まりって……やっぱり、アレっすかね?」


 一年四人の一人――竹内は吉田に向けて囁く。別に声を潜める必要は無いのだが、和やかな場に逆に緊張しているのか、竹内は声が出なかった。


「考えられるのはやっぱり、代表の話だろうな」


 吉田の返答に竹内は言葉が詰まる。代弁するかのように、寺坂が口を開いた。


「代表……私達が、かな?」


 その言葉に同時に田野と菊池が頷いた。その様子を見てくすりと笑ったのは、教室の廊下側の座席に座っている清水と藤田だった。今まで会話に入ってこないのは皆と距離を置いていて、言葉が届かないからだ。実際、二人がその他の面々と壁を感じているのは事実。どうしてこの場に自分達がいるのか? という疑問符が頭から離れていなかった。

 話が一区切りした時を見計らったかのように、教室の前のドアが開かれて庄司が入ってきた。


「みんな、そろってるな」


 庄司は教卓の前に立ち、窓際の武達と自分の前方にいる吉田と早坂に一年生達。廊下側の席で所在なく座っている藤田と清水。全員を見回した後で庄司は言った。


「おめでとう。お前達は今度の全国大会予選の団体代表候補に選ばれた」


 庄司の言葉は短く、分かりやすいように表現も直接的だった。場がピン、と張り詰める。庄司はもう一度見回し、そこで顔をしかめる。


「……杉田は?」

「あれ」


 庄司の呟きに反応して言葉が漏れたのは武。それから他の面々も一斉に教室を見回すがどこにも隠れるスペースは無い。杉田はこの中にはいない。それでも庄司が口にしたということは。


「杉田も選ばれたんですか?」

「ああ。そうなんだが」


 吉田の言葉に答える庄司。そこに、廊下を走る靴音が迫ってきて、教室のドアが素早く開かれた。開けたのは、肩で息をしている杉田。俯いてしばらく呼吸を整えた後で顔を上げて言った。


「すみません! 遅れました。他の奴らと練習してました」

「十六時にここに集まるようにって言ってなかったか?」

「普通に忘れてました」


 申し訳なさそうにしつつ、杉田は入り口のすぐ傍の席に座る。藤田や清水に軽く手を振ってから庄司に視線を移した。

 この場に必要な面々が全てそろったところで、一度庄司は息を吐いてから言葉を紡ぐ。


「改めて。この場に集められた面々は、今度行われる全国中学生バドミントン大会の団体メンバー候補として選ばれた。明日から、総合体育館で二週間、毎日集まって練習し、選抜される」

「毎日、ですか」


 杉田が聞くからにハードに思える内容に呟き、庄司が頷く。


「今度は学校も学年も飛び越えた選抜になる。当然、実績を残している者が優先となるが、二週間の中で新たに才能を見出される者もいると思う。例えば、他校の生徒と組んだダブルスで正規のダブルスを倒すとかな。後は、ミックスダブルスだ。男女ペアのダブルスは今までお前達も公式戦では組んだことが無い。全く未知の試合になる。これは、残り二週間の中でベストなペアを見つけなければいけない」


 一度言葉を切り、庄司は武達を見回す。今までの話が理解できているかどうかを把握するために。その中で、藤田と清水の顔に疑問符が浮かんでいるように見えた庄司は、二人に向けて尋ねた。


「どうした? 何か疑問があるか? 清水、藤田」


 声をかけられたことに驚いた二人は同時に「いいえ……」と呟いたが、清水はすぐに言葉を続ける。


「私は、自分がどうして選ばれたのか分からなくて」

「私もです。大会で大体二回戦負けなのに」


 続けて言った藤田の言葉は正しい。二人は公式戦でベスト4にも入ったことは無い。他のメンバー以外では明らかに戦跡は少なく、実力も一歩劣っている。だからこそ、自分達がいることに一番違和感があるのだろう。

 そんな二人の心情を察してか、庄司は言う。


「そんなに卑下することはないぞ。まず、選んだのはバドミントン協会の理事達だ。一週間しか経っていないが、ここ最近のお前達の試合を分析して選んでいる。確かに戦跡は少ないが、こうして選ばれたということは意味がある」

「意味、ですか」

「そうだ。お前達の場合は可能性、だろうな。これまで目立って戦績がなかったプレイヤーが突然開花するというのはある。お前達も学年別で清華中の姫川詠美を見たはずだ。全くのノーシードから、早坂を追い詰めるところまで上ってきた」


 ほんの一週間前の学年別大会を誰もが思い出す。

 それぞれ、自分の戦いを終えた後で見た、早坂と姫川の試合。全く無名の選手だった姫川が決勝戦で早坂と戦う。それは、今、庄司が言ったように可能性を十分に見せつけた。今の自分達は、一気に伸びる可能性を秘めている。


「けして誰もが手に入れられるわけじゃない。変に期待を持たせても意味がないからはっきり言うが、藤田と清水が可能性を持っているかは俺には分からないし、さほど期待もされていないだろう。バドミントン協会のお偉方が選んだとは言っても、可能性を広げるだけでそこまで期待はしていないはずだ」


 本当に期待を持たせない物言い。それだけに庄司の言葉には真実味があるとその場の誰もが信じられた。そもそも自信がなかった藤田と清水にはストレートに意図を理解させるのに十分な効果があった。

 更に庄司の言葉が続く。


「他校の生徒もきっと、お前達がいることを不思議に思うだろう。だから、このチャンスを掴めるかはお前達次第だ。ただ全力でぶつかっていけ。お前達に負けて恥じるほどの戦跡がないなら、好都合じゃないか」


 庄司は言葉を切って武達のほうを見て、更に続ける。


「実際、ここにいる面子は誰が選ばれてもおかしくない。だからこそプレッシャーもあるさ。お前達はそのハンデがないんだ」


 ハンデ。庄司の言葉に武は内心で「確かに」と思う。清水と藤田を除けばここにいるメンバーは市内の上位に位置している。他校からもそうしたメンバーが集まってくる以上、選抜とは名前以上に削りあいになる。先ほどの言葉が正しければ、吉田とのダブルスよりも他校の、例えば安西や岩代などのプレイヤーとのダブルスがよければそちらで選抜される可能性もあるのだ。今まで自分達の学校内での世界では見られなかったものが、見られるかもしれない。

 環境が変われば見える景色も変わる。

 それは武も全道大会で実感済みだった。


「藤田。清水。お前達が代表に残れるように応援している。残ったら、そうだな。回らない寿司に連れて行ってやろう」

「せんせー! 俺はステーキがいいです!」

「杉田は選ばれてもおかしくないから駄目だ」


 杉田と庄司の会話で場が和む。武から見えても、清水と藤田の顔には先ほどまでの緊張感はなくなっていた。確かに他の面々よりは期待されていないというのはショックかもしれない。しかし。背負うものがないというのは力を発揮しやすい。


(強くなると、そういう背負うものが増えていく。清水も藤田も、そういうのが今後ついてまわるかもしれないな……)


 今、彼女達は自分が二年次の始めに通ったような位置に来ているのかもしれないと武は思う。だからこそ、心の中で応援する。余計なプレッシャーを感じずにプレイできるように。


「先生。他の中学からの代表って分かってるんですか?」


 吉田の問いかけには庄司は顎を横に振った。さすがに他の中学の情報は分からないらしい。

 しかし、学年別の結果を見れば大体の予想はつく。

 ベスト4は確実としてあと数人は入賞に届かなかった何人か。その中に清水達が選ばれているのだけでも凄いことなのだ。


「特に定員は無いがな。チーム結成の選別まで時間は無いから、早いうちから結果を出さないと削られる可能性はあるな。俺は、お前達が全員残って欲しいと思うが、それはやはり都合が良いだろう」


 庄司は目の前に座る生徒達一人ひとりの目を見ていく。言葉では都合が良いと否定しても、やはり望まずにはいられない。


「最後まで残るよう、全力を尽くすように。明日から総合体育館に集まって練習を行う。指導に当たるのは、バドミントン協会の役員達だ。監督としては、吉田の父親がつく」

「父さんが、ですか」

「聞いてなかったか?」

「基本、そういうの聞かないんです」


 しれっと答える吉田に武は内心ばれないように笑う。そういうコネクションで仕入れた情報をいくつか活用したはずだと。

 武の胸の内を知らずに庄司は続けた。


「明日からしばらく練習は別になる。皆、他校の生徒や協会の役員達を困らせないようにな」

『はい!』


 全員が返事をして解散となる。ここから武達は部活に参加する。しばらくは離れることになるだろう。それでも、武の中には寂しさよりも楽しさが勝っていた。先ほどは清水や藤田を気遣っていたが、もう他校との合同練習で得られるものの大きさを楽しみにしている。学校の中だけでは味わえない刺激を。


(早く明日にならないかな)

「武。浮かれるのは良いけど、今日はちゃんと過ごせよ」


 武の内心を見透かしたかのように吉田が呟く。息を詰まらせて振り向くと、やはり厳しい顔をした吉田。武が弁明を紡ごうとする前に口を開いていた。


「浮ついてると怪我をして、明日からの練習に参加できないとか、あるからな」

「……はい」


 素直に頷いておく。今からもう準備は始まっている。

 これから必要なのは実力もそうだが、怪我をしないことといった、本当の「強さ」だ。


(絶対に、吉田と一緒に代表に残るぞ)


 脳裏に浮かぶのは西村の顔だった。直前まで行って戦えなかった相手。今度こそ、挑む時だと信じて。



 * * * * *



「武ー。入っていいー?」


 扉を挟んでもあまり聞こえ方が変わらない妹の声を少しうるさいと思いつつ、武は「いいよ」と返事をして招きいれた。若葉は手に参考書とノートを持っている。参考書は武が机の上に広げているものと同じだった。同じ学年なのだから同じ範囲を勉強しているのはおかしくはない。


「ごめん。ここ、教えてくれない?」


 若葉はノートを差し出して、自分は武が使っているベッドに腰掛ける。机の横にあるためにこうして教える位置としてはちょうど良かった。

 武はノートを覗き込み、先ほど解いたばかりの問題だと知るとまず若葉にノートを渡す。それから問題文の中からヒントを一つ提示した。一から教えずにヒントから入るのが武の教え方だった。


「んー、それはーっと」


 若葉が考え込む姿を見ながら、武は別のことを考えていた。若葉が何かをひらめくと同時に呟く。


「若葉は、やっぱり普通受験だよな」

「当たり前でしょ? 武も……あ、そうか。武の場合はバドミントンで学校選ぶとかありえそうだよね」

「実感はないんだけどな」


 武には想像はつかないが、何かしらスポーツに秀でた人物がスポーツ推薦で進学するというのは知識としては知っていた。

 自分は、吉田と一緒に全道二位だ。バドミントンで生きていく道に進む可能性は開けている。本当に選ぶかどうかは分からないが。


「きっと、今回の大会や、三年の時の中体連とか。やっぱり俺は全道とか全国を目指すんだと思う。それが終わったら受験ってことになるけど……正直、高校の進路とか全然分からん」

「それは私もだよ。今はまだ考えなくて良いんじゃない? 考えなきゃいけなくなったら、考えればいいと思うよ」

「それがいつなんだって思うけどな」


 話はそこからぼやけて、やがて霧散した。若葉は分からない問題が解けると喜び、礼を言って武の部屋から出て行く。閉まった扉をしばらく眺めてから、武はノートに向き合った。

 若葉に問いかけて霧散したものが形を結びかけて、消えた。


(そうだよな。受験のためにバドミントンは出来ない。その先に、きっとある。だから、今は精一杯向かうしかない)


 一つ問題を解き、背筋を伸ばす。その間に浮かんでは消えていく、試合や友達とのやり取り。入学してからのことは大体覚えていた。

 小山との試合や刈田との邂逅に、初めて一位を取った学年別から中学二年の今までを。


(うん。頑張ろう。精一杯、やってやろう)


 勉強もバドミントンも。

 仲間や、由奈との思い出も。

 一つ一つを大切にしていこうと武は思った。

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