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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FirstGame
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第002話

 武が視線を向けた先には彼と同じようなスポーツ刈りをして眼鏡をかけた男がいた。身長は百八十を超えるだろう。Tシャツの下にある筋肉はほどよくついていて、その量の割にはスマートに見える。スポーツをするには理想的な肉付きかもしれないと、武は少し羨ましく思える。そんな彼の感情を知らずに、男は更に口を開く。


「吉田香介。お前らの代の地区大会一位だ。全道では一回戦負けだったがな」

「……あ、どうりで見たことが」


 武は視線をコートに戻す。ちょうどコート中央。さっぱりとした坊主頭の吉田は上がったシャトルを強打し、スマッシュを相手コートへと叩き込む。武から見れば速く取れるものではなかったが、対戦相手は何なくラケットで速度を殺し、ネット前へと羽根を浮かせた。渾身の球を受けられたことで隙を見せると武には思えたが、吉田は一足飛びでネット前に詰めると浮かんだシャトルに柔らかくラケットを滑らせてヘアピンを落とす。

 相手はそこまで予想は出来なかったらしく、シャトルは静かにコートへと着地した。


「ポイント。ワンフォー(1対4)」


 サーブ権を持っている者から先に審判がポイントを言い、持っているスコア表に書き込む。本当に試合形式らしい。


「金田が一点取られるとはな」

「金田……って、学年別大会の優勝者ですか?」

「へぇ、二月の学年別見に来てたのか?」


 武の言葉に男は驚きを素直に表現した。それまで試合を主に追っていた一対の瞳が武に向けられる。教師と面と向かって話すことは彼に緊張をもたらしたが、汗が出てくる手を制服のズボンにこすりつけつつ答える。


「はい。その頃はもう町内会のバドは終わっていたのでっ……て」


 そこまで会話をして、武はその人物の名前を思い出した。始業式とそれに続くホームルームが終わった頃、それぞれの部の部員達が各クラスに現れて自分達をアピールした。その時に部員数や顧問の名前を言うことも含まれていて、全ての部活の構成を教えられることになった武達は、始業式早々疲れる羽目となった。

 当然、バドミントン部もその時に顧問の名前も紹介している。


「庄司先生……バドミントン部の顧問だったんですね」

「ああ。半分テニス部と掛け持ちだがな」


 庄司は「ようやく気づいたか」という笑みを武に向けた。だがその視線を受けて武の中には疑問が浮かび上がってくる。


「でも先生、どうして僕らの代の一位とか、知ってるんです?」


 中学のバドと小学生のそれが交差することはない。何度か中学生が有志で小学生の試合の審判をすることはあるが、覚えるほどの頻度はない。しかし、庄司はあっさりと疑問を氷解させた。


「自分の部活に入るかもしれない人材を見つけようとするのは普通だと思うがな。小学生で小六はチェックしてるんだ。もちろん、お前も知ってたよ、相沢」


 その言葉により、視線が針のように突き刺さった、ような気がした。視線自体は優しいものだ。だが、緩やかに運ばれてきた視線がそのまま肌を突き破るようなイメージが武の脳裏に過ぎる。

 身体を一瞬だけ震わせて、武は言った。


「俺は……全然強くありませんでしたから」

「確かに、一回戦負けではあったな」


 事実だが他人から伝えられると辛いもの。武は意識を試合へと戻した。自分ができない世界を描ける二人に憧れを感じながら。

 だが、そこには信じられない光景が広がっていた。


「ポイント、テンスリー(10対3)」


 吉田が、追い込まれていた。

 話しこんでいる間に形勢がかなり傾いていたことに慄然とした。話していたのはほんの六、七分だと武の感覚は伝えている。その間に吉田は肩で息をし、金田は羽根をラケットで軽く跳ね上げている。


「強い……」

「ストップ!」


 武の呟きは吉田の気合の声にかき消される。初めて視界に入った時には見えていた余裕は、すでにない。

 審判のコールに従って金田はサーブする体勢をとった。吉田も構えてゲームの続きを待つ。

 金田の左手からシャトルが離れて綺麗な孤を中空に描く。高く、深く吉田がいるコートの奥へと飛んで行くシャトル。真下に移動した吉田だったが、少し横にずれて軌道を見る。


「――!」


 吉田が息を飲む気配が、武にも伝わってきた。シャトルはコートのライン上へと落ちていく。落ちる直前に吉田はすくい上げるように打ち返したが、ネットにつめていた金田が難なくコートに叩きつけた。


「ポイント。イレブンスリー(11対3)」


 悔しそうにネットを――その先にいる金田を睨みつける吉田。そして一瞬だけ振り向き、後ろにいた武と目線が合う。


(あ……)


 険しい顔を向けられて気押された武は一歩後ろに下がる。しかし吉田はすぐに目をそらしてゲームへと戻っていった。


「金田は最大の武器のスマッシュを出してない。強いとはいえ新入部員に本気は出せないだろ」

「学年別大会……優勝者」


 武は庄司へと視線を移し、ほんの二ヶ月前に行われた試合を思い出していた。中学の学年別大会。町内のバドミントンサークルの仲間と共に見に行き、衝撃を受けた。

 たった一学年違うだけで、全く違う動き。

 移動が速く滑らかで、力強いストローク。

 自分が親しんできたバドミントンというスポーツが、児戯に過ぎなかったのだと頭ではなく心が理解した。児戯でさえ勝てなかった自分が、競技であるバドミントンで勝てるのか? 練習にもついていけるのか?

 その結果、バドミントンそのものを嫌いになってしまわないだろうか?

 それが、武が入部を迷う理由となったのだ。


「俺達の代で一番強いやつがここまでやられるなんて……自信がなくなるな」

「自信なんて最初からあるやつはいない」


 庄司はそう語り、視線でコートを見るように即す。それに従ってコートを見ると、吉田が左右に振られながらも必至になってシャトルを拾っていた。金田はスマッシュを使わない代わりに前や後ろ、左右にショットを散らしていく。それにがむしゃらに喰らいついてラケットを跳ね上げていた。


「吉田は全く諦めていない。強くなれるかはその違いだ。俺から見れば、相沢も十分勝てる力はある」

「でも、俺は……」

「お前に足りないものは二つだ。それを手に入れれば、お前は強くなる」


 庄司の言葉を自然と否定しようとする武だったが、首は動かず言葉も出ない。

 足りないもの、と庄司は言った。それはつまり、小学生の自分に手に入れられなかったものだろう。もし小学生に手に入れることが無理なものならば、同じ年代で強い者が出る理由が分からない。


「俺に……足りないもの、ですか」


 恐る恐る武は尋ねる。足りないもののせいで勝てないのならば、手に入れればいい。そして、庄司は武がそれを手に入れられると言っている。自信を無くし、足が止まっていた彼の背中を、庄司は押してくれるかもしれない。

 しかし、暖かな希望の光は触れた瞬間に消えるかもしれないのだ。

 押された瞬間に奈落の底へと落とされてしまうかもしれないのだ。

 そう考えると武は怖れずにはいられない。


「ああ。技術はある。しかし勝てないやつは何人もいる。共通して足りないものがそういった選手にはある。だが、やらなければ試合さえできない。相沢、迷っているなら入ってみないか? 辞めることを恥じる気持ちはなかなか大事だが、強制ではないんだから」


 庄司は優しく武を諭す。それは正論であり、武も頭では納得する。それでも、武は踏ん切りがつかない。

 自分が好きなバドミントンに対してそんな曖昧な状態でいいのか、武は悩む。


「はっ!」


 思考のループを打ち砕くように差し込まれる咆哮。吉田のスマッシュが金田のコートへ突き刺さる。追い詰められた吉田がサーブ権を奪い返した。肩で息をしていても、身体を折らずに堂々と立っている。

 シャトルを受け取って、一つ強く息を吐いてからオーバーアクションでサーブする。金田は身体を飛ばすように足でコートを蹴ったが、シャトルは吉田のアクションとは裏腹にショートサーブだった。ネットを越えてすぐのサービスライン上へと落ちる。


「ポイント! フォーサーティーン(4対13)」


(上手い……)


 武は心の中で呟いた。一対一で闘うシングルスではコート奥へと放つロングサーブが定石である。実際、今まで武が試合を見てきても二人はずっとロングサーブを使っていた。吉田はそのことを利用し、オーバーアクションでロングサーブを演出し、直前で力を止めた。結果としてシャトルは軽く弾かれた程度でコート前のサーブライン上に落ちたのだ。


「お前にないものの、一つだ。良く見ておけよ」


 言われるまでもなかった。武の瞳はもう、吉田のプレイに集中し始めていた。

 ポイントを取った吉田は「一本!」と得点を取るために気合を発した。腹腔から吐き出される息と声。混ざり合い増幅したそれは、後ろで見ている武の肌をも震わせる。気合は力みには繋がらず、吉田はラケットを滑らかに移動させてシャトルを打ち上げる。十分な力が伝えられたシャトルは綺麗に孤を描いてコートの奥へと飛んで行った。


「はっ!」


 金田は気合の声をフェイントにネット前に鋭く落とすドロップを放つ。吉田は体力が低下しているにも関わらず足をスムーズに運んでラケットでシャトルを相手コートに置くように優しくヘアピンで返した。だが前に詰めていた金田は後ろへと飛ばし――

 その瞬間に、シャトルは金田のコートへと跳ね返されていた。


(インターセプト!?)


 跳ね上げられたシャトルをダイレクトで吉田は打ち返していた。ネット前でシャトルをヘアピンしてからすぐにラケットを上げ、飛んできたシャトルに強引に合わせたのだ。明らかに運が良かっただけだが、吉田は小さくガッツポーズをとる。


「ここから吉田は粘るだろう。その力こそ、バドミントンで一番必要なものだ」

「必要な、力」


 吉田は再びシャトルを飛ばす。今度は金田もハイクリアでコート奥へと運ぶが、吉田は返って来る球全てを金田のコート右奥へと返し始めた。どの方向へ打たれようとも。どんなに厳しいコースに打たれようとも後ろへと飛ばし続ける。

 十回ほどそんな動作を繰り返した後に金田はスマッシュを吉田のバック側――ラケットを持たない左側へと打ち込む。いつもなら真横で受けていた吉田だったが、今回はより前方にラケットを出して勢いを殺し、ネット前へと運ぶ。


「くそっ!」


 金田は虚を突かれて前に出るも、ラケットが届く前にシャトルはコートに落ちた。


「ポイント。シックスサーティーン(6対13)」


 また吉田のポイント。肩で息をしているがゲームをコントロールし始めている。武は少しだけ、庄司の言っていることが分かった気がした。

 吉田はまたシャトルを高く飛ばす。

 高く。そう、高くだ。力まずに滑らかな軌道を描くラケットを発射台に、打ち上げられたシャトルは天高く昇り、目標点へと降下し始める。

 たっぷりと数秒使いながら。


(ここから、金田さんはドロップで落としてくる)


 武は頭の中に一つのビジョンが浮かんでいた。吉田のロングサーブに対して金田はまず、吉田の重心を崩そうとして前に落としてくる。ネット際ぎりぎりに落ちてくるドロップはちゃんと前へと動かないとネットに引っ掛けるか、甘い球を上げることになる。実際、あと二点で負けるところまで追い詰められるまでは、それで奪われた点数は少なくない。

 案の定、金田は吉田の左前方へとストレートにドロップを落としてくる。だが、高く上げたサーブによって十分体勢を整える時間はある。吉田は一歩でネットへの距離を詰めるとぎりぎりのドロップをラケットを立てて叩き落した。


『おお!』


 周りで見ている部員達から驚きの声が上がった。終盤に来てもまだ衰えないフットワークと、詰めたとしても押し込むには難しいラインに来たシャトルをプッシュした技量に。

 負けていないのだ。少なくとも技量では。

 吉田の実力を垣間見て、武は背筋に走る痺れを認識する。

 心臓の鼓動が跳ね上がる。身体を走る血の量が増す。脳が熱に浮かされ、脈動する。

 それは恐怖ではなかった。武の身体をひた走る衝動は、ただ一つ。


「――やって、みたい」


 誰と、ではない。そして何を、でもなかった。隣にいた庄司は顔をほころばせて、新星の覚醒を密かに祝う。


(おそらく、もう頭の中では試合のビジョンが見えているはずだ……お前に必要なものを手に入れさせれば、きっと強くなる。俺の読みは正しかったようだ)


 庄司の考えを知らず知らずに体現していたことを武は知らない。知るはずもない。試合が終わるまで、武は庄司の存在を忘れていたのだった。



 * * * * *



「どうしたの? にやけた顔して」


 夕焼けの橙色が空間を閉める中で家路に着く武と由奈がいた。自転車を押しているのは武の自転車のタイヤがパンクしていたからだが、徒歩の時間は二人を穏やかな空間へと誘う。

 吉田の試合が終わってから、武は由奈と合流して帰ることになった。特に見学時間を言わなかったことで待たせたかと武は謝罪したが、由奈は首を静かに首を横に振った。遅れた理由を十分承知していたから。

 由奈の問い掛けに武は「んー?」とだけ反応して言葉を発さない。だが由奈もその答えを知ろうとはしない。部活を見学に行った後での笑顔ならば、聞くまでもないと思った。


「由奈、俺、部活届出してきた」

「……どこに?」

「もちろん」


 言葉を切る。すでに躊躇させていた恐怖はない。ついていけるのかという不安はたぎる血に蒸発する。

 武の中に生まれたのは、バドミントンをしたいという気持ち。

 様々な相手と戦いたいという、強い思いだった。

 自分の決意を再確認するように頷き、武は勢いよく言った。


「バドミントン部さ!」

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