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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
FinalGame
171/365

第171話

 朝七時の体育館というのはとても寒く、小島は息をゆっくりと吐き出して上っていく白い吐息を見上げた。冬の朝なのだからその寒さは更に増す。それでも、普段なら駄目であろうことを頼み込んで開放してもらったのだから文句は言えない。

 暖房が入る音を聞きながら、準備運動を始める。

 屈伸から初めて伸脚。胴体回しなどラジオ体操で用いるような運動は一通り網羅していく。ゆっくりと、しっかりと行うと終わる頃にはジャージの下にシャツ一枚でも、汗がじんわりと滲んできた。


(よっし、やるか)


 最後に胸が真後ろに向くかというくらいねじり、唸った後で元に戻す。

 コートに置いておいたシャトルとラケットを手に取り、ロングサーブを高く打ち上げた。朝の静かな空気をかき乱すように、シャトルは高く上がり、放物線を描いてコートに落ちていく。

 乾いた音と共に落ちたところは、ちょうどシングルスラインの上だった。


「よし。いつも通り」

「あ、小島君!」


 シャトルを取りに行こうと足を踏み出したところでかかる声。聞き覚えがあると思い振り返ると、セーラー服の女子生徒は早足で駆けてきた。左手には学校指定の鞄。右手は背中に背負ったラケットバッグの肩紐がずれ落ちないように握っている。


「姫川。早いな」

「小島君のほうがもっと早いのに。朝練習してたなら教えて欲しかった!」

「なんで?」

「私の練習相手になってほしい」


 女生徒――姫川詠美は屈託無く笑う。長く少し栗色の髪の下には大きめの瞳。鼻の線や口元ははっきりとした形で日本人というよりは外人のように思える。いつも思っていることを小島は口にする。


「いつ見てもモデルみたいな顔だな」

「誉めてもらって嬉しい! お礼に練習付き合って」

「そして日本語の練習したほうがいい」


 小島のため息交じりの言葉を背に、姫川は更衣室へと走っていった。

 ジュニア大会から帰ってきてから数日。久しぶりに部員と顔を合わせた中で、急に姫川は話しかけてきた。それまではそこまで仲が良いというわけでもなかったのに。全道大会に出ていた自分以外は二月の学年別大会に向かって動いているようだった。


(最も。俺と石田以外は勝てないだろうけど)


 清華中は小島と一学年下の石田の実力が飛びぬけていて、他は市内でも一回戦に勝てるかどうかというレベルだ。

 小島は次の試合で自分以外の部員がどういう結果を出すかに思いをはせる。つい先日まで全道大会という規模の大きな大会で、一位を狙い凌ぎを削ってきた。朝の練習として来てはみたが、どこか気が抜けている部分があるとも感じていた。


(姫川と打てば、気分転換にはなるだろうな。あいつにはすまないけど)


 待っている間に体をほぐしながら、物思いにふける小島。ほんの五分ほど経った後に姫川が小走りで小島へと駆け寄ってきた。


「お待たせ!」


 声に振り向いた小島は、一瞬動きを止めた。

 ハーフパンツに学校指定の半袖シャツ。それは見慣れたものだが、長い髪を結んで顔がはっきり見えている。その姿が、早坂に重なった。


(俺って髪が長くて結んでればそれでいいのか……? さすがに姫川に失礼だろ)


 沈んだ気分を浮かんだ思いと一緒に振り払い、シャトルを手にする。姫川が小島の行動に疑問符を浮かべる前に基礎打ちをしようとジェスチャーで伝えた。

 姫川がコートの向かいに立ったところで小島はロングサーブを打った。まずは軽いショットで肩を温めるために。

 姫川のドロップは綺麗に弧を描いてネット前に落ちてくる。それを小島が打ち上げ、またドロップが打たれる。その繰り返しが何度かされ、一球を返すたびに小島の中に驚きが蓄積されていった。


(姫川のやつ……いつの間にこんな精度のショットを身につけた?)


 早坂に勝るとも劣らないドロップ。余裕を持って取っているが、気を抜いたらネットに引っ掛けてしまいそうだ。たいていのプレイヤーならば、そんな心配をしなくても引っ掛けることは無い。それだけで、姫川の実力が思っているよりも高いことを知る。

 そこからドロップショットをヘアピンで返す。ネット前に来たシャトルを後ろから走りこんできた姫川がコート奥に上げ、小島がドロップを放つという交互に行うドロップアンドネット。互いに奥へ打ち合うハイクリアと続き、体が汗をかいてきたところでスマッシュに入る。

 姫川がスマッシュを打つごとに小島へと語りかける。


「小島君! 最近! 近くなったよね!」


 いちいち打ち返すたびに答えはしなかったが、姫川の言った事は分かる。以前よりも、仲間というものを意識していた。

 自分とまともに打ち合える同年代は身近にはいなかった。全て対戦する相手だった。だが、全道大会を戦う中で、他校だが仲間と呼べる友達が増えた。

 それは小島にとってとても幸福なことだと、小島自身がようやく思うようになった。

 姫川のスマッシュはさほど速くは無い。よって一球一球返すごとに過去の出来事を思い返す余裕が持てる。小学校時代から今まで、一人だった頃から吉田や刈田といったライバル達のこと。清華中の仲間達。自分の中に一つずつ増えていく何か。

 いつからだったか。試合に負けられないと思った時に、背中に仲間達の気配を感じるようになったのは。


「じゃあ、次は! 小島君ね!」


 スマッシュを打ち込んで姫川はコートの中央に陣取る。そこから小島のショットを受ける様子。小島は無理だと思いつつも、上げられたシャトルを全力でスマッシュを打ち込んだ。


「やっ!」


 姫川の声と同時に、返って来るシャトル。

 軽い驚きと共に再びスマッシュを放つ。一瞬遅れたために奥までは返ってこなかったが、それでもシャトルは小島のコートへと入っている。最初は偶然。だが、二回目以降は必然。そんな単語が頭をよぎる。一度、体勢を立て直させようとシャトルを軽く打って奥へと返させる。


(まさか……これはどうだ!)


 小島は速度は先ほどと同じ。しかし、コースを多少変えて左サイドぎりぎりに打ち込む。バックハンドになり捉えづらいコース。しかし、姫川はスムーズにラケットを持ち替えて小島のスマッシュを大きなロブで打ち返していた。

 男子でさえ取ることが辛い小島のスマッシュを。


(姫川……お前って奴は!)


 それから何度かスマッシュを打ち込んだが、遂に姫川がシャトルを落とすことは無かった。連続で打たれれば打ち損じて甘い球が上がってしまうが、小島のスマッシュでそれならば、女子で彼女にスマッシュを決められるプレイヤーは限られるだろう。

 それほどまでに、姫川のレシーブ能力は女子の中ではずば抜けていた。


「姫川、いつの間にそんな上手くなったんだ?」


 じんわりと額に浮かんだ汗をタオルで拭きながら、小島は姫川へと問いかける。


「だって、小島君をいつも見てたらタイミングとかね、気をつけるようになるんだよ」


 姫川の台詞に小島はどきりとする。当の本人は自分の言葉が与えた影響などどこ吹く風で素振りなどをして体をほぐしていた。どうやら含みなど全く無いらしい。


(なるほどね。真似て上手くなるってことはあるようだけど、姫川は元々持ってるんだろうな)


 基礎の素振りやフットワークをこなしつつ、上級者の真似をして自分のプレイを理想に近づけていく。与えられる課題をこなすだけではなく、その結果がどのように現れるのかイメージすると効果が違うという。それを姫川は自然とやってのけている。


「そろそろ朝練も終わるか。着替えの時間とかもあるだろうし」

「うん。ありがとー!」


 姫川は屈託の無い笑顔で答え、更衣室に戻っていく。その笑顔にまたどきりとして小島は深く息を吐いた。


(失恋したってわけでもないんだろうけど。手近なところに逃げようとしてるのかな)


 思い出すのは早坂の顔だった。告白はしたが、受け入れてはもらえていない。臨んでも手に入れられないことの苦しさを体験して、どこか恐れがあった。そんな時に少しだけ容姿が似ている姫川が現れて自分の前に立った。思っていたよりもずっとバドミントンプレイヤーとして強くなって。


(一緒に昇って行ける人が欲しかった。早坂に惚れたのは、好みだったからもあるけれど、何より実際に上へと一緒に行けると思ったからだ)


 ここでまた、一緒に上に行けそうな姫川がいるからと乗り換えるのか。


(それは誠実じゃないな)


 自分の頭を軽く叩いて、小島もラケットバッグを手にとって更衣室に向かった。物思いにふける時間はない。今は、バドミントンに集中しようと決意を固めていく。

 自分の向かう先は全道で体験してきた。

 淺川亮という北海道の頂点。全国でも屈指の実力者。垣間見た頂に昇るためには、今はただ上を目指して実力を磨きたかった。

 今回、姫川と打ち合ったのはあくまでピリピリとした気持ちを抑えるため。貼り続ける緊張の糸が切れないようにする一時的なもの。

 その糸を緩めた甲斐は、あった。


(今度の学年別は荒れるな)


 自分達の経験する学年別は二回目。

 前回からジュニア予選までで自分の学年の実力のランキングは大体決まっていた。順当に行けば、今度の学年別でもジュニア大会で全道に行った面子が並ぶだけだろう。あるところまでは結果の決まったレースという感じは否めない。

 しかし、姫川詠美は誰もマークしていないはずだった。彼女が伸びたのは、ジュニア予選が終わった後だろう。小島も気づかなかったのだから。


(もし当日。あいつの凄さに気づかなかったら、食われるぜ、早坂)


 それでも小島は早坂には伝えない。

 自分と共に歩んで欲しい人。だからこそ、早坂には自力で姫川という壁を越えて欲しいと思った。超えられないならそれまでのこと。自身の感情とは関係なく、純粋に乗り越えられるかという点に小島は興味を覚えている。


(このまま、学年別までの間に姫川を育てたら……台風の目に十分なれるな)


 自分の実力を磨くための練習は必要だ。しかし、小島は見てみたくなった。姫川が。同じ中学の女子が大会で上位に入って応援されている姿を。自分以外のプレイヤーを応援している仲間達の姿を見てみたかった。

 一番見てみたかったのは、体験したかったのは。

 同じ中学の仲間達と一緒に、誰かを応援することだ。

 汗も拭いて更衣室を出る。すると体育館の中央付近で姫川が立っていた。自分を待っていたのだろうかと、声をかけて早足で近づく。


「あ、小島君。お願いがあるんだけど」


 小島が傍にきたところで姫川が口を開く。口調は軽いが、瞳には力がこもっている。小島は、なんとなくその先が読めていた。


「これから学年別まで、私を鍛えて欲しいんだ」


 今まで自分が考えていたこと。姫川も小島と打ち合ったことで自分の伸びる可能性を見たのかもしれない。


「あ、でも小島君の練習に影響あるなら止めとくよ。もっともっと強くなってもらいたいし」

「俺は、もっと周りが強くなってもらいたいんだよ」


 遠慮しようとした姫川の言い終わりに重ねるように小島は言った。せっかくの機会を逃さないように強く。


「ジュニア全道大会で。俺は他の中学の奴らといて楽しかった。応援したり、されたり。同じくらい上手い奴らに囲まれて。でもな。俺も、清華中バドミントン部の一人なんだ。どうせなら、同じ中学の奴らともっと手ごたえがある大会を過ごしたい」

「小島君……」

「こう言ってると自分勝手に聞こえるかもしれないけど。俺が楽しむためには、俺がもっと皆を鍛えることが必要だ!」

「……ふふ。なんか小島君らしい」

「それ誉められてんの?」

「半分は酷いなーって思ってるよ」


 姫川は笑って歩き出す。備え付けの時計はもう八時二十五分を指している。もう少しで朝のホームルームが開始されだろう。

 小島は胸の奥に抱えていたものを降ろしたことで、つかえが取れたように思った。自然と顔をほころばせて、姫川の後を追っていった。

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