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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
SecondGame
170/365

第170話

 深いところにあった意識が表層へと浮かび上がってくる。暗闇からかすかに光が注ぎこむ場所にあると感じたところで、一際大きな揺れが武を襲い、一気に目を開けた。車内の照明が目を焼いて痛みを覚えるが、すぐに慣れてまた目を開ける。

 電車の壁に頭をつけている状態から振られたからか、即頭部に痛みがあった。


「いてて……」


 右手でさすりながら周りを見回すと、起きている乗客は皆無。四人席の残り三人――隣の吉田、目の前の早坂、そして斜め前にいる庄司は眠ったままだ。窓の外は既に暗かったが、街灯は見慣れた位置に点在しており、自分が地元に戻ってきたのだと自覚する。たった数時間前までは遠くの土地にいたのに、今はここにいる。まるで夢だったかのような錯覚に陥るが、体の疲れと筋肉の痛み。周りの仲間達を見ていると本当なんだと再認識する。


(帰ってきたんだな)


 武達は帰ってきた。それぞれ全道大会の戦いを終えて。


「起きてたんだ」


 目の前から早坂が目をこすりながら言ってくる。大きな欠伸をしないように口に手を当てて抑えている動作を可愛いと思い、武は心臓を高鳴らせた。


「あ、ああ。今ね。帰ってきたんだな、俺達」

「そうね……お疲れ様。改めて、準優勝おめでとう」

「ありがと。正直、信じられないよ」

「でも、大事な一歩ね。お互いに」


 大事な一歩。

 早坂の言葉に頷いて、武は取り出した携帯の送信履歴を見る。

 由奈へと送信したメールの文面をもう一度眺めた。


『試合終わった。俺と吉田は準優勝。決勝は、棄権したよ。吉田の足が試合後に攣ってたことが分かって、試合は無理だった。優勝は不戦勝で西村達だよ。今度は、ちゃんと戦って勝ちたい』


 戦って勝ちたい。

 我ながら偉そうな宣言だと武は笑う。

 橘兄弟との戦いの後、吉田は足を攣りその場に倒れた。右足を抱えて動けなかったところにドクターが来て診察し、筋が切れていることや骨折など酷いことにはなっていないが、試合に出るのは無理だという結論に至った。

 吉田は決勝に出ることを強く望んだが、庄司含め周囲が反対して結局、棄権となったのだ。


「それにしても。西村っていつの間にあんなにかっこよくなったの?」


 武の思考を読んだわけではないだろうが、早坂は準決勝後の西村について言っているのだろう。


「早坂。もしかして西村みたいなのがタイプなのか?」

「まさか。でも転校する前と比べてずいぶん大人になったじゃない。背も伸びたし」

「背が伸びたら精神年齢上がったってあるのかな……」


 吉田を庄司と一緒に荷物を置いていたスペースに運び、表彰式前に全て荷物をまとめようと作業を開始した時に、西村がやってきて吉田と武に言ったのだ。


『おめでとさん。今日やれなくてよかった。次、もっと全力出せる状態の時にやりたいしな』


 その言葉には西村なりの賞賛と本心があったのだろう。武もその時思ったことを、早坂に語る。


「多分、あそこで吉田が足を壊さないで試合をやっても、俺達は勝てなかった。体力全快でようやく勝負になる程度じゃないかな。それくらい、今のあいつらは強いはず」

「そうなの?」


 武は試合中のひとコマを思い出し、呟く。


「試合してる時、俺の動作からロングサーブを読まれてシャトル叩かれたんだよ。で、その時に吉田が言ったんだ。読まないで打った瞬間から追いつけるなんて人間技じゃない。それを出来るのは知ってる中じゃ一人しかいない」

「……それが、西村だって言うの?」

「ああ。多分、西村にフェイントとかほぼ通用しないと思う。こっちが向こうの想定を上回る動きをしないと。だから、あの後三十分くらい休んで体力回復できても、それだけじゃ一ゲームでガス欠だったろうし」

「全道の壁は、高いわ」


 早坂は天井を向いてため息をついた。話が一段落したところで、武は早坂へと問いかける


「早坂も三位おめでとう。お前の話も聞かせてくれよ」

「そうね。私は――」


 早坂の口から女子のその後が告げられる。

 第一シードと試合をして敗れたこと。その第一シード、君長凛は難なく決勝も勝利した。今、北海道で相手になる選手はいないだろう。

 男子は小島が三位。刈田はベスト8でファイナルの末敗れていた。

 小島に勝った淺川亮は、君長凛と同じく難なく決勝で勝利。今のところ、牙城は崩れない。

 それぞれ大きな山を越えたところに、更に高い山が聳え立つという現実を見せられた。様々なものを見て、得た三日間だった。


「これから少しは楽できるかな」

「何言ってるの。これからすぐ学年別に、あと三月末の大会があるでしょ。更に大変よ」


 早坂の言葉に武は武者震いする。

 学年別大会の後で、その地区の選手から選抜されて大会が開かれる。

 いきなり全道からが舞台。その後、全国大会という流れの、今年から行われる全日本中学生バドミントン大会。

 全道、全国に向けた団体戦。


「三年になっても最後の中体連があるし。私達は引退まで休めないわね」

「そうか……三年、か」


 中学三年生。中学生最後の年。バドミントン部を引退した後には受験が待っている。どこまでも、休めない。全力で駆け抜ける毎日。

 疲れると思う反面、やりがいがあるとも感じて。

 武の顔には自然と笑みが浮かんでいた。


「相沢。楽しそうね」

「そうか?」


 武につられるように早坂も笑った。電車はつかの間の休息を手伝うように線路をゆったりと進んでいった。



 * * * * *



 電車が地元の駅に着いたのは、夜八時を回っていた。長い電車の旅に各々が体を伸ばして固さを取る。

 庄司が他の客の邪魔にならない場所に武達を誘導して、全員に声をかけた。


「今日まで皆、よく頑張った。明日からはまた各自の中学に戻るわけだが、すぐに学年別で争い、三月末の団体戦に向けてまた学校の垣根を越えたチームとなる。休む暇はないと思うが、今、賭けた時間は君達を裏切らない。精一杯、バドミントンに取り組んで欲しい。以上だ」

『ありがとうございました!』


 生徒達が皆で庄司へと礼を告げる。そして各自帰宅しようと電話をかけたりバスステーションに向かうなど散り散りとなった。


「また学年別で」

「じゃあな」

「お互い、次は優勝狙おう」


 安西と岩代。刈田と小島が吉田と武へと声をかけて去っていく。川瀬や須永も軽く会釈して安西達の後をついていく。多少は距離が縮まったかと武は思う。


「お前達も気をつけて帰ろよ。今日は、よく頑張ったな」


 他校の生徒がいた手前、あまり褒められなかったのか庄司は武達になったところで改めて労う。早坂も瀬名達と何か話していたようだが、瀬名達が去ったことで武達の下へと戻る。


「じゃあ、今日は解散だ。俺は吉田を送っていく。お前らは、帰れるな?」

「はい。吉田も今日はお疲れ様」


 武の言葉に吉田は少し申し訳なさそうに答える。


「試合できなくてすまない。この借りは」

「次で返そうぜ」


 武の言葉に笑みを返して、庄司と吉田はタクシー乗り場へと向かった。

 残るのは武と早坂。

 武はなんとなく、バスやタクシーで帰ったり親に来てもらうことに気が進まなかったため、歩いて帰ろうと決める。


「じゃあ、俺は歩いて帰るから。早坂はどうするんだ?」

「私も歩いて帰るわ。一緒に帰りましょ?」


 武は一瞬固まった。早坂が歩いて帰るのは別におかしくないが、一緒に帰ろうというのは予想外だった。確かに小学校の頃と違って距離は縮まったと思っているが、まさか一緒に帰るという状況まで縮まっているとは。あくまでバドミントン仲間ということだが、変に意識をしてしまう。


(なんだよ……別におかしくないだろ。家も同じ方向だし)


 駅から見れば、武と早坂の家は同じ方向にある。だから、歩いて帰るならば途中まで一緒に帰るのはおかしくない。

 ただ、小学生時代に出会ってから今年で八年経つが、初めてのことだった。


「あ、ああ。分かった」


 少し間が空いてしまったことが不快にしていないか気になったが、早坂は武の返事に頷いて歩き出す。

 武もその横に並ぶように早足で追いかけた。

 駅を出ると雪が積もっていたがそこまでの寒さはなかった。雪を踏みしめる音が二つ空気に溶けていく。この時間にしては走っている車も少なく、遠くからたまに聞こえてくる程度。まるで世界に二人だけしかいないかのように独特の空間を形成していた。

 歩道は人ひとり通れる程度のスペースだけ雪が掻き分けられていて、早坂が前になり武が後ろをついていく。二人でそう言ったわけではなかったが、自然とその形になっていた。


(やっぱり、なんとなく早坂に先を譲ってしまう)


 小学生の時に何か壁を感じていた早坂。同学年なのに何か先輩に接するような、腫れ物に触るような感覚でいたことの名残なのか、こういう時は自分が前になるべきではと思っても譲る。

 体に染み付いている習慣というものだろうか。

 それでも、随分背中から見る早坂の姿は変わった。

 小学生の時は身長も早坂はすらりと高く、容姿から学校の人気者だった。武が身長を越したのは小学校六年生でようやく少しだけだ。それから一年と少しで、身長の差は広がった。もう武の肩口くらいに早坂の頭がある。由奈はもう少しだけ低かった。

 一年、また一年と体は変わっていく。そして実力も早坂に追いついたと思えば更に広げられたと思っていた。今回、彼女が三位で自分達が準優勝という結果により、ようやく追いつき、追い越したと思っていいのかもしれない。


(それでもやっぱりずっと追いかけていくんだろうな)


 これからもこうしてお互い切磋琢磨していくのだろう。

 パートナーとして互いを高めあう吉田という存在もそうだが、小学生時代から続けて知る人間と共に成長していけるというのは、素直に嬉しかった。

 そうして物思いにふけっていた武は、立ち止まった早坂の背中にぶつかっていた。雪を踏みしめながらなので速度は出ておらず、軽く前に衝撃があった程度だが。驚いて立ったままでいると、早坂が振り返らずに言う。


「相沢」

「なんだ?」


 聞き返しても早坂は答えない。不思議に思いつつ、言い出すのを待とうと周りを見回すと、早坂と武の家の分岐点に来ていた。武はまっすぐに進み、早坂は曲がる。そんな場所。

 待っている時間は数分にも数十分にも感じられた。何かきっかけを待ってるのかと思い、武が口を開いた時、風が吹いて武の耳を遮る。


「――きなの」


 風の隙間をぬって聞こえてきた言葉に、武は硬直した。単語としてはかすかだが聞き取れた。しかし意味を理解するには頭のどこかが拒絶している。心臓が早鐘を打ち、次の行動を決めかねている間に早坂が武へと体ごと向けて、再度言葉を紡いだ。


「私、相沢が好きなの」


 早坂の頬は紅潮している。外気の冷たさもあるだろうが、それ以上に体の奥から来る羞恥によるものだと分かった。それほどまでに早坂は武を見て顔を赤くして、震えていた。


「あ、えと……」


 予想の範囲外から来た告白。そして目の前で自分の言葉に震えている早坂の可愛らしさに、武の心臓は高まりを抑えられない。何か考えようと思っても真っ白になり考えられない。体力は回復しているのに、体力ゼロの時のような感じ。


「由奈に悪いと思った。でも、好きになるのが止められなかった。止められなかったんだ……」


 自分の告白に苦しむ早坂を見て、武は急激に思考回路が繋がる。

 由奈の言動や、全道での出来事。縮まった距離など、様々な要素が繋がっていった。


「だから、言うしかなかった。そうしないと、私は先に進めない」

「……そうか」


 由奈に告白された時を武は思い出していた。いつだって、告白してくるのは女の子側だ。自分は由奈との関係をあまり崩したくないと思って、特別さを感じていても言わなかった。バドミントンに集中していたこともあったが。

 早坂にも悪感情はなかった。むしろ由奈がいなければ、好きになっていたと今の自分なら思える。

 それほどまでに憧れていたし、隣に並びたいと願った。

 恋と呼ぶには違うが、それに近かった感情。


「だから――」

「ありがとう」


 武は素直に気持ちを伝える。自分を好きになってくれた早坂に、嬉しいという気持ちを。

 あれだけ壁を感じていたのに、壁を越えた先にはここまで親しく、好きになれる相手となった。バドミントンで繋がった、感情。

 言ってもらえた感謝を込めて、武は胸の痛みを殺して伝える。


「でも、俺はやっぱり由奈が好きなんだ」


 由奈に悪いと思っても気持ちを伝えてきた早坂に、由奈への思いで断る武。

 お互いに、大事な存在だからこそ同じくらい辛いのだ。


「早坂のことは好きだ。でもそれはやっぱり、憧れで。恋愛感情とは、違うと思う。何がそうだって今の俺が言えるのか分からないけど、違うと思う。俺は、由奈が、好きだ」


 最後に一言一言区切って、再度伝える。

 早坂に報いるために。はっきりと答えを示すために。


「……分かった。ありがとう」


 早坂も感謝の言葉を武へと伝える。それは、自分の思いに逃げずに答えてくれたことへのもの。自分の中の区切りをつけることに、協力してくれたことへのものか。


「じゃあ、ここで」

「ああ。気をつけて」

「すぐそこだからね。相沢こそ、気をつけて」

「ああ、また」


 早坂は笑顔で手を振りながら去っていく。その笑顔が多少崩れていても武は気にしなかった。自分の思いが届かなかった時の辛さは良く分かっている。


(ありがとう。早坂)


 もう一度、心の中で感謝をして武は歩き出す。由奈の声を聞きたかったが、ここで聞くのは早坂に失礼な気がして気持ちを抑える。

 けして嫌いじゃない好意を断ることへの痛み。自分が好きなものを選ぶことは、他のものを切り捨てなければいけないということ。それはバドミントンでも、その他でも同じ。

 武は一つため息をついて、雪道を踏みしめていく。

 二つだった足音が一つになる。それでも、その先に安らぎがある。

 長い戦いが終わり、新しい戦いの幕が開ける。

 その時まで、少しだけ休める場所へと武は一歩ずつ進んでいった。

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