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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
SecondGame
152/365

第152話

 正に一瞬の出来事だった。

 今までもシャトルへの反応はかなり早く、ついていくのがやっとだった。今は更に上回り、シャトルの動きさえ目で追うことができなかった。

 プッシュ一撃で岩代と安西の気勢を削ぐには十分。

 ここまでポイントを積み重ねられても保ってきた精神の均衡が。

 何度へし折れそうになっても支えてきた意思が。

 支えと一緒に崩れ落ちる音を、岩代は聞いた。


「さあ、一本」

「一本!」


 空人の声に呼応する海人の咆哮。

 そこから放たれるシャトルはショートサーブによる綺麗な放物線。


(入る……)


 岩代は確証もないままシャトルを打ち上げる。しかしシャトルの射線上にすでに空人のラケットが存在する。そこに吸い込まれるようにシャトルが当たり、そのまま岩代の前に弾き返されていた。

 ポイントが加算されるとすぐに空人と海人はポジションを変える。これ以上安西達にペースを合わせておく必要などないと言わんばかりに。


「岩代。羽根、ささくれてるから直してくれ」

「あ……分かった」


 羽根を直しながら岩代は心を落ち着かせようとする。しかし、崩れてしまった精神を立て直すのは容易ではない。安西の顔をちらりと見ても、今まで見せたことがない青ざめた表情を浮かべている。

 顔から冷たい汗が一気に噴出す。視界が揺れ、倒れかける体を必死で抑えると岩代は顔を拭くために審判にタイムをかけた。そのまま自分のラケットバックの場所まで戻り、顔をタオルで拭く。


(駄目だ。このままじゃ完全に負ける。どうにかしないと。どうにか)


 思考は渦を巻きまとまらない。タイムも終わり、まとまらないまま構える。しかし、迷いを抱えたまま相手に出来るほど今の橘兄弟の攻めは甘いものではなかった。


(これが、全道レベルか)


 全道の、おそらくは全国にも匹敵するレベル。

 押し寄せてくる荒波を押し返す間もなく、安西と岩代は一ゲーム目を落としていた。



 ◇ ◆ ◇



「――ポイント。フィフティーントゥエルブ(15対12)。マッチウォンバイ、吉田・相沢」

『ありがとうございました』


 口から相手への礼を述べたところで、武は安堵の息を吐いた。ゲームカウントは2対0。最初から最後までリードを保ったまま相手に追いつかせることなく終わった。


「これで、明日に望めるな」

「ああ」


 明日に控えるのは第一シードとの大一番。

 遥かに高いところにいるはずの相手を超えるために挑む。それは今考えているよりもかなり困難な壁かもしれない。しかし、絶望的な差とは武は思えなかった。日々の練習よりも、今、試合で一球一球打つたびに自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じていたから。


(今の俺は、試合を始める前の俺よりも、強い)


 レベルが高い相手としのぎを削ることが、ここまで力を実感できるとは。

 一通りラケットバッグに荷物を押し込んで、背負う。次の行動を考えたところで、安西と岩代の試合のことを思い出した。


「そういえば、あいつら、どうなったかな」

「結構いいところまで行ってるんじゃないか?」


 吉田と共に二人が試合をやっているコートに向かう。橘兄弟はベスト4の実力。明日、第一シードと当たる武達にとって、四強との実力差を計るにはちょうど良い試合。

 安西達がベスト4を食うならば、全道という晴れ舞台で戦える。どちらにせよ、武は心躍らせる。


(どちらとも戦ってみたいからな……試合やって――)


 そこまで考えて、武は足を止めた。そこに広がる光景が思っていたものと違っていたからだった。


「試合、終わったんだ」


 自分達よりも少し後に始まった試合だとは認識していた。試合の状況によれば先に終わることはありえる。しかし、今現在武達の前で繰り広げられている試合のスコアは既に6対7とある程度進んでいる。

 そして、審判をしているのは安西。ラインズマンの片方は岩代だった。


「大差で負けたのかもな」


 吉田の声に一つの事実に到達する。スコアが拮抗しないなら、試合時間も短くなる。


「ひとまず、俺達は上に戻ろう。もう試合ないし、クールダウンして着替えよう」

「ああ」


 安西達のことは心配だったが、武は吉田に付いてフロアを出る。階段を上がろうとして、降りて来る小島と出くわした。


「お、お疲れ。勝ったな」

「ああ。明日の第一シードと当たるのが楽しみだ」

「……なあ、安西達、どうだったんだ?」


 吉田と会話を交わす小島に、武は割り込んで疑問を投げかける。

 小島は結果は分かってるだろうといわんばかりに肩をすくめながら答えた。


「15対0と15対0。時間にして二十五分」


 小島の言葉にその場の空気が凍りついた。


「橘達も最初は本気じゃなかったみたいだけどな。本気出さないまま倒そうとしてたようだけど、さすがにそこまで安西達も弱くないし。不本意な本気だったみたいだぜ。終わった後も悔しがってたし」


 小島が話す言葉を武は上の空で聞いていた。頭を占めるのは安西と岩代のこと。小島の話からすると、圧倒的な差で勝ったにも拘らずに橘達は悔しがっていた。自分達はあくまで次に進むための踏み台としてしかとらえられていなかったという事実。

 そして何よりも、安西達をその程度にしか考えなくとも良い橘兄弟の強さに恐れが背筋を駆け上る。


「なんだよ。いっちょ前に緊張してるのか?」


 小島のあざけりを含んだ言葉に意識が思考の渦から抜け出した。視線を向けると予想を裏切らない小島の笑い顔があった。武のことを馬鹿にしていると傍から見ても分かる。


「俺が緊張したら悪いのかよ」

「お前なぁ。緊張っていうのは勝って当たり前と思われてる奴がするもんだぞ?」


 小島はため息をつき、武を指差す。ちょうど眉間の真ん中を指されて武は居心地が悪くなり、横に頭を倒した。


「お前なんて全道で実績もなにもないんだから。負けて当たり前の奴がいっちょ前に緊張するな。格下のやつが出来ることは自分の実力を全部出すだけだぜ」


 そこまで言うと小島は武と吉田の間を通り抜ける。その際、武へと囁くように言った。


「ただでさえ実力が足りない奴には、実力を全部出し切るしか手はない」


 それは安西達のことも含めて言っているのか武には分からない。だが、最初に感じた嫌悪感などもう武の中にはなかった。


「あいつの言うとおりさ。俺達はここで失うものなんてない」


 吉田の言葉に頷き、階段を登る。特に返答はしないが、吉田は続きを語る。


「次に食い込めれば本当の実力って認めていいんだろうけど。流石に第一シードとは思ってなかったけどな」

「負けて当たり前。勝ったら奇跡、か」

「多分皆そう言うだろうけどな」


 階段を登りきったところで吉田が振り返る。その瞳には一つの意思。

 迷いのない、次の試合への意思が煌いていた。


「明日は、俺達が勝つぞ」

「おう」


 吉田に返事をすると共に、自分達が次の日に進めるということの重さを感じる。自分達が地区の代表なのだと改めて心に刻んだ。



 ◇ ◆ ◇



 全道大会二日目が終了後、武達は宿泊するホテルに戻った。勝った者、負けた者。それぞれに想いを秘めていたのか、誰も何かを口にすることはなかった。

 庄司により解散を告げられた後で、武は自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ付す。


(疲れた……)


 試合会場から出たとたんに体を襲っただるさに、帰る間に何度も眠りに落ちそうになった。会場では闘志によって抑えられていた緊張感や疲労が、終わりを告げられたことで緩んだところに押し寄せたのだ。


(明日はきっと、こんなもんじゃないよな)


 最終日。男女のシングルス、ダブルスの決勝までを行う。三日間の中で最もハードな一日となるだろう。明日に今までの全てを注ぎ込むために、武は本能の赴くままに意識を閉ざそうとした。そこに、扉から聞こえてくるノック音が水を差す。


(……誰だろ)


 重い身体を強引に起こしてドアまで歩み寄る。鍵を外そうとして身体がふらつき、ドアにぶつかって大きな音を立ててしまった。


「おいおい、大丈夫か?」

(この声……)


 身体を起こしてドアを開ける。目の前に立つのは岩代。試合後には気まずく声をかけられなかった相手がわざわざ自分から姿を表している。武が避けていたことを悟れないほど鈍感ではない。岩代はそれを分かってもなお、武の前に立っている。


「少しいいか」

「どうした?」


 部屋に招き入れると武はベッドに。岩代は備え付けの椅子に座る。少し俯いて何かを考えていた岩代だったが、顔を上げて武を真っ直ぐに見据えて口を開いた。


「橘兄弟、強かった」


 その一言がどれだけ重いか、武は十分分かった。かつて先輩である金田達が敗れた相手。過去の先輩達に今の自分達はけして負けはしないと武は思う。だが、それでも今日の橘兄弟を相手に勝てるかどうか分からない。


「でも、なんとかやりようがあったはずなんだ」


 陰鬱になりかけた武の心に岩代が光を差し込む。岩代が肯定的な言葉を話すなど武は考えていなかった。それほどまでに完璧な負けだったのだから。岩代は自暴自棄になったわけでもなく、ただ前を見つめてる。


「あいつらでも、全国ではまだまだのレベルのはずだ。なら、それだけ隙があったはず。まだ全然差はあるだろうけれど……そこを攻めればまだゲームになったはずなんだ」


 岩代が何を言わんとしているか。武は何となくだが予想がついてくる。


「俺達は、力がなかった。最後まであいつらを倒そうとする力が。何とか抗うことだけ考えて、勝とうとしなかった。その時点で、負けてた」


 岩代の言葉に熱がこもる。今まで熱を持たないように意識してきたのだろうが、タガが一つずつ外れていくのが武にも分かる。だが、そのタガが外れきる前に岩代は椅子から立ち上がってドアへと歩いていった。


「安西のやつ。あれだけ俺に諦めるなとか、意気消沈するなとか言ってたのに。試合終わってあいつが一番意気消沈してるんだ」

「あいつも、本気で倒そうとしてたんだろうからな」

「足りなかったのは、俺だな」

「……そうかもしれない」


 岩代の拳が強く握られる。

 武には岩代の気持ちが良く分かった。

 それこそ、自分がいつも体験している思い。強いパートナーに追いつけない自分を悔やむ思い。

 異なることは武が勝ち、岩代が負けたこと。次に味わうのは自分かもしれないという恐怖が心に広がる。

 それでも、武は立つ。


「次は、勝つ」

「ああ。先に俺達が勝っておく」

「そのお前らを倒して、俺達が次は優勝だな」

「させるかよ」


 軽口を交えた後で、岩代は部屋から出て行った。そのままベッドに背中から倒れて天井を見上げる。

 おそらく、岩代はこれから悔しさに苛まれる。過ぎたことだとしても、負けとはそういうものだ。それを割り切れるほど、まだ自分達に余裕はないのだ。

 武にも、明日の大一番を前に他人を気遣う余裕はない。それでも、岩代との対話は武の心に火を灯す。


「自分より格上の相手の倒し方、か」


 小島にも指摘された、プライドを捨てて勝ちに行くこと。負けて当たり前。勝ったら奇跡。それを失礼だと主張するほど、自分には実績も実力もない。

 だが、明日勝ったならば、それが手に入る。自分が積み上げてきたものが、実を結ぶ。

 岩代から力をもらったようで、武は嬉しさと共に決意を新たにした。


(そうだ、もう一人)


 携帯をポケットから出して電話帳を呼び出し、見慣れた名前でボタンを押す。

 繋がる先にいる、大事な存在。今は共にいなくても、声を聞くだけで、応援をもらうだけで力が沸いてくる。

 電話から声が漏れて、武の顔に自然と笑みが浮かんだ。


 全道大会は遂に最終日を迎える。

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